浦島太郎の玉手箱   椎名かをるの雑談①

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「君、浦島太郎の話は知っているかい?」  運転席に座る男の言葉に僕はため息をついた。  彼の名前は椎名かをる。  民俗学の准教授で、僕の遠い遠い遠い親戚だ。  まぁ、ほぼ他人だ。  民俗学のフィールドワークの助手として、たまに僕にお声がかかる。  助手といっても雑用がほとんどで、そこそこバイト代ももらえる。  学生に頼まないのかと聞いた事があるのだが、「生徒と親しくなると妙なトラブルになるから」とため息をついた。  さもありなん。  椎名さんは黙っていれば、まぁ、見られるルックスをしている。  すらりとした長身に、日本人離れした色素の薄い茶色の瞳。  穏やかな声に、人の目をまっすぐに見つめて話す癖。  ときめく女生徒(たまに男子生徒)がいても不思議ではない。 「浦島太郎は、日本人なら誰でも知っていますよ」  つい声が刺々しくなってしまうのは、決してひがみからではない。  二十年間彼女なしの男の嫉妬ではないのだ、絶対に。  椎名さんは一瞬不思議そうに僕を横目でちらりと見たが、すぐに前を見た。 「あれ、どう思う?」  あれ、とは何だ?  浦島太郎の話は、海底人とかタイムトラベルとかそういう事か? 「何で、乙姫様は浦島太郎に玉手箱をお土産によこしたんだと思う?」  ああ、それか。  僕は、んぅと首を傾げた。  決して開けないで下さい、と言いながら渡された玉手箱。  何で開けてはいけない物を、わざわざ持たせたのか。  そういえば、ギリシャ神話にも似たような話があったな。  決して開けてはいけない、あらゆる災いのつまった箱。  結局、どちらの箱も開いてしまったが。  まぁ、見てはいけないと言われたら、見たくなるのが人間の性だしな。 「尽くしたのに帰りたいと言われて、ムカついたから……、とか?」  様々な説があるようだが、僕は浦島太郎と乙姫の恋仲説を採用している。 「つまり、復讐?」 「そうですね。今風で言えば『ざまぁ』をしたかった、かな」 「なるほど」  そっちの可能性もあるか、女心は複雑だし、とか椎名さんは小声でぶつぶつと呟いている。 「椎名さんは、どう思っているんですか?」  ちょうど信号が赤に変わり、車が止まった。  椎名さんはこちらを向き、その色素の薄い茶色の瞳でまっすぐに僕を見つめてきた。    妙に居心地が悪い。  僕は緊張からわずかに体を固くしたが、椎名さんは気づかずに話し出した。 「僕は、乙姫様の計算ミスだったんじゃないか、と思っている」 「計算ミス?」 「玉手箱を開けた浦島太郎は白髪のおじいさんになった訳だけど、それは何歳くらいだと君は思う?」  えーと、うちのじいさんが確か七十いくつだったから……。 「八十歳くらい、かな」  信号が青に変わり、車が動き出す。  前を見ながら、椎名さんは穏やかな声で言った。 「今と昔では、寿命が違うはずだけどね」 「あ……」  そうか。昔の人は、今ほど長生きではない。  織田信長の時代で五十年。  いや、あれは「敦盛」だからまた違うのか。  では、浦島太郎の時代は?  しかも、医者にかかれないような身分の人は何歳まで生きられた? 「浦島太郎は、お母さんと二人暮らしだったよね?」 「あ、はい」  椎名さんに話しかけられ、僕ははっと我に返った。 「つまり、まだお嫁さんがいなかったという事で、彼はまだ十四、五歳くらい、いや、もっと若かったかもしれない」 「……そうですね」  今の感覚で考えると、働いている=大人だが、昔の人はそれくらいの年齢で成人扱いだっただろう。 「まず、前提として、僕は乙姫様は地上と竜宮城との時間のズレを知っていたと思うんだ」  椎名さんは、ハンドルを人差し指でとんとんと叩いた。 「……まぁ、そうかもしれませんね」  竜宮城で三年過ごしたら、地上では三百年が経っていたはずだ。  確か、最初は「帰らないでくれ」と言っていたようだったから、乙姫様はその事を知っていたのかもしれない。 「だから、浦島太郎が地上に戻った時に相応に年を取っているように、と玉手箱を持たせたんじゃないのかな」 「でも、三百年じゃ……」  知り合いどころか、住んでいた村さえ無くなっていてもおかしくない。  元の生活になど戻れるはずがない。 「だから、『計算ミス』さ」 「ミスというのは……」 「乙姫様は、ズレが三十年程度になると思っていたんじゃないのかな」 「……」  三十年、ならば。  知り合いもまだ存命だったはずだ。  最初は若い時の姿のままで現れた浦島太郎を不審に思うだろう。  だが、きちんと年を取った姿で現れたのなら、「今までどこに行っていたのだ」と聞くはずだ。    そして、浦島太郎は竜宮城の話をする。  それを信じてもらえるかは分からないが、もしかして、どこかのお姫様と恋仲になってお城で暮らしていたと、解釈してもらえたかもしれない。  目的地に着き、椎名さんは車を止めた。  潮の香りがする。 「だって、乙姫様は『竜宮城に帰って来ないなら、玉手箱を開けるように』と言っただろう」  それは、つまり。  元いた世界に帰る、という事だ。  だから、乙姫様は浦島太郎に玉手箱を持たせた。  もしかして、また自分の所に帰ってきてくれるのではないかと淡い期待を抱きながら。  だが。  ズレは思っていたより大きかった。  三百年経っていた事を知った浦島太郎は絶望し、乙姫様との約束を忘れ玉手箱を開けてしまった。  もし、そうだとしたら。  救いが無さすぎる。  黙り込んでしまった僕に、椎名さんは困ったように笑ってみせた。 「僕が勝手に思っている事だから、あまり真剣に受け止めないで」 「はい……」 「色々な説があるから、その中で自分の気に入る物を信じたらいいよ」  僕のあまりの落ち込みように驚いたのか、椎名さんは慰めるようにそう言ってくれた。  だが、僕の中ではもう浦島太郎の話は救いのない悲劇と化してしまった。  元々、かわいそうな話ではあったけど。  残された乙姫様の気持ちを思うと。  ああ、駄目だ。  恋愛経験ほぼゼロの僕には、適切な言葉が浮かばない。 「よし。じゃあ、亀を探そうか」 「は?」 「君、砂浜に行って、いじめられている亀を探してきてくれるかい」  しれっとした顔で、椎名さんはそう言った。  ああ、もう、本当にこの人ときたら。 「いるわけないでしょ!」 「冗談だよ?」 「でしょうね!」  ぷりぷりと怒りながら車から荷物を下ろす僕を見て、椎名さんは小さく笑った。                              
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