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木々の間の細い道を進むと、ふと少し開けた場所があった。
古い木のベンチが1つあり、名前も知らない平たいキノコが、その側面に複数生えていた。
柔らかな下草と、可憐な野の花があたりを囲み、柔らかな木漏れ日が無数に降り注いでいる。
その幻想的な美しさに思わず写真を取ろうとして、スマホを家に置いてきたことを思い出した。
そうだ、私にはこれがあるんだ――。
さっそくベンチに腰を下ろして、私はスケッチブックを開いた。
最初の一筆が、なかなか描き出せない。
それもそうだ。私が学校の授業や宿題以外で最後に絵を描いたのは、もう30年以上も前のことなのだから。
意を決して、線を引く。
気に入らない。
消しゴムのカスばかりが溜まっていくようだ。
そうだ……最初から風景を書こうとしたのが間違いなのかもしれない。
もっと小さな――そう、この白い花を、最初に描いてみることにしよう。
視線を落としてみると、草花の上を歩く小さな虫たちの姿が見えた。
蟻、バッタ、テントウムシ……。
ふと、懐かしい気持ちになり目を細める。
カマキリの絵を描いたのが褒められて、しばらく学校に飾られていたこともあった。アゲハチョウが羽化するまでの詳細な絵日記が大きな賞をもらい、校外に展示されているそれを、母と共に誇らしげに見に行ったこともあった。
あの頃、私は確かに幸せな子供だったのだ――……いつまでも、そのままであり続けたかったほどに。
ある日、学校が終わって家に帰ると、私の心のよりどころであった秘密の「自由帳」が、学習机の上に広げられていた。
「耕ちゃんッ、なぜこんな絵を描くの――ッ?!」
母はそう叫び、泣いていた。
担任の教師から電話で呼び出され、私の精神状態に問題があるのではという話をされたらしい。
私は怒りを覚えた。
心の奥の大切なものを、自分だけの大切な何かを、ずたずたに引き裂かれた思いだった。
私はただ、自分が美しいと思うものを描いていただけだ。
私が私であり続けるために、それは必要なものだったのに――。
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