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「おじさんの名前はね、牧本っていうんだよ。牧本 耕一郎。昨日この村に引っ越してきたんだ」
「マキ?」
「そう、牧本――いや、マキでいいか」
改めて少年の名を訊ねてみたが返事はなく、私はそれを知ることを諦めた。
しかし今日は平日。もう学校が始まっている時間ではないか?
そう思った私は、今度はそれについて訪ねてみた。
だが少年からの返事はなく、どこか人恋しそうな眼差しで私を見上げるばかりだった。
もしかしたら、いじめにでも合っているのかもしれない。
外国人の血を引いているのだろうその容姿は、このように寂れた山奥の村では、受け入れられづらいものかもしれない。
彼と一緒にいることで、引っ越し早々目をつけられてしまう可能性もある――私はそう警戒し彼を追い返すべきだと考えたが、ふと手にしたスケッチブックに目を落として、その考えを改めた。
そうだ……もう、誰の目も気にすることなどない。
少年の頃の自由を、取り戻しに来たんだろう……?
居心地が悪くなったなら、その時はまた引越せばいい――そう、そのためにこれまで稼いできたのだと思えば、あの虚ろな日々も決して無駄ではなかったと思えるじゃないか。
予備の鉛筆を削り――思えば鉛筆を使うのも久しぶりだ――少年の指した朽ち枝に這うカタツムリに視線を戻す。
妹の菜々子の息子が、学校で教わった「でんでんむし」の歌を披露しながら、本物のそれを見たことがないと漏らしたのに衝撃を受け、探してやったこともあった。
経験から、案外雨の日はコンクリートの壁にいることを知っていたので、ほどなく見つけて彼を喜ばせることができたが――やっぱり、自然の生き物は自然の中にいるほうが美しい。
クリーム色の、半透明の身体を伸ばして、近くの草の葉に乗り移ろうとしている。そんな小さな生き物の姿を、私は丁寧に写し取っていった。
少年は傍らで足をユラユラさせながら、無言でそれを覗き込んでいる。
描いているところと人に見られるのは好きでなかったが、不思議と彼の存在は気にならなかった。
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