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◇第2章◇ 優しくて泣き虫なひと
律のことは苦手だった。
たまに会えば僕を睨んでいる気がするし、きっと嫌われているのだろうと思っていた。
初めて話をしたのは、僕が幼稚園生の時。
玄関のところで1人で蟻を見て遊んでいたら、学校帰りの律に声を掛けられた。
「何してるの」
「蟻さんと遊んでる」
「ふーん……楽しいの?」
「わかんない」
僕は急に声を掛けられたのが恥ずかしくて顔が見れずに、俯いたままだった。
ふふっという笑い声を残し、律はすぐに去って自分の家へ入っていった。
あ、これたぶんバカにされたかなと、幼いながらに察してシュンとなった。
会話らしい会話をしたのは、僕が小1、律が小6の終わりの時だ。
1人で留守番をしている時に、律が家にやってきた。
「1人? お兄ちゃんは?」
「あ、いま、お母さんと出かけてる」
律は教科書やテキストなどをどっさり手に持っていた。
どうやらそれは律が中学受験のために通っていた塾で使ったもので、僕の兄に渡すように親から言われたのだという。
その時に初めて、2つ上の兄が中学受験というものをすることと、おとなりさんが中学受験を無事に終えていたことを知った。
それよりも、怖いと思っていたおとなりさんが、意外と優しい声をしている方が驚いた。あれ以来、挨拶をするくらいしか会話をしたことがなかったから。
だから「また来るね」と踵を返した律に、思わず言ってしまった。
「優しいね」
僕としては、その声が、なんだけど。
律は困ったように首を振って笑っていた。
その夜、僕が習い事に行っている間に律は来てしまったようで会えずに残念だった。
兄に「りっちゃんって怖い?」と訊くと、全然、と首を傾げられた。
どうやら律は、元からそういう顔プラス、ちょっと人見知りらしかった。
小3の時、初めて律と2人で出かけた。
学習塾の夏期合宿へ行った兄が、3日目になって体調を崩したと連絡を受け、両親が迎えに行くと言って僕を律に預けた。
突然の申し出に、律は快く引き受けてくれた。
テレビで見てずっと行きたいと思っていた、ウォータースライダーがあるプールへ連れて行ってくれた。
僕はずっと上機嫌だった。
長い行列に並んで滑って、勢いよく水中に落下して水しぶきを上げる。
びしょ濡れになってもう1度、行列に並んで。
律は嫌な顔1つせずに付き合ってくれた。
りっちゃん、楽しいねぇ、楽しいねぇと僕は何度も律の腕を持って笑った。
「チーも、来年から塾に通うんだよね。頑張れ」
炎天下でかき氷を食べるとあっという間に手や口がベタベタになる。
舌を苺で赤く染めて、アスファルトの照り返しに目を細めながら、僕も中学受験をするらしいとその時に初めて知った。
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