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ボキ……と、鉛筆が折れる音で我に返った。
気が付くと、いつのまにか隣に小さな男の子が腰を下ろしていた。
小学生――10歳ぐらいだろうか。少し長めの淡い金髪が、そよ風にふわりと揺れた。
驚いて思わず飛びのいた私を見上げ、少年は私に話しかけた。
「おじさん、とっても絵が上手だね」
あんなに鬱屈した気分に囚われていたのに、確かに私のスケッチブックには、儚く繊細な一凛の花の絵が描かれていた。
小さな羽虫が、その葉の上にとまっている様子まで描いてある。
本当に自分が描いたのか疑わしくも思えたが、確かに私は、絵を描いている間は一種異様な集中力を持って、周りが見えなくなる癖があった。
それにしても、この少年はどこからきたのだろうか。
観光地でもないこの村にいるのだから、おそらくは村人の子か、その縁者なのだろう。
白い肌と、柔らかな金髪。サファイアのような青い瞳は、どう見ても日本人のものではない。
しかし流暢な日本語で、少年は気さくに私に話しかけた。
「ねえ、今度はあれを描いて」
朽ち枝の上を這うカタツムリを指して、少年は言った。
冷静さを取り戻した私は、小さく溜め息をつき、少年に問うた。
「きみ、どこの子? 名前は何ていうの? 」
しかし、少年は答えない。
そういえば、近頃は防犯意識の高まりから、登下校中名札を裏返しにしているという話を聞いたことがある。安全ピンをつけ外さなくても、簡単に裏返しにすることができる商品を開発した企業のエピソードを、いつだかテレビで見たことがあった。
今はそんな時代なのだ。
知らない人に名前を問われたら、答えなくても当然か。
私は気を取り直して、まず自分から名乗ることにした。
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