【第一章】灰色の涙②

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【第一章】灰色の涙②

 幼いころ、私は母というものは泣いているのが当たり前のものだと思っていた。  薄暗い部屋の窓辺で、細い体を椅子に預け……両手で顔を(おお)い泣き続ける母。床まで届きそうな長い金髪は艶を失い、乱れて頬にかかっていた。ときおり狂ったように甲高(かんだか)い声で嗚咽(おえつ)をあげては泣き続け、疲れはてて眠りについてしまう……それだけが、彼女の日常だった。  虚空(こくう)を見つめる目は常にうつろで、生気のないその目が、ときおり私のほうを向くのがたまらなく恐ろしかった。  空色の瞳と奇妙なコントラストをなす、真っ赤に泣き()らした目。  絶望と狂気の入り混じった眼差(まなざ)し。  しかし、私のほうを見ているはずの目は、いつも私を素通りして何か遠いものを見つめていた。  母は、ついに私に名を与えることさえなかった。  一日中泣き暮らす母の様子を哀れんだものたちがつぶやき繰り返す〝(ラルム)〟という言葉がいつしか私の呼び名になった。  私は母にとって、ただその体からこぼれ落ちただけの存在に過ぎなかった。  むなしく体外へ排泄(はいせつ)され、かえりみられることもなく、地に()ち、いつか乾き消え果るだけの存在。優しく抱きしめられることもなく、怒りに打ち()えられることもなく、ただ指の間をすり抜け、消えてゆくもの……。  だが、考えてみれば涙のほうがまだましだったかもしれない。  どんなに思い出そうとしてみても、私には母の手に触れた記憶は、ただの一度さえ残っていないのだから。 「お前が娘を狂わせた。薄汚い人間の子供め」  祖母は、そう言って私をなじった。  私の容姿はおどろくほど母に似ていたが、私には母や他のエルフたちのように、光り輝く黄金(こがね)色の髪も、青空や若葉を写し取ったような美しい色の瞳もなかった。それが祖母にとっては余計に憎らしかったにちがいない。愛する娘の姿形(すがたかたち)だけを受けついだ……醜い、私。 「よく見てごらん、この灰色の髪! (ちり)や燃えカスと同じ汚らしい色! ああ、なんて(にご)った色の瞳だろう。まるで死んだ魚の目ようだよ!」  髪をつかまれ、大鏡(おおかがみ)の前に引きずられていっては、私は祖母の罵声(ばせい)を浴びた。  醜い子、(けが)れた子。  美しかった母を変えてしまった、悪魔のような子供。  私はそう呼ばれても仕方がないのだと思っていた。  光の種族、永遠にも近い若さと美貌を持つこの種族の中にあって、私の容姿は異様(いよう)であり、老人のような髪の色はあまりにも奇怪(きかい)で醜く見えた。  祖母が大事にしていた肖像画の中の母はまるで少女のようで……木漏(こもれ)れ日のように優しく美しく、(おだ)やかな微笑(ほほえ)みを浮かべていた。  その微笑みを奪ったのは、父か……私か。  ひとしきり(ののし)ったあと、祖母はいつも最後にこう言った。 「人間でもエルフでもない、お前のようなものには、そんな色が似合いなのかもしれないね」
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