◇第1章◇ 優しくて冷たいひと

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「何か飲みます?」  キッチンに移動した律が、ケトルに水道水を入れながら聞いてくる。  コーヒー、紅茶、ココアや緑茶とたくさん種類を出されて、選択肢が多くて迷うところだけどココアにした。  ソファーの左側に座ると、同じく律も距離を取って右側の隅に腰を下ろした。  律の、湯上りのしっとりとした艶のある肌感がなまめかしい。  黒い髪の毛はサラサラしていて絹のようで、許されるのならばそれに触れたかった。 「律は政治家にでもなるのかと思ってたな」 「俺もそう思ってました」  律は空白の5年間をポツポツと語っていった。  大学在学中に訪れたマイアミで、たくさんの自然と触れ合いながら写真を撮るうちに仕事にできたらいいなと思ったこと、大学を辞めて専門学校に入り直したこと、そこで知り合った友人と会社を立ち上げて、ここから少し離れた場所にあるスタジオで主に仕事をしていることなどを。 「ここからだとちょっと遠くない? 仕事場の近くに住んだらいいのに」 「この街の雰囲気が好きなので、あえてここを選んだんです。ここから見える夕陽も綺麗だし」  確かに、その大きくて広い窓から見える街の景色は良さそうだ。 「そっか。律の仕事のこと、律の両親はいいって言ったの?」 「言うと思いますか? 何よりも世間体を1番に気にするあの人たちが」  両親にはすべて事後報告だそうだ。  僕と同様、律も家族とはなんとなく気まずいらしく、ほとんど実家には帰っていないらしい。  てことは、接近禁止令なんてもう守らなくていいじゃん。  これからは気軽に会える。  そう思いたいのに、律が僕に一線を引いている気がして、うまく喜べなかった。  現にこの今の2人の距離間がそうだ。  手を伸ばさないと触れられない距離。 「律、色々と努力してたんだね」  それに比べて僕は、何をしていた?  中学と高校受験は失敗して親の期待に応えられず、大学は家から逃げられるように遠い場所にして一人暮らしを始めた。  それなりに楽しい毎日だけど、律みたいに何か結果を残した訳じゃない。  全く努力しなかった訳ではないけど、昔からあんまりアップデートはされていないような気がする。 「きみはどうなんです」 「僕? 僕は別に……」 「言いたくないならいいですが、1つだけ答えて下さい」 「何?」 「君の恋愛対象は男性なんですか」  ココアを吹き出しそうになる。  ストレート過ぎるだろ。よくもまぁ堂々と。 「どうなんです」 「えー、えっと、まぁ」  食い下がってくる律の気迫に思わず頷く。  言わなくても分かってるだろ、ムサシさんと会ってた時点で。 「それも、俺と会わなくなってからですか」  律に言われて、どきりとする。  中2の頃、僕にはほんの少しの期間、彼女がいた。一緒に帰っているところを律に見られたこともある。  正直言って、昔の僕は普通に女の子が好きだったはずだ。  だけど律の、あのおおきな手によって僕は塗り替えられた。  あれから大して恋愛はしていない。  けど、いいなぁと思う人は全て男性だった。  男性がというよりは、律がいい、と思うようになっていた。  僕の人生において律以上に魅力的な男性にはまだ出会えていない。
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