1人が本棚に入れています
本棚に追加
おそらくこの黒い人というのは、私たちの常識とか道徳とかそういうものでは計り知れない世界の人なのでしょう。
私はこれから夫がどうなってしまうのか、せめてそれだけは知っておきたい気持ちがありました。ですが、きっと私なんぞがそれを知っても、それが善いことなのか悪いことなのか、夫にとって救いのあることなのかどうかは、理解できる自信がありませんでした。
「…まあ、あんたがもしもオレ達の言うところの“悪魔”だったとしても、それでも感謝するよ。お陰でたった一度の人生を悔やみのない満足なものにできたんだから」
夫は黒い人について歩き始めました。私はなにを言っても無駄だなんてことはわかりきっていたのですが、それでも何も言わないでなんていられませんでした。
「行かないで…あなた…」
夫は私を振り見て、最後の言葉を叫びました。
「約束をしなければ、今までの人生そのものがなかったんだ…」
私はそのとき、昔の喧嘩でどうして仲直りしたのかをやっとおもいだしたのです。
話がこじれにこじれた末に、夫が「おまえなんて、あのときにでも死んでしまえばよかったんだ!」と怒鳴ったそのすぐ後に、何かをとても恐れるような顔をして、「嘘だ。今のはウソなんだ!」と、なぜか空に向かって叫んだのです。
そして、私を強く強く抱きしめたのです。それがなんだか、今まで喧嘩して恨み憎み合っていたのがウソになってどうでもよくなるくらい、優しさを感じてしまったのです。
それで、わけもわからないまま許してしまったのです。
「後悔なんかするか!」
あの人の叫びを最後に、私は夢から覚めたのでした。
居眠りをしながら、私は信じられないくらいたくさんの涙を流していました。お医者さま達が容体の急変した夫を大慌てで運んでいました。助かるか助からないかは私にはもうわかっていましたが、それでお医者さまを責めるのはやめてあげようとだけ心に決めました。
それが良いことなのか、悪いことなのかはわかりません。もしかしたら、本当にただのワガママなのかもしれません。
けれど、男の人というのは女子供を守るためなら自分の身なんて省みないものなんですね。
完
最初のコメントを投稿しよう!