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タツが庵にたどり着いたのは日が暮れたころだった。
山の奥も奥、葦鉢の民も滅多に入らない山奥にその庵はあった。
門戸に聞き耳を立て人がいないことを確認すると、タツは静かに中に忍び込んだ。
夕焼けに照らされる屋内には誰もいない。広い土間に竈、身の丈もある金槌や鏨が立てかけてあった。
食べられるものの一つもないかとタツは部屋の中を物色していくが、何も見当たらない。
月明かりが差し込むまで探して干し肉の一つも見つけられなかったタツは、落胆の溜息を吐いた。
ここに何もないのならば長居する理由もない。それどころか見つかれば殴られるだけ損である。
踵を返しねぐらに帰ろうとしたところで、何の気なしに振り返ったところで、
そこに一振りの刀が鎮座しているのをタツは見つけた。
思わず目を擦ったがそれは確かにあった。握ればずしりと鉄の重みがあり、漆に塗られた鞘も汚れ一つない柄も本物であった。
吸い寄せられるようにそれを手に取ったタツは、鞘から刀を抜いた。
意外なほどにあっさりと抜けた刀剣は、月明かりに照らされタツの目を輝かせた。
タツは急いで刀身を収め、いそいそと庵を出ていこうとしたところで、
何者かに首を捕まれ、全身を打つ衝撃の後タツはそのまま意識を失った。
―――音が聞こえる。
何かを打つ音だった。かぁんかぁんと、金属が響く音が小気味よい。
煙の臭いと木が爆ぜる音。時折炎がごうと唸り、水が弾けバチバチと鳴っている。
ぼんやりと頭がさえ始めた途端、砂を吸い込んでタツはせき込んだ。
口いっぱいに鉄の味が広がっていく。土間にうつ伏せに転がされていたようで全身が軋むように痛む。
背中をさすりながら立ち上がり、タツは呻いた。
明かりは無い。ただ竈の火だけが部屋に影を落としている。
火に向き合うのは、一人の老人だった。
身の丈は小柄で、タツと同じ程であった。
粗野な腰布を巻くばかりで上半身を火に晒し、竈をじいと覗き込んでいる。
皺に塗れた顔を揺らめく火が照らしていた。
ふと、老人が火鋏を竈に差し込んだ。
掴みだしたのは赤熱した鉄の塊であった。
それを金床の上に置くと、老人は片腕で身の丈ほどもある槌を掴み、鉄に叩きつける。
火花と甲高く響く鉄を打つ音と共に、鉄が薄く伸びていく。
老人はひとしきり鉄を叩きのばすとそれを折り重ね、また竈に入れる。
鉄を打つ。時折水を掛け、水煙を浴びながらなお鉄を打つ。
幾度繰り返すうちに、塊はいつの間にか薄く、長く造形されていく。
老人が槌を置きこちらを一瞥した頃になって、タツは自分が見とれていた事に気が付いた。
ずんずんとその爺はタツに歩み寄ると、
首を掴み、渾身の力で壁に叩きつけた。
打ち付けられた衝撃に目の奥で火花が散る。
せき込むタツの首根っこを掴み、小柄なはずの爺はタツを容易く持ち上げた。
「テメェか、わしの娘に勝手に触りやがったのは!」
その怒声にタツは目を白黒させた。
娘だと?
タツが触ったのはあの刀だけで、ここには娘どころか雌鶏だっていないだろう。
「し、知らねぇ」
「知らばっくれるんじゃねぇ!」
怒声。タツはぎょっとした。
タツは誰とも知らぬ孤児である。盗みに入り叩き殺されるなんて話はいくらでも聞いた。
ただそこに居るだけで怒鳴られ石を投げられることも珍しくない。
しかし爺の剣幕は怒りではない。
強面の渋面をいっぱいにして、鼻水を垂らしての漢泣きであった。
「重花丁子、照りだって申し分ねぇ、どこに出したって痛くねぇかわいい娘だぞ?それをテメェ、どこの馬の骨ともしらねぇガキが!貰っていくだと!?」
「だから知らねぇって!ここには女なんていねぇだろうが!」
「なんだその言い草はぁ!テメェ娘に恥までかかせる気か!」
「何を言ってんだクソ爺ぃ!」
爺の腕を何とか振り払ってタツは叫んだ。
「娘ってなんだよ!俺が触ったのは精々が―――」
はたとタツは言葉を止める。例の刀が視界を掠めた。
そこには先ほどと変わらず鎮座する刀があった。
「む……娘?」
老人は当然と言わんばかりに頷いた。
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