海で死にたかった女の話

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海で死にたかった女の話

私に海を教えてくれたのは母だった。 家から車で25分、たまにドライブに連れて行ってくれた。 子供の頃から母とは気も合わず、話も合わなくて一緒に行動するのも嫌だったのだけれど、海だけはついて行った。 いつも「化粧が~」「体重が~」とか「神様が~」「ネットワークビジネスが~」と私の毛嫌いする話しかしない母も、海の前では静かだった。 母は宗教が大好きだ。 私はそんな母を反面教師にするかの如く、宗教アンチだ。 人の思想に口は出さないけども。 地元の海は大抵波が荒い。 見るものを圧倒するような白波。 それが好きだった。 私の悩み事も一緒に飲みこんでくれそうで。 中学生になってからは同級生と自転車で海まで行くようになった。 片道45分、他愛もないおしゃべりを大声で話しながら、ひたすらペダルを漕いだ。 私は親の職業だとか、親友にさえ言えない秘密を抱えていたし、”死にたい”と思う気持ちを隠して生きていた。 海はそんな私をも受け入れてくれるような気がした。 「やまない雨はない」 「明けない夜はない」 なんていうけれど、眼前に広がる壮大なサンセットはどんな励ましの言葉よりも力強かった。 明日も生きてみよう、そう思えた。 事あるごとに海に行ったし、何もなくても海に行った。 上京してからも、除籍して絶縁した実家には帰らなかったが、地元の海には行った。 もちろんデートでも行ったし、好きな男の子と花火もした。 地元の飲み会のあと、海まで歩いたり。。 バイトの友達が免許を取れば、海までドライブに。 私の記憶の”楽しいこと”のほとんどは、海にまつわる記憶だ。 辛いときでも、楽しいときでも、私は海に行きたかった。 いつか海で死にたい。 それか、死んだら遺骨は海に撒いてほしい。 そう思うほど、海が好きだった。 10年以上前になるが、彼氏の浮気が発覚した。 それはそれはショックだった。 心底信頼していたし、晴天の霹靂だった。 しかも、現場を見てしまったのだ。 私はいつものように海に行った。 夏の夜の海だ、デートしているカップルも多いし、花火をしようとする若者のグループもいた。 散歩や夜釣りを楽しむ人もいた。 そんな海辺を、音楽を聴きながらひたすら歩く。 私はどうしたいのか。 私はどうすべきなのか。 ぽろぽろ溢れる涙を拭いながらひたすら歩いた。 ふと、視界に入ったコンクリートの地面が黒くなっていた。 濡れているのか? いや、潮が満ちてもここまでは来ないはず・・・ まぁ夜だからそう見えるだけか。 と、足を一歩踏み出した瞬間、黒くなっていた地面がバチバチバチバチバチッと羽音を立てて四方八方に散っていく。 虫だと気付いた時には遅かった。 ゴキブ○に似た虫の大群が私の足元を走っていく。 叫ぶこともできず、慌てて踵を返そうとして尻もちをついた。 後ろから自転車に乗った半裸のおじいさんがやってきて言った。 「おい!ねーちゃん、すごかっただろ?! 最近この辺りはフナムシが大量発生しててよぉ、夜だと気付かずに踏んじまうんだよなぁ!わはははは」 なんだか、全てがどうでも良くなった。 毒親との関係も、彼氏の浮気も、このフナムシの大群の恐ろしさには勝てなかった。 フナムシの大群に比べれば毒親も彼氏もマシだ。 可愛いもんである。 それ以来、フナムシが怖くて夜の海には行っていない。 一度、サンセットを見に行った後、もたもたしていてあっという間に暗くなってしまった事がある。 ”今何時だろう?”とスマホをつけた瞬間、バチバチバチッと音を立ててフナムシがスマホにぶつかってきた。 もう無理。 ほんと無理。 昼間でも消波ブロックの隙間に奴らが蠢いていたりする。 もう大人になった私は「海で死にたい」なんて思わない。 どんな状況にせよ、命が尽きるその瞬間に視界にフナムシが入ったら死にきれない。 遺骨になった後だとしても、私の欠片が奴らに食べられたり触れられたりするかと思うと、絶対やだ!!死にたくない助けて!!! 今年も子供たちと海に行く予定がある。 あぁ神様、どうかフナムシが減っていますように。 楽しい夏の思い出を作れますように。。 おわり
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