推し神様

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推し神様

 ドボン――。  そんな音と共にティアリーゼは湖の中に落ちた。  冷たい水はすぐにドレスを侵食し、布地で守られているはずの素肌にまで到達する。 (冷たい……)  息苦しいと感じるよりも先に、冷たさがその身を包む。  つい先ほどまで感じていた悪意の棘とどちらがマシだろうかと、陽の光が差し込む水面を見上げながら思う。  婚約者を奪った令嬢に毒を盛った罪を被せられ、婚約破棄の宣言と共に湖へ沈められた。  今まで次期王妃として頑張って来た自分への突然の仕打ちに怒りが湧く。  だが、怒りがこの身を包むより先にティアリーゼの体温と酸素は冷たい水に容赦なく奪われていった。 (苦しい……)  息苦しさも覚え、このまま命尽きてしまうのだろうかと死を意識する。  十七という若さで死んでしまうとは……。  思えば、物心ついたときから好きなことは何一つさせてもらえなかった。  焦がれた方へ仕えることも許されず、公爵令嬢という地位故に王太子の婚約者としてお妃教育に明け暮れる日々。  その結果が“これ”とは浮かばれない。 (せめて、命尽きた後はかのお方の元へ……私の推し神、ストラ様の御許(おもと)へ)  薄れゆく意識の中願うと、突然声が頭の中に響いた。 『助けてやろう、ティアリーゼ・ベルンハルト』 (⁉)  力強くも聞き心地の良い声。  初めて聞く男の声が直接頭の中に響き、驚き目を見開く。  すると、何かに引かれるような感覚と共にティアリーゼは光に包まれ水中から姿を消した。 「――ごほっ! かはっ!」  水に覆われ、重石に引かれるまま沈んでいた所から急に空気のある場所へと変わり状況を認識する余裕もなく咳き込む。  何度か咳き込み、やっと落ち着いてきたころには肌に張り付く髪やドレスが気になった。  足にくくり付けられていた重石は何故かなくなっていたが、しっかり水を吸ったドレスはズシリと重い。  いつもはフワフワと軽そうな金の髪も、元のウェーブが見る影もなく湿り水を滴らせている。  まだわずかに残る苦しさとその不快さに眉を寄せるが、すぐに身だしなみを整えることが出来ないため状況把握を優先させた。 (これは、助かった……のよね?)  床も、周囲も真っ白な空間。  ここがどこなのかは分からないが、少なくとも自分の命を奪う冷たい水はない。  ちゃんと呼吸が出来る状況に安堵しつつ、本当に死んでしまうところだったのだと思うと体が震えた。 「……寒いのか?」 「⁉」  突然降ってきた声に驚く。  人がいたこと自体にも驚いたが、その声が先ほど頭の中で響いたものと同じだったからだ。  聞き心地が良く、力強さも感じる重厚な男らしい声だ。
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