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「……すみません」
素直に謝ると、森下くんはあっとなってかぶりをふった。
「あ、俺もごめん、強く言っちゃって。店長がそうやって気遣ってくれるのは嬉しいよ。さっきも言ったけど、焦って作るものじゃないし……好きだなって思う人は店長だし」
どうしてそんなに、僕を困らせようとしてくるんだ。
こんな密室で、しかも裸の状態でそんな風に言われて、逃げようにも逃げられないじゃないか。
「……悪いんですけど、僕は、君のこと好きじゃないです」
「本当に? 俺、かすりもしないの?」
「……はい?」
またムッとした声で言われたので顔を上げると、目と鼻の先に森下くんの顔があった。
一点の曇りもない、澄んだ瞳で僕を見つめてくる。
狼狽して体を引いて距離を取るも、背後はすぐに壁だ。
「俺、今までの人生で告白って何回かしてきたし、上手くいった人もいたけど、中にはダメだった人もいた。振られた場合は、すぐに引き下がってたんだよね」
「な、何を言っているのか」
全然分かりません……と続ける前に被せられた。
「だってみんな、明らかに俺に興味がないって態度で振ってくるんだもん。でも店長はさ、押せばどうにかなるんじゃないかって思っちゃう」
「どうにかって⁈」
「俺はタイプじゃないって言ってるくせに、たまにそうやって顔赤くさせるじゃん」
「の、逆上せているんです、これは」
バレていた。指摘されると、死んでしまいたいくらいに恥ずかしい。
すると次の瞬間、森下くんの手が僕の頬を流れた一筋の水滴を拭った。
「タイプじゃなかったけど、付き合ってみたら意外とウマが合ったって人もいるみたいだよ」
心臓が一気に鼓動する。
どくどくと、全身の血が騒ぐ。
眼鏡をしていないのに視界良好で、崇高な美人と目と目を合わせたまま、身動きが取れなくなった。
「放してくださいっ、今すぐっ」
「嫌だったら、逃げたらいいよ」
「こんなっ密室で、卑怯ですよ!」
「じゃあ何処だったらいいの?」
「ど、何処でもよくないです!」
体をひねったり、バシャバシャとお湯を顔に掛けたりして抵抗しているうちに、額に素早くキスをされてしまった。
ちゅ、と親が子供にするみたいなキスだ。
一瞬の出来事で、逃げる暇もなかった。
僕は額を両手で押さえて涙目になる。
「……な、なに、して」
「ほら、こんなことしてもまだ逃げない。店長はやっぱり優しいなぁ」
悪戯どっきりが成功したみたいにケラケラ笑われて、ますます体がヒートアップする。
至近距離の瞳を見つめ返し、その意図を探ろうとするも全然わからない。顎を持ち上げれば、その唇に触れてしまいそうな距離だ。
一旦、冷静になろう、冷静に!
「人を揶揄うのも大概にしてくださいっ。何度もやめてって言ってるのに……いい加減しつこいし、失礼ですよ」
「店長の方こそ失礼じゃん。俺が揶揄ってるって決めつけて」
「……え?」
「なんで俺のこと信じてくれないの? ちゃんと俺、ずっと前から本当のことを言ってるのに」
真剣に言われて、言葉が出てこなかった。
早く逃げろ。逃げなくては──
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