プロローグ

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プロローグ

『──目覚めなさい。あなたを必要としている世界が待っていますよ』  男とも女ともとれる中性的な声が聞こえ、赤い羽根がひらひらと視界を過ぎった。その羽根は先にいくにつれて、青や紫といった色とりどりの毛が混じっている。それは今までの人生で目にしてきたものの中で、いちばんといっていいほど美しく、ひどく……ひどく、目を奪われた。    ◇◇◇  はじめに感じたのは、花の香りだった。それから、鉛が身体の中に溜まっているのではないかと思うほどの倦怠感。 「痛ましいことではありますが、天上の楽園へ旅立つ故人イブ・モナハートを神が守ってくれるよう祈りましょう。そして、いずれ復活したときに再会できることを願いましょう」  聞こえてきた男の声はくぐもっている。目を開けると、視界は真っ暗だった。  え、やだ。なにこれ、どういう状況?  急速に訪れる焦り。恐る恐る手を伸ばせば、硬く冷たい壁に触れる。その形を確かめるように手を這わせていくと、自分がなにかの入れ物の中に入れられているのがわかった。私は思い切って、「えいっ」と蓋を持ち上げる。 「故人イブ・モナハートが天上の楽園で新しい命を与えられることに感謝と喜びを、残された家族に安らぎをお与えくだ──」  蓋を持ち上げたまま、なにかを唱えている途中だった男と目が合った。重厚なゴールドの髪に聡明そうなアメジストの切れ長の瞳。眉目秀麗(びもくしゅうれい)な彼は、ぎょっとした様子で私を見たままフリーズしている。  ……外人?  目を瞬かせつつ、改めて男を観察する。  着ているのは立襟でくるぶし丈の黒い衣服。手には黒革のグローブをはめ、首から長いクロスペンダントと白のストラと呼ばれる帯をかけていた。ストラには黄金色の十字架の刺繍と縁取りが施され、神聖な雰囲気を醸し出している。まるで牧師や神父を彷彿とさせる服装だ。  なにより目を引くのは、ストラと同じ黄金の十字架の刺繍が入った緋色(カーディナルレッド)のケープ。そこまで考えて、自分に違和感を覚える。  そういえば私、なんで『ストラ』とか、『カーディナルレッド』とか、そんなマニアックな言葉を知ってるんだろう。  カーディナルレットは教皇を補佐する枢機卿(カーディナル)が身に着ける聖職者服だ。緋色は信仰のためならいつでも進んで命を捧げる、という決意を表す色だと〝この世界では〟言われている。  この世界では……? 「……うっ」  疑問を抱いた瞬間、こめかみがズキッとした。痛みを堪えながら改めて周囲を見れば、全身黒い衣服に身を包んだ一組の家族とおぼしき人たちが「きゃーっ、生き返った!」「アンデッドよ、生きる屍よ!」「神よ、悪しき者を払いたまえ!」と悲鳴をあげている。  あの人たちが着てるのって、喪服だよね。それに、ここ……。  天井や壁に埋め込まれた色鮮やかなステンドグラスが日差しを受けて煌めいている。祭壇の後ろには大十字架を抱(いだ)いた女神像──、ここは教会だ。私が入っている細長い箱は、白い花で埋め尽くされた棺。今執り行われているのは、どこからどう見ても、誰の目から見ても、葬式以外の何物でもない。  一体、誰のお葬式をして……。  なにかを考えようとすると、ガンガンと頭痛の波がやってくる。そのとき、ぶんっと風を斬る音がした。鋭利な光が視界に走り、気づいたときには喉元に冷たい刃の感触。 「貴様、アンデッドか」  聖なる十字架とステンドグラスの光を背に、私に大鎌を突きつけている男。神に仕えているはずの枢機卿とは思えない暗殺者の目つきで、私を睨み据えている。  私、死ぬの……? 『死ぬ』という単語に、今度は激しく頭を打ちつけられるような痛みに襲われた。私の中に怒涛のように流れ込んでくるのは、ふたつの世界の記憶──。    ◇◇◇  きっかけは、一回の失敗だったと思う。  私、木下(きのした)鈴子(すずこ)は建材商社の営業事務として働いていたのだが、なにぶん小さい会社だったので、トイレに行く暇もないほど激務だった。  人間、キャパオーバーになると有り得ないミスをする。私は八十本でよかった建材を八百本発注してしまい、同僚の前でこっぴどく上司に叱られてしまった。その日以来、私は会社の人から無視されるようになった。  挨拶が返ってこないのは当たり前、単純な入力作業さえ『また一桁間違えられても困るしねえ』と鼻で笑われ、ひとりで任せてもらえなくなった。新人は仕事ができない人なんだという目で私を見る。  私は職場で空気だった。無能な自分がきっと悪かったんだと思う。だから挽回したかった。だけど、その機会が私に与えられることはなかった。 「来世では、誰かに必要とされる存在になりたい、な……」  夜の会社の屋上で目を閉じると、こぼれた涙が頬を伝っていった。どうしてここを選んだのか、たぶん私という存在を嫌でも認識させたかったんだと思う。  一歩を踏み出せば、そこに足場はない。私は会社の屋上から、真っ逆さまに落ちていく。三十年間の人生に幕を閉じようとした間際、ばさりと鳥の羽音のようなものを聞いた気がした。  それからどのくらい経ったのか、目覚める間近の微睡に似た世界の中で声がした。 『──目覚めなさい。あなたを必要としている世界が待っていますよ』  夢だろうか、ひらひらと舞う赤い羽根。青に紫といった鮮やかな毛色のそれは、私の目覚めを祝福するかのように降り注ぎ、私の中の生を激しく揺さぶった。    ◇◇◇ 「そうだ……私、あのとき死んだんだ……」  そして、この身体──イブ・モナハートという女性も、わずか二十年という短い人生を自ら閉じた。  モナハート侯爵家は聖女の血を引く家系だ。千年前、聖女はこのセントキャヴィンという国を襲った魔性の者たちを祓った救世主。  代々長女が聖女として選出され、この国を治める教皇(きょうこう)とともに大聖堂で祭儀を務める大役を担ってきた。  だが、モナハート家の長女であったイブは聖女の証(あかし)である癒しと浄化の聖なる力──ルクティアを受け継がなかった。異例の無能力、一族の者からは『空っぽ』『恥さらし』と虐げられてきた。まるで、会社で『使えない』『仕事ができない』と馬鹿にされてきた私のように。  聖女の力を宿した妹と常に比較されたイブは、自分はこの世界にいらない人間だと毒を飲み、自死した。彼女もまた、生涯を閉じる瞬間に願っていた。 『来世では、誰かに必要とされる存在になりたい』  イブ……あなたも私と同じだったのね。  目の奥が熱くなり、視界が涙で歪む。  聞き覚えのない単語や知らない国の名前がすらすらと頭に浮かんだのも、ファンタジー設定ですかと言わんばかりの聖女の存在を肯定している自分がいるのも、この身体の記憶が私に教えてくれているから。  死んだはずの私がイブになっている。これはいわゆる転生というやつなのだろうか。しかも、目覚めたらお葬式の最中だなんて衝撃だ。 「おい、いつまで呆けている。答えろ、貴様はアンデッドか?」  いけない、この人のことを忘れてた。  鎌を突きつけられている状況を思い出し、サーッと血の気が失せていく。  イブの記憶を受け継いだ今ならわかる。彼はアーネスト・セントオーク、歳は確か二十六。セントオーク家は教皇の従兄妹筋にあたり、枢機卿として代々セントオーク教会を取り仕切ってきた一族だ。  この地、セントキャヴィンは東の海に浮かぶ島国で人口一万人規模の世界最小の国家。信仰を重んじるこの国にとって祭事を取り仕切り、度々出現する魔性の者を狩り、悩める民を救い守る教会は重要な機関なのだ。  教会と、教会の管轄する町を統治するセントオーク家の彼とは、聖女の血を引くモナハート家も交流があった。無論、無能力のイブ以外の人間が、だが。  私はちらりと、彼の後ろで怯えている一組の家族を見やる。あれはイブの家族だ。清廉さを感じるサファイアの瞳に、肩まである青銀の髪。ふたつ下のマリアは正真正銘、ルクティアを受け継いだ聖女。愛らしい顔をしているが、無能な姉より優位に立っているという優越感に浸り、イブを蔑んできた張本人でもある。  無能とはいえ、イブは聖女の一族として有名なモナハート家の長女だ。その葬式に参列したのが身内と枢機卿ひとりだけなんて、あまりにも質素すぎる。イブがどれだけこの世界に必要とされていなかったのかがありありと頭に浮かんだ。  私が思考の海に沈んでいると、喉元に押し付けられていた刃がさらに肌に食い込んだ。はっとアーネスト様を見上げれば、眉間のしわが深くなっている。  なにか言わなきゃ、でもなにを?  焦りに焦った末、口を突いて出たのは「アンデッド……ってなんですか?」だった。アーネスト様は〝そんなことも知らないのか〟と言うように、訝しげに目を細める。  アンデッドがなんたるかは知っていたが、他に言葉が出てこなかったのだ。 「生ける屍(しかばね)のことだ。力を受け継がなかったとはいえ、貴様は聖女の血を引いている。だが、貴様からは神聖な気を感じられない。つまり、神の慈悲で蘇生されたわけじゃない。それどころか、魔性の気配に近いものを感じる」  つまりはゾンビってことだよね。  脳裏に浮かぶのは、銃アクションが売りの某ゲームで見た有象無象のゾンビたち。そんな馬鹿な、と思いつつも胸に手を当てれば、衝撃の事実に気づく。 「鼓動を感じられない……」  心臓が脈打っていないし、それどころか体温もないに等しい。生きる屍──アンデッドと呼ばれても否定できない。  つまり私は漫画や小説にあるように、ただ転生したわけじゃないんだ。同じ時期に死んだ令嬢に、憑依転生してしまったんだ!
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