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アパートの前に、お母さんがいた。腰に手を当てて、行ったり来たりうろうろして、左右を何度も繰り返し見ている。
あっと、私達に気づいた。
「じゃあな」
菅野君が、ちりちりと自転車を来た道の方へ向けた。やっぱりわざわざ送ってくれたんだ。菅野君のうしろ姿を、「ありがとう」の目で見送った。
どんな顔でお母さんを見ればいいかわからないまま、家に入った。
「……文香。ごめんな、ちゃんと話そう」
食卓に隣合わせで座り、椅子をお互いの方に向けて膝を付き合わせた。
「……お母さんと、ひまちゃんのお母さんは、確かに、看護学校の友達やった。ひまちゃんのお母さんは、看護師なってすぐに辞めてしもて、その後地元のタレントみたいなことやってたな。綺麗な子やったしなー。それからは疎遠になってしもたけど」
「……」
俯いて黒目だけでテーブルを見ると、床に投げたアルバムが、きちんと閉じられて置いてある。その上に、『在学証明書』と『教科書給付証明書』の紙が、綺麗に乗せられている。その紙が憎くて仕方がない。
「でな……、先に結論を言うと、……あんたとひまちゃんは、お父さんが同じなんよ」
思わずお母さんを見上げた。何? 何だって……? お母さんの真っ直ぐな両目が私を見つめていた。
「どういう、こと……」
「つまり、ひまちゃんのお父さん、龍道マサトは、あんたの父親でもあるってことや」
「……? え……? だって……、え……?」
「ごめんな……。まさかこんなことになるなんて、お母さんも思ってもみんかったんや」
お母さんは両手で頭を抱えてしまった。
「どどど、どういうこと? え、だって……、ひまちゃんのお父さん? ひまちゃんのお母さんと結婚してるやん?」
「その通りや。……お母さんは、その昔、長峰康二という人とお付き合いしてた。けど、最低なことやけど、お母さんは騙されてて、実は長峰康二は結婚してる人やった。それがなんでわかったかというと、ある時、奥さんと子供に鉢合わせたんや。その時お母さんも、奥さんも目を剝いた。なんと奥さんは、真穂やった。あ、真穂っていうのは、ひまちゃんのお母さんの名前な。お兄ちゃんが幼稚園くらいで、真穂はお腹が大きかった。思わず、『康二さん、どういうこと』って言ったら、真穂が『名前まで嘘ついて何してんのマサト』って呆れてた。お母さんは、それはもうびっくりしたよ。名前も嘘かって。何じゃこれって。こんな人生あんのかって、絶望したよ。それからあの人とはもちろん別れて、真穂とも絶縁状態になった。結局、ほんまの名前が『マサト』ってこと以外、何もわからずじまいやった。けど、その後でわかったんや。お母さんのお腹には、もうあんたがいた」
「……」
言葉を失って、ただただ頭を抱えるお母さんを眺めた。長峰康二の本当の名前は龍道マサト。龍道マサトが、真穂と結婚しているのに、お母さんを騙して付き合っていた。真穂のお腹には龍道ひまりがいて、幼稚園の頃のお兄ちゃんもいた。そしてお母さんも、龍道マサトの子、つまり私を身ごもっていた。
それがどういうことか、十四歳の私にはもう、わかってしまう。
声を出すより先に、涙がじわじわとこみ上げてきた。言葉に詰まって、何度も唾を呑む。声に出してしまったら最後。それが現実となって降りかかるのだ。
お互いに何も言えず、沈黙が続いた。
どれくらい続いたかわからない。クーラーと冷蔵庫の音だけが鳴っている。
「……私のお兄ちゃんでもあるんか……」
意志とは関係ないところで、口が勝手に呟いた。
ひまちゃんとみりちゃんが、異母姉妹であること。それは不思議と、今までと差して変わりない気がした。
でも同時に、お兄ちゃんもそうなのだ。
あんなにも、お兄ちゃんのことは関係ない、差別なんかしないって、避けたりいじめたりする人達を軽蔑してきたのに、自分と血が繋がったお兄ちゃんだと思うと、急に景色が変わった。急に、「それは嫌」と思ってしまった。最悪。最低だ。結局私も、お兄ちゃんが犯罪者なんて嫌なのだ。それでもひまちゃんは、背筋を伸ばして闘ってきた。睨みをきかせて、何度も何度も、やつらを追い払ってきた。今までどんな思いで……。
あんなこと私にはきっと出来ない。なるべく誰にも見つからないように、殻に閉じこもっているしか出来ない。ひまちゃんと仲良くなれたって思ってたけど、全然違う。対等に友達と、きょうだいを名乗るなんて、出来ない。
次の日も学校を休んだ。
『文香、具合だいじょうぶ?』
と、ひまちゃんからも、みりちゃんからも、萌みんからも、メッセージとかスタンプが飛んで来たけど、返信できなかった。
その週は休み続けて、次の週から始まった期末テストは、「まだ具合が悪い」ということにして、保健室に受けに行った。散々な出来だったけど、この際どうでもよかった。
今日でテストは最終日。なるべく知り合いに見つからないように、さっさと早足で帰ったつもりだったのに、
「文香!」
と、ひまちゃんに追い付かれてしまった。
「大丈夫なん? そんなに悪かったん? 返信もないから」
はぁはぁ息を切らし、こめかみから汗を流して、肩を上下している。
「うん……ごめん」
目を見れない。色々と読み取られたくなくて、前髪を何度も引っ張って目を隠そうとした。
「……あのさ。文香がお腹痛くなった日から、お母さんの様子が何か変やねんけど。そのことと、文香が変なの、関係ある?」
「……」
そうか。ひまちゃん家でも、お母さんが変になったのか。そりゃそうか。昔、夫が浮気していた相手に会ったんだ。複雑な気持ちになって当然だ。でも、ひまちゃんのお母さんは、その後お母さんが夫の子を産んだことは知らない。浮気相手が、その後誰かと結婚して、私が生まれたと思っているだろう。私たちが異母姉妹であることをわかっているのは、お母さんと私だけだ。まだ、ごまかせるかもしれない。
「さぁ……関係ないと思うけど」
「……文香。テスト終わったし、今からうちに来ん? 何か抱えてるなら話して」
「いや、それは無理!」
じゃりっと一歩下がった。日差しが照り付ける。暑さでほっぺを赤くしたひまちゃんが驚いた顔をした。
「なんで……? あたし、何かした?」
「違う」
「じゃあ何? お母さんも文香も変やで。何か隠してる」
ざっざっざっと足音が近づいてきた。
「ひまり、文香ちゃん! テストお疲れ様。何してるん?」
みりちゃんが頭に「?」を乗せて、私とひまちゃんを交互に見た。この子も、私の妹だ。
「……ちょうどよかった。私、夏休みに転校するから」
「え!?」
二人とも声を揃えて口に手を当てた。まともに顔は見れない。
「ほんまに? どうしたん? なんでまた急に……?」
「ちょっと、家の事情があって。急に決まってさ」
「……どこに行くの?」
「……か、鹿児島」
うんと遠い県を探した。
「鹿児島? 遠……。いつ?」
「うーん、ちょっとまだ具体的には。ごめんな、なんか、なかなか言えんくて。今まで仲良くしてくれてありがとう」
「えー、ほんまに? めっちゃショック。めっちゃ寂しいやん……」
口をへの字に曲げて肩を落とすみりちゃんの横で、無言のまま仁王立ちするひまちゃん。「あたしに嘘は通用せんぞ」という空気が伝わってくる。
「じゃぁ」
と、これ以上ボロが出ないように、逃げるようにして走って帰った。
夏休みまであと二週間。クラスに登校する気になれなくて、毎日、保健室の机で勉強した。チャイムが鳴ったら、時間割通りの教科を真面目に勉強した。休み時間になったら他の生徒が来て、怪我がどうとか、具合が悪いとかいうのを背中で聞いた。
授業中のはずなのに、ガラっとドアが開けられた。
「あれ、文ちゃん、ここに来てるんやー」
茶髪の毛先をくるくるする声がした。小谷さんだ。怪我でもしたのかと振り返った。
「小谷さん。どうしたん?」
「えー。だるいからさー。あたし普段から結構ここにいるー」
カーテンの開いたベッドに座って、足をぴょんぴょん揺らす。
「そうやったんや……どっかに遊びに行ってるんやと思ってた」
「そんなんしたら目立つやん? ここが一番」
「そっか……」
知らなかった。いや、知ろうとしなかったんだ。
「席替えしたで。文ちゃん、あの席じゃなくなんの初めてじゃない?」
「あ……」
席替えのこと忘れてた。今度からあの席じゃなくていいって、先生に言ったんだった。
「みんな、文ちゃんはあそこのままでくじ引き進めようとしてたけど、ひまりんが、文香も動きますって言ってさ」
先生じゃなかった。ひまちゃん、ずっとクラスに登校もしていない私の分まで、席替えに混ぜてくれたのか。でも、もうどの席になっていようが、クラスに行くことはない。
「窓側の一番後ろが翔で、その前が文ちゃんやったかな」
小谷さんは、長い爪で、頭の中の座席表を指さした。
「それ、ぜったい不正やんな? 菅野君、一番後ろばっかりやん」
「な。ま、翔の隣があたしやねんけど」
「それもヤラセやん」
「で、あたしの前、つまり文ちゃんの横な? が、ひまりん」
「え?」
「文ちゃんの前が萌みん」
「ん?」
「ヤラセの共犯」
と、小谷さんはにひひと笑った。
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