青く輝くチョップをきみに

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 ここは、私の固定席。私はここを動かない。『勉強熱心』だからだ。疲れた教師を真ん前に、板書を続ける。瞳にも声にも、生徒を指導したいとか、学問を教えたいとかいう熱意が感じられない授業を、脇目も振らず、淡々と。後方はあまり見ない。これが私の、このクラスの毎日だ。 「(ぶん)ちゃん、ちーす」  チャイムが鳴って教師が出て行くと、なんだか機嫌のいい、クラス一イケメンの菅野(すがの)君が私の肩をぽんと叩いた。 「おはよう」  愛想笑いを返す。別に仲間な訳じゃない。中間テストが終わったくらいの頃、たまたま、私のお母さんが菅野君の弟の自転車事故を助けたことがあって、それ以来何だか気に入られて、向こうが勝手に『(ぶん)ちゃん』と呼び始めただけだ。 「ちゅーす」  と小谷さんも私の右ほっぺを長い爪でぷにっと刺し、林さんも私の肩をトンと叩いて、一同は(かかと)を踏んだ上靴をずって、教室を出て行った。  はぁ。無。無になろう。それが一番だ。今のところ、お母さんが看護師だったおかげでもらったラッキーパンチで、あの人達から睨まれることはなくやれてきている。このままこんな感じで、波風を立てず、このポジションを死守していけば問題ない。  今日も難なく(ぶん)ちゃんをやって過ごし、いつも一緒に帰っている田中さんと一緒に帰った。  翌日の朝の会で、担任がいつもと違うことを発表した。 「えー、今日から新しい仲間が入ることになりました。どうぞ入り」  ガラッと扉を開けて、前の学校の制服のままの女子が入ってきた。こんな時期に、とも思ったし、制服が間に合ってないということは、よほど急な転校だったのかなと勘繰った。なかなかしゅっとした可愛い子だ。スタイルもいいし、ショートの髪がよく似合う。一秒見ただけで、自分との華の差を悟る。 「えー、龍道ひまりさんです。みんなよろしくな。わからんことは教えてあげてください。龍道さん、挨拶するか?」 「はい……。龍道(りゅうどう)ひまりです。阪央市から来ました。よろしくお願いします」  龍道ひまりて。名前まで華あるやん。と思いながら、龍道さんがそうしたように、ぺこりとその場で頭を下げた。龍道さんは、窓側の一番後ろの席に座るよう促され、にこりともしないで、席に着いた。あーぁ、後ろか。大丈夫かな。  一時間目、連立方程式の問題をやっている途中で、菅野君が「うぃー」とか何とかいいながら、後ろのドアから入ってきた。廊下側一番後ろの席で、ふと黒板でも見たのか、 「連立方程式って、なんか響きエロない? エックス、イコールう。な、結愛(ゆあ)、ヤろーぜ、連立方程式ん」 「うわ、こいつさいてー」  くふふははっと笑う。モラルレベル最底辺の会話が響き渡る。そしてなぜか私が、龍道さんに謝りたくなった。はぁ。こんなクラスで申し訳ない。こんな人達がいて申し訳ない。せめて、龍道さんの存在に気づかないでくれと、シャーペンをぎゅっと握った。  やっと、あと五分で一時間目が終わるという時、菅野君が、新しいおもちゃを見つけたみたいなはしゃいだ声を上げた。 「あれ? あれ誰? 何、転校生?」  うわ、まずい。思わずちらっと後ろを見た。菅野君の一声で、廊下側後方を陣取っている仲間達も皆、龍道さんを見た。 「そうやで、今日から入った子」  小谷さんも、茶髪の毛先をくるくるする手を止めて興味の矢を龍道さんに打つ。あーあ、見つかった……。どうすんねやろ。私は、ちらっと左目を目の端まで寄せて龍道さんを窺い見る。龍道さんは、板書する手を一瞬止めて、表情一つ変えず、ぺこりと菅野君に会釈した。 「え、それどこの制服? エッロ」 「翔、セクハラやめって」  くはははっと笑う男子陣。何がおもろいねん。  一時間目の終わりのチャイムが鳴った。給料分働いた教師が出て行く。私はノートの割れ目に消しかすを集めながら、背中の耳でじっとやりとりを聞いた。 「りゅうどうさん、どこ中から来たん?」  小谷さんと林さんが、髪をくるくるしながら興味深々に近寄ってるのが手に取るようにわかる。 「中丸五中」 「へぇー都会ぃ~。下の名前なんやっけ?」 「ひまり」 「ひまりー? 超かわいいやん。ひまりんに決定ー」 「……」  ……いや何も答えへんの? 龍道さんをちらりと見る。やっぱりにこりともしていない。何ならちょっと睨んでるくらい。そんな受け答えしてたら、いつか標的にされちゃうよ? たとえ腹の内とは違っても、にこっとしとけばいいものを……。 「え、ひまりん、まだ緊張してるんかなー?」  小谷さんが首をぶんと曲げて、席に座ったままの龍道さんの顔を下からえぐるように見る。長い茶髪の毛先が龍道さんの机を泳ぐ。 「……近い」  龍道さんが、眉間に皺を寄せてあからさまに拒絶した。いやいや、まずいって。そんな態度したら……。 「は? せっかく仲良くしたろー思てんのに何なんこいつ」  小谷さんがムッとして、林さんがそれに同調しているところに、菅野君達が何か別のおもしろい事柄を見つけたようで、「結愛見てー!」と呼んだ。小谷さんは、思い通りに遊べなかったおもちゃをポイっと放るようにして、菅野君達の方へ行った。  危なかった……。あのままいったらトラブルに発展してもおかしくなかった。転校初日にそんなこと、させられない。最悪の場合、明日から来なくなることだってあり得る。ここの制服を間に合わせられないくらい急いで転校してきて、初日にクラスメイトと喧嘩なんてしたら、龍道さんの中学校生活ってひどすぎないか。あんなに可愛くてお洒落なんだから、もっと楽しく通って欲しい。俯く理由が欲しくて、制服のリボンを何度も直した。
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