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結局僕は20分くらいしてから起き上がって、夕飯を食べることにした。
まだ万全とはいかないけど、食べれないほどじゃない。それに結構、お腹が空いた。
「ビール飲む?」
森下くんに瓶ビールを掲げられ、僕はむむ、と訝しむ。
「変な、こととか、しませんか?」
「……してほしいの?」
含み笑いをされながら言われ、カーッと熱があがった。
「冗談っ!」
また倒れそうになるのを堪えつつ、グラスコップにビールを注いでもらった。
僕はそれを一気に喉に流し込む。
冷えた液体がカラカラに乾いていた喉を潤してくれて、素直に美味しいと心から感じた。
天ぷらや唐揚げは冷めても衣がカリカリで美味しかったので、良しとしよう。
野菜たっぷりの鍋や伊勢海老の刺身、金目鯛の煮付け。赤や黄色や白など、目にも鮮やかなメニューで視覚でも楽しめた。
その後、仲居さんに食器を下げてもらい、そのまま森下くんの分の布団も敷いてもらった。
2つの布団の間にはほんの少し隙間がある。
仲居さんが出ていった瞬間に、僕の分の布団をずりずりと引っ張って隙間を大きくすると、森下くんに困ったように笑われた。
「あぁー、傷付くなぁ。変なことしないって言ったのに、全然信用してないじゃん」
布団の傍らに腰を下ろす森下くんの浴衣の合わせ目から、太ももが顔を出している。
それをなるべく見ないように、僕も自分の布団の上に座った。
「だって信用なりませんよ! ダメだって言ったのに、あんな風に無理やりキスして……っ」
「え? 店長、『ダメ』なんて1回も言ってなかったよ」
「そ、そんな屁理屈言わなくていいんですよ!」
わーわーと吠えると、森下くんは立ち上がったので、僕は戦闘態勢に入るように体に力を込めた。
「……いや、ごめん。勝手なことしたって分かってるんだ。あのキスは、なかったことにしてくれていいよ。怖がらせちゃってごめん」
どこか寂しげに言って、森下くんは僕の隣を通り過ぎてしまった。
「どこへ行くんですか」
「この辺、適当にぐるっと散歩してくるよ。店長はもう寝てて。俺、ちゃんと頭冷やしてくるから」
パタン、と扉を閉じられ、拍子抜けした。
2枚の布団の距離を改めて見つめる。間にもう一枚、余計に布団が入りそうな隙間。
傷つけてしまったのかな……。
だけど、どう声を掛けていいのか分からなかった。
嫌じゃない。だけどやっぱり、申し訳ない。
一時の感情に流されて、勘違いをしてしまった彼を受け入れるのは。
僕を好きになってくれたのは嬉しいけど、この先、彼に女の人と幸せになる未来が待っているとしたら、僕との関係はきっと汚点になる。
ただ、森下くんに幸せになって欲しいだけなのに。
それに僕は……。
僕がゲイだと知って、夜にこっそり泣いていた母親。
涙を流しながら悟ったのだろう。僕と自分自身に、今後幸せが訪れることはないと。
そのことが頭にあるからなのか、僕はいつのまにか人の気持ちに向き合うのが怖くなり、逃げるようになってしまった。
僕は幸せになれない。この先きっと、誰とも。
出口のないトンネルの中を延々と彷徨うように、答えが見つからない。
僕は広い部屋でひとり、眠る気はなれずにそんなことをずっと考えていた。
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