アンデッド令嬢、交霊術師(ネクロマンサー)になる

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アンデッド令嬢、交霊術師(ネクロマンサー)になる

「身柄を拘束する!」  そう言ってアーネスト様に連行され、やってきたのは国の中央、教皇のいるルクレーティア大聖堂だ。  私の両手には、逃亡を危惧してか手錠がはめられている。それも魔性の者を捕える特殊なものらしく、力を吸い取られているような気がした。  だが、身体が怠いのは手錠のせいだけではない。アンデッドだからなのか、教会や大聖堂といった神聖な空気に満ちた場所にいると、私の身体は弱るみたいだ。  疲労感に苛まれながらも大聖堂の無駄に長い廊下を歩いていたら、ふと鏡になっている壁に自分の姿が映っているのに気づいた。 「あ……」  思わず足を止めれば、手錠から伸びた鎖がぴんと張る。鎖を掴んでいたアーネスト様は、苛立たしげに振り返った。 「おい、立ち止まるな」  ともに聖堂に来ているマリアも「アーネスト様を困らせるんじゃないわよ!」と怒っている。そこに畳みかけるように両親が「どんくさいったらない」「早く歩きなさい」とヤジを飛ばしてくるが、私は動けなかった。  これが、イブ・モナハート……。  赤いメッシュが入った艶やかな青銀の髪は腰まであり、ゆるやかなウェーブがかかっている。燃えるようなルビーの瞳と、白く透き通った肌を持つ儚げな美女が今の私──。縁起の悪そうな漆黒のドレスさえ、彼女を飾り立てているように見える。 「おい、いい加減にしろ」  ぐいっと鎖を引っ張られ、私は前のめりにすっ転んだ。 「いったた……」 「なっ──ちょっと引っ張ったくらいで倒れるとは、軟弱なアンデッドめ」  アーネスト様は私から目を逸らし、少しばつが悪そうに言う。 「すみません……空気が肌に合わないみたいで、身体に力が入らないもので……」  というか、男の力でいきなり引っ張られたら、普通に転ぶでしょう。こんな美女でも、アンデッドというだけで囚人扱いですか。聖女様さまな世界というのは、アンデッドには世知辛いな。 「聖堂の空気が合わないなど、やはり貴様はアンデッド。魔性の者の中でも意思を持つ者は危険だからな。引きずってきて正解だった」  ひどい言われようだ。アンデッドだって、生きてるんだからな!  こういうアンデッドだから乱暴に扱っていいとか、罵倒していいとか、考える人は嫌いだ。囚人がいきなり思い立って罪を犯すわけじゃない。貧しかったから物を盗ったとか、恵まれない家庭環境があったとか、人間の行動にはだいたい背景がある。私が仕事で失敗したのも、キャパを超える労働を強いられていたからだ。そういう想像力が働かない人間は、簡単に誰かを傷つける。 「なんだよ、その目は。貴様、文句を言える立場か?」  無意識にアーネスト様を睨みつけていたようだ。気をつけないと。 「いえ、なにも……」 「だったら、さっさと立て。貴様はこれから異端審問にかけられるんだからな。へばるのはまだ早いぞ」  異端、審問……ですって?  人に仇名し、神に背く魔女や悪魔、魔物を断罪し、またそれらに心を売った人間を裁く異端審問。ひとたび異端と認められれば、聖なる炎に焼かれる。  アンデッドなんて即断罪! 即火刑(かけい)に決まってる! どうする? ひと思いに逃げる?  けれど、アーネスト様から逃げるのは難しい。そもそも、教会の聖職者になれる条件というのは聖遺物(アーティファクト)──ある世界では英雄が、ある世界では神が手にしていた武器を扱えることなのだ。そして、聖遺物を持って魔性の者を狩るのが彼らの仕事。戦闘のプロとも言っていい彼から逃亡するのは不可能。  結局、逃げることができなかった私は自分の行く末に身震いしながら、開かれた大扉の向こうへ足を踏み入れる。すると、その場にいたすべての人間の視線が一気にこちらに集まった。  うう、生きた心地がしない……。  証言台に立たされた私は、一歩下がったアーネスト様に見張られながら、こっそり周囲を見回す。証言台を囲うように設置された二階席には四名の枢機卿の姿があった。  この大聖堂と周辺首都を中心に、四方には四つの教会が置かれている。ひとつは北のセントオーク教会、ふたつ目は東のバッチモンド教会、三つ目は西のノールバラ教会、最後に南のサミセット教会だ。  各教会には統治する領土があり、教皇の代わりに今ここにいる四名の枢機卿が治めている。彼らはアーネスト様でいえば北枢機卿(ノースカーディナル)や枢機卿公爵(カーディナルデューク)というように、枢機卿という役職に管轄する教会の方角や爵位を合わせた称号で呼ばれる。  そして、前方におわすのは齢三十二にして、その座に就いたサミュエル・セントキャヴィン教皇。アーモンド色の髪に、神々しい金の瞳。柔らかな顔立ちながら、曇りなく揺るがないその眼差しはまさに教皇の風格。  教皇は前教皇の死後、十日以内に選挙で決まる。国民の投票をもとに枢機卿団が会合を開き、次の教皇を選出するのだ。  教皇は教会を束ねる最高責任者であり、国の統治者。その尊さを表すように、白色の聖職者服を着ることになっている。その上に黄金の十字架が刺繍されたケープと帽子を身に着けるのが習わしだ。  教皇のそばに控えているのは確か、元北枢機卿の教皇補佐役(ミニスター)。クリストファー・セントオーク、アーネスト様の父にあたる方だ。家督を息子のアーネスト様に譲ったあとも、四十七歳にして現役で魔物狩りに出られることもあるのだとか。厳格な風貌も、髪や瞳の色もアーネスト様にそっくりだ。 「これより、異端審問を始める」  異端審問官の男がそう告げ、教皇を始めとした参加者の面持ちが引き締まる。枢機卿の他、一階の傍聴席にはモナハート家の者や下級聖職者もちらほらおり、すでに異端者を見るような目でこちらを見ている。壁際にずらりと並ぶ騎士たちも、いつ私が暴れ出してもようにと警戒している様子だった。 「緊急招集と聞き、何事かと思いましたが、アーネスト殿。そちらがアンデッドというのは本当かい?」  後ろで三つ編みにまとめられた自分の長髪を手で撫でながら、枢機卿のひとりが妖艶な流し目をアーネスト様に向けている。  彼はブレイク・ノールバラ、三十二歳。右目がワインレッドで左目が髪色と同じヴァイオレットのオッドアイ。喉元にはチョーカーのように巻きついた鱗のタトゥーがある。  西枢機卿(ウエストカーディナル)、枢機卿皇子(カーディナルプリンス)とも呼ばれ、称号の通りノールバラ教会の枢機卿。教皇の弟で、血筋だけで言えば次期教皇候補。ラストネームは枢機卿に任命された際に変わったとイブは記憶している。  彼は枢機卿であると同時に、異端審問長官でもある。穏やかそうな彼からは想像し難いが、異端者と認められた者の末路は死しかないので、異端審問官は民からも恐れられる存在だ。 「間違いありません。イブ・モナハートの死亡は確認しております。ですが、葬儀の途中に突然、起き上がったのです。心臓の鼓動が認められていませんので、アンデッドとしてこの世に蘇ったと考えられます」  きびきびと答えるアーネスト様に、周りが「聖女の一族からアンデッドが出るとは」「一族の恥さらしめ」「恐ろしい、忌まわしい」とざわつく。  信仰を重んじるこの国の人たちにとって、魔性の者は有無を言わさず悪なのだ。  魔性の者というのは、この国では闇に堕ちた魂の成れの果てだと考えられている。元が動物の魂であれば魔物に、人間の魂であれば悪魔や魔女やアンデッドになるというのだ。 「とはいえ、モナハート家の令嬢だぞ。異端審問で断罪されたなど、国の名誉に関わる」 「だが、聖女の血を引いていようとも、アンデッドをこのまま見過ごすわけにはいかんだろう」  世論の風当たりは冷たい。もともと聖女を排出してきた一族からアンデッドが生まれただなんて体裁が悪い。私が勝訴する確率、ゼロじゃない?  これは罰ですか、神様。転生したと思ったら、断罪の危機。私に二度も死ねと? だったら、どうして私に二度目の生を与えたの──。  憂いながら教皇の後ろにそびえ立つ十字架を見上げた。そのとき、十字架からすうっと赤い鳥が出てくる。思わず「えっ」と声を発すると、私の視線を辿るように皆も十字架を仰いだ。 「ピヨーッ!」と高らかに鳴きながら、赤い羽根をまき散らしつつ降りてくる鳥を見て、教皇は信じられないといった様子で「不死鳥(フェニックス)……」と呟いた。  フェニックスって、本当にいたんだ……。イブが小さい頃に読んだ絵本で語られていたような気がするが、実際にフェニックスが存在したという事実は耳にしたことがない。  フェニックスは寿命を迎えると、自分で薪から燃え上がる炎に飛び込んで死ぬが、その灰から再び蘇るとされており、不死鳥とも呼ばれている。 「フェニックスは『時の循環』や『死後の復活』を象徴し、時代によって神獣とも悪魔とも呼ばれる。なぜ今、姿を現したのか──」  教皇の声を聞きながら、私のもとへ下りてくるフェニックスを見つめた。全身は赤く、翼の先や尾にいくにつれて青や紫色の毛が転々と混じっている。喉には房が生えていて、全長は人の頭ひとつぶんくらいの大きさだった。  異世界に来る前、この鳥の色と同じ羽根を見た気がする。   じゃらりと、鎖が鳴る。自然と差し出した腕に、フェニックスが当然とばかりに乗った。それを目の当たりにした者たちがどよめく。 「あ、あれは悪魔の化身だ! あのアンデッドに懐いているのだからな!」 「だが、神の使いやも……」  さまざまな意見が飛び交う中、マリアが叫んだ。 「聖女、マリア・モナハートが断言します! 姉様は悪魔よ! フェニックスなんて使い魔を従えて、なんと罪深い!」  マリアが皆を焚きつけたおかげで、私を責め立てる声が大きくなる。 「使い魔を操るとは、やはり野放しにはできぬ!」 「断罪よ! 断罪以外にセントキャヴィンの平和は守れないわ!」 「忌まわしきアンデッドめ、聖なる炎に焼かれて灰となれ!」  罵倒する者たちの狂気じみた一体感を肌で感じ、吐き気がする。  異世界も私のいた世界も、本質は変わらないのね。必要悪を立てて、自分に上司や権力者の敵意、悪意、嫌疑が向かないようにする。自分を守るために必死なかわいそうな人たち。 「……こんなに綺麗なのに……なにがそんなに怖いんだろうね」  フェニックスに声をかける私に、後ろで「お前……」とアーネスト様が呟くが、構わず続けた。 「悪魔だとか、神獣だとか、そんなに重要なことなのかな。直接話してもないのに、その人が自分にとって害ある相手かどうかなんて、わからないのにね」 『クルック―』と鳴きながら、フェニックスは小首を傾げる。その仕草が可愛くて、頭を指先でちょんちょんと撫でてやった。 「自分の保身のために、きみを悪だと決めつける人たちのほうがずっと……罪深いよ」  フェニックスはこんなにも純真な瞳をしているのに。  ふと視線を感じて振り返ると、アーネスト様が複雑な表情でこちらを見ていた。 「アーネスト様? どうかしま──」  どうかしましたかと尋ねようとしたとき、「鎮まりなさい」と場を圧倒する一声が突き抜ける。ろうそくの火を吹き消したかのようにざわめきがさあっと途絶え、辺りは静まり返った。 「彼女がアンデッドであろうと、聖女の血を引くモナハート家の者には変わりありません。それにフェニックスのことも気にかかります。もう少し様子をみてみる、というのはどうでしょう」 「〝教皇の〟意見ならば、私はそれで構いませんよ」  微笑するブレイク様の言葉に一瞬、枢機卿方の空気が張り詰めた気がした。 「……とはいえ、教皇。野放しとはいきませんよ」  枢機卿のひとりが困惑気味に進言すれば、教皇はわかっているとばかり小さく笑みを浮かべ、頷く。 「その者が人に危害を加えぬうちは、枢機卿監視下に置くこととします。さて、その任を誰に任せましょうか」  教皇の視線から逃げるように、ブレイク様以外の枢機卿が目を背けた。 「ここは、あのアンデットを連行してきたアーネスト殿がよいのではないか?」  ひとりの枢機卿がそう提案すると、アーネスト様は「げっ」という顔になった。だが、他の枢機卿も「見つけてきたのはアーネスト殿だからな」と、監視役の任をアーネスト様になすりつける。彼らの意見を聞いた教皇は、ひとつ頷いた。 「そうですね、アーネストならば適任でしょう。──アーネスト」  教皇に呼ばれたアーネスト様は胸に手をあて、「はっ」と返事をし、足を揃えて姿勢を正す。 「あなたに任せてもいいですか?」  アーネスト様は露骨に嫌そうな顔をしたが、教皇の命令とあらば断れなかったのだろう。 「承知……いたしました」  渋々受け入れるアーネスト様が、〝貴様のせいで面倒なことを押しつけられたじゃないか〟と言わんばかりに睨みつけてくる。  責められても困る。私だって初対面にして鎌を突きつけてくるような人と四六時中一緒にいるなんて御免だ。 「ですが教皇、アンデットをひとりで見張るというのは負担が大きいのでは? アーネスト殿には枢機卿としての職務もありますからね。ここはどうでしょう、教皇騎士団の騎士を監視役補佐につけては?」  ブレイク様の提案に皆も「そうですな」と賛成する。自分以外の人間に役目を押しつけられるなら、なんでもいいらしい。 「では、騎士団長。適役を選んでもらえますか」  壁際に控えていた騎士の中でも、一際貫禄のある男が「はっ」と返事をして、かしゃりと鎧を鳴らしながら前に出る。  歳は恐らく四十かそこら。ほどよく日に焼けた健康的な肌に燃えるような赤髪、勇ましい薄茶色の双眼から数々の死戦をくぐり抜けてきたのだろうことが窺える。背中に大剣を軽々と背負うガタイのいい騎士団長は、どんっと豪快に胸に手をあてた。 「聖ルクレーティア教皇騎士団、騎士団長、アレッサンドロ・ダレッシオ。僭越(せんえつ)ながら、監視役にレノ・スチュアートを推薦したく存じます」 「えっ」とざわめきが起こった理由は、すぐにわかった。 「聖ルクレーティア教皇騎士団、副騎士団長、レノ・スチュアート。監視役の任を引き受けてくださいますか?」  教皇に問われ、一歩前に出てきたのは癖のある濃紺の髪を後ろでひとつに束ねている二十代半ばくらいの男。騎士団長と同じ、白を基調とした軍服の上から肩鎧を着け、曇りない忠誠を誓うという意味があるネイビーブルーのマント、黒のブーツを身に纏っている。なにより目を引くのは、この国では見ない褐色の肌だ。 「我が国の副騎士団長を監視役補佐に……?」 「それほど、あのアンデットが危険ということだろう」 「最近、副騎士団長に着任したマハルジャール出身の……他国の者にこの国の未来を任せるとは、教皇と騎士団長はなにを考えておられるのか」  彼のことはイブの記憶の中にもない。最近着任したのなら、引きこもりのイブの耳に入らないのも致し方ないだろう。  でも、マハルジャールのことは知っている。日差しが痛いほど強い砂漠の国。だから、あの肌色なのね。  まじまじと眺めていると、髪色と同じレノ副騎士団長の目が妹のマリアに向けられているのに気づく。表情こそ乏しいが、その熱烈な眼差しにまたしても気づいてしまった。  もしかして、マリアのことが好きなのかな……。  そんな人が自分の監視役に着いたら、目の敵にされそうで恐ろしい。とほほ、と項垂れていると、レノ副騎士団長も胸に手を当てる。 「聖ルクレーティア教皇騎士団、副騎士団長、レノ・スチュアート。監視役の任を喜んでお引き受けいたします」  そう答え、今度は私にレノ副騎士団長の視線が移ったのだが……。そのギンッと凍てついた目に射竦められ、背中に寒気が走った。それも彼の手は腰の剣にかかっており、寿命が縮まる。  あの人、監視というか……殺しにかかってくる勢いだよね、絶対。  こうして、私の監視役はアーネスト様とレノ副騎士団長に決まった。証言台から下ろされ、ひとまず断罪を逃れた私は、異端審問の間を出る。 「北枢機卿、このたび監視役補佐に任命されましたレノ・スチュアートと申します。監視任務に就くにあたり、時間および日程の共有をいただきたく思います」  胸に手をあてて敬礼するレノ副騎士団長は、私を少しも視界に入れない。いっそ罵倒してくれたほうがいい、空気扱いのほうが堪える。 「ああ、お前も災難だったな。監視は朝晩関係ない。教会に泊まりになるだろうから、すぐに荷物をまとめて移ってきてもらいたい」 「承知いたしました。本日中に騎士団寮から出られるようにいたします」 「よろしく頼む。それから、これからともにいる時間が増える。もう少し肩の力を抜いてくれていい。俺のことは称号ではなく名で呼んでくれ」 「はっ、承知致しました。アーネスト様」 「ああ、それでいい。これから苦労をかけるな、レノ」  ふたりは私というお荷物を抱えた同志のように、固く手を握り合っている。  アウトオブ眼中……本当、アンデッドって嫌われてるんだなあ。これからの生活を想像すると、泣きそうだ。 「ほら、行くぞ。アンデッド」  名前すら呼んでもらえず、私はアーネスト様に手錠の鎖を引っ張られる。転びそうになりながら、歩き出そうとしたとき──。 「少し、いいですか?」  澄んだ声音が私たちを呼び止める。皆で振り返ると、そこにいたのはサミュエル教皇と教皇補佐役のクリストファー様だった。  アーネスト様たちがさっと頭を下げるので、なんとなく合わせておくと、教皇は私の前までやってきた。 「光は闇と常にともに在るのです。闇の心理を知り、それでいて無垢であり続けるのは難しい」 「は、はあ……」  私に神の教えかなにかを説いている? 私、目に見えるものしか信じられない質(たち)なんだよね。神様がいるなら、断罪寸前の私をお救いくださいよ、と思う。 「おい、口の利き方に気をつけろ。狩るぞ」  私の態度が気に入らなかったのか、アーネスト様が殺気立った目を向けてきた。異世界に来てすぐに鎌で首を落とされそうになったのを思い出し、「ひいっ」と小さく悲鳴をあげた私はひたすら低頭する。 「ふふ、いいのですよ。でも、あなたに覚えていてほしかったのです」  教皇の言葉に「え……?」と顔を上げる。教皇は脇に挟むようにして持っている聖書をちらりと見やり、それから私に視線を移す。その目は柔らかく細められており、敵意は感じなかった。 「光に等しく闇が必要であるように、あなたの存在もまた……誰かにとって、ひいてはこの世界にとって必要であると信じています」  不思議な人……。教皇は私の願いを知らないはずなのに、私も誰かにとって必要な存在になれると言ってくれているように聞こえた。   ◇◇◇ 「わあ……ここがセントオーク教会……」  セントキャヴィンの北方、海を背に建つ白い石造りの教会。大聖堂ほどとはいかないが、教会敷地内には広大な菜園もあって十分立派だ。 「どこの教会も朝七時に聖堂で感謝の祭儀──ミサを毎日行う。他にも降誕祭や復活祭……神にちなんだ行事を行っている。行動をともにする以上、お前たちにも付き添ってもらうことがあるだろう」  教会内を案内してくれているアーネスト様のあとをレノ副騎士団長とついていく。  さすがは信仰を重んじる国。朝七時にお祈りとか、私、毎日続けられる自信ないかも……。  大聖堂にいたときよりはマシになったけど、教会の空気はやっぱり合わない。怠いし、頭痛いし、気持ち悪いしのオンパレードだ。 「うう……」と小さくうめき、背中を丸めながら歩いていると、シスターたちの視線を感じた。フェニックスを肩に乗せた私と、副騎士団長を困惑顔で遠目に眺めている。  それに居心地の悪さを感じつつ、教会の最奥にやってきた。教会敷地内に建つレンガ造りの邸は、暖色のせいか温かみがある。 「ここが俺の居住区域だ。お前たちにも、この邸の部屋を使ってもらうことになる」 「えっ……私にも、部屋をくださるんですか?」  監視対象なのに?  目をぱちくりさせていると、「牢がいいなら、喜んで手配するが?」と凄まれた。さすがに『この鬼畜!』と、喉まで出かけた。 「心配はいらない。俺が毎日部屋の前で監視する」  レノ副騎士団長にも、冷ややかな目で見下ろされる。私はどうやら、余計なことを口走ってしまったみたいだ。部屋の前で見張られると思うと、眠れなくなりそう。 「レノ、さすがにそれではお前の負担が大きい。日中はそこのアンデッドを連れ歩くとして、夜間は交代制だ」 「いえ、アーネスト様。俺はもともとそんなに睡眠を必要としていないので、お気になさらず」  え、ワーカホリックすぎない? 睡眠を必要としてないんじゃなくて、眠れないほど仕事で神経が高ぶっているということでは?  そんな余計なことを言ったら、腰の剣でぐさりとされてしまいそうなので黙っておくけれど。 「おかえりなさいませ!」 「おかえりなさいませ」  邸の扉を開けてくれたのは、双子のシスターだった。  建物の中は深紅のベルベット絨毯が敷かれており、シャンデリアに照らされた玄関ホールの左右には階段がある。手すりも扉も赤黒く、重厚な木材が使われているようで、全体的に落ち着いた高級感があった。  なにより、教会の中にいるときよりも断然身体が軽い。寝泊まりする場所が教会じゃなくてよかった……! 「こいつらは教会ではなく、この邸で俺の身の回りの世話をしてくれている侍女のようなものだ」  アーネスト様が紹介してくれた双子は、十四くらいの少女に見える。ふたりのうち、ピンク色で姫カットのセミロングの髪をした少女ががばっと両手を上げた。 「はいっ、私はコレットです! お客様がたくさん、うれしいです!」  コレットは陽気で天真爛漫。もうひとりの空色のベリーショートの髪をした少女のほうは──。 「私はヴェネット。お邸にいるのは旦那様だけ。お世話し甲斐がないので、お客様が増えるのはウェルカム」  無表情で両手を広げるヴェネットに、アーネスト様は苦い顔になる。 「本人を前にして、失礼な侍女だな」 「冗談ですぜ、旦那」 「なんだ、その口調は。冗談は冗談だってわかる顔で言えよ。でないと冗談にならないからな」  なんというか、ヴェネットのほうは不思議ちゃんらしい。いまいちキャラが掴めない。ただ、アーネスト様を困らせることができるあたり、最強かもしれない。 「コレット、ヴェネット、よろしくお願いします」  お辞儀をしたとき、すうっと冷気を感じた。なんとなく階段のほうが気になって、屈んだ状態のまま目線を向ける。そこには手すりに手をかけて立っている女性がいた。今まで気配を感じなかったので、私は驚いて上半身を起こす。  綺麗な人……でも、いつからそこに?  綺麗にまとめられた柔らかなブラウンの髪、知性を感じさせるエメラルドの瞳。モスグリーン地に豪華なレースがあしらわれたワンピースは、控えめながらも華やかさがある。 「あの──」  挨拶をしようとしたとき、手錠の鎖をぐいっと引っ張られた。 「……っ、なにをするんですか」  呼ぶなら、普通に声をかけてほしいものだ。 「さっきから、どこを見ている。まさかとは思うが、逃げる隙でも探していたのか?」 「違いま──」 「気をつけろよ。挙動不審な態度をとればとるほど、お前の立場は悪くなる。俺たちに狩られたくなければ、せいぜいいい子にしているんだな」  人の話を聞かない人だな。  私の話を遮って脅してくるアーネスト様とは、永遠にわかり合えない気がした。わかり合えないといえば、もうひとり……無言で剣に手をかけているレノ副騎士団長もだ。  ただ、あの人に挨拶をしようと思っただけなんだけどな……。  階段にいる女性のほうを再び向くと、『しー』と唇に人差し指を当てて儚げに微笑んでいる。  なにも言うなってこと?  困惑している間に、女性は階段を上がって行ってしまった。それを目で追っていると、また鎖を引っ張られる。 「いたっ」 「おい、人の家をじろじろ見るな。狩られたいのか?」  アーネスト様が凄みながら顔を近づけてくる。綺麗な顔なのに全くときめかないのは、目の前の彼が私に殺意を向けているからだろう。  家をじろじろ見てたわけじゃないし、狩られたくもないんだけど……。  そんなことを言ったら、『じゃあなにを見ていた!』と追求されそうだし、私の立場がさらに悪くなる気がして口を噤んでいることにした。 「失礼、アーネストはいますか?」  そこへ来客が現れた。扉が開き、顔を出したのは深緑の長髪を左サイドにまとめて結んでいる眼鏡の男。大人びて見えるが、歳はおそらくアーネスト様と同じくらいだろう。  オレンジ色のスカーフにストライプが入ったベスト、その上からオリーブ色のコートを羽織っており、白いズボンは茶色いブーツの中にしまわれている。身なりからするにアーネスト様と同じ貴族か、お堅い職についていそうだ。 「ベンジャミンか。学校のほうはどうした」  親しい間柄なのか、お互い気さくに話している。私とレノ副騎士団長は置いてきぼり状態で、ぽつんと立ち尽くしていた。それに気づいたベンジャミンと呼ばれた彼は、申し訳なさそうな笑みをこちらに向けた。 「ご挨拶が遅れまして、申し訳ございません。私はベンジャミン・グラフトン、町の小さな学校で教師をしています。アーネストとはパブリックスクール時代の腐れ縁なんです」  格式と伝統のあるパブリックスクールは十三歳から十八歳までの貴族の子息、息女を教育する学校のことだ。全寮制で、イブも通っていた記憶がある。 「パブリックスクールに通っていたなら、ベンジャミン様は貴族では? なぜ、教師に?」  レノ副騎士団長の問いに、アーネスト様は「まあ、待て」と手で制する。 「ベンジャミン、急用があったんじゃないのか? でなければ、お前が学校の授業そっちのけでここへは来ないはずだ」 「それが……取り壊しが決まった旧校舎でたびたび火事が起こりまして……。でも、実際に燃えているわけではないので、火事の幻……というのが正しいでしょうか。自然発火にしては奇妙なので、アーネストの見解をお聞きできないかと」  ベンジャミン先生とともに舞い込んできたのは、オカルトチックな香りのする事件だった。   ◇◇◇ 『直接見たほうが早い』  ベンジャミン先生が働いている学校の旧校舎でたびたび火事の幻が見えるとのことで、アーネスト様はそう言って、私とレノ副騎士団長を引き連れて現地へと赴いた。  枢機卿は教会の長だ。執務室で指示出しするのが仕事だと思っていたのだけれど、こうして自ら調査に出ることもあるのね。  ロートアイアンの両開きの門扉を抜けると、木々に囲まれたレンガ調の学校が現れる。芝生の庭ではボロボロの白いスモックのような服を着た子供たちが走り回っていた。  あれ、生徒の制服なのかな。  子供たちをぼんやりと見つめていると、また寒気がして腕をさする。 「そういえば、私が教師になった理由を聞かれましたね」  旧校舎までの道のりを歩きながら、ベンジャミン先生がレノ副騎士団長のした質問について切り出す。 「伯爵家に生まれた私は、物心つく前から着る物にも食べる物にも困りませんでした。学校にも難なく通えて、読み書きができること。でもそれを特別なことだとは思わなかったのです。ある時までは……」  なにかを懐かしむように遠い目をするベンジャミン先生に、私は「ある時?」と首を傾げた。すると、ベンジャミン先生は少し顔を強張らせる。  異端審問が行われたことは、あっという間に一般市民に知れ渡る。事実がどうであれ、怪しい真似をすれば一般市民も異端者と疑われかねない。それゆえ、異端審問の話題にはみんな過敏になるのだ。  私は運よく断罪を免れたけれど、異端者の火刑は市民たちも見物する。自分も一歩間違えればああなるかもしれない。そう思ったら恐ろしくて、関わり合いになりたくないと考えるのが普通だ。  でも、ベンジャミン先生はいい人なのだろう。目線は合わせてはくれなかったが、答えてくれる。 「貴族は孤児院に『施し』というものをします。それは金銭であったり、衣服であったり、食べ物であったり、さまざまですが、私も父に連れられてある孤児院に行きました」 「確か、お前が十歳のときだったか」 「アーネスト、私の話を覚えていてくれたのですね」  ベンジャミン先生のうれしそうな眼差しを受け、アーネスト様は小さく笑みを返した。気を許している友にだけ見せるのだろう表情、私の前では常に殺気立っているので、こんな顔もできるのかと驚く。 「そうです、忘れもしない十歳の冬のことでした。そこの孤児院の環境は劣悪で、粗末な薄い布切れでできた服、施しの食べ物を飢えた獣のように食らう姿、冷たい石造りの床にごろごろと転がっているガリガリにやせ細った生死不明の身体……目に飛び込んできた光景のすべてがショックでした」  話を聞いていると、その光景が頭に浮かんでくるようだ。  もとのイブからすれば当たり前だったのかもしれないが、転生前の記憶がある今の私にとって、異端審問やら孤児の扱いやら後進的なこの世界は戸惑うことばかりだ。 「金銭の施しはすべて孤児院の大人たちが持っていってしまい、孤児たちはただ食事を与えられているだけ。中には言葉を話せない子もいて、あんなにも〝なにかしなければ〟と強く思った瞬間はありません」  拳を握りしめるベンジャミン先生は、決意に満ちた目をしている。  大抵の貴族は生まれたときから約束されている安定した生活や地位に満足し、なにかを成し遂げようとか、その富を分け与えようとか、現状を変えようとする者はいない。その中で行動できるベンジャミン先生は、素晴らしい人だ。 「だから私は貴族の身分を捨て、教師になった。私の考えを理解できる者は、パブリックスクールではアーネストとケイレブ以外にいなかった」 「ケイレブって?」  話に加わると、アーネスト様は〝余計な口を挟むな〟という視線を向けてくる。  ちょっと気になっただけじゃない。  むっとしつつも口を閉じれば、ベンジャミン先生は「もうひとりの腐れ縁です」と、ぎこちなくはあるが答えてくれた。 「教師になるためには私自身に教養がないといけませんから、パブリックスクールに進学したあとも両親には教師になることを言わずにいました。もし話していたら、その場で家を追い出されていたことでしょう。実際、卒業と同時に打ち明けたら、家族には絶縁されてしまいました」  肩を竦め、ベンジャミン先生は苦い笑みを浮かべる。  イブも聖女の力を受け継がなかったばっかりに、家族とは絶縁状態だった。家の敷地内にある別邸に追いやられ、あてがわれた侍女たちは腫れ物に触るかのようによそよそしい。ただ過ぎていく日々を虚しさを覚えながら過ごしていた。  どんな理由があれ、無条件で自分を受け入れてくれるはずの居場所を失うというのは心細いものだ。 「でも、卒業したらあの孤児院を学校にしよう、そう心に決めていましたので、後悔はなかったです」  ベンジャミン先生は強いな……。  はっきりと言い切れるその迷いのなさ。彼の強さを模範にして育つ子供たちは、これからの未来を切り開いていく立派な大人になっていくのだろう。 「その……先生の夢は叶ったんですか?」  口を挟むなと言われたそばから質問してしまう私に、ベンジャミン先生は苦笑いする。 「あなたは好奇心旺盛な生徒みたいですね」 「あ……す、すみません」  ああ、恐ろしくてアーネスト様のほうを見られない。ただ、見なくても黒いオーラを感じる。 「いえ、構いませんよ。私の夢は……残念ながら叶いませんでした」 「……!」 「その孤児院で火事があって、残念ながらほとんどの孤児たちが助からなかったんです。あの子たちは自分で自分の未来を決める喜びを知ることなく、天上の楽園へと旅立っていってしまった」 「そんな……」  気持ちが沈んでいく。できれば、大人になったベンジャミン先生がその孤児院の子供たちを前に教鞭をとった……そんな幸せな結末を聞きたかった。  考えても仕方ないことを延々と考えていると、私の横を『もーいいかい?』『まーだだよ!』と言いながら、十歳くらいの子供たちが駆けていく。それを目で追っていると──。 「おい、なにきょろきょろしている」  アーネスト様が怪訝そうに尋ねてきた。 「ああ、いえ……ボヤ騒ぎがあっても、生徒さんたちは元気なんだなって」  それに皆が足を止め、固まる。異様な空気を感じ、私はおずおずと問う。 「え……私、なにか変なことを言いましたか?」  また、断罪になるようなネタをぶっ込んでしまった!?  あわあわしながら皆の反応を待っていると、アーネスト様は険しい顔つきで私に迫る。 「貴様、なにをおかしなことを言っている」 「え……お、おかしなこと?」 「生徒がどうのと、今しがた言っていたではないか」 「それのどこがおかしなこと、なんですか? 私たちの真横を楽しそうに横切っていったので、『元気だなあ』と和んでいたんです。それくらい、いいじゃないですか!」  それともなんだ。アンデッドに発言権は皆無ですか。理不尽すぎる!   アンデッドに冷たい世界だな、と肩を落としている間も、返ってくるのは沈黙と白けた目。〝なにを言ってるんだ、こいつ〟という目で見ないでほしい。  異論を唱えたい気持ちをぎりぎりのところで抑えていると、ベンジャミン先生が躊躇いがちに口を開く。 「この一週間、うちは臨時休校になっているんです。幻とはいえ、ボヤ騒ぎが起きたとなっては親御さんたちも不安でしょうから……」 「……はい?」  臨・時・休・校……?  頭にぽわんぽわんと浮かぶ四字熟語に、私の思考はすべて持っていかれた。 「な、なら、私が見た子供たちは? 休みだけど、つい学校に遊びに来ちゃった、とか……ほら、子供ってしばらく学校に行っちゃダメよ~って言い聞かせても止められないものじゃないですか」 「貴様は阿呆か。ここにどうやって入ってきた? 子供が入れないように門だって閉まっていただろう。鍵を開けたのは誰だ」  アーネスト様は腕を組み、呆れ気味に私をじろりと睨む。 「あ……門の鍵を開けたのはベンジャミン先生です」  幻とはいえボヤ騒ぎが起きた学校に生徒が来ちゃ、なんのための臨時休校って感じだし、そのための対策はしているだろう。 「でも、全員同じスモックを着ていたんですよ? 学校の生徒さんじゃないんですか?」  んー、と考えていると、ベンジャミン先生が「スモック?」と眉をひそめる。 「はい、みんなお揃いの白いスモックを着ていましたよ」 「白いスモックを着た子供たち……いや、でもそんなことって……」  顎に手を当て、深刻そうにぶつぶつと呟いているベンジャミン先生に、アーネスト様が「なんだ、はっきりしないか」と痺れを切らす。 「実は……十三年ほど前、ここは孤児院だったんです。私が先ほど話した、あの……」 「ベンジャミン先生が初めて施しに行ったっていう……? その孤児院で火事があって、ほとんどの孤児たちが助からなかったって……」  ということは、ベンジャミン先生は自分が教師を目指すきっかけになった場所で働いているんだ。 「はい。白いスモックはここが学校になる前、孤児院だった頃に子供たちが来ていた服です」 「どうして、孤児院の子と同じ格好をした子供たちがここに……?」  それに皆が顔を見合わせる。ずっと黙って話を聞いていたレノ副騎士団長は、私を警戒するように告げた。 「さっきから、子供が子供がとお前は言うが……俺にも、そして恐らくアーネスト様たちにも、子供の姿は見えていない。本当に子供たちを見たのか?」 「え──なに、言ってるんですか?」  ありえない現実を拒否しているのか、全身の細胞がざわめきだす。  さっきの子たちはアーネスト様たちには見えていなかった……? なら、あの子たちはなんだったの?  サーッと血の気が失せていく。イブがもともと見える人間だったという記憶はない。だが、日本で死んだ私はある意味臨死体験をしてここにいるということになる。信じたくはないけれど、だけど……。 「さっきのは……幽霊?」  頬を押さえ、今さらながら戦慄する。  異世界に来るまでは霊感なんて微塵もなかったのに! そんな力、芽生えてくれなくていい! 科学で説明できないものはノーサンキューです!  ぶるぶる震えている私とは対照的に、アーネスト様たちは半信半疑そうだ。 「貴様には子供のアンデッドどもが見えるのか?」  そっか、この世界では私みたいな幽霊のことは死霊──アンデッドって呼ぶんだっけ。  にしても、アンデッドどもって……あんなに可愛い子供たちに失礼だ。つくづく、この世界の人たちのアンデッドに対する扱いは酷いなと思う。  ──って、数秒前までアンデッドに怯えていた私が言えた義理ではないけれど。 「私が立ったまま寝ているんじゃなきゃ、そうなるんでしょうか……? 自分でも、にわかに信じがたいですけど……」 「そうか、なら俺が確かめてやる」 「は?」と、間抜けな返事をしてすぐ、アーネスト様は容赦なく私の頬を引っ張った。 「い、いひゃいっ。なひふふんへふは!」  なにするんですか!と抗議するも、アーネスト様は素知らぬ顔でぱっと手を放す。  乱暴な人だな……。  涙目になりながら頬をさすり、改めて先ほど見た子供たちの姿を思い浮かべた。  あの子たち、普通の人間にしか見えなかったんだけどなあ。この先もあんな感じで私にだけアンデッドが見えるんだとしたら、すれ違った人が生きてるのか死んでるのかわからないで、普通に話しかけてしまいそう……。 「アンデッドは未練を断ち切れず、魂のままこの世を彷徨い続ける死霊だ。力が弱いために、ほとんどの者が認識すらできない。だが、怒りや憎悪が原因で狂暴化すると、目視できるようになり、討伐対象になる」 「え、じゃあ私も……肉体がなければ、誰からも気づいてもらえない存在だったってことですか?」  「そうだろうな。アンデッドが人形や物……依り代になる器に入り込むというのは珍しいことではない。だが、その器が人間となると、話は別だ」 「え……」 「器を動かすには、相応の力がいるからな。人ひとりを動かせるだけの力など、ほとんどのアンデッドは持ち合わせていない。だが、聖女の血を引くモナハート家の者の魂であれば、一度失った肉体に戻ることも可能だと俺は考えている」  アーネスト様はイブの魂がもとの身体に戻ったという見解らしいが、正しくは別の世界から来た私の魂が入れ替わりでイブの身体に入ったのだ。  でも、そんなことを言おうものなら『貴様は誰だ』と、それこそ異端者の烙印を押されて火刑にされかねない。 「肉体を得ようとも、貴様はアンデッドだ。同類である他のアンデッドが見えても、なんらおかしくはない」  レノ副騎士団長が「つまり」と口を挟む。 「こいつはまだ狂暴化していないアンデッドを認識できる、というわけですね」  ……こいつって言ったな。いつかアンデッドの友達百人作って、アンデッドの王国を築き、お前たち人間をまとめて奴隷にしてやるからな!  ひれ伏すレノ副騎士団長たちにびしっと指さす自分を想像し、勝手に満足する。    会社にいた頃はよく妄想したっけ。ストレス発散で私をディスる同僚を言い負かし、ひとり寂しく勝ち誇る。かなり病んでいる自覚はあるが、言葉にせずにいるのだから十分無害だと思う、私。 「そうだ。そして、アンデッドを狩る俺たちには願ってもない力だ。狂暴化する前に、アンデッドどもを狩れるんだからな」  この人たちに、あの可愛い子たちを見せてやりたいよ。狩りたいなんて考え、すぐに変わるはずだ。  じとりと睨み据えていると、アーネスト様は「なんだ、文句があるのか?」と高圧的に見下ろしてくる。私はふいっとそっぽを向いて、『別になにも?』とささやかな抵抗をした。 「死してなお、死に抗うアンデッドは罪深いですからね」  セントキャヴィンの民の大半がレノ副騎士団長と同じ意見なのだろう。死んだあとにすべての魂が召されるという天上の楽園は、神がお創りになった幸福な世界だと信じられているので、それを拒む行為は罪深いと考えられているのだ。 「でも、アンデッドだってなんの理由もなくこの世に留まっているわけではないと思うんです」 「貴様、それは神への冒涜だぞ」  鎖をぐっと引っ張られ、アーネスト様の冷ややかな瞳が間近に迫る。 「生きた人間の魂が闇に堕ち、悪魔や魔女になるのも問題だが……。アンデッドは最初は無害でも、ほっておくと未練を果たせないことへの怒りや憎しみが募り、狂暴化する。目視できる頃には理性をなくし、魔物と大差なくなっている。どんな理由があれ、被害者が出る前に駆除する必要がある」  アーネスト様は間違ったことは言っていないのだと思う。  でも、死んでもなお、こうしてアンデッドとしてこの世に留まっている私は、どうしたってアンデッドの立場で考えてしまう。  私は誰かに必要とされる人生を送りたかった。この世に縋りついている理由は、叶わなかった後悔や願いを果たしたいから。  その願いを果たせないまま、二度も死ぬことになるアンデッドたちを思うと胸が痛む。 「……ピュウ?」  ふいにフェニックスが私の頬に頭を擦り合わせてきた。  まるで、私の心の痛みを察したみたいね……ありがとう。  フェニックスの頭を撫でながら、私は言葉を重ねる。 「自分の大切な人が……あなたのそばにいたくて、アンデッドになって……この世に留まっていたとしたら? その人に向かって、同じことを言えますか?」  アーネスト様たちは息を詰まらせた。そのとき、視線を感じた。肩に目を向けると、フェニックスが私をじっと見つめている。 「……?」  不思議に思い、その瞳を見つめ返していたら、ベンジャミン先生が「では……」と口を開く。 「ここには十三年前、火事で亡くなってしまった孤児たちのアンデッドがいる……ということですか? なにか、未練を抱えて……」 「私もアンデッドを見たのは初めてなので、断言はできませんが……おそらく……」 「あのボヤ騒ぎも、あの子たちが?」 「それはわかりませんけど、理由を聞いてみませんか? あんなに可愛い子供たちを駆除するなんて、やっぱりかわいそうです。成仏すれば、わざわざ狩ることもなく自然に消えるかもしれませんし」  そう提案すれば、レノ副騎士団長は一段と棘を含んで言う。 「同類の肩を持つのは、アンデッドだからか」  静かな敵意を前に、私は沈黙を貫いた。  アンデッドというだけで邪険にする彼らとは、根本的な価値観が違うのだ。私がどれだけ説得しようと、受け入れてもらえるとも限らない。不毛な争いをするくらいなら、口を噤んでその場をやり過ごすほうが楽だ。 「仮に未練があってこの世に残っていたとしても、生者への憎しみだったらどうする。死んでもなお恨み続けられたら、こっちはどうすればいい」  これでも彼らよりは人生経験がある。もちろん、精神年齢的な意味でだ。  レノ副騎士団長は基本的に私に冷たいが、ここまで食い気味に嫌味を言ってくるようなタイプではないと思っていた。なにか、癇に障るようなことを私が言ってしまったのだろうか。 「ですが、私は……」  割り込んだのは、ベンジャミン先生だった。 「ここにいるアンデッドがあの孤児たちなのだとしたら、ほってはおけません。あのときは、なにもできませんでしたから……成仏させてやりたいと思います」  ベンジャミン先生にとって、あの孤児たちはただのアンデッドではない。自分がなにかしなければと、思い立つきっかけをくれた子供たちなのだ。 「ボヤ騒ぎを起こしているのがあの子たちだとしたら、旧校舎の取壊しをやめさせようとしている理由がなにかあるのでしょうか?」  ベンジャミン先生に詰め寄られ、私はうーんと頭を悩ませる。  私は霊能者でもなければ、透視能力もない。アンデッドの思いを特殊能力で汲み取ることはできない。 「私が見た限り、子供たちは普通にこの学校で遊んでる印象でした。誰かを困らせようとしているような感じじゃなかったんです」 「……死んだことに気づいていないということか?」  アーネスト様は不本意そうではあるが、友の願いとあらば協力しないわけにいかないのだろう。アンデッド批判をやめて、解決に向けて話に加わる。 「それも、聞いてみないことにはなんとも……」 「旧校舎でボヤ騒ぎが起きているのなら、子供のアンデッドもそこにいる可能性が高いな……」  顎に手を当てて思案していたアーネスト様は、思い立ったように私を見て腕を組んだ。 「貴様がアンデッドどもの声を聞き、俺たちに伝えろ」 「えっ……わ、わかりました」  てっきり、アンデッドの力は借りない!と言われるのだとばかり思っていた。拍子抜けしていると、アーネスト様は「なんだ」と不愉快そうに片眉を持ち上げる。 「私の力を頼ってくださるんだな、と……」  罵倒される覚悟で尋ねれば、アーネスト様はふんっと鼻を鳴らした。 「貴様の力を買っているわけではない。ベンジャミンの心残りに折り合いをつけさせるためだ。アンデッドであろうと、子供たちと話をつけて天上の楽園へ旅立たせる。それでいいか、ベンジャミン」  ベンジャミン先生のほうを向いた彼の横顔をこっそり窺う。  一度懐に入れた人間のためなら、自分の考えや価値観を曲げられる人なんだ……。まあ、アンデッドである私に歩み寄ってくれる日は永遠に来ないんだろうけど。  私は『ははは……』と、心の中で乾いた笑みを浮かべた。 「レノも不本意だろうが、ここは折れてくれ。今回、俺たちがすべきはボヤ騒ぎを収束させ、子供たちが安心して学校に来れることだ。そのためにはこいつの力が必要になる」  特別な意味なんてない。わかっているのに、『私の力が必要』という言葉が胸に響く。 「……俺は、アーネスト様の指示に従います」  納得はいっていないのだろうが、上官の枢機卿の指示ならば従う他ない。とにもかくにも、あの子たちが駆除されなければそれでいい。 「では行くぞ」  アーネスト様のひと声で、私たちは旧校舎へと向かうことになった。目的の建物は新校舎の裏手にあり、見るからに出そうな廃墟。 「うう、ここに入るのかあ……」  気が進まない。日本で見てきたさまざなホラー映画のお化けたちが脳裏に次々と現れる。  消えろ、消えてくれえ!  映像を妄想の中の自分が必死に手で掻き消している。 「なんだ、怖いのか。アンデッドの分際で」  足が竦んでしまう私に、アーネスト様は呆れていた。 「アンデッドだって、怖いものがあるんです!」  アンデッドの気持ちなんて、考える価値もないと思っているんでしょうけど! 「……目に見えないだけで、アンデッドは貴様と変わらないものなんだろう。恐れる意味が俺にはわからないがな」 「そんな単純な話じゃ……」  そう言いかけて、ふと疑問に思う。  さっきのアーネスト様の言い方……なんか気になるんだよな。かなり偏って考えてみれば、『だから怖がらなくていいんだよ』という気遣いの言葉にも聞こえなくも……ない? 「ほら、とっとと歩け。俺たちが進めないだろう、狩るぞ」  ──前言撤回。この人はただ、問題を早く解決したいだけだ。 「狩られたくはないので、行かせていただきます!」  やけになりながら私は廃墟もとい、旧校舎に近づく。すると、その前にある大きな木の後ろに、子供のアンデッドを三人ほど発見した。 「あっ、いましたよ、子供たち!」  走り出そうとする私に、「おい、待て!」とアーネスト様が叫ぶ。じゃらんっと手錠の鎖が突っ張り、私は「うわっ」と盛大に転んだ。 「手錠のこと、忘れてた……」 「貴様は転ぶ趣味でもあるのか?」  だいたいは、アーネスト様が手錠を引っ張ったのが原因で転んだんだけどね! 「あの……この手錠、今だけ外してもらえませんか? 逃げたりしませんから」  動きにくいったらない、と手錠をつけられた手を振って訴えるも、アーネスト様は渋い顔をする。 「珍獣を野に解き放つような真似はできない」  ──珍獣って、なんやねん! 「私が人間をがぶりとしちゃうとでも? さすがに人間を食べる趣味はありませんよ、ははっ」  笑いながらアーネスト様の警戒を和らげようとしたのだが、返って場が凍った。私は本当に阿呆である。 「じょ、冗談です……でも、アーネスト様やレノ副騎士団長もいますし、私ひとり簡単に狩れるでしょう?」  狩られたくはないけれど、『ね?』で押し切る。  アーネスト様はため息をつき、地面に座り込んでいる私の前に片膝をついた。 「レノ、こいつが逃げないよう目を光らせておけ」  私の手錠を外しながらアーネスト様が指示を出すと、レノ副騎士団長は剣の柄頭に手をかけて「承知いたしました」と答える。  かちゃりと手首の重みが消え、手錠が地面に落ちた。手錠の感覚が残る肌をさすっていると、アーネスト様が立ち上がる。 「逃げようなどとは思うなよ」  私も二度目の人生が始まったばかりで、即死は御免被りたい。なので教会の空気がどれだけ合わなくても、しばらくは大人しくしているつもりだ。  でも、機を見て国外逃亡くらいはするかもしれない。この国じゃアンデッドの私は、いつ火あぶりにされてもおかしくないわけだし。 「思いません。なので今は、子供たちのところへ行ってもいいですか?」 「よし、行け」  まるで犬に合図するみたいに顎をしゃくって見せるアーネスト様。なんだかな、と思いつつも私はゆっくりと木のほうへ歩いていく。 「……そこに、アンデッドがいるのか?」  信じられないといった様子でついてくるレノ副騎士団長に、私は「はい」と手短に答える。子供たちはなにかから隠れている様子だったので、私は小声で話しかけた。 「ねえ、ちょっといいかな?」  子供たちが首を傾げながら振り返る。 『お姉さんたち、誰?』 『ここに、こんなたくさん隠れられないよ』  私の後ろにいるアーネスト様たちを見て、子供たちは困った顔をした。 「隠れるって、もしかしてかくれんぼ?」  三人は『うん』と声を揃えて頷き、なぜか俯いてしまう。不思議に思って、その顔を覗き込もうとしたら、子供たちは悲しげに続けた。 『何回繰り返しても、見つからないんだ……』 「え? きみたちは隠れる側じゃないの?」  この国のかくれんぼも、鬼はひとりだったと思うけど……ここには子供が三人いる。仮に鬼だったとしたら、隠れているのも変だ。  ただ、イブは人生のほとんどを邸の離れで過ごしていたので、世の中のことに疎い。異世界流のかくれんぼが他にもあるのだとしたら、知らなくてもおかしくはない。  それと、この表情……子供たちは楽しく遊んでいたわけではない……?  子供たちの下がりきった眉と揺れる瞳をじっと見つめていると──。 『あっ、鬼が来る! 逃げないと!』  子供たちが駆け出す。「待って!」と呼び止めるも、子供たちは走り去ってしまった。 「なんて瞬足……さすが十代、若さには勝てないよね……」  彼らを呆然と見送っていると、ベンジャミン先生が「子供たちは?」と隣にやってきた。 「鬼が来るって逃げていっちゃいました。かくれんぼの最中みたいです」 「やはり、ただ遊んでいるだけなのか……」  眉間にしわを寄せ、アーネスト様は思案している。  ただ遊んでいるだけ、そうなのかもしれないけれど、気になることがひとつだけある。私はベンジャミン先生のほうに向き直り、ばっと挙手した。 「先生、質問です。かくれんぼのルールについて教えてください」 「……え? かくれんぼのルール、ですか?」  目を瞬かせるベンジャミン先生の後ろで、アーネスト様たちも〝なんでそんなことを聞くんだ?〟という面持ちだ。 「明確なルールはないかと思いますが、一般的にはふたり以上で行われていますね。鬼が目を閉じて決められた数を数え、『もういいかい』と尋ねます。逃げた子は『もういいよ』『まーだだよ』のどちらかで答える。『まーだだよ』の声が聞こえなくなると、鬼は子を探しに行きます。鬼は子を発見すると、『見いつけた』と宣言します。地域によっては発見のときに相手に手で触れないと駄目だというルールもあるみたいですが……。子が全員発見されると、最初に発見された子が新たな鬼となって、次のかくれんぼが始まります」 「ルールは、私が知っているものと同じですね……」  じゃあ、『何回繰り返しても、見つからない』というのは、ルールとは関係ないということだよね。 「あの子たち、隠れる側だったのに『何回繰り返しても、見つからないんだ』って言ってたんです。鬼でもないのに変だなって」   悩んでいると、レノ副騎士団長が言う。 「ベンジャミン先生もおっしゃっていたように、特有のルールがあるんじゃないのか」 「でも、『見つからないんだ』って言ったときのあの子たちの顔……すごく悲しそうだったんです。かくれんぼをしなくちゃいけない深刻な理由でもあるのかな、と……」  なにがあの子たちにあんな顔をさせるのか……知らなくちゃいけない気がした。  人の気持ちに鈍感でいるのは楽だ。そうやって人の痛みを見て見ぬふりして、誰かを傷つけることに罪悪感さえなくなってしまったら──。その時点で人間ではなくなる。化け物と大差ない。  会社でのストレス発散や自分に敵意が向かないための必要悪として私を使った同僚たちを思い出し、ぐっと拳を握りしめる。  私はあんなふうにはならない。反面教師なのかもしれないけど、弱い立場にいる人たちの味方でいたい。どんなに理解を得られず、庇うことで自分の立場が悪くなるのだとしても、自分の善意に従う。 「おい、なにを考えている」  ここがどこなのかも忘れて思い詰めていたら、アーネスト様が顔を覗き込んできた。その表情からはなんの感情も汲み取れないが、たぶん『ぼさっとするな』と文句を言いたいのだろう。 「……なんでもありません。とにかく、もう少し話を聞いてみないことには、正確なことはなにもわかりませんね。子供たちのあとを追いましょう」  追及を恐れて話を切り上げた私は、アーネスト様の物言いたげな視線を背中に感じながら、子供たちが去っていった旧校舎に足を向けた。  建物の中は蜘蛛の巣が張った天井や穴が空いた床板、割れた窓ガラス……今にも崩れ落ちてしまいそうだった。そう思っているそばから、ずぼっと片足が床を踏み抜く。 「ぎゃーっ」  また転ぶ……!  ぎゅっと目をつぶって衝撃を覚悟するが、腰に誰かの腕が回って事なきを得る。ほっと息をついていると、「貴様は……」とドスのきいた声が降ってきた。恐る恐る上向けば、眉間に青筋を立てたアーネスト様の美麗な顔面が。 「そそっかしい、不注意にもほどがあるぞ、この間抜けが。役立たずならここで狩るが?」 「ひどい……」  もう、ひどいしか言えない。転んだくらいで、床を踏み抜いたくらいで、この罵詈雑言(ばりぞうごん)。私はあなたの親の仇かなにかですか? ……って勢いだ。 「さっさと床から足を抜け。貴様がいなければ、子供たちの居場所がわからないだろう」 「はーい」  床から足を抜いた私は、「それじゃあ気を取り直して」と再び進もうとする。すると、「危ない!」とベンジャミン先生が私に手を伸ばした。  振り返るより先に、アーネスト様に肩に担がれる。 「うわあっ、なにするんですか!」 「そこの大きな穴を見ても、同じことが言えるか?」  ジト目をするアーネスト様の視線の先には、がばりと口を開けた床がある。一階なのでさほど深くはないが、落ちたら骨折は免れないだろう大穴。落ちなくて、ほんっとーによかった! 「助けていただき、ありがとうございました……」 「言ったそばから、貴様は面倒事を増やそうとするからな。貴様のことは、このまま俺が運ぶ」  心底面倒そうにしているアーネスト様に、「すみません」と素直に甘えることにした。抱えてもらっているのも申し訳ないのだが、これ以上迷惑をかけると私の命が危うい。 「アーネスト様、代わりましょうか?」 「いや、いい。この先、狂暴化したアンデッドが出てこないとも限らないからな。レノはベンジャミンの護衛を頼む」 「承知いたしました」  荷物みたいに運ばれる私を〝アーネスト様の手を煩わせやがって〟という目で見るレノ副騎士団長。ベンジャミン先生はというと、なぜか苦笑いしている。 「なんだかんだ、世話を焼いてしまう性分なんですよね、アーネストは」 「効率がいいから、こうしているまでだ」  ベンジャミン先生はくすくす笑って「はいはい」と相槌を打っているが、当の本人であるアーネスト様は苦い顔をしていた。  それがなぜなのか考えを巡らせていると、通り過ぎようとした教室に子供たちが集まっているのが見えた。 「あっ、止まってください! そこ、教室に子供たちがいます」  アーネスト様は「入るぞ」と、迷いなく突入していこうとした。けれど、ベンジャミン先生は「待ってください」と止める。 「大の大人がぞろぞろと近づいてきたら、子供たちが怖がります。ここは私に行かせてもらえませんか?」  ベンジャミン先生の言う通りだ。子供たちを警戒させるのはよくない。せっかく見つけたのに逃げられてしまったら、また探すことになる。 「力を貸してもらえますか? その……今さらで申し訳ありません。名前を伺っても?」  教会の邸で会ったとき、ベンジャミン先生はアンデッドである私の名前を知りたいとは思っていなさそうだった。だから名乗らずにいたのだが、少しは気を許してもらえたのだろうか。 「イブです。イブ・モナハート」  実際はイブというのはこの肉体の名前だけれど、今この身体で生きている以上、私は二度目の人生をイブとして生きていくべきなんだろう。 「イブ、子供たちの言葉を通訳してくださいませんか? 私も力になりたいのです」 「ベンジャミン先生……喜んで」  アンデッドを生きている人間の子供と同じように扱ってくれた。それだけで信用するには十分だった。  私は差し伸べられた手を取り、床に降りる。今度はベンジャミン先生にエスコートされるようにして、教室へと入った。 「失礼します。ええと……皆さん、こんにちわ」  黒板の前に立ち、ベンジャミン先生が挨拶をすると、ざっと十五人くらいいる子供たちがきょとんとしていた。その中にさっき話しかけた子たちもいて、私の存在に気づくや『さっきのお姉ちゃんだ!』と指差してくる。  手を振って応えれば、教室の入り口にいたアーネスト様たちが〝真面目にやれ〟と目で訴えてきた。  これも、子供たちの警戒を解くためなんだけどなあ。 「皆さん、この校舎は取壊しが決まっています。なのですが、火事の幻が起こって、なかなか進めることができません。皆さんはなにか知りませんか?」  ベンジャミン先生の問いに、子供たちは顔を見合わせた。それから、男の子が『はい!』と元気よく手を挙げる。 「ベンジャミン先生、男の子が手を挙げてます」 「そうですか。では、名前と一緒に教えてくれますか?」  優しく諭すようにベンジャミン先生が話しかける。 『僕はベルダ。かくれんぼが終わるまで、火事は続くよ』 「彼はベルダというそうです。かくれんぼが終わるまで、火事は続くって言っています」  ベンジャミン先生は「ベルダはどこに?」と尋ねてきたので、私は彼の手を引き、ベルダの前まで連れていく。するとベンジャミン先生は、まるでベルダと視線を合わせるように腰を落とした。 「ベルダ、どうしてかくれんぼが終わるまでなんですか?」 『それは……』  ベルダがなにかを言う前に、『だって、見つかるまでやらないと!』と誰かが答えた。それに元気だなあ、とくすくす笑っていると、ベンジャミン先生が問うように私を見る。 「ふふ、すみません。他の子たちも先生に協力したいみたい」  子供たちは先生を見たのが初めてなのか、好奇心旺盛な目をしながら周りに集まってくる。 でも、その中にひとりだけ、輪に加わらずにぼんやりと窓の外を眺めている男の子がいた。その子に視線を奪われていると、「イブ?」とベンジャミン先生に呼ばれる。 「あ……すみません。さっきの質問の答えですが、『見つかるまでやらないと』って言ってます」  男の子のことは気になりつつも、そう伝えると、ベンジャミン先生は言いにくそうに言う。 「見つかるまで……その、誰を見つけるまでなのでしょうか?」  ベンジャミン先生がそう投げかけたかけたとき、あの男の子が自分の身体を抱きしめて、ぶるぶると震えだした。その瞬間、戸口にいたレノ副騎士団が「火事です!」と叫んだ。皆で廊下を覗き込めば、壁や床に火が燃え移っている。 「これが幻なら……」  レノ副騎士団はそう言い、炎に手を伸ばした。けれど、その手も服も燃えることはなく、レノ副騎士団は「熱くない」と驚きながら火に触れている。  みんなが炎に気を取られている中、私はあの男の子を振り返った。  あの子が震えだした瞬間、火事が起こった。発火の原因は、まさかこの子……?  私はなにかに怯えている様子の男の子に慎重に近づく。〝なにをしている〟という目でアーネスト様が見てきたが、構わず男の子のもとへ行き、そばにしゃがんだ。 「こんにちわ」  声をかけると、男の子はびくりと肩を震わせる。その反応だけで、彼がなにかとてつもなく恐ろしい目に遭ったのだろうことは察しがついた。 「かわいそうに……とても怖いことがあったのね……」  そっと手を伸ばし、「大丈夫よ」と何度も声をかけながら、震えるその背をさする。 「私はイブ、あなたは?」 『……ジェコブ』 「そう、ジェコブ……」 『僕たちは取壊しを止めさせたいわけじゃないんだ……何回もかくれんぼを繰り返してるのは、見つからないから……見つかるまでやらなくちゃ、ジャッキーがかわいそう』  膝を抱えながら、男の子は悲痛な声で話してくれる。 「その、ジャッキーっていうのは?」  いつの間にか、皆の視線が私たちに集まっている。子供たちの眼差しはジャッキーの名前が出た途端、やはり悲しげに沈んだ。 『犬だよ。子犬のとき、孤児院の前に捨てられてたんだ。シスターたちは食費が増えるって追い出そうとしたんだけど、僕たちは隠れてお世話をしたんだよ』  ベンジャミン先生の話では、ここが孤児院だった頃、環境は劣悪だったと聞いていた。隠れて世話をするといっても、食べ物はシスターたちが独占し、最低限のものを子供たちに出していたはずだ。分け与えられるとしたら、自分の食べ物くらいしかない。自分のお腹だって膨れていないのに、なんて健気なんだろう。  それに比べてシスターは、金銭の施しも自分たちで使ってしまうような人たちだ。火事の日に、この子たちを助けてくれる大人がいなかったことも容易に想像できる。 『私たち、ジャッキーを見つけるまではここを離れないって決めたんだ』  私の隣に女の子が座る。それに続くようにして、ぞろぞろと子供たちが私を囲んだ。 「みんなにとってはつらいことだと思う。だけど、お姉ちゃんたちに火事があった日のことを詳しく教えてくれないかな? ジャッキーのことも……」  レノ副騎士団が「ジャッキー?」と聞いてきたので、「孤児院でお世話していた犬のことだそうです」と説明した。 『あの日、僕たちかくれんぼをしてたんだ』 『だから、火事があったことに気づけなかったんだよね』 『そう、気づいたら火がすごくて、外に出られなかったの。それで、みんなでこの教室に逃げてきたの』 『だけど、ジャッキーだけいなかったんだ。だからジェコブが探しに行ったんだよ』  振り返ると、ジェコブは震える唇を静かに開く。 『ジャッキーは僕の部屋で面倒を見ていたから、僕はすぐに部屋に戻ったんだ……っ、だけど……』  言葉を詰まらせたジェコブは、くりっとした瞳から大粒の涙をこぼす。ジェコブはきっと見てしまったのだ。とても悲惨なジャッキーの最期を。 「ジェコブ……つらかったわね」  涙が込み上げてきて、私はそれを隠すように目の前の小さな身体を抱きしめた。私はジェコブの肩に顔を埋めながら、アーネスト様に尋ねる。 「アンデッドは怪奇現象……例えば幻を見せるとか、そういう不思議な現象を起こせるものなんでしょうか?」 「あ、ああ、起こせる。だが、そこまできているなら、成仏は急いだほうがいい。アンデッドが力を持ち始めたということは、狂暴化が近づいているサインともとれるからな」  アーネスト様の声に少し、動揺が滲んでいる気がした。泣いていることを悟られてしまったかもしれない。 「そうなんですね……なら、急がないと」  私はなるべく皆に見えないように袖で目元を拭い、立ち上がった。ふうっと息を吐き、アーネスト様たちにわかったことを報告する。 「あの日、この子たちはかくれんぼをしていたから、火事に気づくのが遅れてしまったようです。気づいたときには火の手がすごく、この教室に逃げてくるしかなかった……」  ベンジャミン先生は「なんてことだ……」と、涙に濡れた目頭を押さえる。 「当時、孤児院にいたシスターたちは、自分たちの私腹を肥やすことしか考えていなかった。この子たちを助けてくれる大人はいなかったのでしょうね……」 「そうですね……。そんな中でも、みんなの心にあったのはジャッキーのことでした。ジャッキーを見つけられなかったことがこの子たちの後悔」  私はジェコブをまっすぐに見つめる。 「だけどジェコブ、あなたはジャッキーを見つけられない理由を誰よりもわかってるんじゃない?」  彼がジャッキーを探しに戻り、部屋で見たもの──それが終わらないかくれんぼの答えだ。  あの日、部屋でジャッキーの悲惨な死を目の当たりにしたジェコブは、ジャッキーの死を受け入れられなくて、見つからなかったことにしたのだ。それで壊れそうになる心を守った。  皆のジャッキーを見つけなきゃという思いと、ジェコブの現実逃避が影響し合って起きたのがこの事件だ。  他の子供たちはジャッキーが見つかれば天上の楽園に行けるのだろうが、ジェコブは違う。見つからないことを頭の隅で理解していながら、現実を受け入れられないがゆえに、あの日のかくれんぼを繰り返しているからだ。  そして、ジェコブの感情が高ぶったとき、火事の幻が起きたことからするに、ここにいるアンデッドたちの中でいちばん狂暴化する可能性があるのはジェコブ。  ジェコブに現実を受け入れさせて、かくれんぼを終わらせないと。  唇を引き結んでいるジェコブに、私は手を差し出す。 「かくれんぼはもう終わり。ジャッキーを迎えに行こう、みんなで」  そこにジャッキーの魂が残っていても、いなくても──。現実を受け止めるために、皆でジャッキーが最期を迎えた場所に行く必要がある気がした。  ジェコブは長い間、どうするべきか悩んでいた。  迎えに行くということは、ジャッキーやここにいる孤児院の仲間たち、そして自分の運命を──死を受け入れるということだ。  簡単に決められることじゃない。でも、皆がジェコブの決断を待っていた。 『ジャッキーのことも……神様はお迎えに来てくれる?』  正直言って、私は神様に頼る考え方は好かない。だけど、私の誰かに必要とされたいという願いを叶えて、この世界に転生させてくれたのが神様なのだとしたら──。 「神様は皆に等しく慈悲をお与えくださるものでしょう? きっと、アンデッドも快くお迎えくださるはずよ」  笑いかければ、アーネスト様たちが息を吞んだ気がした。しばらくして、ジェコブは縋るように私の手をとる。 『お姉ちゃん、お願い。ジェコブを救ってあげて』 「あなたたちが行けば、ジャッキーも救われるはずよ。さあ、行きましょう」  立ち上がったジェコブの手を引き、私は燃え盛る廊下へと出る。すると、アーネスト様が隣に並んだ。 「子供たちがジャッキーという犬を探しているのはわかった。その心残りが晴れなければ、繰り返し火事の幻が起こることも。だが、肝心のジャッキーの居場所はわかっているのか?」 「……はい。これから、ジェコブの部屋に行きます。たぶん、そこに……彼らが受け入れなくてはいけない真実があります」  言いながら声が震えた。そこにジャッキーがいるかどうかが重要なのではない。運命、現実──それらを受け止めたときこそ、この子たちが天上の楽園へ旅立つときなのだ。 「……そうか」  アーネスト様はなにかを感じ取ったのか、深く追及はしてこない。声音は私を労わっているようにさえ聞こえた。  無言で子供たちを引き連れて、二階の奥の部屋の前までやってくる。  ジェコブはドアノブに手をかけたまま、動けずにいた。その背に手を添えれば、ジェコブは意を決したようにドアを開く。  ぶわっと熱風が私たちを襲った。皆が悲鳴をあげながら後退する。よろめいた私を後ろから抱えるように支えたのは、アーネスト様だった。  至近距離で見つめ合う。アーネスト様はとっさに私を助けたことに、困惑しているようだった。  炎の色を映したアーネスト様の瞳が複雑に揺れていて、それに心がざわついたとき──。  部屋の中から『ウオオオオンッ』という雄叫びが響いた。 「下がってください! ──デュランダル」  レノ副騎士団長が私たちを庇うように前に出る。  イブも聖女として無能だと判断される前は、聖女候補として教会の役割や信仰を学んだ。彼が呼んだのは岩を両断しても折れない不滅の刃を持つ聖なる長剣の名、天使からとある王に授けられたという聖遺物だ。  レノ副騎士団長の呼応に共鳴し、長剣が誠実な青の光を帯びている。 「あれがジャッキーか」  アーネスト様の視線の先には、ガルルルルッと威嚇する黒い犬──否、狼がいる。部屋の天井に頭がつくくらい大きく、その目は赤い血のようだ。 「俺たちに見えるということは、魔物になったということだ。お前たちは不本意だろうが、狩らせてもらう。──アダマスの鎌」  ペンダントの十字架に触れながら、アーネスト様が己の聖遺物の名を呼ぶ。十字架のペンダントは黒曜石のような美しさと硬質さを兼ね備えた大鎌に姿を変え、目の前の獲物を狩らんと鋭利に光っていた。  アーネスト様がぶんっと振るったアダマスの鎌は全宇宙で最も硬い物質を用いて創られたとされ、万物を切り裂くゆえに〝決して征服されぬ神の鎌〟とも呼ばれている。神をも引き裂く聖遺物を喉元にあてられていたなんて思うと、生きた心地がしない。 『やめて、ジャッキーっ』  ジェコブの声も聞こえていないのか、ジャッキーは見境なしにこちらに襲いかかってきた。  レノ副騎士団が真っ先に地面を蹴り、ジャッキーに斬りかかる。一太刀浴びせればジャッキーは痛みに吼えるが、まだ全然足りていないようだ。その鋭い爪でレノ副騎士団の斬撃を弾き、後ろにいる私たちのもとへと飛んでくる。 『ジャッキーを傷つけないで!』 「ジャッキーを傷つけないでと、子供たちが……!」  両手を広げて子供たちを下がらせながら伝えるが、アーネスト様は鎌で応戦する。 「もうあれは、お前たちの知っているジャッキーではない。──魔物だ!」  ジャッキーの首を狙い、アーネスト様は思いっきり鎌を薙ぐ。ジャッキーはそのまま壁を突き破り、校庭へと飛んでいった。すぐさま「レノ!」と叫び、ジャッキーのあとを追うアーネスト様。それに続いてレノ副騎士団長も廊下を駆けていく。  子供たちは涙を目に浮かべていた。そして暴れまわっている魔物の咆哮も泣いているように聞こえる。  ここには悲しみが溢れてる……私にできることはないの?  職場で『無能』『役立たず』『給料泥棒』と罵られたのを思い出す。この世界に来ても、私は役立たずのまま?  唇を嚙み締めたとき、誰かに手を握られた。はっと横を確認すれば、ジェコブが助けを求めるように私を見上げている。  私、なにやってるんだろう。こんなに小さな子供が助けを求めてるっていうのに、なにもできない自分を嘆くばかりで情けない。  魔物になった以上、他の人たちが傷つくかもしれないんだったら狩るしかない。その現実は変えられなくても、せめて微かな救いを残したい。 「──みんな、ジャッキーを追いかけよう。それで、たくさん呼びかけるの。もとのジャッキーに戻ってって」  子供たちは強く頷き、走りだした私のあとをついてくる。校庭に出れば、すでにアーネスト様とレノ騎士団長が魔物になったジャッキーと戦っていた。 「みんな、ああなったらジャッキーを止める方法はあれしかないの。みんなもジャッキーが誰かを傷つけるところは、見たくないでしょう?」  子供たちは口々に『うん』と頷いたり、返事をしたりする。 「じゃあ、みんなでたくさん声をかけてあげよう。きっと……きっと届くから」  ジャッキーはもとは犬なので言葉はわからないが、『悲しい』『怖い』という気持ちを肌で感じる。これもアンデッドの力なのかはわからないけれど、ジャッキーも子供たちの存在を思い出せば、ほっとするはずだ。 「ジャッキー! みんなが来てるわ!」  私の声に、ジャッキーはこちらを向いた。それをきっかけに、子供たちは『ジャッキー!』と一斉に名前を呼ぶ。 「─アーネスト様、魔物の動きが鈍くなりました!」 「今だ……!」  アーネスト様はジャッキーの腹部目がけて鎌を振り下ろす。首を落とさなかったのは、子供たちの前だからだろう。アーネスト様なりの慈悲なのかもしれない。 『グアアアアアアアッ』  ジャッキーは苦しげな声をあげ、ばたんっとその場に倒れた。血の代わりに流れているのは、病や魔物を引き寄せるとされている禍々しい瘴気(しょうき)。  私は「行こう」と子供たちを促す。そして、ジャッキーの前で足を止め、みんなと顔を見合わせたあと、声を揃えて言った。 「ジャッキー、見いつけた」 『『『『ジャッキー、見いつけた!』』』』  その瞬間、ジャッキーはどんどん小さくなり、ただの犬の姿に戻る。その周りに『ジャッキーだ!』と子供たちが集まり、その身体に顔を埋めたり、抱きしめたりしていた。未練が晴れたからか、彼らは黄金の光に包まれる。 「魔物は消えたようだが、子供たちはどうなった」  この光景はアーネスト様たちには見えていないのか、困惑気味にそばに集まってくる。 「……天上の楽園に旅立つ時が来ました」  個々の発する光が集まって、大きな輝きを放っている。その眩さに目を細めていると、「貴様にはなにが見えている」とアーネスト様に聞かれた。 「光です……天上の楽園に旅立つ魂は、黄金色に輝くんですね……」  そのとき、肩にいたフェニックスが「ピューイッ」と高らかに鳴きながら羽ばたいた。 「フェニックス?」  旅立ちを祝福しているのだろうか。フェニックスが子供たちの周りをぐるぐると飛ぶと、天から白い光が差し込んだ。 『お姉ちゃんたち、ジャッキーを探してくれて、ありがとう!』 『じゃあね、先生!』  子供たちはジャッキーのそばで、私たちに手を振る。 「『ありがとう』って、お礼を言っています。それから『じゃあね』って、お別れも」 「……お礼を言わなければならないのは、私のほうです」  そう言って前に出てきたのは、ベンジャミン先生だった。 「私はあなたたちに出会って、教師になりました。子供たちに自分の未来を切り開く素晴らしさを教えられる。それは約束された身分や裕福な暮らしよりも価値があることです。この役目こそ、私の存在意義だと言える仕事に出会えた。あなたたちのおかげです、感謝しています」  潤んだ瞳には目視できるはずのない子供たちの姿が確かに映っているように感じた。 『先生、僕たちみたいな貧しい子供でも、いっぱい勉強できるような場所を作ってね!』 「僕たちみたいな貧しい子供でも、いっぱい勉強できるような場所を作ってと、そう言っています」  通訳すると、ベンジャミン先生は涙に息を詰まらせ、胸に手を当てながら笑みを浮かべる。 「約束します。この命尽きるまで、そのために生きると」  子供たちは顔を見合わせて微笑む。フェニックスが再び「ピューイッ」と鳴きながら、まるで天へ誘うように飛翔した。 「いってらっしゃい」  手を振り返し、空へと昇っていく光を仰いだ。その拍子に、つうっとと涙が頬を伝っていく。 「手のかかるやつだ」  いきなり顎を掴まれ、アーネスト様のほうを向かされた。何事かと瞬きをしている間に、アーネスト様は自分の袖でごしごしと私の目元を乱暴に拭う。 「あ、アーネスト様?」 「気が散る、メソメソするな」 「そんな横暴な……でも、ありがとうございます」  笑みを返せば、アーネスト様は戸惑った様子で動きを止める。そして、なにかを言おうと口を開きかけたアーネスト様だったが──。  ガラガラッ、ガッシャーン!と、なにかが崩れる音がして、私たちは弾かれたように振り返った。 「校舎が……!」  レノ副騎士団長が驚きの声をあげる。 「止まっていた時間が動き出したんですね……」  考えてみれば、十三年も前に火災があった旧校舎が今でも建っていたこと自体、ありえないことだったのかもしれない。  ふわりと鮮やかな赤い羽根の雨が降ってくる。顔を上げれば、「ピューイッ」と声をあげながらフェニックスが私のもとへ戻ってきた。  宙で羽根をはためかせるフェニックスと目が合う。  私には、あなたが魂を天上へと導いているように見えた。フェニックス、あなたは一体……。 「イブ、あなたに感謝と謝罪をさせてほしいのですが、許していただけますか?」  突然、私の前でベンジャミン先生が地面に膝をついた。それにびっくりしつつも、ベンジャミン先生の真剣な眼差しに「はい」と答えていた。 「まず、私はあなたをアンデッドだからという理由だけで、警戒していました。私の態度は、あなたを不快にさせたことでしょう。本当に申し訳ありません」 「ベンジャミン先生……」  頭を下げたベンジャミン先生は、私の手をとる。 「そして、あの子たちに会わせていただき、ありがとうございます。もうなにもしてあげられないと、ずっと胸のしこりになっていたのです。だからなのか、どれだけ教師として教鞭をとっていても、満たされない日々を送っていました」 「なにかしなければという焦りが、どれだけ人のために尽くしていても満たされないんですね」 「ええ……きっと、私の原点があの子たちだったからです。あの子たちを助けられたという美談で、私の教師人生が始まれば、最高だったんですが……」  苦笑いしているベンジャミン先生に、私も笑みを返す。 「人生はうまくいかないものですよね」 「はい。でも、あなたが奇跡を起こしてくれた。私とあの子たちを引き合わせてくれた。これで私も、前に進むことができる」  今回のことで気づいた。アンデッドの未練と生者の未練は相互し合っている。愛から成るいい繋がりも、憎しみから成る悪い繋がりも、死によって断たれてしまうと、アンデッドも生者もなかなか前に進めないものなのだ。  ベンジャミン先生は晴れやかな表情をしている。  ようやく終わったんだ……。  そう思ったら、どっと疲れがのしかかってくるようだった。その場に崩れ落ちそうになったとき、アーネスト様が私を片腕で抱き留めた。 「お前の力がベンジャミンの心を救った」  私の力で誰かを救えたという事実がうれしかった。それも、アンデッドを敵視していたこの人の口から聞けた。他の誰の言葉より信じられる。今まで『貴様』だったのが、『お前』にランクアップしたことも、重ねてうれしい。 「教会には今回のような事件が腐るほど舞い込んでくる。お前は教会の交霊術師(ネクロマンサー)として、俺とともに救いを求めに来た民を救え」  交霊術師というのは、その名の通りアンデッドと通じ合える者のことだ。もう何十年と現れていない、狂暴化する前のアンデッドが見える希少な存在だと聞いたことがある。  といっても、私が見えるのは同じアンデッドだからであって、生粋の交霊術師ではないのだろうけれど。  同族のアンデッドが狩られてしまうのは、私だって明日は我が身だし、見たくはない。そうなると、アーネスト様の提案に乗るしかないんだろう。 「お引き受けいたします、アーネスト様。生者だけでなく、〝アンデッド〟のためにも、双方の架け橋になれればと思います」 「……お前は、存外頑固のようだな。俺が耳にした噂では、イブ・モナハートは物静かな深窓の令嬢だと聞いていたんだが」 「噂は噂でしかありません。こうして直接会ってみなければ、言葉を交わしてみなければ、わからないこともあるってことです」  ……なんて、実際は私がその噂のイブではないから、別人のように見えるのだ。 「達者な口だ。まあ、嫌いではない」  ふいうちは心臓に悪い(止まってるけど)。たくましい腕の中でそんなことを言われたら、ドギマギしてしまう。  そんな私に気づいているのかいないのか、アーネスト様はどこか満足げに口端を上げた。 「明日から馬車馬のように働かせてやるから、覚悟しろよ」  アーネスト様はそう言い、私に背を向けて歩き出した。けれど、少し先でなぜか足を止め、振り返らずに付け加えた。 「……ベンジャミンを救ってくれたこと、感謝する。……イブ」 「……!」  言いたいことだけ言って、再び歩きだすアーネスト様。その背を見つめていたら、ベンジャミン先生が「素直じゃないですね」と苦笑いした。  感謝されること、名前を呼ばれること──。空気だった私にとって、それがどれだけ特別なことなのかをアーネスト様は知らない。  動きを止めた私の心臓がまた脈打ち始めるのではないか。そんな希望を思い描いてしまいそうになるほど、心が喜びに打ち震えていた。    ◇◇◇  ランプに照らされた夜の執務室には、ふたりの男の姿があった。 「レノ、今日のこと、どう思う」  机に肘をつき、組んだ手の甲に顎を置いて黙考していたアーネストはおもむろに問う。手元にあるのはイブ・モナハートに関する報告書だ。定期的に大聖堂に提出することになっている。  イブ・モナハートの監視は現在、コレットとヴェネットがしており、今頃部屋の前で見張っていることだろう。  あのふたりのことだ、真面目に働かずにイブ・モナハートとお喋りに花を咲かせていそうだが。 「今日のこと、ですか?」  質問の意味を図りかねているのか、レノはきょとんとしている。  レノとはイブ・モナハートの監視体制について話し合っていたのだが、そうなるとどうしても頭をよぎるのだ。 「イブ・モナハートが言った言葉を覚えているか? 神は等しく慈悲をお与えになると、そう言ったとき、お前はなにを感じた?」 『神様は皆に等しく慈悲をお与えくださるものでしょう? きっと、アンデッドも快くお迎えくださるはずよ』  あの言葉を放ったイブ・モナハートの顔は、まるで聖女だった。闇に属するアンデッドの女に神聖さを感じるなどと、あってはならないことだ。 「自分は……こんなこと、口にするのも躊躇われますが……聖女のようだと、そう感じました」  レノも同じだったなら、これは単なる勘ではないのだろう。  立ち上がって窓に近づいたアーネストは、濃紺の空に浮かぶ月を見上げた。  イブ・モナハートは妹のマリアの持つ太陽のような絶対的な輝きはなくとも、月の淡い光の如く優しく見守られているような気にさせる存在感がある。 「教皇は光に等しく闇が必要であるとおっしゃった。イブ・モナハートの存在もまた、誰かにとって、ひいてはこの世界にとって必要なのかもしれない。そんなふうに思わせるなにかが、イブ・モナハートにはあるように思えてならない」 「アーネスト様、その思考は危険です。きっと、あのアンデッドに惑わされているんですよ。俺も、あなたも……」  そうなのかもしれないが、そうじゃないかもしれない。まだ、答えを出すには情報が足りなさすぎる。 「今後もイブ・モナハートから目を離さずにいよう。あの女がこの世界にもたらすものが救いか否か、見定めるために」
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