【第一章】温かな腕②

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【第一章】温かな腕②

「以前、サルマキスの話をしただろう?」  黙ってしまったダルフェイに、私はそう切り出した。 「あれには、こんな神話があるのだよ」  それは、遠い異国の古い物語だった。  美の女神の息子である美しき青年ヘルマプロディトスが、森で狩りをしていた時の出来事。  彼は大変爽やかで美しい泉を見つけたので、水浴(すいよく)をしようと近づいた。  泉の妖精サルマキスは、その美貌の青年を見て、一目で恋に落ちた。  サルマキスは彼に愛を告げたが、ヘルマプロディトスはそれを拒絶した。  傷つけられたサルマキスは、彼を抱きしめ水中に引き込むと、神々に向けてこう祈った。 『私から彼を、彼から私を、何者も引き離すことの出来ないようにしてください――』  その願いが聞き入れられた瞬間、二人の体は完全に融合し一体となり、ヘルマプロディトスは両性具有者となった。  彼の姿は男女どちらでもないようであり、またどちらでもあるように見えた。  自らの体に起こった変化を嘆き呪ったヘルマプロディトスは、神に祈った。 『この泉で水浴する、すべての男が私と同じになりますように』  こうしてサルマキスの泉は、そこに入った男性を両性具有者とする力を持った。 「――私はヘルマプロディトス(両性具有者)。だから、あの湖をサルマキスと名付けたのだ。もちろん、あれは神話のサルマキスではない。私が両性具有なのは、生まれつきだからな」 「……」 「私は、男性と女性の機能を、完璧に両方備えている。だが……完全にどちらでもあるということは、完全にどちらでもないのと同じことなのだ。これほど不完全な存在が……はたして他にあるだろうか?」  性を1つしか持たないものたちにとって、私はしょせん好奇の対象にしかならない。  私は誰にとっても異性であり、また誰にとっても同性だった。  古の神話では、人は元々二人で1つの体を有しており、その組み合わせは男と女、女と女、男と男の3種だったという。  だが、あるとき神は人を2つに分断し、それ以降人は互いに1つになるべき半身を求め、恋をするようになったのだ。  その神話を信じるならば、1つの体に両性を有している私は、すでに二人であるのと同じだ。  他人を愛することも、愛されることも、私には赦されない。  私は……孤独に生きるべく、運命(さだ)められた存在なのだ。 「気味が悪いだろう?」  自嘲(じちょう)に、くちびるの端が歪む。  ダルフェイは激しく首を横に振ってくれたが、私にはそれを素直に受け止めることは出来なかった。 「後から知ったことだが、ハーフエルフには性的な障害を持って産まれるものが多いのだそうだ。多くのものは生殖能力を持たないそうだが……それに比べたら、私はずいぶんマシなほうだと、きっとみんなは思うだろうな。私には、女性の生理も男性の生理も、どちらもあるのだから。もっとも、本当に子が作れるのかどうかはわからないが」  ずっと男だと信じていた体が、徐々に自分を裏切っていく。  頼る人もなく、誰にも相談することも出来ず……変わりゆく自らの身体の異常に怯えつづけた日々。  隠し通そうとしても、隠しきれるものではなかった。
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