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18話
あれから、数日が経った。
リューネは格段にダンスの技量が上達していた。
お披露目のパーティまで後、二ヶ月半にまで迫っている。
毎日、ダンスや勉学、礼儀作法などをたたき込まれてリューネはついて行くのに必死であった。
その様子を見ながら、イサギは彼女を励ましたり、時には指摘したりもした。おかげで親密度も少しは上がったようだった。
「…イサギ様。その、わたし。実家に帰りたいんですけど」
リューネが爆弾発言をしてきたのはそんなとある日のことであった。いつものように、レッスンや講義の合間にサロンでお茶とお菓子を楽しみながら、話をしていた折である。
イサギは上目遣いに見上げてくるリューネにどきりとした。だが、彼は首を横に振る。
「すまないが、それだけは駄目だ。君を実家に帰すわけにはいかない。もし帰ったら、ご両親が僕の屋敷に行かせないようにするだろうから」
「誰をですか?」
茶色い目を大きく見開きながらリューネは問いかけた。
イサギはためらうことなく、見据えた。
「もちろん、君をだよ。たぶん、リューネが帰ってきたらご両親は実家に留まるように説得してくるはずだ。最悪の場合、君をどこかに閉じこめて僕らから隠そうともするだろうしね」
リューネは驚きのあまり、黙り込んでしまう。イサギはため息をついた。
「…無理矢理、大事な娘を取り上げるような真似をしたからね。実は僕との縁談話をご両親は迷惑がっていた。だから、君を行かせないように返事は保留にしていたらしい」
意外なことを聞かされてリューネは目をぱちくりとさせている。
「だから、あたしには黙っていたと?」
「そういうことになるね。あまりにも、君のご両親がかたくなだから、僕の父も痺れを切らせて。無理に君を迎えに行かせて、こちらへ連れてきた。けど、僕は君に申し訳なくは思っている」
そう言うと、イサギは座ったまま、頭を深ヶと下げた。
「本当にすまない。僕との婚約は今すぐに白紙に戻して、実家に戻してあげたいくらいなんだ。けれど、そうなると君の評判にも傷がつく。だから、お披露目パーティがすむまでは我慢してほしい」
「…イサギ様」
リューネはひゅっと息を吸い込んだ。喉が乾いたのか、お茶を少し含む。
そして、イサギをまっすぐに見つめる。
「あたしのことをちゃんと考えてくださっていたのはわかりました。だったら、一つ考えがあるんですけど。いいですか?」
「君の願いだったら何でも聞くよ。まあ、僕にできる範囲内になるけど」
「はあ。まあ、とりあえずは表向き、今のままでいることにして。そして、イサギ様はあたしと結婚するのではなく、ちゃんとした新しい許嫁を探し直すんです。お披露目パーティまではあたしと婚約者として過ごして、それがすんだら。しばらくして、やっぱりあたしとは駄目だったといって、婚約を白紙にしたらいいんじゃないでしょうか?」
突拍子もつかぬことを言われて、今度はイサギが驚いて次の句が出なくなってしまった。
この少女は何を言い出すのかと思えば。髪をぐしゃりと掴みながらイサギは目を閉じた。
「…リューネ。僕は君を婚約者として正式にお披露目していいかどうか、まだ迷っている。けど、新しい許嫁を探せばいいと口では簡単に言うことができる。君にはその人を探せるだけの伝手(つて)があるのかな?」
「…それだったら、あの。同じ地主の方とか王都の貴族の方がおられるのでは?」
リューネは一生懸命考えながら答えたが。イサギは深くため息をついて、脱力したようにサロンの机に突っ伏してしまう。
「君は世間をよく知らないから言えるんだよ。僕は他の地主や貴族のご令嬢方との縁談は片っ端から蹴って、断っていたんだ。しかも、かわいらしくて小さなものが好きだとあえて、噂を流していたからね。僕との結婚をたいていのご令嬢は嫌がるようになった」
「…そうなんですか。そこまでは知りませんでした」
イサギの話を聞いてリューネは黙り込んでしまう。
まさか、そんな裏があったとは思いもしなかったからだ。
けれど、小さくて可愛らしいものが好きだと噂を流した真意がまだよくわからない。
「…リューネ。僕はその。昔、仲良くなった女性がいたんだ。その人は僕の初恋の人だった。けど、年上でね。見かけは小柄で可憐な人で婚約者もいた。僕の想いには気づかずに結婚してしまって。向こうはとても幸せそうにしていた。それを見た時からこう思ったんだ」
「どういう風に思ったんですか?」
「もう二度と女性は好きにならないとね。あの時、僕はその人に大いに失望したし、失恋を経験した。それ以来、恋愛をする気も結婚する気も起きなくなった」
イサギの話を聞いてやっと、リューネは納得できた。
彼はまだ、初恋の人が忘れられないのだ。今もこうやって思い出しては苦しそうにしている。
イサギが未練を振り切ることができたら、自分も彼に向き合ってみよう。
そう密かに決めたリューネであった。
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