ユリシス

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 30年ぶりにしては上出来な、しかし画家と名乗ったのは失敗だったかな……と思える出来栄えの絵が完成したころ、遠くから昼を告げるチャイムの音が響いてきた。   「ああ、もうお昼の時間だ。君もお腹がすいただろう? 今日はもう、家にお帰り」  私がそういうと、少年は少し不服そうに唇を尖らせて、うつむいた。  何も言わず、ただ細く白い足をユラユラさせる。  帰りたくないのだという気持ちは伝わったが、さすがに見ず知らずの子供を家に上げて食事までさせるわけにはいかない。  私は書きあがった絵をスケッチブックから剝がしとり、それを少年に手渡した。 「これを君にあげよう。おうちに帰って、ご両親にちゃんと話をして、許可をもらえたらまた遊びに来てもいいから」  その言葉に少年はパッと顔を上げ、両手で握った紙を胸元に押し付けるようにして立ち上がった。  心底嬉しそうな、無邪気な笑顔。 「ありがとう、マキ!」  そういって、少年は風の様に走り去っていった。  一人で帰して大丈夫だろうか……と、私は慌ててその後を追おうとしたが、すぐに姿を見失ってしまった。  まあ、来るときも一人で来たのだから、心配はいらないだろう。  もしかしたら、あのベンチは元々彼の隠れ家だったのかも知れない――私はそう考え、一人家に戻った。  鍋に湯を沸かし、大量に購入しておいたインスタントラーメンを1つ入れる。  いずれ庭に菜園でも作ろうと思うが、その前に料理も覚えなければならない。  このままでは、コンビニ弁当か外食ばかりだったころよりも不健康になってしまいそうだな……と、私は苦笑しながら、せめてもの気休めに乾燥野菜を投入した。  出来上がったそれを鍋のまま食卓へ運び、わりばしを割る。  窓の外を眺めていると、いつのまにか曇った空からしとしとと雨が降り始め、ほどなく激しい豪雨となった。  少年はもう家に戻っただろうか?  いい時間に解散したという思いと、万が一まだ家に戻っていなかったら――という心配が、同時に湧き上がる。  とはいえ、もはや私にできることは何もなく、またこの雨では少年が再び訪ねてくることもないだろうと思い、午後は部屋の片づけに専念することとした。  古いCDプレイヤーに、学生の頃に買ったお気に入りのディスクをセットする。幸い、劣化はしていないようだ。  中に何が入っているかも書いていない段ボールを、適当に開けていく。  仕事としては最悪の段取りだろうが、かえって私は楽しかった。  そして出てきた本に意識を奪われて、その日はあっという間に過ぎていった。
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