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描きかけの作品や彫像が隅に並ぶ部屋。
その中にぽっかりと空いた広い空間にある、大きな真っ白なキャンバス。
まるで早瀬の代わりのように豊はそのキャンバスの前に座った。
真っ白なキャンバスに木炭で下絵を描いていく。
アタリを描くだけだけれど、このときからイメージを頭の中で描き始める。
ここにはどの色を乗せようか。
どの筆を使って表現していこうか。
イメージが明確になっていくと、頭の奥がチリチリと焼け付くような感覚になる。
『頭の中で、線香花火がパチパチと弾けているような感覚だよ』
そう言ったのは彼女だった。
まるでシナプスが焼き切れて行くかのようなこの感覚は、確かに線香花火に似ているかもしれないと豊は思う。
言葉では表しづらい高揚感。
焦りにも似た興奮状態。
ただ静かにキャンバスに向かい手を動かしているだけなのに、心は戦にでも向かう武士の様だった。
木炭を筆に変え、イメージに向けて色を作る。
出来上がった色を真っ白なキャンバスに乗せた瞬間、楽しいという感情が爆発した。
筆に色を乗せ、キャンバスの上を滑らせる。
イメージとの齟齬を埋めていったり、もっと良くなるよう脳内のイメージを描き変えていったり。
今まで感じたことのないような高揚感。
彼女のように、命を燃やしていると感じる。
豊は今、正に生きていると実感していた。
楽しい。
自分のすべてをこのキャンバスにぶつけるように映し描いている。
その言葉に表しがたい楽しさに、自然と口元に笑みが浮かんだ。
「……何で笑ってるの?」
キャンバスに集中していた豊に、声が掛けられる。
楽しい時間を邪魔されたような感じがして、少し眉を寄せた。
もしかしたら、自分が初めて声を掛けたときの早瀬もこんな気持ちだったのかもしれないと少し反省する。
そして、チラリと声の人物を見た。
美術室のドアの所から自分を見ている少女。
焦げ茶色の長い髪を結いもせず下ろしている彼女は、硬い表情でもう一度繰り返した。
「ねぇ、何で笑ってるの?」
「……そりゃあ、楽しいからね」
豊は答えると、筆を持ち直し手の動きを再開させる。
話しながらだと先程のような高揚感を得る描き方は出来ないけれど、微調整くらいは出来るから。
「……今日は結ってないんだな、髪」
「……」
「……好きなんだけど、早瀬さんのポニーテール」
「っ!」
豊の言葉に、少女――早瀬は泣きそうな顔で息を呑んだ。
「な、んで……そんなこと言うの? 私は、豊くんに病気を移しちゃったんだよ⁉」
「……うん」
芸術病は珍しい心の病。
命を削って芸術作品を生み出すという病そのものもだが、心の病でありながら人に移ってしまうという特性を持つことでも珍しいと言える。
しかも移した側はもう二度と罹患しない。
――移す方法は、心を通わせること。心の病だと言われる一番の理由だ。
「私、移すかもしれないって分かってて、豊くんに側にいて欲しいなんて言ったんだよ⁉」
「うん」
「なのに何で怒らないの⁉」
泣きながら悲痛に叫ぶ早瀬に、豊は手を止め筆を置いた。
「……移すかもしれないとは思っても、移そうと思っていたわけじゃないだろ?」
「当たり前だよ! 豊くんは、心を通わせるほど大事に思った人なんだよ? 早死にするって分かってる病気、移したいなんて思わない!」
それでも……移したくなくても、人のぬくもりに飢えていた早瀬は心から突き放すことが出来なかったのだろう。
だから、もう少しと願ってしまった。
そんな早瀬の思いも全部、豊はちゃんと分かっている。
「うん、分かってる。……でもそれなら、俺の気持ちも想像出来るだろ?」
「え……?」
「心を通わせるほど大事に思った早瀬さんが、早死にするなんて嫌だって」
「あ……」
自己嫌悪からか、豊の気持ちまでは考えていなかったんだろう。
言われてやっと思い至ったらしい彼女は、そのまま押し黙ってしまった。
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