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「店長ー、ちょっとこれ持ってってくれる?」
森下くんの声掛けに、はっとする。
そばに歩み寄ると、グラスを2つ渡された。
卑しくも食器棚の中を覗いてしまう。
あの髪留め以外にも、何か証拠が見つからないかと思ったのだ。
パッと見た感じ、いかにも女性物らしいグラスやペアのマグカップみたいなのは置いていないようだが。
「あ、皿も必要?」
「……かなとも思ったんですが、特にいらないです」
「そう? もし使うなら勝手に出しちゃっていいからね」
食器棚の中を見た事がバレて内心ヒヤッとしたが、僕はあえて何でもない風に装ってテーブルにグラスを置いた。
あぁ、僕は何をやっているんだろう。
証拠を見つけたら余計に心に傷を負うのは分かっているのに。
こちらにやって来た森下くんともう一度乾杯をして、ごまかすように一口飲む。
「ラーメン美味しかったね。つまみ買ったけど腹一杯かも」
「ふふ、そうですね」
テーブルの上には枝豆や漬物といったおつまみが並べられているけど、お互い手をつける気配がなくて笑った。
「店長はどうしてアパレルに入ったの? やっぱり服が好きだから?」
「あぁ……そうですねぇ……」
さっきはお互いの事について語る間もなく直ぐにラーメンが来てしまったから、ゆっくり会話が出来なかった。
僕は持っていたグラスを置き、ある人の事を思い浮かべた。
「実は僕、昔はファッションに全く興味が無かったんです。恥ずかしい話なんですけど、高校生まで母親が適当に買ってきた服を着ていて」
「えーっそうなの?」
「お蔭ですごく冴えない、芋っぽい男でしたよ。髪だって自分で切っていたから適当だし。学校で制服着崩したり、髪染めて眉毛整えてる奴見て『チャラチャラしてるよなぁ』なんて思ってたんです。でもきっと本音は、羨ましいなと思ってたんですよね。あんな風に、自分を自由に表現できる人っていいなぁって」
でも、どうやったらあんな風になれるのか分からなかった。
自分に自信がなくて、何より、僕なんかがあんな風になれるわけがないと、挑戦する前に諦めていた。今考えれば、万が一失敗したときに傷付きたくないからという言い訳に過ぎないのだけど。
森下くんはきっと、誰かの手本にされる側の人間だったんだと思う。
あの時のひねくれていた時期に出会わなくてよかった。
きっと森下くんを目の敵にして、やっかんでいた事だろう。
「大学生になる前に、従兄弟と出会って考えが変わったんです。僕の五個上なんですけど、流行にすごく敏感で、いつも流行りの小物や服を身に付けて。久々に親戚で集まった時、僕の芋っぽい格好を見た彼はビックリ仰天ですよ」
「驚きのダサさで?」
「そうそう。そのままファッションビルに連れて行かれて」
あはは、と森下くんは子供のように声を出して笑ってくれたので、僕も釣られて笑った。
「渋谷のファッションビルで、従兄弟が持ってくる服をどんどん試着して。店員もノリノリで従兄弟と盛り上がってたんですが、僕は恥ずかしくて早く店を出たいと思ってたんです。けど試着しているうちに、服の素材や色で全く印象が変わる事に気付いたんです。くすんでいた顔がちょっと明るく見えたり、身体のシルエットが綺麗に見えたりすると何だか嬉しくなって」
「うんうん」
「結局、ほとんどの小遣いをその店で使ってしまいました。でも後悔は無く、むしろ連れ出してくれた従兄弟に感謝して。服を変えたら、髪型が全くマッチしていなくておかしくて、自然と変えたいって思って。後日、美容室に行って髪も綺麗に整えてもらいました。服って魔法だな、と。こんなにも気分が上がるものだとは思わなくて」
「ふーん」
森下くんは口の端を上げながら、頬杖を付いて僕をじっと見つめていた。
一人でペラペラと熱く喋っていた事に今更気付き、声のトーンを落とす。
「あぁすみません。一気に喋ってしまって」
「ん? あ、いやいや、いい話だなーと思って。続けて?」
「あ、はい。それからはずっと僕なりにファッションに気を遣っていて。いろんな店を巡り巡って、sateenkaariに辿り着いたという感じです。インテリアも好きでしたし、地味な僕にも似合う洗練されたデザインが多いし、入店しやすい雰囲気も好きだなと思って」
「え、地味?」
森下くんは、意外だ、というような表情で僕を見つめる。
その反応がちょっとだけ嬉しい。
「店長、全然地味じゃないじゃん」
「そうですか? たまにうちの二番手に言われますよ。落ち着き過ぎだし、髪も黒いから重たく見えるし、せめてコンタクトにしたらどうかって。もう二十九なので、落ち着いて見える分には全然いいんですけどね」
「いや、その黒縁眼鏡よく似合ってると思うよ。なら、試しに取って見せて?」
僕の反応を待たずして、森下くんは眼鏡を外してしまう。
耳に触れた森下くんの繊細な指先。肌がこすれる音が、ダイレクトに響いてきた。
これは……ほんとにやばい。
僕、きっと変な顔してる。
好きな事がバレてしまう。
片手で顔を覆うようにして、くしゃりと前髪を掴んだ。
「あの……眼鏡、返してください」
「……あ、ごめん」
森下くんはすんなりと、眼鏡を手渡してくれた。
あぁ、気を遣わせてしまったかな。
ぼやけたままの視界で眼鏡をきちんとかけ直すと、ちょっと赤い顔をした彼がニッコリ笑っているのが見えた。
ちょっとお互い、酔いがまわっているのかもしれない。
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