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覚醒
復活祭の段取りを話し合うとかで、私はアーネスト様とレノとともに大聖堂に来ていた。
神ルクレーティアが復活した喜びをみんなで分かち合う復活祭は、教会の一大イベントらしい。
枢機卿や騎士たちはミサや各教会の管轄区域内で行う催し物を行うにあたり、アンデッドや魔物の襲撃を受けないよう警備体制などを話し合うのだとか。
騎士団長に呼ばれているというレノと別れたあと、私はアーネスト様と広い玄関ホールを歩いていた。
「アーネスト様!」
走ってきたのはマリアだ。レース帳の裾がふんわりと広がった白のドレスを着ている彼女は装いだけなら聖女だが、アーネスト様の隣に私がいるのに気づくと……。
「ちっ」
私にだけ聞こえるように舌打ちをした。
これがセントキャヴィンの聖女である。まったく、まずは自分のそのどす黒い心を浄化してほしいものだ。
「見てくださる? これ、復活祭の衣装なんですのよ」
くるりと回って見せるマリアに、アーネスト様は「よくお似合いです」と返す。
ほんと、私とマリアで態度が違うんだな。って……なんでだろ、ちょっと胸が痛い……?
「あの、アーネスト様。私、ちょっと外の空気を吸ってきてもいいですか?」
聖堂の空気にあてられて、というのもあったが、単にここにいたくなかった。
「行くぞ」
ひとりで行くつもりだったのだが、アーネスト様は私の背に手を添えて歩き出そうとする。
「え、アーネスト様? アーネスト様はどうぞ、ここに残って……」
「監視役が必要だろ」
「ええー……ここまで一緒にいて、まだ信用されていないんですか、私……」
ひどい、というかちょっと傷つく。がっくしと肩を落としていると、マリアの声が響き渡った。
「アーネスト様、そのアンデッドに気を許しすぎでは? アーネスト様がお優しいのはわかりますけれど、気遣う価値のない存在です」
足を止めたアーネスト様は、深いため息をついた。そしてマリアを振り返るや、圧のある笑みを浮かべる。
「聖女には人の心まで縛る権利がおありで?」
「え……」
「誰を信じるか、誰を気遣うかは、俺が決めることだ。俺のためにいらぬ気を揉まずとも結構、そのぶん民を思っていただきたい」
再び歩き出したアーネスト様は、どこか不機嫌そうだ。その場に残されたマリアはというと、ショックを受けたように立ち尽くしていた。
「アーネスト様、あんなこと言っちゃってよかったんですか?」
「いくら聖女が貴重な存在だからと言って、敬う気の起きない人間を立てるほど、俺は人間できていない」
アーネスト様の権力に屈せず自分の意見を貫けるところは、憧れる。前世の会社にアーネスト様みたいな人がいてくれたら、頼もしかっただろうな。
そんな〝もしも〟を考えながら、私たちは大聖堂の庭にある大きな木の下に座った。
「アーネスト様、少し横になってもいいですか?」
大聖堂は教会の何倍も神聖な気が漂っているのか、アンデッドにはなかなか毒だ。
私が横になろうとしたとき、アーネスト様に肩を引き寄せられた。バランスを崩した私は、そのままアーネスト様の膝に頭を乗っけるような形で倒れてしまう。
「何事ですか!」
「いいから、じっとしてろ」
アーネスト様に頭を押さえられ、私は膝枕をしてもらうことになった。落ち着かないけど、でも……身体はこれ以上、起き上がりたくないと言っている。
「すみません……足、しびれちゃうかも……アーネスト様が立てなくなったら、私……アンデッドパワーでアーネスト様のこと、運び……ますから……」
「枢機卿がお前みたいなちっこい女に運ばれていたら、絵面的にまずいだろ。ふざけたこと抜かしてないで、いいから寝ろ」
アーネスト様の指が私の髪を梳き始めると、うとうとしてしまう。落ち着く緑の香りに、アーネスト様のぬくもり。木陰の爽やかな風も手伝って、私は夢の世界に沈んでいった。
それから、どれくらい経っただろう。ひそひそと地下から声がした。それは這い上がってくるように近づいてくる。
「う……うう……ん?」
自分のうなされる声で起きた私は、ゆっくりと身体を起こした。まだ夢を見ているのだろうか、膝枕をしてくれていたはずのアーネスト様の姿がない。
「え……っ」
青かったはずの空が灰色の雲に覆われていた。ざわざわと木々が不気味な音を立てて揺れている。そのとき、ゴゴゴゴゴゴゴッと地響きがした。
「なに!?」
世界が激しく揺れ、芝生があったはずの大地に大きなひび割れがいくつも走った。
「い、いや……っ、なんなの? なんなの、これ……!」
こちらに向かってくる亀裂に、悲鳴をあげたそのとき──。
「イブ!」
強く肩を掴まれ、勢いよく振り向かされる。瞬きをすれば、世界は眠る前と同じ光景に戻っていた。
「お前、急に起き上がったと思ったら叫び始めたんだぞ。寝ぼけてんのか?」
「あ……い、今……地面にひびが……」
「ひび?」
アーネスト様は地面を見るが、そこにはなにもない。
「おかしいな、変な夢でも見てたんでしょうか、私……」
夢にしてはリアルで、私はアーネスト様の腕にしがみついてしまう。
「……体調が悪いから、嫌な夢を見るんだろう。先に邸に戻るか?」
「でも、レノの用事がまだですし……ひとり置いてくのもかわいそうなので、もう少し待ってませんか?」
「かわいそうって、お前な。レノは子供じゃないんだぞ」
「でも、たぶん、ものすごおおーく寂しがると思うんですよね」
前にも私とアーネスト様が話しているときに、レノは寂しそうにしていた。私とアーネスト様が先に帰ったと知ったら、しょげてしまうだろう。
「まあ、お前がいいならいいが……」
浮かない顔をするアーネスト様に、私は笑みを返す。
「イブさん、アーネスト」
するとそこへ、サミュエル教皇がやってきた。その後ろには、クリストファー様もいる。
「お久しぶりです!」
元気よく頭を下げると、アーネスト様は心配そうに私を見つつふたりに会釈をする。
「クリストファー様、いつも可愛い贈り物、ありがとうございます」
「……いや、先日グローブが届いた。付け心地もいい、感謝している」
目を逸らしながらそう言ったクリストファー様の手には、私が贈ったグローブがはめられていた。
わっ、うれしい! 選んだ甲斐があったなあ。なんか、父の日のプレゼントを贈った娘の気分。
お互いに恥ずかしくなりながら、ほっこりしていると、アーネスト様が「父上……」と険しい声音で呼んだ。
「どういう風の吹きまわしですか。あれだけアンデッドを嫌っていたのに」
「俺は恩は返さないと気が済まないタチなんだ」
腕を組み、つんと顎を上げるクリストファー様に、サミュエル教皇がくすくすと笑いだした。
「クリストファーは、娘ができたみたいでイブさんのことが可愛いんでしょう。初めは本当に感謝の気持ちからだったのでしょうが、今では贈り物を選ぶのを楽しんでいるようですし」
「サミュエル様……」
いらんことを言わないでください、というような目で教皇を見るクリストファー様はちょっぴり可愛い。
「なんだなんだ、みんなで固まってどうした」
今度はアレッサンドロ・ダレッシオ騎士団長とレノがやってきた。途端にクリストファー様は面倒なのが来た、という表情になる。
「クリストファーの新しい娘の話をしていたんですよ」
教皇の一言で、アレッサンドロ騎士団長は察したらしい。がっはっは!と笑いながら、クリストファー様の背中を叩く。
「酒場で一杯やったとき、イブ殿から貰ったグローブを数分おきに眺めてたからなあ」
「えっ、そうなんですか?」
驚きながらクリストファー様を見れば、「大げさな男だ」と渋い顔をしていた。
飲みに行くほどクリストファー様とアレッサンドロ騎士団長は仲がいいんだ。
ふたりの気兼ねない掛け合いを観察していると、レノがこっそり教えてくれる。
「ふたりは何度も大戦を乗り越えてきた仲らしい。セントキャヴィンの双璧とも言われている」
「そうなんですね……」
そんな私たちの会話が聞こえていたのか、教皇がふふっと笑いながら話に加わってくる。
「意外な組み合わせですよね。三十も過ぎて娘もいる私のことも、息子扱いです」
「お三方とも、長い付き合いなんですね」
羨ましいなあと思っていたら、ぐらりとめまいがした。すぐに気づいてくれたアーネスト様が抱き留めてくれる。
「イブ、顔色が悪くないか?」
レノに顔を覗き込まれ、私は苦笑いした。
「ちょっと変な白昼夢を見て……」
「詳しく話してくれますか?」
教皇の目が真剣なものになり、私はごくりと喉を鳴らす。先ほどの光景をそのまま伝えれば、皆が難しい表情のまま黙っている教皇を見つめた。
「……まるで、世界の崩壊の始まり……みたいですね」
「……っ」
生暖かい風、灰色の雲に覆われた空、世界に入る亀裂──全部、教皇の例えがしっくりくる。
そのとき、ビュオオオッと突風が吹いた。腕で目元を覆うと、「なんだ、これは……っ」とアレッサンドロ騎士団長の声がした。
皆が息を呑む中、私はゆっくりと腕を下ろす。すると、地面には木の葉でⅩ月XX日と書かれている。
「復活祭の日付……のようだな」
クリストファー様も恐ろしく厳粛した顔で日付を注視していた。
「イブさんの見るものには、意味があるのでしょう」
教皇は私に向き直り、ぽんっと肩に手を置いてくる。
「イブさんのような特別な存在が生まれたことといい、なにかこの地に危険が迫っているのかもしれません。とにもかくにも、イブさんは死に近い性質をお持ちなので、しばらくひとりでいないほうがいいでしょう」
アーネスト様とレノが頷いて応えたとき、足音が近づいてきた。
「皆様方、お揃いで」
にこやかに現れたのは、ブレイク様だった。条件反射で身震いする私の前に、アーネスト様とレノが立つ。
「ああ、ブレイク。復活祭の話をしていたんですよ」
教皇がさりげない話題で丸く収めようとすると、ブレイク様も特に気にした様子なく「そろそろですからね」と世間話のノリで返した。
でも、見守っているアーネスト様たちは警戒の棘を張っており、じとりと嫌な汗が肌に滲む。
「今日はイブ殿にお届け物だよ。これを渡してほしいって」
差し出されたのは、一通の手紙だった。
「モナハート家からみたいだね。玄関ホールで聖女に渡すよう頼まれたんだ」
「マリアから……」
見た感じ、普通の手紙みたいだし、それなら……と受け取る。
「では、失礼いたしますね」
ブレイク様は異端審問長官の職権を乱用し、セイレーンの声で洗脳してまで私の監視役になろうとしていたのが嘘みたいに、ひらひらと手を振りながらあっさり去っていった。
◇◇◇
邸の自室に戻ってから、私はすぐにブレイク様から渡された手紙の封を開けた。中に入っていたのは、メッセージカードだった。
【この運命を呪う──イブ・モナハート】
「え……」
差出人は自分自身だった。
私を脅かそうとしたマリアのイタズラ、もしくは私が会いに来る口実をブレイク様が作ろうとしたのか。ブレイク様は私が転生者であることを知っているし、この手紙の意味を尋ねに来るよう仕向けることもできる。
あとは──イブの魂が本当にこの世界に留まっているのか。
「イブ……」
アンデッドとしてこの世界にいる可能性を、どうして今まで考えなかったんだろう。
あり得ないことではない。実際、心残りを抱えて旅立てないアンデッドを何人も見てきた。
もし、イブの心残りがあるとすれば……。死んだあとも身体を好き勝手に使われている……怒り。
「私は……どうすれば……」
それからというもの、まるで警告とばかりに私は悪夢に悩まされるようになった。
復興祭の夜、私は顔の見えない民たちとすれ違いながら賑やかな町を歩いていて、そこで唐突に地震が起こるのだ。
大地がひび割れ、崩落し、そこから凄まじい瘴気とともに魔性の者が溢れ出す。
魔物に喰われ、魔女やアンデッド、悪魔に奈落へと引きずり込まれていく人々。聞こえてくる悲鳴に私は両耳を塞ぎ、崩れ落ちて、何度も願った。
──夢なら早く覚めて、と。
国が崩落する夢を見るようになったことだけでなく、イブの手紙のこともあり、自分を恨んでいるんじゃないかと思ったら眠れない日々が続いた。
そんなある日、夕食の席でハンバーグをナイフで切りながら「ふう……」と息をつくと、隣に座っていたレノがこちらを向く。
「眠れてないのか?」
「え……どうしてですか?」
目をぱちくりすると、レノの手が伸びてきて、私の下瞼に触れた。
「クマができてる」
思わずレノの手の上から下瞼を押さえれば、アーネスト様は目ざとく言い当てた。
「また悪夢を見たのか?」
「あ……はい……やっぱり、なにかよくないことが起こるんでしょうか……?」
「教皇もおっしゃっていたが、お前は闇の気を感じやすい。警戒するのにこしたことはないが、まずはお前の体調を整えることが先だ。明日、ケイレブのところに行くぞ」
「わかりました……」
夢を見ないくらい熟睡できる薬が欲しいよ。
疲労感が抜けないまま、ふと壁掛けの時計を見上げた。すると、針は夜の九時を指したまま止まっている。
「あれ、今って何時でしたっけ」
夕食のためにリビングに降りてきたのは午後七時くらいだったはず。それなのに故障しているのか、二時間も進んだまま止まっているのだ。
「何時って……」
と、コレットがヴェネットのほうに首を傾げ……。
「あの時計の通り」
と、ヴェネットもコレットのほうに首を傾げる。
「夕食の時間はいつも変わってないだろ」
アーネスト様にそう言われ、私は自分の目を疑った。でも、時計は夕食の七時ではなく、九時を指しているのだ。
そのとき、唖然としながら眺めていた時計に異変が起きた。その表面からじわりと赤黒い血のようなものが染み出る。
「なっ──、んなの……あれ……」
ぞっとした。溢れた血はそのまま下へと流れ、ポタポタと床に落ち、そこに水たまりを作って、つううっと私の足元に向かって垂れてくるのだ。
「きゃああっ」
悲鳴をあげながら立ち上がれば、ガタンッと椅子が倒れる。
コレットとヴェネットが「イブ様!」と驚きながら駆け寄ってきた。
「服は汚れていませんか?」
「火傷、してない?」
ふたりが心配してくれている。でも、皆が時計ではなく私を見て怪訝そうな顔をしているのに気づき、返事ができなかった。
もしかして、みんなには見えてない……? そんなはず──。
もう一度時計を見るが、もうあの血はなくなっていた。
あんな夢を見るから、きっと起きていても変な妄想をしてしまうんだ。
気のせいだと自分に言い聞かせていると、アーネストが小さく息を吐きながら頬杖をつく。
「なにが見えた」
「いえ、なにも……今のは、きっと気のせいです。ここ最近、眠れてなかったので……」
と言ったもの、アーネスト様はため息をついて席をたつや、私のほうへ歩いてきて、目線を合わせるようにしゃがんだ。
「気のせいでもなんでもいい。不安な気持ちを胸に押し込むな。吐き出せ」
手のかかるやつ、と言いたげに鼻を摘ままれ、私は小さく笑みをこぼした。アーネスト様は、なんだかんだ優しいのだ。
「実は……」
私は先ほど見たものをすべて話した。事情を知ったアーネスト様たちは、眉間にしわを寄せる。
「お前、最近アンデッドを見たか?」
「え……アンデッド、ですか?」
そういえば、いつもなら頼んでもないのに向こうからアンデッド絡みの事件がやってきていた。けれど、ベラさん以降はアンデッドに会っていない。
「その顔、見てないんだな」
「はい……」
それは心残りのあるアンデッドが少ないってことだ。いいことなのでは?と思ったのだが、レノも深刻そうに口を開く。
「騎士団のほうでも、アンデッド討伐の依頼が極端に減ったことを警戒しています。これまで有象無象にいたアンデッドが急激に姿を消すなんて、嵐の前の静けさ……としか思えない」
「うーん、どこへ行ってしまったんでしょうね」
首を傾げると、アーネスト様にピンッとおでこを指で弾かれた。
「あたっ」
「アンデッド探知機には、まったく引っかからないのか?」
私はおでこをさすりつつ、目を閉じてアンデッドの気配を探ってみる。ピィィンッと神経の糸が遠くまで張られるのを感じたが、やはりその存在を確認できない。
私は瞼を開き、首を横に振った。
「いいえ、まったく」
「そうか。アンデッドだけでなく、異常気象も続いている。嫌な感じがするな……ともかく、お前はひとりになるな。いいな?」
アーネスト様の言う通りだぞと、レノも念を押すように頷く。
「はい……」
私は消えない不安を抱えながら、そう返した。すると、レノがなぜか自分のデザートが入った皿を私のほうにすうっと押し出す。
「うまいものを食えば少しは気分も晴れる。食欲がないなら、食べたいものをたらふく食べたらいい」
「レノ……」
コレットとヴェネットも「好きなものをリクエストしてくださいね!」「おかわりならある」と、言ってくれた。
アーネスト様は「それもそうだな」と言って部屋を出ていくと、少ししてティーカップを手に戻ってきた。
「ほら」
アーネスト様が私の前に置いたのは、ミルクティーが入ったカップ。
あ……これ、レノとぎくしゃくしてたときに、アーネスト様が淹れてくれた……。
カップを持って顔を近づけ、すうっと香りを嗅ぐ。
優しいミルクと、すっきりする紅茶の匂い……落ち着く……。
口をつけたら、温かさにほっと息をついた。私はアーネスト様を見上げ、笑みを浮かべる。
「私、この世界でいちばん好きな飲み物が、ミルクティーになりました」
「……っ、そうか」
アーネスト様は一瞬、面食らった顔をした。そのあと、少し照れくさそうに目元を細めて笑う。
「みんな、ありがとうございます」
みんなの優しさが身に染みて、ちょっぴり涙が出そうになった。
◇◇◇
復活祭の夜、教会の仕事がひと段落したのを見計らい、私はアーネスト様とレノと一緒に町に来ていた。
露店やナイフのジャグリングを披露する旅芸人などで賑わっている町は、世界の崩壊なんて絵空事だというように私を安心させてくれた。
「イブ、これを」
レノが私の前に差し出したのは、鳥の飴細工だ。しかも……。
「フェニちゃんにそっくり!」
「ピイッ!」
フェニちゃんが同意するように鳴く。
私は飴細工を受け取り、お店の明かりに透かして見た。ルビーを溶かしてできたような飴細工に心が躍り、私はレノを振り向きながら声を弾ませる。
「食べたらかわいそう。ずっと飾っていられたらいいのに……」
「っ……今度、そいつにそっくりのガラス細工でも探してくる」
頬を赤くしながら、小さく笑みをこぼすレノ。
「そのときは私も一緒に行きたいです」
そう返せば、なぜかレノは目を丸くして固まり、「それはつまり……つまり……つまり?」とぶつぶつ呟いていた。
「──イブ」
名前を呼ばれて振り返れば、口になにかを押し込まれる。「んぐっ!」と悲鳴をあげつつ咀嚼してみると、どうやら紅茶のクッキーだった。
「もぐもぐ……おいひい……ん、でもアーネスト様、その食べさせ方はどうかと……んぐ、思います」
「鳥のエサやりだ」
「はい?」
「その飴細工、食べられないくらい気に入ってるみたいだからな。お前も鳥の仲間なのかと」
ふてぶてしい理由に、私はじとりとアーネスト様を睨む。するとアーネスト様がずいっと顔を近づけてくる。
「お前はいつもそうだ。俺に対してだけ、やたらけんか腰になる」
「それはですね、アーネスト様が怒らせて──」
怒らせているんですよ、と言おうとしたのだが、できなかった。アーネスト様の舌が、私の唇の端を舐めたからだ。
「んな!」
「クッキーのカスがついてた。子供じゃないんだから、ちゃんと食え」
「いやいやいや、アーネスト様が食べさせたんじゃ……って、そうじゃなくて! 今、なにしてくれちゃってんですかっ」
顔どころか、身体までかあっと燃えるようだった。
「別に……憂さ晴らしだ」
そう言って、ちらりとレノに視線をやったアーネスト様。レノはというと、真剣に見つめ返している。
これは、まさか……。
「ああ、なるほど! へえー、わかりましたよ、なんでアーネスト様がイライラしてるのか」
「ほう? 鈍感だとは思っていたが、ようやくか」
にやりとするアーネスト様に、私はふんっと鼻で笑う。
「つまりあれですね、レノを私に取られたみたいで寂しかったんでしょう? いい歳して友達とられちゃったとか、そういうの気にするタイプだったんですね!」
「…………」
「嫉妬なんて、可愛いところもあるんですね! アーネスト様」
アーネスト様は無言でうつむき、なにやら不穏な様子でぶるぶると小刻みに震えだした。
「アーネスト様?」
その顔を下から覗き込めば、アーネスト様がぎろんぬっと目を化け物のごとく光らせる。
「お前は鈍感を通り越して、阿呆アンデッドだ。どうしたら、そんなポンコツな頭になる」
ぐりぐりと拳で頭を挟まれ、私は痛みに悶えた。
「ぎやああああああっ! 鬼畜っ、この暴力男っ」
騒いでいる私たちに、レノは片手で顔を覆いながらため息をこぼしていた。
お互いに髪はぼさぼさ、服はよれよれ……ボロボロになった頃、冷気を感じて振り返る。通り過ぎようと思った路地に人影を見たような気がして、私は足を止めた。
今の、まさかアンデッドじゃ……。
「アーネスト様、レノ──」
ふたりに教えようと思ったのだが、私がよそ見をしている間にはぐれてしまったようだ。
どうしよう、この人混みじゃふたりを探すのに時間がかかる。
でも、やっと見つけたアンデッドだ。アンデッドが姿を現さない理由を聞けるかも……。
ちょっとだけ、と私は路地に向かって駆け出す。
「あのーっ、アンデッドさーん!」
真っ暗な路地を進んでいくと、ようやくローブを着た小柄な人の背に追いつく。
「はあっ、はあっ、はあっ……あの、ちょっと止まって!」
冷気を感じる。だからアンデッドに間違いはないはず。
もう一度、「アンデッドさーん」と声をかければ、ゆっくりと振り返った。その顔を見て、息が止まりそうになる。
「え……な、んで……」
『初めまして……と言うべきなのかしら』
乏しい表情、抑揚のない声、虚ろで物悲しげな瞳をした──イブ・モナハートがそこにいた。
彼女の足元から禍々しい瘴気が溢れ出し、私に巻きついてくる。
「ううっ……」
遠のく意識に崩れ落ちていく私を彼女は冷ややかに見降ろし──。
『この運命を呪う』
あの手紙と同じ言葉を彼女は紡いだ。
◇◇◇
「ん……んん?」
目が覚めると、私は教会の祭壇の前にいた。壁には見覚えのある旗がいくつも下がっている。
あの旗……どっかで見たことあるんだよなあ……あ。
「ノールバラ教会!」
「元気な目覚めだね、イブ殿」
「ブレイク……様……? どうしてここに……」
礼拝堂の横の扉から入ってきたブレイク様が、祭壇の前までやってくる。
「いや……イブ殿だと、どっちに話しかけているのかわからないか」
ブレイク様は私の背後に視線を投げた。礼拝堂の正面扉から入ってきた彼女は、被っていたフードを脱ぎ去る。
「あなたは……!」
『イブ・モナハート、あなたの身体の本当の持ち主よ』
私は神々しいステンドグラスの光を浴びて立つブレイク様と、影が差している場所で足を止めた彼女に挟まれながら頭が真っ白になっていた。
「あの手紙……本当の本当にイブ、あなたが私に書いたものだったの?」
『……不思議なものね、感情豊かな自分を見るのは』
私の質問に答える気はないのか、会話が嚙み合わない。彼女は私を観察したあと、ブレイク様を見た。
彼女の視線を受け、ブレイク様は頷く。
「ブレイク様……彼女が……イブが見えるんですか?」
「ああ、アンデッドが見えることに驚いているんだね。ふふ……彼女はすでに堕ちるところまで堕ちてる。だから、皆にも目視できるよ」
「でも、狂暴化しているようには……」
「アンデッドが皆、魔物のような獣に成り下がるわけじゃない。優秀な個体は、もっと優れた悪魔や魔女にもなれるということだね」
「じゃあ、イブは……」
彼女を振り返れば、その身体が邪悪な黒の光を帯びている。髪がふわりと浮き上がり、凄まじい冷気を感じた。
「彼女も僕も、虐げられた者同士意気投合してね」
ブレイク様に視線を戻す。ブレイク様は手でワインレッドのほうの目を覆い、不気味に口端を上げていた。
「〝魔女〟になった彼女と手を組んだんだ」
「魔女……?」
振り返るより先に、イブは陰から出てブレイク様の隣に立つ。
『世界を正しい形に導くために』
「……!」
どこかで聞いたことがあるセリフだった。どこで、だっけ……。
『イブ殿、きみこそこの世界の救世主になり得る存在。私ときみで、ともに世界を正しい形に導くんだ』
そうだ、ブレイク様の口から聞いたんだ。
「それは……混沌をもたらすため……ですか」
「覚えてくれていたんだね、闇の聖女殿。そう、イブ殿と虐げられてきた者たちが泣きを見る世界を壊してしまおうって悪巧みをね、したんだ」
顔を上げたブレイク様は目を覆っていた手を退けて、下瞼に指で触れながら微笑んだ。
──まるで、異端だと蔑まれた瞳を理不尽な世界に見せつけるように。
ブレイク様は言っていた。魔性の者たちが等しくこの地上に存在すれば、共存の道も開けるかもしれない、それで世界が混沌の海に沈もうと構わないと。
「私たちの願いを叶えるためには、きみが必要でね」
「なに、言って……そんなことに協力できません!」
「悪いけど、きみの意思は関係ないんだ。──さあ、こっちにおいで」
甘美な声……ダメ、だ……頭がくらくらしてきた……。これ、ブレイク様の聖遺物の力だ……。
私の身体は意思に反して、ブレイク様のもとへと向かっていく。その腕の中に収まった私を後ろから抱きしめたブレイク様は、すうっと頬を撫でてきた。
「──さあ、呼びかけて。きみの声に魔性の者たちは応えるはずだ」
◇◇◇
凄まじい地響きとともに世界が揺れ始めたのは、イブがいなくなってから数刻ほど経ったあとのことだった。
ゴーン、ゴーンと教会のベルがいっせいに鳴り出す。広場の時計台を見れば、午後九時を指し示していた。
「これは……っ」
レノが目を見張ったのも束の間──。迫ってくる亀裂を避けて、アーネストとレノは大きく飛びのいた。その裂け目からアンデッドや魔物たちが這い出てくると、民は悲鳴をあげながら逃げ惑う。
「くそっ……次から次へと面倒が重なるな。これほど探してもイブがいないとなると、考えられるのは……」
アーネストの頭をよぎるのは、最悪のシナリオだ。イブが見た悪夢が現実になろうとしている。それを引き起こす人間がもしいるのだとしたら、この世界を壊したいと願う者の仕業だ。
『ブレイク様は瞳のことで、ひどい差別を受けてきたんだそうです。だから、私を気にかけるのは同族に対する仲間意識……みたいなものかと。それから、それが本当にブレイク様の目的かどうかはわかりませんけど、虐げられてきた者たちや魔性の者たちが等しく存在する平等な世界を作りたい……そんなようなことを言ってました』
イブが話してくれたブレイク・ノールバラの目的。自分を蔑んだ者たちを許さない、平等な世界。それを作り上げるためには、イブの魔性の者を引き寄せる力が必要だ。
「望むのは混沌、か……」
「アーネスト様?」
「レノ、イブの居場所がわかった。ついてこい」
西へと歩き出すアーネストの後ろをレノがついていく。
「はっ。ですが、一体どこに……?」
その問いにアーネストはすっと目を細め、目的地のある方角の空を睨みつけた。
「ノールバラ教会だ」
ノールバラ教会に辿り着くと、アーネストが想像していたよりも深刻な光景が目に飛び込んできた。
「西枢機卿! ……と、イブが……ふたりいる……?」
レノが困惑の声をもらす。
ブレイクの腕の中で瘴気に包まれながら宙に浮かんでいるイブ。その目に光はなく、虚ろだった。そして、彼らの横に黒いローブを身に着けたもうひとりのイブが立っているのだ。
アンデッドの気配に近いが凄まじい瘴気を纏い、目視できるほどの力を持っていることからするに、彼女は恐らく──。
アーネストは奪われたイブが気がかりではあったが、要注意人物であるもうひとりのイブから目を離さずに口を開く。
「魔女、か……なぜイブと同じ顔をしている」
「魔女……! 最優先討伐対象ですね」
レノはデュランダルの長剣を抜いた。レノが警戒するのも無理はない。魔性の者の中で最も恐れるべきは、魔女や悪魔と言った知恵のある魔性の者だ。それでいて欲望に忠実であるために残酷であり、教会では最優先討伐対象とされている。
『それは、私こそが本当のイブ・モナハートだからよ』
イブの魂が本当のイブでないことを知っているアーネストは、ようやく腑に落ちる。
「お前たちは虐げられた者同士、この世界の在り方を変えるつもりだな。そして今度は、人間を虐げるつもりか」
アーネストはアダマスの鎌を出現させ、構えた。
「アーネスト様、それはどういう……」
「お前に報告するのが遅れて悪かった。簡単に言えば、俺たちが接してきたイブは、本当のイブではない。別世界から闇出づる聖女として選ばれた魂が、亡くなった本当のイブの身体に入り込んだ。それが今のイブだ」
「なっ……別世界から? 噂に聞くイブとは似ても似つかない振る舞いをしていたのは、それが理由だったのか……。ですが、闇出づる聖女というのは……」
それに答えたのは、ブレイクだった。
「闇を鎮める力を持つ、この世界を救ったもうひとりの聖女だよ。彼女のおかげで、彼女が存在した数年間は再び闇が暴れ出すことはなかったんだ」
アーネストは眉を顰める。
「彼女が存在した数年間は?」
「そうだよ。彼女が闇に属する聖女だったがばっかりに救った人間に処刑されてから、少しずつ長い年月をかけて魔性の者がこの地を襲うようになった。まあ、自業自得だけれどね」
肩を竦めながら笑い、ブレイクは腕の中のイブに視線を落とした。そのとき、バンッと教会の扉が開く。
「いましたわね、諸悪の根源!」
現れたのはマリアとサミュエル教皇、そしてクリストファーだった。
「やっぱり、あなたは魔女だったのね! わたくしのルクティアで消し去ってさしあげ……ます、わ……?」
マリアはイブがふたりいるのに気づき、「どうしてイブがふたりいるのよ!」と怒る。理解の許容量を超えて、パニックになっているようだ。
「マリアさん、ローブを着ているほうのイブさんは魔女になったあなたの本当の妹さんです。そして、葬儀のあとから私たちが接してきたほうのイブさんが別世界から転生してきた闇の聖女になります」
「や、ややこしいですわね……だいたい、わたくし以外の聖女がいるだなんて聞いていませんわ!」
「伝説が風化してしまったばっかりに、皆は認知していませんが、聖女はふたりいるんですよ」
教皇はマリアに言い聞かせる。
「教皇! こんなところにいらしては……!」
レノが血相を変えて声をあげるが、サミュエル教皇は「いいんです」と前に出た。
「イブさん……」
教皇は彼女を案じるように見て、それから弟に視線を移す。
「ブレイク、あなたはその目のせいで『異端の子』と指をさされて育ちましたね。それがこの世界を憎む理由ですか?」
教皇はこの件に弟が関わっていることを見抜いていたような口ぶりで、そう問いかけた。
「サミュエル教皇……いや、兄上。そうですよ、そして容姿や権力ともに欠陥のなかったあなたのことも恨んできた。あなたが私を気遣うたび、私がどんなに惨めだったか、あなたにはわからないでしょう」
「ブレイク……」
ふたりの会話を聞いていたアーネストは、はっと吐き捨てるように笑った。
「それで見下されたと思ったんなら、とんだ被害妄想野郎ですね」
いつもなら教皇の御前で、しかも皇子であるブレイクを侮辱する息子をクリストファーは許さなかっただろう。だが、今回ばかりは息子と同意見なのか止めることはしなかった。
「人の好意の真意も見抜けない、猜疑心だらけの自分を変えてこなかったあんたは愛されることしか考えない、ただの自己中だ」
「なんだって?」
ブレイクから笑みが消え、静かな怒りを低い声音に乗せる。
「自分を認めない人間を、世界を否定して、いい歳して惨めだって言ってんだよ」
『……所詮、なにもかも持っている人間にはわからない感覚なのよ』
イブの感情が凪いだような目に見つめられたアーネストは、胸が締めつけられるのを感じた。
違うとわかっていても、やはりイブと同じ顔をしているので、まるで彼女自身が傷ついているように思えてしまうのだ。
「そうやって、勝手にいじけて人を寄せ付けなかったのはお前たちだろ。グレた子供の癇癪に、世界を巻き込むな」
黙って聞いていたレノが「そうですね」と言い、一歩前に出る。
「少なくともイブは、自分を受け入れない世界に傷ついても、人と関わることをやめなかった。相手を理解しようとした、真心を忘れなかった」
「そうだ。だから、あいつは受け入れられたんだ。虐げられた過去が同じでも、お前たちとイブが決定的に違うのは……」
ぐっと鎌の柄を握りしめ、アーネストは強く大地を蹴る。
「そこなんだよ……!」
大きく振り下ろされた鎌。魔女になったイブは両手を前に出し、瘴気の壁で弾く。ちっと舌打ちしながら後ろに飛びのいたアーネストに、ブレイクは呆れるような笑みを浮かべた。
「意外だな、アーネスト殿は冷静に見えて激情家だったんですね。それとも、イブ殿が絡んだとき限定ですか?」
ブレイクの言うとおりだった。イブがいなくなってから、アーネストは冷静そうに見えてずっと気が動転していた。本来なら民の避難を優先させなければいけなかったのに、イブを助けにここへ乗り込んでいた。
もう気づかないふりはできないと、アーネストはぐったりしているイブを見つめ、胸の中にあった想いに名前をつける。
──イブを好いている、と。
そして、間違いなくレノも自分の心の傷を癒したイブを想っている。
「……そうだな、そいつのことになると、なにをしでかすかわからない。それがわかってるなら、覚悟はできてるんだろうな」
アーネストの鎌がアメジストの光を纏い、炎のように燃え上がる。
「そいつがアンデッドと人のためにどれだけ心を尽くしてきたのかも知らないで、そいつを人とアンデッドを争わせる作戦に加担させた。その罪を神に泣いて乞え」
くるりと鎌を一回転させ、アーネストは腰を低くすると、相手の隙を窺った。
「事を終えたらいくらでも懺悔して差し上げますよ。いい具合にアンデッドたちも集まりましたし……そろそろ、私の歌で踊ってもらいましょうか」
そう言って、ブレイクは歌を奏でた。その瞬間、教会の壁をアンデッドが突き破ってくる。
「──サミュエル様」
教皇を守るようにクリストファーが前に立ち、ロンギヌスの槍を振り回して周囲のアンデッドたちを一掃した。
「クリストファー、町へ行ってください。これは災禍の七日間に匹敵する……いや、それ以上の被害が出るでしょう」
「いいえ、私はここに残ります。町のほうはアレッサンドロが指揮を執っているのでご心配なく。あの男なら、うまくやるでしょう」
クリストファーが相棒と唯一認めたのがアレッサンドロであった。それを知っている教皇は、「すみません」と苦笑いした。
「弟のことで、焦っていたようです。クリストファーの認めたアレッサンドロがいるのなら、大丈夫でしょう。今、私がすべきは身内の不始末に方をつけることです」
セイレーンの声で闇の聖女を操り、世界を壊そうとする弟にサミュエル教皇は聖書を持つ手に力を込める。
「この世界のアンデッドも、ブレイクも……闇の聖女に救いを求めているのです。だからどうか、イブさん──」
◇◇◇
『──目覚めなさい。皆があなたを待っていますよ』
ひらりと赤い羽根が視界をよぎった気がした。
全部見えているのに、自由を奪われていた私の耳に届いたのは、どこかで聞いたことがある男とも女ともとれる中性的な声。他の皆には声が聞こえていないのか、誰も反応していなかった。
『知覚を完全に支配されなかったのは、レノ・スチュアートが施した守りの祝福のおかげでしょう』
この声……思い出した。私が異世界に来たときにも聞こえた……。
声のおかげか、思考にかかっていた靄が晴れ、少しずつ意識がはっきりしてくる。
耳飾りが淡い水色に光ってる……レノの祝福がどうのって言ってたけど、まさかこの光が私を守ってくれていた……?
『とはいえ、枢機卿の力を完全に防ぎきることはできません』
枢機卿……そうだ、町はどうなってるんだろう。
今までアンデッドを見なかったのは、ブレイク様の力でここに引き寄せられていたからだ。
そして私のことも利用し、アンデッドをさらにこの地に呼び込んでしまった。集まったアンデッドたちをブレイク様の声で操れば、人を襲わせることもできるだろう。
白昼夢で見た世界の崩壊が始まってしまったんだ……止めなきゃいけないのに、こんなときに身体が動かないなんてっ。
アンデッドにも人にも傷ついてほしくないのに、と涙がこぼれる。
「きゃーっ、誰かわたくしを助けなさいっ」
マリアの悲鳴が聞こえた。マリアは頭を抱えて、しゃがみ込んでいる。そんな妹を本当の姉であるイブは冷たい眼差しで見下ろしていた。
『無能はどっちなの。聖女なら、わたくしの闇も払ってみせたらどうですか?』
「なっ……出来損ないのくせに、生意気ですわよ!」
マリアが両手を前に出し、姉めがけて「光のルクティアよ!」と力を放つ。
しかし、魔女になったイブの力はそれ以上だった。迎え打つように彼女の手から飛び出した瘴気の洪水は簡単に光を消し去り、そのままマリアをも飲み込もうとする。
やめて……っ、ふたりは姉妹なのに!
誰か止めてと願うことしかできない。そんな無力感に押し潰されそうになった私の心を救ってくれたのは、アーネスト様だった。
「レノ!」
アーネスト様の一声で主の命令を察したレノは、駆けながら叫ぶ。
「──聖痕よ。我に奇跡の顕現を!」
自分に守りの加護を付与し、迫りくる瘴気の前に躍り出た。
「はああああああっ!」
デュランダルの不滅の刃が瘴気をふたつに叩き切る。左右に割れた瘴気は、壁に大きな穴を開けた。
「レノ、さすがは騎士ね! わたくしが浄化をする間、守っていてくださる?」
「聖女、危険です。あなたは下がっていてください」
レノは理由を言わなかったが、あの程度のルクティアではとても魔女になったイブには叶わない。
『無能はどっちかしら。マリア姉様は、風前の灯火のように弱いルクティアを受け継いだだけで、アンデッド一体すら自ら倒すことができない。教会のお飾りでしかない。それなのに無意味に大事に守られているだけの無能聖女。真の聖女は──わたくしの身体に入っている魂のほうよ』
魔女になったイブが私を見た。
ああ、私……この目を知ってる。
前の世界で、誰かに無能だと言われるたびに擦り減っていった心。鏡で見た自分の瞳は、今目の前にいるイブと同じように虚しかった。
私もイブも一度は死んでいる。けれど、なんの因果か、なんの奇跡か、二度目の人生をここで送っている。
世界に絶望し、自死したのも同じ。憎しみも悲しみも抱えてこの世界にいるのに、私とイブは真逆の道を歩いている。それは、どうして──。
『人間は弱いものなのです。自分を傷つけた者を許せない、怖がる。だから……愛せない』
目の前にぱたぱたと翼をはためかせて下りてきたのは、フェニちゃんだった。
さっき私に話しかけてきたのって……まさか、フェニちゃんなの? 私を異世界に連れてきたのも……。
『でも、あなたは違う。あなたは傷ついても信じる、傷ついても向き合うことを諦めない』
それは違う。私はイブのおかげで、二度目の人生をやり直すチャンスをもらえた。だから、身体をくれたイブのぶんまで生きようって思えた。
この世界の人たちに、アンデッドたちに出会って命の尊さを知って、今を一生懸命に生きようって考え方ができるようになったんだ。
魔女になってしまったイブだって、きっと二度目の人生が誰にも見えないアンデッドじゃなかったら、私と同じ境遇だったら、変われてた。
私にとってイブは、もうひとりの自分。辿るかもしれなかったもうひとつの未来。他人事のようには思えない。
『闇出づる聖女、覚醒の時が来たのです』
フェニちゃんがバサリと宙へ飛ぶ。
私が闇出づる聖女なら、私の慈悲はもうひとりの自分と、この地にいるアンデッドたちに──。
トクントクンと、ない心臓の代わりに心が鳴り出す。淡い黄金の光に包まれた私を皆がなんだ?と驚いたように振り返った。
フェニちゃんが私の周りを旋回し、炎へと姿を変える。私を捕まえていたブレイク様は、「……っ」と慌てて距離をとった。
私は目を閉じて両手を広げる。力の放流に身を任せれば、徐々に自由が戻ってきた。
やがてフェニちゃんの炎と黄金の光が混じり合い、燃えるような赤い光焔(こうえん)となる。
「あれは……闇のルクティア! 女神ルクレーティアの化身である鳳凰に導かれて、ついに目覚めたのですね」
教皇の言葉に、私は自分の両手を見つめた。
マリアの白いルクティアの輝きとは違って、私の闇のルクティアは真っ赤だ。まるで、燃える命そのものだと思う。
「イブ……自分の生に意味を見出せなくて、魔女としてこの世界に残っていても自分が聖女の器でしかなかったって、ずっとずっと嘆いていたの?」
祭壇の前で、私はもうひとりのイブと向き合っていた。
『わかったようなことを言わないで。初めから持ってる人間には理解できない感情よ』
「私も……転生するまで、なにもなかったよ。どこにいても無能だって笑われて、邪魔者扱いされてきた。それで耐えきれなくなって……自死した」
誰にも話していない前世のこと。アーネスト様たちは息を吞みながら聞いている。
「あなたも同じように自死したことは、記憶を共有していたから知ってる。あなたの記憶を持って、ますます私みたいだなって思った」
『でも、同じなのに、わたくしたちの辿った未来はこんなにも違う。あなたは聖女で、わたくしは魔女だわ』
つうっと涙を流すイブに、私はゆっくりと近づいていく。でも、イブは私を恐れるように後ずさる。
「……そんなふうに自分を蔑まないで、イブ。無能だ、アンデッドだって言われ続けてきた私が聖女になれたのは、あなたのおかげなんだよ?」
『え……私、の……?』
「うん、あなたがこの身体を残してくれたから、私はこの世界で生きることができた。来世では誰かに必要とされる存在になりたいって……その願いを叶えることができた」
私に『ありがとう』と言ってくれた人たちの顔が頭に浮かぶ。
「でもね、魔女になってしまったイブだって、きっと二度目の人生が誰にも見えないアンデッドじゃなかったら、私と同じ境遇だったら、立場は違ってたと思うんだ」
怯える彼女をぎゅっと抱きしめれば、その身体が震えた。
「だから、あなたが望むならこの身体を返します。それで、私が経験させてもらったうれしこと、楽しいこと、ドキドキしたこと……全部、もう一度感じてほしい」
それを聞いたレノは「イブ……」と切なげに私の名を呼んだ。
アーネスト様は止められないことを悟っているのか、痛みを堪えるように目を伏せ、拳を握り締めている。
「……惑わされてはいけない、イブ。きみは忘れられるのかい? あの屈辱を、あの憎悪を! 自死するまでに追い込んだのは、この世界じゃないか!」
ブレイク様は両手を広げ、大きな身振り手ぶりで必死に勧誘しようとする。でも、イブが迷うように視線を彷徨わせているのに気づき、ギリッと奥歯を嚙み締めた。
「今さら、途中離脱なんてさせない……きみには世界を壊してもらわないと」
ゆらりゆらりと揺れながら、ブレイク様が近づいてくる。その憎悪に引き寄せられるように、イブが纏っていた瘴気がブレイク様に移っていった。
「ブレイク!」
教皇も駆け寄ろうとするが、「いけません」とクリストファー様に腕を掴まれる。
瘴気は膨大に膨れ上がり、また大きな地響きがした。そのまま、ガコンッと私とイブ、そしてブレイク様の足元が崩れる。
「え……」
丸く開いた穴に落ちていく身体。アーネスト様とレノがこちらに走ってきて手を伸ばすが、あと一歩のところで届かなかった。
「闇の聖女さえいなければ、もう魔性の者たちを鎮めることはできない。これで私の悲願は叶った……!」
あはははははっと狂ったように笑いながら落ちていくブレイク様と、「きゃあああああああっ」と悲鳴をあげながら奈落に吸い込まれていく私。
そうだ、イブとブレイク様は!?
落下しながらとっさに閉じていた目を開けて、ふたりを探すと、少し下のほうにいた。
「……っ、どうしたら……っ」
そのとき、「ピイーッ」と声がして上を見れば、フェニちゃんが追いかけてきた。その勢いのまま私にぶつかり、ぶわっと光焔となって私を包み込む。
『──イメージしてください。闇のルクティアを翼のように動かすのです』
フェニちゃんの言うように、力を両手に集めていき、バサッとはためかせてみる。すると、わずかに身体が浮き上がる感じがした。
「こ、こう? ……うん、なんとなく掴めてきたかも!」
何度かルクティアで作った光焔の翼を動かすと、炎でできているからかバチバチ火花が散る。その火力を生かすように、勢いよくふたりのもとへと飛んだ。
「イブ、ブレイク様! 私たち、今までたくさん酷い目にも遭ってきたし、一回死んじゃうくらいつらい思いもした! なのに、まだ苦しんでる!」
ふたりはぼんやりと、生気のない目で私を見つめている。その瞳に光が戻るようにと、私は語りかけ続けた。
「もう、私たち幸せになってもいいじゃない! 傷つけられた過去は消えなくても、幸せは今からいくらでも作れるんだよ!」
「幸せってなに? 私はどうせ、ここで生きながらえても異端審問にかけられて火あぶりだよ。なんせ、魔女と結託して災禍を引き起こしたんだからね。それなのに幸せになんてなれるはずがない」
ブレイク様は自分を嘲るように笑う。
「そのときは……許してもらえるまで、この町の人のためにできることをしましょう。その方法を私も一緒に考えますから!」
「きみは……」
ブレイク様は理解できない、という顔をした。
「……きみは、私を恨んでいないのかい? 私はきみを使って、自分の理想の世界を創ろうとした。その結果、国を危険にさらしたんだんだよ? それとも、自分のされたことを理解していないだけ?」
「ブレイク様、わかりませんか? 私も、傷ついたことがあるからです。誰かに必要とされたいという願いが、今回のことを引き起こしてしまったのなら……私はブレイク様を責められません。私も一歩間違えれば、ブレイク様と同じことをしていたかもしれないから」
もし、前世の世界に悪霊として残れたとしたら。私はきっと、自分を傷つけた同僚に復讐してやりたい、世界を壊してやりたいと願っただろう。
でも、私はあの世界ではなく新しい自分になってこの世界でやり直すことができた。前世での恨みはこの世界には関係ないことだから、前を向けた。
道を踏み外さなかった理由は、たったそれだけの歯車の違いなのだ。
「イブ、ブレイク様! 私が誰かを憎まずにいられたのは、そばにいてくれる人がいたから。こんな私に『ありがとう』って言ってくれる人がいるって知ったからなのっ、だから今度は私があなたたちと一緒にいる!」
どうか、この手を取って!
両手をふたりに差し伸べれば、イブとブレイク様は見開いた瞳から涙を流した。そして、躊躇うように、縋るように、私の手を取る。
「よしっ、上に行きましょう!」
不思議、転生前の世界ではすべてを諦めて飛び降りたのに、今は生きるために舞い上がろうとしているなんて。
そのとき、後ろからアンデッドたちのうめき声とともに、黒い手がいくつも伸びてきた。
「このままでは追いつかれる! きみまで、奈落に落ちることになるよ!」
『私たちのことは離して……っ』
この期に及んでそんなことを言うふたりに、私は「嫌です! 一緒にいるっていったでしょう!」と説教した。
そのままアンデッドの手を避けつつ、一気に地上に出る。
「ゴール!」
十字架を背に「戻りました!」と笑えば、アーネスト様とレノが心底安堵したような顔をした。
「お前……本当に聖女だったんだな……」
目を細めて私を見上げていたレノが呟く。
「十字架を背に赤く強く輝く翼……あれを見て、イブを悪魔だ魔女だのと罵る人間は、もういないだろうな」
アーネスト様も賛同するようにそう言い、一歩前に出て両手を広げた。
「いつまでそこにいるつもりだ。早く帰ってこい」
「そうだ、もっと近くで顔を見せてくれ」
レノも私に手を差し伸べ、その口元に笑みをたたえる。
帰る場所をくれたアーネスト様たちに胸が熱くなった。
「……っ、はい!」
アーネスト様とレノの前に降り立てば、ふたりの温かい眼差しに迎えられ、泣きそうになってしまった。
「ブレイク」
サミュエル教皇が地面に座り込んでいたブレイク様の前に膝をつく。そしてゆっくりと、叱られた子供のような顔で上向いたブレイク様の頭を撫でた。
「お前のために、一生懸命になってくれる人間がいる。私も含めて、ブレイクを見ている人もいるってことを覚えていてほしい」
「兄上……」
「お前がしたことは許されないことです。でも、私はブレイクの兄、弟の罪もともに背負い、償っていきます。ひとりではないのですよ」
「……っ、申し訳、ありませんでした……兄上……っ」
ブレイク様はくしゃりと表情を歪め、兄に甘える子供のように泣きじゃくった。
よかったですね、ブレイク様……。
胸がじんとするのを感じながら、私はイブを振り返る。
「イブ、この身体を返す前に、やらなくちゃいけないことがあるんだ。いいかな?」
アーネスト様とレノは辛そうに息を詰まらせる。そんなふうに私を大切に想ってくれている人がいる、それだけで私の人生捨てたもんじゃないなと思えた。
『そのことなのだけれど……その身体は、もうわたくしのものではないわ』
「え……?」
『あなたが消えたら、悲しむ人たちがたくさんいる。それを見ていて、あなたはこの世界で生きていくべき人なんだって、そう思った』
「でも、そうしたら、イブは……」
『いいの。結局、自分の命を諦めるのも、虐げられたからって人や世界を恨むのも、自分自身なのよね。それを私は誰かのせいにした。でも、あなたは受け入れられない自分を理解してもらおうと努力した。自分自身が変わろうとした。それが、あなたが聖女たる所以なのかもしれないわね』
もし、お互いに生きているときに、初めからイブと同じ世界で出会えていたら……。私たちはきっと、いい親友になれたのに。
『その身体はあなたのものよ。そして、今のイブ・モナハートはわたくしの理想。いつか、わたくしもこの世界ではなく、新しい世界で……あなたみたいに必要とされる自分になれるかしら?』
「なれる……なれるよ! 神様がきっと、頑張ったイブを見てくれてる。私も、聖女パワーを総動員して、イブの幸せを願うから!」
意気込む私にイブは驚いたように目を丸くして、それからくすくすと笑いだした。
『それは……頼もしいわ』
すうううっと、イブの身体が透けていく。私はたまらず、「イブ!」とその身体に抱き着いた。
「あなたはもうひとりの私よ! だから、絶対ぜったい、幸せにならなきゃダメだからねっ」
ぼろぼろ泣きながらそう言えば、イブも泣き笑いを浮かべる。
『わかったわ。ありがとう、もうひとりのイブ──』
途方もなく遠い来世でもいい。もう一度巡り合えたら、今度は一緒がいい。親友でも、姉妹でも、どんな形でもいいから、彼女と手を握って笑い合える日々が来ますように。
旅立っていくイブを見送りながら、私はそう強く願った。
「……やらなくちゃ」
感傷に浸っている時間はなかった。早く、セントキャヴィンの地に溢れている魔物やアンデッドたちを旅立たせなければ。その一端を不本意とはいえ、私も担いでしまっているのだから。
「フェニちゃん、どうしたらセントキャヴィンにいるアンデッドたちを一気に旅立たせることができるかな?」
『──あなたなら、できなくはありません。ですが、これまでしてきたように、あなたは途方もない数のアンデッドたちの声に耳を傾け、その荒ぶる魂を鎮めていかなくてはならなくなります』
今度はみんなにもフェニちゃんの声が聞こえていたらしい。アーネスト様が神の化身相手にも厳しく問う。
「それはイブの身体に負担はかからないのか?」
『まずはアンデッドをこの世界から退かせなければなりません。そうなると、イブの身体にアンデッドを封じ込め、何十年……もしくはそれ以上の時間をかけて天上へと旅立たせることになります。つまりイブはその間、眠り続けることになります』
その間に私かアーネスト様たちのどちらかの寿命が尽きてしまうこともあるってこと……?
アンデッドの私に寿命があるかは疑問だが、少なくともアーネスト様たち人間にはある。お互いに会えないまま、死んでしまうこともあるってことだ。
「ふざけるな、そんな無謀な策は試せない、却下だ」
アーネスト様はその手段を即座に切り捨てた。
「同意見です。聖遺物を扱える者たちで地道に倒していきましょう。災禍の七日間も、俺たちはそうして乗り越えた」
レノも民の安全より、私が犠牲にならない方法を取ろうとしてくれている。私は本当に幸せ者だな。
「だが、その時間がないのも事実だ」
クリストファー様が厳しい現実を突きつけると、アーネスト様の表情に怒りが走る。
「父上はイブが犠牲になってもいいということですか」
「アーネスト様、待ってください。クリストファー様はみんなが言いづらいことを言ってくれただけですから。それに、私は死ぬつもりは毛頭ありませんよ?」
腰に手をあて、強気に振る舞う。本当は足が竦んでしまいそうだった。アーネスト様やレノ、コレットやヴェネット、サミュエル教皇やレティ様、クリストファー様、ブレイク様……皆に会えなくなるかもしれない、それがすごくすごく怖い。
でも、アーネスト様とレノはそれを見透かしてしまう。
「そんな見え透いた強がり、今すぐ剥いで海にでも捨ててしまえ」
「怖いなら、そう言っていい。俺たちがなんとかする」
必死に言い募る彼らに、私は笑った。
「アーネスト様、レノ……ありがとう。でも、もしここで世界をどうにかできなかったら、みんなと過ごした平穏な日々は帰ってこない。そもそも、こんな世界じゃ大切な人たちが命を落としてしまうかもしれない」
「お前は聖女である前に、ひとりの女だろ。男の俺たちより、身体を張る必要はない」
「そんなこと言ってもアーネスト様、これは私のやるべきことなんです」
「……っ、わかっている!」
急にアーネスト様が声を荒げ、私は目を瞬かせた。アーネスト様がこんなふうに感情的になるのは珍しいからだ。
「枢機卿という立場なら、俺は民を優先すべきだ。この国とお前、どちらを守るかなんて比べるまでもない。でも、俺は……っ、何十年もお前と軽口を叩き合ったり、風呂で馬鹿みたいにくだらないことで騒いだりできないのは耐えられない!」
「アーネスト……様……」
私の命に、そこまでの価値があったんだ。もちろん、命を軽んじているわけではない。
でも、これまでの私は自分以外の誰かと比べたら、当然その自分以外の誰かの命のほうが価値があると答えただろう。
「俺も同じだ、イブ。俺にとって、お前は光だ。ずっと悪夢の中にいた俺を照らしてくれた。そばにいてくれないと、俺は息もできなくなる」
「……っ」
込み上げる涙を飲み込んで、私はアーネスト様とレノに少し怒ったふうに言う。
「もう、ふたりとも私のことを信じてないんですか? アンデッドが何体いようと、秒でお悩み解決して、すぐに戻ってきますから。だから……待っていてください、ね?」
困ってしまうくらい優しい人たちに、私は眉を下げながら小首を傾げ、微笑む。ふたりは私の意思が固いことに、とっくに気づいているはずだ。眉を寄せ、微かに瞳を潤ませると、俯いてしまった。
『心は決まりましたか』
フェニちゃんに問われ、私はふたりを悲しませてしまったことに胸を痛めつつ、答える。
「うん、フェニちゃ──って、今さらだけど神様にちゃん付けはまずいですか……?」
『ふふ、いいえ。あなたにそう呼ばれるのは気に入っています』
「それじゃあ遠慮なく……フェニちゃん、力を貸して。闇のルクティアよ──」
両手を握りしめ、目を瞑る。自分の中の力がトクントクンと鼓動のように波打つのを感じながら、高めていくのに集中した。
──アンデッドのみんな、私のところへ来て。この世界の人たちが私を受け入れてくれたように、あなたたちを私が受け入れるから。
ぶわっと燃え上がる光焔は、鳥のような形を象り、大きく翼を広げた。
「ピイーッ」と鳴き、天高く飛び立った姿はまさに不死鳥。炎の鳥は教会の天井を突き破り、夜空で花火のように四方に弾ける。そして流星のごとく地上に降り注いだ。
ややあって、今度はいくつもの闇が流れ星のように私目がけて落ちてくるのが見える。
私はアーネスト様とレノのほうへ向き直り、告げた。
「いってきます」
ふたりは悲しみを堪えながらも頷いてくれる。その姿は私を飲み込んだ闇に遮られ、やがて見えなくなった。
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