職場

1/1
前へ
/11ページ
次へ

職場

 今日は我ながらあちこち行くなぁ、と思う。最後には警察署の取り調べ室まで来た。机とパイプ椅子。ドラマで見た光景の中、「あんな顔して自殺でも考えてるのかと思ったよ」と警察官は軽い調子で言う。 「あの……このこと、牧原警部補には」  言わないでください、と続けようと思ったのに「ああ、連絡したからそろそろいらっしゃるよ」と言われて落胆した。直後、ドアが勢いよく開いた。 「武春君!」  はぁはぁと息を切らせた誠司さんがいた。 「何考えてるんだ、こんな時間まで出歩いて」  家での弱気な態度と裏腹だ。部下の前だからだろうかと思って鼻白(はなじろ)んだ。 「今後のこと考えろって言ったのそっちじゃないですか。外で考えてただけです」 「なんだと」 「まあまあ、何も問題なかったですし」  誠司さんの鼻息は荒い。一瞬、殴られるかと思ったけど、拳を強く握りしめただけだった。 (こんな生意気な奴、一緒に暮らしたくないよな)と思ってすぐ、寂しさを感じた。なぜだろう。自分で自分がわからない。  俺達は(にら)み合う。誠司さんも、何を考えているかわからない。  間に割って入ったのは、若い警察官だった。 「牧原さんはこれから現場でしょう。俺交番に戻るんで、自宅までこの子を送りますよ」  誠司さんは視線をそらす。 「……そうだった。すまん、頼む」  そうして黙って出ていく。  パトカーで夜の街を通る。スマホの表示は深夜1時をまわっていた。さすがに眠い。 「いやぁ、牧原警部補があんなに激昂(げっこう)したのは初めて見たよ。いつも冷静沈着だから。心配したんだろうね」 「どうでしょうか」 「怒るっていうのも、エネルギーがいるんだよ。相手のことを思ってないとできない」 「……そういう、もんですか」  そういえば俺は怒ったことも数えるほどしかない。泣いたのも。父さんが亡くなってからだ。二人三脚でやってきた母さんに心配かけたくなかった。でもあいつにはなんだかイライラして、乱される。母さんが死んだショックのせいだろうか、こんなに心がざわつくのは。
/11ページ

最初のコメントを投稿しよう!

46人が本棚に入れています
本棚に追加