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部屋に戻ってきたはいいものの、2つの布団は離れたままだったので、しまったと思った。
せめて元の位置に戻してから出てくるんだった。
森下くんは何も言わぬまま、部屋の灯りを落とした。部屋の隅に置いてある、提灯の形をした照明のみが空間を照らしている。
ぼんやりと浮かび上がる、彼の影。
「じゃあ、寝よっか」
彼は自分の布団に入って横向きになってしまった。もちろん、僕には背を向けて。
確かに、何もしないとは言っていたけど。
少し寂しく思っている自分はなんなのか。
心にぽっかりと穴が空いたように痛くなるのは、何かされたいと期待していたからじゃないか。
浅はかな自分を見透かされたくなかったので、僕も静かに布団に入り、森下くんに背を向けて横臥した。
衣ずれの音が聞こえて、ドキッとする。
彼が手や足を動かしたみたいだ。白いシーツに擦れる音。
目を閉じ、もう寝てしまおうと思った。
だけどこのままでいいのか?
僕は未だ、彼を傷付けたままだ。
謝ってもいないし、かといって受け入れてもいない。
彼は優しい人だから、このまま眠って明日の朝になれば何事もなかったように接してくれるんだろう。
できるなら甘えたい。
傷つかない楽な方法があれば、そっちに行きたい。
だがもう、胸の高鳴りを抑えられなかった。
僕は起き上がり、布団を引っ張って元の位置へ戻していった。
畳の上を滑らせ、森下くんの布団の隣にピタリとくっつける。隙間を作るのを忘れ、仲居さんに敷いてもらった時よりも随分と距離が近くなってしまった。
「どうしたの」
目を丸くした森下くんが、寝転がりながら僕を見上げていた。
「……やっぱり、ここで、寝ます」
緊張して声が掠れてしまった。
僕は隠れるように布団に潜り込み、首元まで掛け布団を引き寄せた。
横向きにはならずに、仰向けになる。
隣から痛いほどの視線を感じたので、仕方なしに彼と目を合わせた。
「な、なんですか」
「寝る時って眼鏡取らないの?」
ハッとして、狼狽しながら眼鏡を取ろうとするけど……その手をゆっくりと下ろした。
「あの……僕は森下くんを、傷付けてしまったでしょうか」
「……あ、いや……そんなことないよ」
「すみません。僕、他人をなかなか信じられないのかもしれません。昔、好きな男に思い切って告白したことがあるんですけど」
森下くんの方は見れずに、天井の木目を数えながらあの頃に思いを馳せた。
「相手はちゃんと、笑って振ってくれたんです。でも次の日から目も合わせてくれなくなっちゃって。振られたことよりも、そっちの方がショックでした。笑って振ってくれた時、あぁ、気持ちを正直に伝えて良かったって素直に思ってたんですけど」
あ、思い出してちょっと涙が出た。
手を震わせながら告白したら、確か『ありがとうな』と笑顔で言われたんだっけ。
「喋れなくなっちゃうんだったら、言わなきゃ良かったかもって。僕の一言で、彼を傷付けたんだって悟りました。相手も僕に好かれてるなんて知りたくなかっただろうに」
僕の唇は止まらなかった。
こんな話聞かされても、森下くんは困るだけなのに。
「本当の気持ちを、聞かせて欲しかった。本音は違うのに、笑ってありがとうって言って欲しくなかったんです」
「じゃあ、『もう話しかけてくんな』って言われたら満足だったの?」
「いえ、それはそれで、傷付いていたとは思うんですけど」
「なんだよ」
森下くんは吹き出して笑ってくれたので、重たくなっていた空気は軽くなった。
「……結局言いたいことは、人には表と裏の顔があるんだってことです。表ではニコニコしてても、裏では何を考えているのか分からない。だから怖いんです、素直に気持ちを受け取るのは。自惚れたくないんです」
「じゃあ、どうやったら信じてくれる?」
森下くんはいつの間にか、肘枕をして僕の方に体を寄せていた。
また近距離に迫ってきて、せっかく良くなった体調も悪化しそうになった。
逸脱してはいけない。僕の頭の隅にいる善良な僕が、注意喚起をしてくる。
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