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逃避行~Crisis~
聞かされた真相は、思いのほか残酷だった。
あの日、あのサービスエリアで妃花は、恋人である大学生と旅行する道中、自分のお腹の中に子供が居ることを、恋人に話したそうだ。
しかしその結果、彼女はあの場所に、置き去りにされた。
妃花曰く、もちろん置き去りにされるまでの過程は、少なくとも何かしらの会話というか、やり取りはあったらしいが、しかしそれでも、『サービスエリアに置き去りにされた』という結果があまりにも強烈過ぎて、もうほとんど、何を話したのかさえ、覚えていないそうだ。
そしてその強烈な結果は、妃花の感覚を狂わせた。
「幸いにもお金は持っていたから、だから全部使って、どこか遠くでって......そんな風に思ってたんだけれどなぁ......」
静かな病室で自分のことを省みる彼女の表情は、俺のことを見ながら話す彼女の声色は、酷く穏やかだった。
「でもおじさん、優しすぎるんだもん。ほんとうに、イヤになる程に......」
「......」
「すぐにヒドイことにされて、死にたくなって......そんな風なコトを想像してたのに......なのに......」
そう言いながら、彼女は俺から視線を外して、そしてその代わりに、今まで溜め込んでいたのであろう、彼女の熱を帯びた内側が零れるのが見えたから......
「......っ」
だから俺は、それをそれごと包むようにして、
「......」
自分の中に、抱き寄せた。
数日後、仕事を終えた車の中には、空っぽになった後部座席と、飲みかけのコーヒーと、そして助手席に座るJKの姿が、そこにはあった。
疲労から来るただの風邪だったため、休養することですぐに回復したのだ。
退院の日、妃花は俺に、「家に帰ろうと思う」と、そう言った。
だから彼女は、今俺の隣の助手席に座りながら、相変わらず携帯電話をポチポチしている。
そしてそんな彼女に向けて、視線は前を向いたまま、俺は声を掛ける。
「ほんとうにいいのか?家の前まで送るけれど......」
「べつにいいよ~、ちゃんと帰れるから」
「そっか、それなら良いけれどさ......」
そう言いながら操作するハンドルと踏み込むアクセルは、べつに何てことない、いつも通りのそれだった。
「ねぇ、おじさん......」
「ん?」
「私、なれるかな......この子の母親に......」
「......さぁ、なったことねぇからわからねえなぁ......」
「......そりゃあそうだよ、おじさんはおじさんだもん......」
そう言いながら笑う彼女の表情は、運転していたから見えはしなかった。
しかし見えなくとも、なんとなく、今までの彼女のそれよりは、幾分芯が通っているように、感じることができたのだ。
そしてそれはきっと、彼女が自分の中の重要性に、向き合うことを決めたからだろう。
そう、彼女はきっと、長く感じた短いこの逃避行の末に、逃げ果ててしまうことよりも、向き合うことを決めたのだ。
ちゃんと向き合って、生きていくことを決めたのだ。
「俺もいい加減、ちゃんとしないとなぁ......」
「ん?なんか言った?」
「いや、なんでもない」
そんな風に話しながら、再び高速道路に乗り込む車体は、最初の時と変わらない。
初めからずっと変わらずに、知らず知らずのうちに、見ず知らずの命を二人分運んでいたこの車体は、今日も変わらず、高速道路に乗ってより静かに、しかしスピードを上げて走るのだ。
そして俺は、絵空事のようなこの出来事に、綺麗事を添える程の語彙力は持ち合わせていないから、何時ぞやの時に言ったであろう当然の台詞を、再び隣の彼女に告げる。
「......シートベルト、ちゃんとしろよ......」
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