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それから数分後。ちょっとこのへん歩いて見てきたら、と母は提案した。
「もし家にいるなら荷物の整理手伝いなさい」
「どっちもイヤなんだけど」
真夏の白昼、屋外は全身にのしかかるような熱波。灼熱の日光がゆらゆらと陽炎をつくる。出かけてもいいことなんてないだろう。クーラーのきいた家にいたい。
「じゃあ、家にいる」
「せっかくこんな自然豊かなところに引っ越してきたのに。もう少し視野を広げてみたらどうなのよ」
「つまり、私には家にいてほしくないってこと?」
思春期の娘と母のコミニュケーションはおぼつかない。咲衣は、母と同じ空間にいることに気が進まなくなってきた。
「もういい。歩いてくる」
自室にスマホとUVパーカーを取りに戻り、玄関へ。黒いサンダルのストラップをとめて力いっぱいドアを押す。その反動で勢いよく戸は閉まり大砲を打ち鳴らしたような音が響いた。
「もう。こんなんで学校なじめるのかな……退屈して死ぬかも」
なんとしても東京の大学を受験しよう、といまから心に誓った。必ず東京に戻り一人暮らしをしよう、それまでの辛抱だと歯をくいしばり闊歩する。
自宅の一軒家の近くには森があり、川が流れている。できるだけ日陰を選んで歩く。木陰の下を道なりにまっすぐ歩いた。
しばらくすると、道が二手に分かれていた。左のほうは川へ通ずるようだ。涼しそうだからという理由だけで、咲衣の足は動いた。蝉しぐれを浴びながら緑のトンネルの中へ進んで行った。
「おー、よきよき」
空気が爽やかになった。心地よくひんやりとすら感じる。
けれどすぐに陽の下へ出た。せせらぐ水の音がする。まぶしい日差しが注ぎ、川辺の石は熱をおびて乾いていた。
浅いところは川底がはっきりと見える。透明度は高く、流れはゆるやか。ただ美しい水を保っているかのように静かだった。濃淡のある青い水面は神秘的で、こんな風景を咲衣は見たことがなかった。
パーカーのポケットからスマホを取り出す。記念すべき一枚。うっしゃ、絶対あとでアップしようと口元がにやつく。
そのままスマホのカメラをすーっと右へ移動させる。川のほとりの砂利にビーチサンダルが投げ捨てられたようにあることに気がついた。
腕を下ろし肉眼で確かめた先には、確かに黒いビーサンが。
そして、紺色のTシャツも脱ぎすてられたように置かれていた。サイズから察するにどちらも男物。
おもむろに近寄る。そばにしゃがんで、ひざを抱えた姿勢でまじまじと観察した。
デカい足だなあ、と思いTシャツへ視線を移す。やはりサイズが大きい。なるほどよほどの大男にちがいない。
「だれ、あんた」
背後から低い声がして驚きふりかえった。尻もちをついたまま見上げた先には、びしょびしょのタンクトップにひざ丈の短パンを履いた青年が立っていた。
彼は頭からずぶ濡れで、少し長い前髪からも襟足からもポタポタ水がしたたっている。切れ長の目の割に、瞳がはっきり大きくて顔が小さい。そして、とりわけ背の高さに圧倒される。
咲衣は両手をついて尻を引きずりながらあとずさった。
彼は頭をふって髪をかきむしった。濡れた犬がブルブル水をはらうように髪の水気をぬぐうと素顔が見えた。
「ええ!?」
咲衣は思わず目を見開いた。
それは目鼻立ちの美しい少年だった。
呆然としていると彼は歩み寄ってきた。ふたりの距離はいっきに近くなる。咲衣は息を吸って止めた。
(どうしよう、いきなり床ドン!?)
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