慈雨

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慈雨

 秘密結社『暗黒の夜明け団(ダークネスドーン)』への入団希望者は多い。  本日も団員の紹介により、さる大手企業の社長が門戸を叩いた。  『暗黒の夜明け団』は『黄泉の神』という、現代に伝承のない謎の神の復活を目的とする宗教系の秘密結社である。  であるが、事業主の入団希望者は、秘密結社の儀礼、密儀や秘蹟などの神秘的体験が目的ではなく、団員同士の交流、つまりコネクション作りや共通の話題作りを目的とする場合が多かった。  しかし、此度の入団希望者は、その神の力は本物なのかというところに興味があるのだと言う。 「最高位にあるという導師様は、場所を選ばず、誰の目にも見える形で、神の力を発揮することはできるのですか?」  その導師手ずから入団について説明を受けた男は、そう質問して挑戦的に笑った。  神の復活などといっても、結局は社交クラブのサロンであり、密儀などのくだりは、ただのお遊びなのだろうと言いたげな表情である。  男の対面にいる導師、九鬼(くき)は、特に気分を害した様子はないようだったが、後ろに並ぶ、ローブに身を包んだ結社の幹部たちは、頭部の尖った覆面の中で怒りに顔を引き攣らせた。  最高位の導師であり、神子である九鬼紅蓮(ぐれん)は、幼い頃に神の声を聞いたからこそ、この結社を創ったのだ。  幹部の誰一人として、未だ神の声を聞いたものはいないものの、その存在を疑うものもまた、一人もいない。  なぜなら、神から秘蹟を授けられた九鬼の力は、明らかに『神の御業』としか言いようのないものだからである。  無礼な男の問いに、九鬼はゆったりと答えた。 「場によって発揮できる力の強弱は生じるかもしれんが、是か非かと問われれば、是だな」 「では、雨を降らせることなどは可能でしょうか」  重ねられる質問が、幹部たちの怒りの炎に油となって注がれる。  雨だなどと、恐らく無礼な入団希望者は、紹介をした団員から、火を使った密儀が多いということを聞いているに違いない。  神の力を信じないものの入団など、させる必要はない。  それがその場の幹部全員の総意であったのだが。 「ふむ…、やってみたことはないが、試してみよう」  (ええっ、受けるの!?)  むしろ愉しげですらある九鬼の快諾に、幹部たちは顔を見合わせた。  火の粉はよく降ってくるが、水が降ってきたことはないのに。  幹部たちの動揺をよそに、九鬼はさっさと神の力を披露する日時と場所を決めてしまう。 「では、その日に自宅の前でお待ちしています」 「うむ。我が主の力、己が目で見極めてから、改めて入団を決めるがいい」  九鬼には何やら自信があるようだが、不安しかない幹部たちであった。  当日。  指定の場所まで九鬼に同行してきた数名の幹部たちは、雲一つない空を見上げ、天を呪いたい気持ちになった。  人工的に雨を降らせることは、現代の科学力で、一応可能である。  ただしそれは、ある程度発達した雨雲がある場合に限られており、雲の無い所に雨雲を作り、特定の場所に雨を降らせるのはまだ不可能だ。  だというのに、九鬼は気象情報の確認なしに自ら時間と場所の指定までして、さしたる準備もせずに今日のこの日を迎えてしまった。  一体どうするのだろう。  有名企業の社長の自宅だけあって、家の敷地だけでも百坪はある。豪邸ほどではないが、広い庭と車が三台停められる駐車場のついた立派な一軒家だ。  車から降り立った九鬼は、一体どんなマジックショーを行うつもりかと下賤な期待をする男に、ただひとつ、家の中が無人であるかを確かめる。  指定通りにしてあるとの言質を得ると、九鬼は満足そうに笑って目の前の家を見上げた。 「では、ひとつ試してみるか」  呪文を唱えるでも、天の祈るでもない。  パチン、と九鬼の指が鳴ったその瞬間、男の家が突如として燃え上がった。  火種が燃え広がる燃え方ではなく、大量の火薬が爆発したような唐突な燃え方である。  炎は轟々と躍り、意思でもあるかのように不自然な形で、ただひたすらに上へ上へとその身をのばしていく。  天まで届きそうな爆炎を、九鬼以外の人間は呆気に取られて見ていることしかできない。  周囲にも延焼してしまう?否、天を目指す炎は、地上のものなど歯牙にもかけていない。  導師様は家を燃やすほどに相手に腹を立てていたのか、と思った者もあったが、そうではなかった。  火柱を中心として空が黒くなり始め、もうもうと雲が形成され始める。 「火災…積雲…?」  ハッとして誰かが呟くと、ポツリと水滴が顔を濡らした。  ポツリ、ポツリ……、  雨が、降る。  小さな水滴は、やがて夕立のように、降り注ぐ。  その身を濡らしながら天を仰ぎ呆然とする男を振り返り、九鬼は厳かに告げる。 「これが、神の御業である」  九鬼がもう一度指を鳴らすと、炎は幻のように掻き消えた。  炎がなくなるとすぐに雨も止み、後には隕石でも落ちたような、ぽっかりと黒く焼けた土地のみが残っている。  あたりには、さっと晴れ間が戻り、控えめな虹がかかった。  キラキラと太陽の光を受けながら、雨で張り付いた前髪を掻き上げ、恭しく一礼して神に感謝を捧げる九鬼の姿は、閑静な住宅街に全く馴染まず、大仰で芝居がかった動作が滑稽な道化のようにも見えるはずなのに、今の一幕を見せられた後には、ただひたすらに神子の名に相応しい神聖さに満ちているように感じられた。 「秘蹟を授かりたくば、再び我が元を訪れるがよい」  そう言い残すと、九鬼はさっさと車に乗り込み帰っていった。  その後。  自宅を消し炭にされては、流石にもう関わりたくないと思うのではないか、という幹部たちの予想は見事に外れることになる。  再び『暗黒の夜明け団』の門戸を叩いた男は、すっかり神の力と九鬼自身に魅了されており、入団しては人一倍修養に熱心な団員となり、後に幹部の一人に名を連ねることになるのであった。  終
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