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降ってわいた災難
夕刻。
外来診察が終了して、後片付けと翌日の準備を終えた私は、休憩室の奥のロッカーで白衣を着替え、帰る支度をしていた。
その隣に、あわただしく駆け込んできたのは、内科外来担当の田辺さんだ。
「ヤバい、遅刻だ。」
そう言いながら、あわてて白衣を脱いでいる。
彼女は、茶髪の毛先を弛くカールさせたセミロングの髪に、目鼻立ちのハッキリしたかわいいお人形のような容姿をしている。
「…今日も、合コン?」
私が聞くと、田辺さんは、ニヤリと悪い顔で笑った。
「違うの。今日は、デート。二人で会うことになったの。」
ほう。そうですか。
この間まで、医者や弁護士の合コンはダメだとか、公務員はダメだとか、ダメ出しばっかりしていたのに、めぼしい人が見つかったんだね。
そんなことを思っていると、バタバタと着替えた田辺さんが、かわいいブランドもののバッグを手にこっちを見て笑った。
「絶対モノにしてみせるから。じゃあね。」
駆け足で外に出ていった田辺さん。
その華奢な左肩に、私の目には、大きくてゴツゴツと節くれだった男の人の手首から先が、憑(の)っているのがみえた。
…何事もないといいけど。
とりあえず、みなかったことにして、私も着替えを済ませ、休憩室を出た。
時刻は17時45分。
特に予定もないので、真っ直ぐ家に帰る。
自宅は、病院から徒歩10分のところにある。
小さくて古い1DKのアパートだけど、私にとっては十分な住まいだ。
この病院から家までのたった徒歩10分の道中に、コンビニとドラッグストアがあるのもうれしいポイント。
何か足りないものがあっても、大抵のものはこの2件でそろう。
私はゆっくりと歩を進めて、ちょうど病院と家の中間地点にあるドラッグストアに立ち寄った。
最近のドラッグストアは、薬や衛生用品だけでなく、食料品やスイーツなども充実している。
甘いものに目がない私は、このドラッグストアのミニスイーツのシリーズが大好きで、すでに全5種類をコンプリートしていた。
今日は、ティラミスでも食べようかな。
そんなことを考えながら、店内をみるともなくまわっていると。
「あれ、榊原さん。」
聞いたことのある低いバリトンボイスが、私の背後から聞こえて、私はその方を振り返った。
「あ、神高地先生。」
さっきまで、外来で一緒だった先生だが、今は白衣を脱いで、カジュアルな青いストライプのワイシャツに、薄手のチャコールグレーのテーラードスーツをラフに着こなしている。
イケメンは、服を着崩しても、イケメンなんだな。
そんなことを思っていると、目の前のイケメンが苦笑いした。
「…反応うすっ。」
て、どういう意味?
首をかしげる私の前で、イケメンはクックッと肩を揺らして笑いながら言った。
「いや、大抵の女の子は、俺が声をかけると、ワントーン高い声でキャピキャピ話しかけてくれるからさ。榊原さんの無反応さが逆に新鮮で。」
…なるほど。
すみませんね。キャピキャピしてなくて。
普段からあまりイケメンとの対話を求めていないため、薄い反応が身にしみてしまっているらしい。
「…買い物、ですか?」
私が聞くと、先生はニヤリと意地悪い顔をした。
「ちょっと、ね。」
「…。」
ふーん。
まあ、あまり興味もないので、そのまま会釈して、通り過ぎようとすると、すれ違いざまに、不意に耳元でささやかれた。
「今日も、見事なお手並みだったね。」
「…えっ!?」
思わずその整った顔を仰ぎ見ると、先生は後ろ手に手をふって、そのまま通り過ぎていった。
…何言ってるんだろ。お手並み?
まさか、今日の木崎さんのこと、言ってる?
いや、でも、先生のいないところで、気づかれないようにやったし、見られてなかったよ…ね。
私は変な冷たい汗が吹き出てくるのを感じて、ブルッと身震いしてしまった。
気づかれるわけにはいかないのだ。
絶対に。
私の能力は。
しかし、この後、とんでもない展開に、私は巻き込まれることになる。
そうとも知らず、この時の私は、呑気にティラミスなんか買って、ウキウキしながら家路についたのだった。
私、榊原 千紗は、28歳の看護師である。
神高地総合病院に入職して、今年で6年目になる。
今は整形外科外来を担当しているが、その前は手術室に勤務していた。
手術室の看護師は、消化器外科、呼吸器外科、心臓血管外科、脳外科、整形外科、眼科と耳鼻科と皮膚科の混合、泌尿器科の7つのチームに別れていて、各科のオペを担当する。
自分の科のオペが無い日は他の忙しい所をフォローするようになっている。
半年毎にチームの入れ替えがあり、大体3年くらいで、全ての科を経験できるようになっている。
4年目以降は、自分の極めたい科を選んで良いことになっていて、私は4年目の時、整形外科を選んで、主に整形外科の手術を担当していた。
なぜ、整形外科を選んだのか。
それは、他の科と比べて、内臓をみることが少ないから。
臓器には心が宿っているとは、よく言ったもので、確かに臓器には、その人の思いが宿っている。
それは手術中の麻酔がかかった状態でも、容易に溢れだし、映像や声として、私に語りかけようとする。
それをなるべくみないようにして、手術の介助をするのだが、特に器械だしの介助などしていると、先生の指示を出す声と、臓器の声がシンクロして、指示を聞き取れなかったりして、命に関わる場所なだけに、洒落にならない状態を引き起こす恐れがあり、何度も肝を冷やす思いをしたのだ。
その点、整形外科は、ほとんど骨を相手にしているので、声を聞く事もなく、静かに手術に取り組む事ができた。
また、大工仕事のように、ノミや金づち、ノコギリなどを使って手術するため、他の科の手術よりも単純明快で、わかりやすいのも魅力だった。
そんな整形外科の手術を、中でも素早く、綺麗に終わらせるのが、神高地先生だった。
特に股関節の手術は見事で、その速さは10名近くいる整形外科医の中でもトップクラスだった。
出血も少なく、術後の経過も回復が速い。
整った容姿も手伝って、神高地先生に手術してほしいという患者は後を絶たない。
かくいう私も、手術するとしたら、神高地先生がいいと思う。
だって、速くて上手い上に、皮膚の縫い方が綺麗だから。
昨年から整形外科外来に異動になり、術後の患者さんの傷をみることが何度もあるが、みんな縫い方が綺麗なので、ほとんど傷痕が目立たないのだ。
本当にすごい腕だと思う。
神は二物を与える。
いや、二物と言わず、もっと与えられているのかも。
一物も満足に与えられていない私からしてみれば、うらやましい限りである。
まあ、人としては、ちょっと難がある感じだけど…ね。
心でつぶやいて、私は手元のパスタをクルクルとフォークに巻き付け、一塊になったところをパクっと口に放り込んだ。
うん。今日のカルボナーラも美味しい。
病院の地下にある職員食堂。
西棟と東棟の2つあり、それぞれメニューが違うため、どっちに行っても新たな発見があって楽しめる。
大体は、西棟が洋食で、東棟が和食と中華のメニューを出しているのだが、私は外来が西棟にあることもあり、西棟の食堂を使うことが多かった。
そんな私の前の席で、幼なじみの瞳ちゃんが声をあげた。
「あーあ、なんかいい男いないかなぁ~。」
いやいや、瞳ちゃん。職場でその発言は、ちょっとまずいのでは…。
私は無言で、そんな瞳ちゃんをみる。
中山 瞳。
私と同い年の28歳。
整形外科病棟の看護師。
なぜか幼稚園から看護大学まで一緒で、職場まで一緒の腐れ縁。
たぶん、私の事を親よりも一番知っているであろう、大親友である。
ストレートの背中まで伸びた黒髪を仕事中はシニヨンにして後ろでまとめているが、下ろすと本当に綺麗な黒髪で、ため息の出るようなスレンダーな和風美人。
だから、本当は、とってもモテる。
今も、それこそ言い寄ってくる男は絶えないのだが…。
この美人な彼女は、中身にとってもギャップがあった。
中身──性格が、この上なく男らしいのだ。
私は、彼女のそれこそ竹を割ったような性格に、小さい頃から幾度と無く救われている。
だから、私は、彼女のこの性格を、この上なく大好きなのだが、こと男女の間柄となると、その性格が見た目に伴わず、思っていたのと違うと言って、何度も付き合っては別れを繰り返しているのだった。
まあ、この年になって、一度も男の人と付き合った事が無い私からしてみれば、うらやましい悩みなんだけど…。
「この前の合コン、ダメだったの?」
私が小声で聞くと、瞳ちゃんは、大きくため息をついた。
「それがさ、なるべくしゃべらないようにして、大人しくしてたんだけどさ。」
うんうん。瞳ちゃんは、黙ってれば、スレンダーな和風美人だからね。
「向かい側に座ってた男が、外交官でね。外見はすごく好みで、おっ、と思ったんだけど」
うんうん。
うなづく私の前で、瞳ちゃんがその綺麗な顔をしかめた。
「自分の話しばっかしてさ、それも自慢話ばっかなの。」
はあ。
「これ、付き合ったら毎回こんなの聞かされるかと思ったら、なんかうんざりしちゃってさ。」
それは、そうだねぇ…。
「おまけに、その会の終わりしなに、私のとこに来てさ」
ほうほう。
「二次会、行くよね。とかって、なれなれしく肩に手まわしてきてさ~」
きゃ~、なんか危険な予感。
「私、頭きて、股間に膝蹴り、くらわしてやったわ。」
ち~~~ん…。
わあ、痛そう。股間。
「…それは、なんというか、お気の毒だったね。」
「…どっちが?」
「…。」
モゴモゴとパスタを食べる私に、瞳ちゃんの鋭い眼光がささる。
瞳ちゃんが、もう一度聞いた。
「どっちが、お気の毒なの?」
「…瞳、ちゃん。」
そうよね~と、ニッコリ笑って、瞳ちゃんは定食のトンカツを一口食べた。
「ん。おいし。」
一番、敵にまわしては、いけないタイプ。
それが、瞳ちゃんなのである。
クワバラクワバラ。
心で合掌していた時、瞳ちゃんが急に話題を変えてきた。
「ところでさ、あんた、王子とは、どこまでいってるのよ。」
ん?王子?
瞳ちゃんの言っている意味がわからず、キョトンとしていると、瞳ちゃんがいつになくワクワクした顔で身を乗り出してきた。
「副院長だよ。付き合ってるんでしょ?」
ブッ…!?
「ちょっと、吹き出さないでよ。汚いな。」
「…ごめん、ごめん。」
飛びちったパスタソースを慌てて紙ナプキンで拭き取りながら、私は眉をひそめた。
「何がどうなったら、私と神高地先生が付き合ってるってことになるの?」
「えっ!?違うの?」
「…全く。神に誓って違います。」
胸で十字を切った私の答えに、瞳ちゃんは大きくため息をついた。
「なんだ、デマか~。とうとう堅物の千紗にも、春がきたかと思ったのに~。」
堅物は、よけいじゃ。
私は心で突っ込みながら、瞳ちゃんをみた。
「なんで、そんな根も葉もない噂が流れてるんだろ。」
首をかしげる私に、瞳ちゃんがニヤリと悪い顔をして笑った。
「案外、根も葉もあるかもよ。」
…いや、ないって。
「だって、その噂流してるの、神高地先生だもん。」
「…えぇっ!?」
ひときわ大きな声を出してしまい、周囲の注目を浴びてしまった私は、小さく頭を下げながら、瞳ちゃんをにらんだ。
「もう、ウソ言わないでよ。そんなはずないでしょ。」
「ほんとだよ。」
瞳ちゃんは言い張った。
なんでも、瞳ちゃんの所属する整形外科病棟で、最近、異動してきた主任看護師が、神高地先生に猛アタックをかけていて、先週末も休みが同じになったからといって、先生に一緒に食事に行きませんかと誘っていたところ、先生がこうのたまったのだという。
「本当に申し訳ないんだけど、僕には、小さい頃から家同士で決まっている許嫁がいるんだ。だから、僕にいくらせまっても、お付き合いはできないよ。本当にごめんね。」
まあ、神高地家は、由緒正しいお家柄だから、家同士で決まった許嫁がいるっていうのも、うなづける。
でもよ。その相手が、なんで私なの?
首をかしげっぱなしの私をよそに、瞳ちゃんが鼻息も荒く話しをすすめる。
「それでね。その主任もあきらめが悪くて、その許嫁にわからないように、付き合えばいいじゃないですかとまで言ったのよ。そしたらさ」
先生は、言い寄る主任を、なんなら鼻で笑い飛ばしながら、こう言ったのだそう。
「無理だよ。ほとんど毎日会うからね。同じ職場だし。それに」
ひときわ、主任の耳元ににじりよって、先生は低いバリトンボイスでささやいたのだという。
「きみは、僕のタイプじゃない。」
じゃあ、ごめんね。
と、放心する主任の肩を優しく叩いて、先生は騒然とする病棟を後にしたのだそう。
ひゃ~、罪な男だね。
憎いね、色男。
なんて、キャーキャー言ってる場合ではない。
それで、なんで、私なの?
だって、同じ職場って先生が関わる部署は、医局も含めれば4部署はある。
その中の女性なんて、少なく見積もっても100人弱はいるじゃない。
それなのに、なんで、私なのよ?
すると、瞳ちゃんが声をひそめてささやいた。
「そのあと、病棟の何人かの看護師がね、聞いたらしいのよ。」
え、何を?
「先生の許嫁は、誰なんですか?って」
もう、余計なこと聞くな。パパラッチめ。
「そしたらさ、あんまり広めないでくれよっていいながら、教えてくれたんだって。外来の、榊原 千紗ちゃんだよって。」
はあああぁ~…。
思わず、大きなため息をついてしまった。
なんでそんな、迷惑なデタラメを。
先生、広めないでよって、逆効果だから!!
そんなのすぐに病院じゅうに広まるに決まってるじゃないですかっ!
もうっ、バカバカ!!
私は心で悪態をつきながら、ハッと気がついた。
あれ、もしかして私、山車(だし)にされた?
言い寄ってくる女たちを黙らせるには、許嫁なんて、絶好のネタじゃない。
しかも、相手が私なら、他の女性と違って、先生に全く興味無いから、後腐れもないし。
だから、わざわざ数人の看護師に私の名前を伝えて、噂を広めようとしたんじゃないの?
「…うわぁ~、やられたわ…。」
頭を抱えてつぶやいた私の前で、瞳ちゃんが心配そうに私の顔をのぞきこむ。
「…大丈夫?千紗。」
私はため息をつきつつ、こう言うしかなかった。
「…ぜんっぜん。大丈夫じゃない!!」
残りのパスタを憤然としながら食べ、午後の診察に向かうのだった。
午後からの診察は、午前中ほど忙しくはない。
主にリハビリにきている患者の現状確認が多いからだ。
医師はその間、病棟に主にいて、外来に患者がきたら、受付の事務員さんが先生にコールし、診察して、また病棟にもどる。
私たち外来の看護師は、その合間をぬって、診察室に足りないものの補充や必要資料の補充、掃除や医療機器のメンテナンスなど、まあつまり雑用をこなす。
つまり、あまり午後は先生との接点が無い。
「…。」
まあ、病院内で話すのは、ちょっと危険な予感がするから、外で話すしかないよね。
問題は、先生をどうやって呼び出すか…。
そんなことを考えながら、黙々と雑用をこなしていると、内科外来の前で、田辺さんに呼び止められた。
「あ、いいところに。ね、榊原さん。お願いがあるのよ。」
「…。」
私は無言で立ち止まる。
なんか、悪い予感しか、しないんだが…。
田辺さんは、細身のワンピース型の白衣をかわいく着こなして、外来受けする薄めのメイクで、でもしっかりアイメイクや唇のグロスはかかさず、そのかわいさを仕事中もキープしている。
基礎化粧だけで、ろくにメイクもしていない私に比べたら、本当に月とスッポンだ。
そんなことを思っていたら、田辺さんにガシッと腕をからめられ、内科外来の中に連れ込まれてしまった。
「…どうしたんですか?田辺さん。」
内科外来には、たまたまなのか、人は出払っていて、田辺さんと私だけ。
しかし、田辺さんは、辺りを気にしながら、声をひそめてこう言った。
「ね、神高地先生の許嫁って、本当なの?」
やはり、そのことか。
「今のところ、ノーコメントです。」
先生と話をつけていない現状では、なんともいいようがない。
まあ、事実、許嫁では無いのだが、先生の立場もあるし、無下に否定もできない。
とりつく島もなくそう言う私を、特別気にするでもなく、まあいいやと受け流し、田辺さんはこう続けた。
「今度さ、外来の定期の飲み会あるじゃない?」
ああ、そういえば、そんなのありましたね。
あまり行きたくは無いけど、行かないとまわりがうるさいから、いつも仕方なく一次会だけ参加している定期の飲み会。
半年に一回ずつあって、幹事は医師と看護師二人ペアで、各科持ち回り制で担当しているという、なんとも面倒な会である。
大体、ボーナスの出た7月20日過ぎに実施されるのが恒例で、今回も確か7月21日金曜日にやると告知させていたはず。
「それが、どうかしたんですか?」
キョトンとする私を横に、田辺さんはさらに声をひそめた。
「今回、内科が幹事なの。知ってるよね?」
それは、まあ、告知されていましたから。
うなづくと、田辺さんは、ニッコリ満面の笑みで、こう言った。
「ね、神高地先生も参加で、お願い。」
私の真ん前で頭を下げて、手を合わせる田辺さん。
「…。」
いやいや、本人に言ってくださいよ。本当に。
確かに、毎回外来の飲み会の時は、神高地先生はいつも当直とか出張とかで、ほとんど顔を出した事がない。
いや、外来の飲み会というより、どこの飲み会にも、ほとんど参加してないと思う。
「無理ですよ。私にそんな権限ありませんよ。」
小声でそう言う私に、田辺さんはさらに手を合わせる。
「そこをなんとか。許嫁特権発動してくれない?お願い!」
いや、だから、許嫁じゃないんだってば。
もう、本当に面倒な事に巻き込んでくれたなぁ…。
先生、後で覚えといてよ。
私は心で悪態をつきながら、とりあえず聞いてみますという、一番無難な返事をして、その場を切り抜けた。
「よろしくね~。」
かわいい笑顔で、田辺さんに手を振られ、あはは…と笑いながら、私は内科外来を後にした。
はあああぁ~…。
なんなの。許嫁特権って。
発動できるもんなら、発動してみたいわ。
海よりも深いため息をつきつつ、整形外科外来に戻った私は、奥の診察室に、人影があることに気がついた。
「…。」
神高地先生だ。
先生は、資料を広げながら、デスク上のパソコンで、何か調べものをしている。
その横顔は、シャープで、切れ長の瞳が鋭くて、文句無しの美しさ。
はあ、こんな時なのに、やっぱりイケメンだ。
イケメンは、何をしても許されるのか?
私は自分の中に浮かんだ疑問に、慌てて首をふった。
いやいや。イケメンだろうが、嘘はダメでしょ。
嘘つきは泥棒の始まりだっていうし。
そんなことを思っていたら、なんだか肩を揺らして、奥のイケメンがクックッと笑いだした。
ん?どうしたの?
「…そんなとこで百面相してると、面白すぎて調べものができないんだけど。」
はっ、気づかれてたんだ。
「…す、すみませんっ。」
慌てて、診察室のドアを閉めようとすると、まだ肩をゆらしながら、先生が近づいてきて、そのドアをつかんだ。
「ちょっと、入って。」
え、イヤなんですけど…。
ジトッとした目で、先生に無言の抵抗をしてみたけど、不意に肩を抱かれて、イケメン圧に押されるように、いつの間にか、診察室の中に引き込まれた。
ヒャー、イケメン圧、強すぎる。
無敵かっ。
心で突っ込みながら、恐る恐る先生をみる。
先生は、私の肩を抱いたまま、間近で私を見下ろし、ニコッと微笑んだ。
「…噂、もう耳に入ってるよね。」
わわわっ、イケメンスマイル。まぶしっ…。
思わず手をかざしそうになった私の右手を、先生の大きな手がつかんで制止する。
だから、近いってば…。
振りほどこうとしたけど、さすがに健康な成人男性。びくともしなかった。
私は観念して、先生に向きなおった。
「…なんで、あんな嘘の噂を、流したんですか?」
攻めこみたい気持ちを抑え、あえて冷静に言う。
先生は、私の手を握ったまま、フッと苦笑した。
「…ウソじゃ、ないからね。」
ええっ!?
何を言ってるの、このイケメン。
自慢じゃないけど、生まれてこのかた、親からも親戚からも、許嫁がいるなんて話し、聞いたことないわよ。私は!
すると、先生は急に、スマートフォンを白衣のポケットから取り出し、どこかに電話をかけはじめた。
全く、イケメンのすることは、理解不能だ。
先生の力がゆるんだ隙に、私は先生の腕から離れ、数歩後ずさって距離をとった。
カチャッと、電話がつながった音がして、誰かが電話に出た。
先生は、その相手とひとことふたこと話をして、不意に私に向かって、そのスマホを差し出した。
「…きみの、お父さんだよ。」
「…。」
えっ…。
絶句する私の前で、スマホからは、確かに聞き覚えのある男性の声が聞こえた。
先生に、無言で受けとるようにスマホを押し付けられ、私はしぶしぶそれを受け取り電話に出た。
「…もしもし。」
『おお、久しぶりだな。元気か?千紗。』
いや、そんなありきたりな挨拶いいから。
私は、呑気な父の声にあきれながら、怒鳴りたい気持ちを抑えて聞いた。
「…どういうことなの?」
すると、ガハハハッと豪快に笑いながら、父が言った。
『どうしたもこうしたもないだろう。お前、昔から聞いてただろう。うちのしきたりの話し。』
忘れたとは、言わせないぞ。
そう続ける父の声を聞きながら、私は、忌まわしい榊原家のしきたりを思いだしていた。
私の家は、古くから伝わる、天照大神に遣えていたという、巫女の家系なのである。
代々、女の子が産まれると、その子には霊的な力が備わるとされていて、母も、お婆ちゃんも、確かに霊力があり、今も現役で地元の天照大神を奉る神社で、巫女として働いている。
私も、今でこそ看護師をしているが、代替わりの時になったら地元に戻り、巫女として働くものと思っていた。
でもそれは、ずっと、何年も先の話だと思っていた────。
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