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千鶴がバイトに選んだのは、喫茶店の接客。
たまたま、通りかかった店の前で、
マスターが貼りだそうとしていた求人広告に飛びついた。
アパートと大学の丁度真ん中にあるレトロな喫茶店。
「君が良いなら、明日からでもお願いしたい」
「はい、大丈夫です。よろしくお願いします」
勤務は、講義が終わった夕方から閉店まで。
マスターの拘りが溢れるお店の中は、穏やかな時間が流れていた。
マスターの名前は早稲田翼さん。なかなかのイケメン。
…らしい。お客様の評価だ。
最初は、客との距離感を図るのに苦労した千鶴だったが、
自分もお客も不快に思わない絶妙の間合いが分かってきてからは、
それほど苦心することはなくなった。
「翼さん」
閉店間際になると、マスターの奥様・諒子がやってくる。
諒子は、千鶴の帰りが遅くなりすぎないように、
いつも気を遣ってくれるのだ。
諒子が来れば、千鶴の業務もお終いで、そのまま帰り支度をする。
「千鶴ちゃん、今日もご苦労様。気を付けて帰ってね」
「はい、お疲れさまでした」
大学の講義を終え、マスターのお店でバイトをして家路につく。
これが今の千鶴の毎日のルーティン。
部屋に戻るのはいつも22時頃。
お風呂にお湯を張る間に、明日のお米を炊飯器に仕込む。
夜は賄いが出るので、朝ごはんと、お昼のお弁当の分。
週末に、平日のおかずを何品か作り置きをしていて、
それを朝とお弁当に使って、一週間をやり繰りする。
千鶴は、毎日自炊する。
鬼畜の親といるときは、必要に駆られて仕方なく。
自由を得た今は、好きなものを好きな時に楽しんで。
明日の準備が終わる頃、
お風呂が沸いたと知らせるアラームが鳴った。
湯船につかり、一日の疲れを洗い流す。
ガチガチに固めた鎧を剝がして無防備な自分を晒す。
このひと時が、素の自分になれる唯一の時間だ。
頭の中を真っ白に。吐く息と一緒に今日ため込んだモノを吐き捨てる。
そして、すべてを空っぽにしてベッドに沈んだ。
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