猫宮オブザデッド?

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「絶対おかしい……」 俺は洗面所で顔を洗っていた。 少しべたつく顔を冷たい水で洗い流して、ハンカチで水滴を拭く。 もう昼休みだ。 あれから何人かの生徒や先生に猫宮さんのことを尋ねてみたが、みな同じ答えを口にした。 「猫宮さんは今日転校してきた」だ。 以前に会ったこともないと口を揃えてみな言った。 俺は友達が多い方じゃないのでからかわれているのかと思ったが、村井まで知らないというのだから真実なのだろう。 じゃあ俺が知ってる猫宮さんは何者なんだ? 彼女に出会って胸がざわついた記憶もある。 もちろん成就するとは思ってもいないが…… 俺は廊下の窓を開けて蒸し暑い風を感じた。 夏真っただ中で外は酷く暑い。 立っているだけで汗が出てくる。 冷房の入った教室に戻ろうとすると、窓の外からこちらに手を振っている人影に気づいた。 猫宮さんだった…… 俺は動揺し、自分の顔を指でさした。 彼女は窓の下で大きく頷いた。 どうするべきかと思ったが、俺は彼女に会うことにした。 俺の思い違いかもしれない。 昨日は眠るのが遅かったから、寝ぼけてしまっていたのかも…… とにかく俺は階段を下りて校舎から出た。 ここから見えるグラウンドでは野球部員が道具を持って整備をしている。 俺は少しの汗を滲ませながら彼女に近づいた。 「や、やあ猫宮さん」 少したじろぎながらも俺は進んだ。 手を伸ばせば彼女に届く位置で俺は立ち止まる。 「なにか俺に用かな?」 聞いてみたが猫宮さんは答えない。 穏かな微笑みを浮かべているだけだ。 どうしようかと思ったが、俺ははっきりと自分が抱いている疑念を聞いてみることにした。 「その……変なこと聞くけどさ。俺たちって以前会ってない?ほら……1週間前の教室とかで」 猫宮さんは微動だにせず、表情を一切崩さない。 「ああ……頭おかしいって思ってる?いや別に君の気を引こうとかそんなんじゃないんだよ。あはは……あ、俺星川龍也って言うんだ。知らないかもしれないから念のために……」 猫宮さんはクスっと笑った。 俺に手招きをして、小さな背中を見せる。 ついてこいということなのかな? 俺は黙って彼女の後を追った。 猫宮さんは体育倉庫に入り、俺に目くばせをした。 俺の体が急激に火照る。 「ね、猫宮さん?」 彼女は体育倉庫の扉を閉めた。 俺たちはこの狭い部屋の中で2人きりになる。 こもった熱気をモロに受けたことと緊張で、体中からぶわっと汗がふきだし始める。 「あの……ここは暑いねぇ。その……暑いねぇ」 俺は服の胸元をつまんでパタパタと動かした。 この程度の涼しさではまったく体を癒せない…… 「あのさ……俺が変なこと言ったから怒ってるのかな?それとも……」 俺がそう言いかけると猫宮さんは急に顔を近づけてきた。 整い過ぎた顔立ちに俺は緊張した。 俺は美人と話した回数が少ないんだ…… 猫宮さんは俺の汗ばんだ首筋に手を当てた。 そしてゆっくりとさらに顔を近づけてくる。 「だ、ダメだよ猫宮さん!俺たちお互いの名前くらいしか知らないのにこんな……早すぎる!こういうのはもっと親密な関係になってから……」 そう口では諭しても、俺は大して抵抗しなかった。 猫宮さんの唇が俺の顔に近づいてくる。 刺激的すぎる初キッスに耐えきれず、俺は目を瞑った。 あと数秒すれば彼女の柔らかい唇が俺に触れるのだろう…… 「え?」 俺は間抜けな声を出して、自分の腹部を見た。 白い薄着シャツの制服が赤く染まっている。 じわじわと痛みも感じ始めた。 俺は猫宮さんの顔と、自分の腹に刺さっているポケットナイフを交互に見た。 「え?……え?」 彼女の白い手に握られたナイフが俺の腹に刺さっている。 時間が経つにつれて痛みがクリアに感じられた。 俺は何度もまばたきをして、彼女に刺されたという現実をなんとか受け入れようとした。 猫宮さんは今にも噴き出しそうなほど頬を膨らませて、いきいきとした瞳で俺をじっくり見つめている。 「なんで……こんな」 猫宮さんはナイフを俺の腹部から引き抜いた。 映画のように血が勢いよく噴き出す。 彼女は呆然としている俺の右胸をナイフで切り払う。 鋭い1撃により血液が床に飛び散った。 「やめろ!」 俺はなんとか逃げようとドアに走った。 ドアノブに手を伸ばした瞬間、俺の手のひらにナイフが突き刺さった。 あまりの痛みに俺は悶絶し、後ずさる。 血が滴り落ちる小さなナイフを持った猫宮さんは躊躇なく俺に近づいてくる…… 「来るな!誰か助けてくれ!襲われてるんだ!」 俺は叫んだが、誰も助けにきてくれない。 猫宮さんは駆けだして俺に突進してきた。 突き出されたナイフが俺の腕を切る。 なんとか彼女の腕を掴んだが、すぐに反撃してきた。 腹を殴られ、頬を張られた。 俺たちは倉庫の物をなぎ倒しながらもみ合う。 このままでは殺されてしまう…… 俺は必死に抵抗した。 「離せ!」 俺は叫んで彼女を突き飛ばした。 ふいをついた攻撃に猫宮さんは大きく後ろに後退する。 そのまま背中から床に倒れる。 生々しい打撲音がして、彼女の後頭部からドクドクと鮮やかな血液が流れだした。 「お、おい……猫宮さん?」 しばらく息を整えることに集中していたが、落ち着いてくると恐怖が襲ってきた。 恐る恐る動かなくなった彼女に近づく。 バレーボールのネットの金属製のポールにべったりと血がついている。 自分の顔が青ざめていくのが鏡を見ずとも分かった。 彼女は動かない、死んでしまったのだろうか…… 背中に冷たい汗が走る。 「だ、大丈夫猫宮さん?」 彼女の体をさすっても、やはり動いてくれない。 強烈なめまいと吐き気に襲われた。 俺は……人を殺してしまったのだ。 「あ……あ……嘘だろ」 俺は這うように倉庫を出た。 必死に走り校舎に戻る。 頭に激痛が走った。 今にも倒れてしまいそうだ。 1階のホールで担任の本村先生が生徒と話しているのを見つけた。 俺は大声で彼の名前を呼んだ。 「おお星川、元気がいいな……ってどうした?すごい汗だぞ」 「ね、ね、ね、猫宮さん……」 「なに?」 「俺、人、人、人、こ、ここ」 「少し落ち着け、ちゃんと聞いてるから」 「さ、刺された、猫宮さんに刺されたんです!!」 「なに!?どこを刺された!?」 「腹です!腹!ここを……」 俺は自分の腹部を指さした。 血で染まった痛々しい傷……はなかった。 俺は目をこすって何度も自分の腹を見下ろす。 真っ白な綺麗なシャツだった。 あれほど痛んでいたはずなのに、もう痛みはない。 「……からかってるのか星川。先生びっくりしたぞ」 「あ、あれ?なんで!?ちょっと待ってください!」 俺はシャツを捲り上げて肌色の腹筋を先生に見せた。 近くにいた女子生徒たちが小さな悲鳴を上げる。 肌はどこも傷ついていない、かすり傷1つなかった。 刺された手や切られた腕の傷もなくなっていた。 「星川……」 先生は呆れた顔をしていた。 俺は頭を抱えたくなる。 今さっき襲われたはずなのにどうして…… 「本当なんです!猫宮さんに殺されそうになったんですよ!」 「さっきから思ってたんだが……猫宮って誰だ?」 「は?」 「だから猫宮さんっていうのは誰なんだ?」 俺の唇が震えだした。 先生は真面目な顔をして俺に聞いている。 「な、なに言ってるんですか!今日転校してきたでしょう!先生も紹介してたじゃないですか!」 必死な俺の訴えは、先生の胸に響いたのか何度も彼は頷いた。 1人騒いでいる俺を、生徒たちみんなが見ている。 「なぁ星川……分かった、じっくり話そうじゃないか。職員室が嫌なら保健室でも……」 「何も分かってないじゃないですか!頭のおかしいやつ扱いしてますね!」 「いやいや!違うよ!ただ何か悩みがあるなら聞きたいんだ。別に恥ずかしいことじゃない!誰だって不安はある」 「もういいです!来てください!」 俺は先生の腕を掴み、強引に歩かせた。 早足で体育倉庫に向かう。 倉庫のドアを開けて、俺は愕然とした。 猫宮さんの死体が無くなっているのだ。 それどころが血だまりも消えている。 俺はパニックになりながらも床を這いつくばり血痕を探した。 しかしどこにも血の跡などない……いつも通りの倉庫だった。 「な、なんで……なんで消えてるんだ?」 「星川」 先生は俺の肩を叩いた。 その顔は慈愛に満ちている。 「今お前は思春期だ。上手くいかないときとかイラついたりするときがあるだろう。それは簡単には発散できない。先生にも覚えがあるよ。でも大丈夫だ、今スッキリしなくても大人になれば『なんであんなことで悩んでたんだろう?』って思うことがほとんどだよ。誰かに話してみたり、気分転換をするのが大事だ。先生じゃなくてもいいけど、誰かに話してみろ。もちろん先生はいつでも聞くぞ!」 先生に肩を叩かれている間も、俺の頭は真っ白に染まっていた。
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