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一人で帰れると言い張ったけれど、森下くんは送っていくと言って聞かなかったので、駅までバスを使わずにのんびり歩いて帰ることにした。
アパートのドアを開けて一歩外に出ると、少し冷たい風が頬を掠めた。
その風がとても心地よい。
僕はお酒には強い方だと思うけど、今日はなぜかいつまでも体の熱が収まらなかった。
歩幅を会わせてくれる隣の人のせいだ。
「店長は、一人暮らし長いの?」
「えぇ、高校卒業と同時に家を出ましたから。もう何年も実家に帰ってませんね」
「えっ、なんで? 遠いから?」
「まぁ、それもありますけどね」
「……へぇ、そっか」
森下くんは気を遣うように、それ以上の事は詮索せず、すぐに仕事や気候の話に切り替えた。
僕もホッとしながら相づちを打っていく。
実家に帰らない本当の理由は、教えられない。
実は僕は、中学の頃にゲイだというのが親にバレてしまったのだ。
姓について悩んでいた僕は当時、携帯を持っていなかったから家にあったPCでそういう類いの言葉を検索にかけてしまった。履歴を削除することも忘れて、自分という存在は何なのかを自問自答していたある日、問い詰められた僕は母親に打ち明けた。
母は無言だった。
けれどその夜、いつまでも灯りが消えないリビングで僕に隠れてこっそり泣いていたのは知っている。
僕を責めずに、自分を責めたのだろう。
それがとても惨めで悔しかったのだ。
なぜそうやって、僕を恥ずかしい存在だと思って泣くのか。
僕はなにも恥ずかしい事はしていないのに。
ネットで検索すれば、家族に性癖を打ち明けたら僕よりももっと酷い反応をされたという人が大勢いて、少し気が楽になった。病気だ、と言って無理やり精神科に連れていかれた、もう自分の子じゃないとまで言われた、など……
森下くんがもし、僕の性癖を知ったらどう思うのだろうか。
予想ではたぶん、あの時好きになった人と同じような行動を取る気がする。
笑って誤魔化し、自然な感じで僕の前からフェードアウト。
あぁ、そうなったら嫌だなぁ。
「店長、また見てる」
「……へっ」
「俺の顔、そんなに綺麗?」
考え事をしながら、僕は随分と長い間森下くんを見つめていたらしい。
今さらその事実に気付かされた僕は、咄嗟に彼の履く白いキャンバススニーカーを指さした。
「そのスニーカー、どうやって洗ってます?」
「えっこれ? あーえっと、まぁ、普通に石鹸付けてタワシでごしごしと」
「キャンバス地は繊細な作りなので、タワシでゴシゴシ洗ってしまうと摩擦で表面が削られてすぐダメになってしまいますよ。色落ちの原因にもなりまし。靴用の洗浄ブラシがあるので、それを使ったらいいと思います」
「へー、靴用なんてあるんだー」
「うちの店に売ってますよ」
「店長って何でも知ってるんだね」
よし、もし森下くんを見ている事がばれたら、これからもこんな風にすり抜けよう。
彼もお洒落に気をつかっている人でよかった。
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