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20話
リューネは慌ててイサギの後を追う。
「あの、待ってください。イサギ様!」
「…リューネ。後もう二月もすれば、君をお披露目するからね。その前に君には完璧な淑女になってもらわないと」
振り向いて、イサギは意表をつく事を言ってきた。
「…イサギ様?」
「まあ、君に手を出すのは好みだからだけど」
一人で何を言っているのだろう。リューネは混乱して目をぱちくりとした。
「あの、何をおっしゃりたいんですか?」
「君は可愛らしいからね。僕は女の子に興味がないわけじゃないんだ。ただ、妹がうるさいから嘘をついてただけだったのに。いつの間にか、噂が一人歩きを始めたというか」
まだ、しゃべっている。リューネは首を傾げながらも自分の部屋に戻ろうとした。
「待って。僕はリューネとの結婚は嫌じゃないんだ。けど、婚約が成立したら君は僕の親戚のおじさんの所へ行かないといけない。一緒に過ごせるのは後、二月だけだし。今の内に君と親密になっておきたい」
そういいながら、イサギはリューネを抱きしめてきた。
先ほどよりも強い力である。だが、場所は食堂だ。
リューネは仕方なく、イサギの胸を押した。
「…イサギ様。ここではまずいです。部屋に行きましょう」
「…ん?」
イサギが眉を片方つり上げるという器用な事をやってみせたがリューネは気にせずに彼から離れようとした。意外とするりと腕の拘束から逃げられた。
「…イサギ様。とりあえず、あたしは部屋に戻ります。ごめんなさい」
「えっ。リューネ?」
イサギは手を伸ばしたがリューネは小走り気味で部屋へと行ってしまった。
彼の手は空をかいたままだった。
あれから、さらに一月が経過した。リューネは紅茶の入れ方が様になっていたし、他の礼儀作法もそれなりにできている。
イサギのキエラ邸で過ごし始めてから既に三月と半月がこようとしていた。
婚約のお披露目パーティーまで後一月を切っている。キエラ領主夫人のイリーナから教え込まれた甲斐があったというものだ。
婚約期間は短ければ、半年、長かったら一年くらいだと聞かされた。その間にキエラ家の歴史やこの国の事などを勉強して刺繍や結婚式の為の準備をする。
もちろん、遠縁の親戚の子爵家、セアラ家に養女入りしてそちらでの暮らしにも慣れないといけない。
やる事はいっぱいあるなとリューネはため息をついた。
セアラ家の当主は名をルイ・セアラといい、夫人はイリスといった。
二人とも、年齢はルイが四十五歳、イリスが四十二歳だと教えられた。 性格はルイが穏やかで寡黙でイリスは明るくしっかりとしているらしい。
そんな情報はキエラ邸の執事、リチャードが教えてくれた。リューネはいずれ、キエラ邸を出てセアラ子爵家に移らなくてはいけない。一月前、イサギが言っていた事を思い出す。『君と一緒に過ごせなくなる』
そういっていた。
だから、イサギとは距離を取らなくては。そう、以前から決めていた。
結婚までは後一年という猶予がある。
その間に彼と親密にならない方がいいだろう。
だが、彼女の予想を裏切る出来事が起こるとは誰もこの時は知る由もなかった。
リューネはサロンで紅茶を飲みながら読書をしていた。最近はこういう令嬢然とした事も板についてきた。
今日、読んでいる本はとある国の姫君と騎士との禁断の恋物語を主題にした小説だ。貴族のご令嬢など若い女性が好みそうな内容であった。イサギの妹のリゼッタから勧められたものである。
『リューネさんもこんな本を読んでみたらどうかしら?』
そう言って貸してくれたのだ。
けど、一般庶民として過ごしてきたリューネには馴染みが意外となかったりする。断ろうとしたが、結婚する前に夢を見たっていいじゃないとか言われて押し切られのであった。
仕方なく、終わりまで読むことにした。実家にいた時でも店の手伝いの合間に修道院に行って、文字の読み書きや簡単な計算は教えてもらっていた。なので、自分の名前を書くくらいは彼女にもできた。
本を読む事もたまにはしていたのでキエラ家で過ごしている今になっても読書は苦にはならなかった。
苦痛なのは部屋でじっとしている事ぐらいだ。
リューネは少しずつページをめくっていく。半分くらいまできて、ふと本を目の前の机に置いた。
紅茶は冷めていたがかまわずに口に運ぶ。
ため息をつきながら立ち上がろうとしたら、扉が鳴らされた。入室の合図である。
リューネが返事をすると入ってきたのはイサギであった。
彼がサロンにやってくるのはそんなに珍しい事ではないが。だが、イサギは険しい顔をしていた。
それに人知れず胸騒ぎを覚えたリューネだった。
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