後編

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後編

ハンとリュウに後片付けを頼んで、車庫に待機してあった車に乗ると、蒼蒔の身体は横にしたまま、その頭を膝の上に置いた。シンが「○○病院ですか?」と訊くので、頷きながら「谷山が待機しとる筈や」と言った。 20分よりも少し早くに病院に着いたが、既に谷山が何人かのスタッフと一緒に待っていてくれた。谷山が車のドアを開けると、簡易ベッドをスタンバイさせていたスタッフ達に指示を出した。 蒼蒔を乗せたベッドが病院の中に入って行く。その後ろを着いて歩きながら、谷山が口を開いた 「簡易的チェックだけど、バイタルに異常はなさそうだな。取り敢えず胃洗浄をして、その後は点滴をして様子を見る」 「おん」 「ところで電話で言ってたのは本当か?」 「これや」と言ってシンから紙袋を受け取ると、そのまま谷山に渡した。 受け取って中を見た谷山は「マジか……」と呟いた。 「今時、滅多にお目に掛かれない代物だぞ。一部の……いや、余程の病院でしか出回ってないだろ」 「良心的な病院は出さんやろなぁ」 「確かにな。しかもこんなに大量に……あ〜だから、急性薬物中毒だって言ったのか」 「いや。別にこれやなく、他の薬でも結果は同じ事やろ」 俺は当たり前だろうといった様に言ったが、谷山は違う所に注目した様だった 「ん?患者はコレを常用してたんじゃないのか?」 「俺が知っとお限りしてひん。そもそも、常用しっとったとして、こないな量は処方されんやろ」 「それもそうか」 話しが一段落したと思ったのか、シンが「俺はさっきの続きがあるんで、一旦戻ります」と言う。俺が「頼んだで」と言うと「何かあればすぐに連絡してください」と、言い残して人混みに消えていった。 「そうそう……病室なんだけど、個室が空いてないらしい」 「うちの特室があるやろ」 「あはは……そうでした、一ノ瀬様。まぁ、用意はしてあるんだけどな」 谷山が巫山戯る様に言うのを聴いて、俺は「そないに酷い顔しとるか?」と訊いた。 「まぁな。美人が怒ると怖いって言うけど本当だな」 「自分じゃあ、気付かんもんやな。いつも通り、抑えとるつもりやったんやけどなぁ」 「一ノ瀬も同じ人間なんだな〜って、実感出来て俺は嬉しいけどな」 「なんやそら」と呆れて言うと、笑いながら「残念、元に戻っちゃったな」と言った。 処置室から蒼蒔を乗せたベッドが出て来て、処置が終わった事を告げる。一人の若い医師が近寄って来て、谷山に報告を始めた。 それを他所に、俺は蒼蒔の近くに行くと、血の気が失せた様な真っ青な顔を見て、再びイライラが込み上げて来た。このイライラが何処から来るのか……誰に対しての物なのか解らなかった。 蒼蒔を乗せたベッドが動き出して、俺も合わせる様に一緒に歩いた。エレベーターで特別室のあるフロアまで行くと、スタッフ達が奥の病室を開けてベッドを中に入れる。 後ろから一緒に入ろうとして「一ノ瀬、ちょっと」と、谷山に引き留められた。 「患者の容態だけど……一ノ瀬の応急処置もあってか、大事にはならなかった。念の為、急いで血液検査をさせてるけど、もう少し時間掛かる。意識が戻っても、まだ朦朧としてるかも知れない。あとこれは、余計なお世話かも知れないけど……然るべき病院に転院して診て貰った方がいいな」 「然るべき病院って……山奥の保養所とか嫌やで?出来れば家の近くやと助かる」 「近くか……まぁ、それはこっちで探してみるわ。それと後でいいから、この書類に記入して保険証と一緒に出して」 俺は無言で頷いて書類を受け取ると、谷山に「なぁ……意識っていつ戻るん?」と訊いた。 「ん〜普通なら、夜には戻ると思うけど……個人差かな。一ノ瀬は此処に居るんだろう?意識が戻ったらナースコールして」 「解った」 谷山が「じゃあ俺は行くから」というので、俺は「ありがとう」と言った。谷山が驚いた顔をして、笑顔で去って行った。その後ろ姿を見送ると、病室に入って行った。 静かな病室に心電図モニターの音だけが、耳障りなくらいに鳴り響いていた。俺はベッドの端に座って、蒼蒔の顔を何ともなしにボーッと眺めた。 この半月の間に、蒼蒔に何があったのか……何を考えて薬に手を出したのかは解らないが、ハッキリしているのは原因が俺だという事だけ。 まさか蒼蒔の矛先が、その身に向けられるとは考えもしなかった。もうずっとその矛先は、俺でも蒼蒔自身でもなく、俺の周りに向けられていたから。 「なんでや……」と、溜め息と一緒に吐き出した呟いた。 蒼蒔にその気がなかったとしても、それくらい蒼蒔の精神は追い詰められていた。もし、もっと早くにその異変に気付けていたとして、俺は何かしただろうか。俺が何もしてやれない事は、蒼蒔も解っていた筈なのに。 (ほんまにそうなんやろか……) 頭では解っていても、気持ちが追い付かず、心が疲弊して壊れる事なんてのはよくある話しだ。本当は蒼蒔もそうだったのかも知れない。 その時スマホのバイブが振動して、ベッドから離れた所で電話に出ると、ハンが『家の中の掃除が終わりました』と言う。 「ありがとさん」 『ボス、気になったんで軽く家探しさせてもらったんですけど、クローゼットから未開封の例の箱が二つ出来ました。どうしますか?』 「あぁ……ほなそれ持って、シンと合流してくれ。何かあればまた連絡するわ」 『わかりました』 空の空き箱が三つ……三つ目の箱から移動させたと思われるシートが、サイドテーブルの引き出しの中に入っていた。ベッドの上に散乱していた数は、10シートだったから引き出しにあった物だろう。 (俺が行った後にそれを一気に全部飲んだんか。空き箱に入ってた分のいくつかは多分……会う前から飲んでたんやろな) 薬の1シートは殆どが10錠。10シートあった訳だから100錠は飲んでいる。俺が出てから戻るまでの一時間から二時間の間に、それだけの量の薬を飲むのは考えただけでしんどそうだ。 今時、薬の大量摂取自体で死ぬ事は殆どないとされているが、それによる自殺や事故死はなくなっていない。死には至らなくても、人によっては身体や脳などに、大きな後遺症を遺す場合もあると聴いている。 もし……蒼蒔の意識が戻っても、後遺症が遺れば、今まで通りの生活はまず送れない。仕事を辞めて残りの人生を一生、施設や保養所で送る事になる。 そうなればもう、蒼蒔と関わる事もなくなるだろう。その時『憎まれた方がお互いの心に残るでしょう』と言った、蒼蒔の言葉が思い出された。 (まさか本気で死ぬ気やったんか……?その矛先を自分に向けたんか?んなアホな……) すると今度は、ハンの『いい加減、蒼蒔サン消したらどうです?』という言葉が頭を過ぎった。 それを考えた事がない訳ではない。俺や俺の周りに厄介事や面倒を振り撒く相手は、いつだって切り捨てるか、その存在を消してきた。 蒼蒔に対しても、そう思った事は何回もある。けれどその度に、思い留まってきた。長年、芸能界で……大手芸能プロダクションとして君臨してきた、七種というブランドにも利用価値はあったから。 別に蒼蒔自身でなくても良かった。だが都合良く、蒼蒔から近付いて来た。この関係を持ち掛けて来たのは蒼蒔で、俺はその提案に乗っただけ。この関係は、蒼蒔の依存と執着で成り立っている。決して特別な関係ではない筈。 (なのになんで……なんでこんなにしんどい……) 時計を見ると午後の4時を過ぎたばかりで、蒼蒔の顔を覗き込んでも、目を覚ます気配はなかった。手持ち無沙汰でタバコが恋しくなったが、院内は何処も禁煙だと気付いて余計恋しくなった。 (けどまぁ、タバコは我慢出来るとしてや……喉渇いたし腹も減ってきたな……) 此処が病院だからといって油断して、蒼蒔を一人にするのは良くない気がした。 「困った……」とぼやく様に呟くと、病室のドアがノックされる音が聴こえた。 立ち上がって病室のドアを開けると、男性の看護師が「点滴を替えに来ました」と言った。無言で中に通すと、看護師は手際良く点滴を替えた。そして俺を見て「食事はどうしますか?」と訊かれた。 「意識が戻らないと食えんやろ?あ~せやけど、意識が戻ってもすぐには食えんのか……?」 「いえ、一ノ瀬さんの食事をどうするか聞いてくる様に、谷山先生から言われたんです」 それを聴いてすぐに察した。きっと谷山は、俺が片時も蒼蒔から離れる事はないと思ったのだろう。確かに一人にはさせておけないと思ってはいたが、そこまで態度に出ていたのかと思うと(情けな……)と思った。 「なら……コレの意識が戻ったら一緒に用意してんか。でも内容は別にしてな。ドロドロのヤツは嫌やわ」 自嘲混じりに答えた後、笑顔で冗談じみた事を言うと、看護師が「解りました」と顔を赤くして答えた。 「せや、何処か近くでタバコが吸える所ないか?」 「それならこのフロア……え〜と、病室を出て左に行くと休憩室があって、その中に喫煙室があります」 若い看護師は緊張しつつも、テキパキと答えた。俺が笑顔で「おおきに」と言うと、看護師は「いえ、とんでもありません」と再び顔を赤くして言った。 これは(後で谷山に文句を言われそうやな)と思いながらも、反応が可愛くてつい揶揄ってしまう。その時、スマホのバイブ音が微かに聴こえた。 「ん?あぁ、俺のスマホやな……」 「あっ、えっと、では失礼します。何かあったらナースコールを押して下さい」 そう言って看護師は、慌てた様に病室から出て行った。スマホを見ると、シンからLINEが届いていた。他にも何件か届いていたが、それらは後回しにする事にして、俺は通話を押した。 呼び出し音を聴く間もなく、シンの『はい』と言う低い声が聴こえた。余程の事でもない限り、シンはすぐに電話に出る。俺から掛かってくるのが、解っている様な早さだ。 「腹減ったわ……誰か飯持って来てんか。後、護衛を一人寄越してくれ。タバコ吸いたいねん」 駄々っ子の様な注文をすると、笑いを抑えた様な声でシンが返事をする。 『解りました。メシは何が良いですか?』 「腹に入りゃあ、コンビニ弁当でも何でもええ」 『30分……40分掛かります』 「あ〜、しゃーない。そんくらい我慢するわ」 『なるべく早く着ける様に指示します』 この時間だと、車では渋滞に巻き込まれる可能性がある。しかも、俺の食事を調達する時間も考えると、どんなに早くてもそのくらいの時間は掛かるだろう。 蒼蒔は依然として目を覚ます気配がない。俺は「う〜ん」と唸ってから、鞄からノーパソを取り出すと、ベッドの端に座ってノーパソを起動させた。 (あ、忘れとったスマホ……) 俺は起動させたパソコンから、シンに『スマホを二台用意して持ってきて欲しい』とメールを送った。 そして暫くの間、溜まっていたメールの整理をした。三分の一はグループ傘下の企業だかのDMで、更に三分の一は何処ぞの企業や会社の営業メール。残りは会社と出版社、シン達とは別の子飼いからのメールだった。 優先順位の高い物から処理をして、気付くと一時間はゆうに経過していた。ノーパソをベッドの上に置くと、大きく伸びをした。 病室のドアがノックされて、音もなくハンが入って来た。俺がソファの方へ移動すると、ハンは「遅れてすいません」と、開口一番に謝った。 「気にしんでええ。オーダー追加したしな」 「手持ちにあった新品のスマホが、二つ前の型落ち機種しかなくて……あと、こっちが弁当と飲み物です」 「新品で使えりゃあ機種には拘らん。ありがとさん」 俺は受け取ったスマホを充電させて、袋から飲み物を取り出し、タバコを掴むと「10分で戻る」と告げ、ハンを残して病室から出た。 看護師から教えて貰った通り、病室を出て左に進むと休憩室があり、その奥に喫煙室があった。喫煙室に入るなりタバコを咥えて火を点ける。一口目を深く吸い込むと、ゆっくりと煙を吐き出した。 もうじき19時になる。そろそろ目を覚ます頃ではないかと思ったが、そこは個人差で違ってくるだろう。谷山もそう言っていたし、大雑把に夜とだけしか言ってなかった。 開けたまま口にしていなかった缶コーヒーを飲み、二本目のタバコに火を点けると、約束の10分が迫っている事に気付いた。慌ててタバコを消すと、喫煙室を後にした。 病室の手前まで行くと、中からハンの「Don't be silly!」という、怒鳴り声が聴こえて来た。 (なんや珍しい……電話でもしとるんか?)そう思いながら、病室のドアの前で立ち止って様子を窺っていると、小声で誰かが何かを話している声も聴こえた気がした。 「何してんだ、おいやめろ」というハンの声と共に、何かが倒れる音がした。 「これ以上、ボスに迷惑かけんじゃねぇ!」「そんなに死にてぇならオレが殺してやるよ!」というハンの言葉の後、パシンと何かを叩く音が聴こえた。 「触るな!僕に触れて良いのは縁人だけだよ!」 どうやら蒼蒔の目が覚めたらしい。俺はそのままドアに凭れ掛かって、病室の中を見た。 倒れた点滴スタンド。その傍に蒼蒔も倒れていて、その足元には、布団が半分垂れ下がったような状態で落ちていた。怒りを顕にしたハンが拳を掲げて、今にも蒼蒔に襲い掛かりそうだった。 俺はドアに凭れ掛かったまま、手を二回叩いて「Stop it.」と言うと、二人は身体をビクッとさせてこっちを見た。 「ハン、此処は病院やぞ」 「すいません、でもっ─」と、反論しようとするのを手で制し、俺はまだ虚ろな目をした蒼蒔に向かって言う。 「自力で此処まで来れたら、今回の事は仕置で勘弁したる。もし来れんかったら、俺がお前を殺したる」 声は聴こえてはいるのだろうが、意識もまだ朦朧としているのだろう。蒼蒔は不思議そうな顔をして俺を見る。 「ボスが呼んでるんだよ。ほら行けよ」と言って、ハンが蒼蒔を足で小突いた。 「ゆかり……」と呻く様に言いながら、立ち上がろうとして倒れた。 無理もない。マトモに食事も水分すら摂っておらず、ODした挙げ句に意識を失い、ついさっきまで寝ていた。そんな今の蒼蒔には、立ち上がる事すら至難の業だろう。 そんな様子を眺めていたら、立ち上がる事を放棄した蒼蒔は、床に這って少しづつ俺の方へと進み始めた。 手腕を伸ばして前に進もうとする度に、生気を失ったかの様な青白い肌に、浮かび上がる筋と血管が動く。整った人形の様な顔に、ガラスで出来ているかの様な虚ろな目。その目が真っ直ぐに俺を見ると、思わず全身がゾクゾクした。 「ふはっ……あかん、勃ちそうや」 俺が笑いながら言うと、ハンが「ボスは悪趣味なんだよ。傍から見たらそれホラーだよ?」と、顔を顰めて呆れながら悪態を吐く。 「ゆ……か、り……」 声を出すのもしんどいだろうに、それでも蒼蒔は呻く様に俺の名前を呼びながら、ひたすら手腕を前に出し続ける。俺はその場にしゃがみ込んだ。 「赤ん坊が必死にハイハイしとんのを見守る親の気持ちて、こんな感じなんやろか?」 「えぇ……絶対に違うと思いますよ」 「ほうかぁ?けど、これはこれで愛おしく思えんで?」 「愛おしさのベクトルが違うんだよなぁ……」 そんな会話をしているうちに、蒼蒔との距離もあと一歩の所まで来た。その虚ろな目でハッキリと俺を捕らえたのだろう、満面の笑みで「ゆかり……」と言って手を前に出した。 俺が「もう少しやで」と言うと、嬉しそうな顔をして更に手腕を伸ばして床を這ってくる。 「ハン、水投げてや」 「ほいっ」と言うタイミングで、俺を目掛けて水のペットボトルを投げる。それを受け止めると「Nice catch.」と、茶化す様にハンが言った。 「ベッドと点滴スタンド直しといてんか」 「了解」 俺が軽く手を伸ばすと、蒼蒔はその手を掴んだ。そしてそのまま「縁人、縁人……」と、今度は譫言の様に繰り返しながら抱き着いてきた。その身体を抱き返し、背中を優しくぽんぽんと叩く。そして「よお頑張ったなぁ」と頭を撫でた。 ペットボトルのキャップを外して、水を飲む様に言って渡すが、手に力が入らないのか、ペットボトルを掴む事が出来なかった。 「まぁ、頑張ったし……ご褒美やろな。口開けや」と言って、口移しに水を飲ませた。そのまま舌を入れて、蒼蒔の舌と絡ませる。蒼蒔の息遣いが荒くなって、悶える様に「ん゙……」と吐息が漏れる。 俺は「もう少し飲みや」と言って、今度はペットボトルを持たせ、その上から支える様に手を添えた。何口か飲み込むと、小声で「もういっぱい」と言う。 俺はキャップを閉めながら、ハンに「ナースコールしてくれんか」と言うと、無言で頷いてナースコールを押すと、蒼蒔の意識が戻った事を告げた。 「先生に伝えますのでお待ちください」 そこで会話が終わろうとした時。蒼蒔を抱きかかえてベッドに寝かせていた俺が、横から「悪いんやが、外れた点滴を直してやってんか」と口を挟んだ。 「え、点滴が?あ、はい。すぐ行きます」 対応したのは、恐らく夕方に来た看護師だろう。点滴が外れた事に驚いた様で、通信を切るとすぐに医療カートを持って病室に入って来た。 入れ替わるように「俺は外で待機してます」と言って、ハンが出て行った。 「すまんなぁ。取り乱して自分で外してもおたらしいわ」 「そうですか。あの……起き上がろうとしました?」 「あ~多分。起き上がろうとしてフラついた拍子に、ベッドから落ちたんやと思う」 「先に清拭と、着替えをした方が良さそうですね」 看護師がそう言うので、タオルを濡らして来ようとして気付いた。俺はハンを呼んで、着替えとタオル類や洗面道具、風呂に入る時用の物を、下の売店で買って来る様に言った。 ハンを待っている間に、看護師が持っていたハンドタオルを濡らして来た。そして「手と腕だけでも拭いておきます」と言って、点滴をしていた方から拭き始めた。 「無理に外そうとすると、血管を傷付けて大事故になるので止めて下さい。そうでなくてもほら……青くなってますよね?酷いと腫れて痛くなりますから、止めてくださいね」 看護師が怒るでもなく笑顔で注意すると、蒼蒔は無言で頷いた。すると、ドアがノックされると同時に「意識戻ったんだって?」と言いながら、谷山が若い医師を連れて中に入って来た。 此処へ来た時にも居た若い医師だ。俺が(研修医か?)と思っていたら、谷山がそれに気付いたのか「将来有望な研修医だよ」と言って紹介した。 「いえ、自分なんかまだまだです」 「せやから"将来"なんやろ。けど、谷山がそう言うんやったら優秀なんやろな」 「それは俺も褒められてる?」 「さぁ、どうやろな」と、茶化した。 そこへ、遣いから戻ったハンが「外に出てたほうがいいですか?」と訊くので、俺は買ってきたタオルを濡らして来てくれと頼んだ。 「じゃあ、ちょっとチェックするから」と言って、谷山は蒼蒔の診察を始めた。 ハンがタオルを持ってきて、看護師が受け取ろうとするのを、俺が先に取って蒼蒔の手と腕、そして足を拭いた。それを見て「どうしたんだ?」と谷山が不思議そうな顔をする。俺は看護師に話した事を、そのまま谷山にも話した。 「意識が戻って混乱したのかな?」と切り出し、幾つか質問を始めた。 「まだボーっとしますか?」「フラフラする、気持ち悪い等ありますか?」「食事は食べられそうですか?」 三つの質問に、蒼蒔はどれも無言で首を縦横に振った。それに対して谷山は、思い出したかの様に「いつから食事を摂ってないですか?」と質問した。蒼蒔は少し間を置いて「覚えてないです」と答えた。 「う〜ん……暫くは点滴と嚥下食で様子見かな」 「暫く……入院って事ですか?」 「そう。今の状態で家には帰せないですね」 谷山の言葉に不安を感じたのか、蒼蒔が動揺した顔で俺を見る。その顔を見返しながら「悪い事は出来ひんなぁ」と言うと、蒼蒔は身体も顔も強張らせた。 「まだボーっとするだろうから、ゆっくり休んで下さい。食事は明日の朝から……少しづつで良いから食べて下さい」 谷山が話しながら書いていたメモを看護師に渡した。そして俺に「一ノ瀬は普通食で良いんだよな?」と訊く。 「他にあるんか」と言うと、谷山は笑いながら「ないな」と言った。 「じゃあ七種さん、今日の所はこれで終わります。また何かあったらナースコール押して下さい」 「はい」 「一ノ瀬ちょっといいか?」 谷山に呼ばれてハンを見ると、ハンは無言で頷いた。それを見て、俺は谷山と一緒に病室から出た。研修医と看護師はナースステーションに戻って行った。 「血液検査の結果が出たが、まぁ……特に異常は認められないけど、今後の治療の為にも精査したい所ではある」 「今後ってあれやろ……然るべき病院に転院やろ?」 「今の彼の状態で転院は、正直悩むんだよな~」 谷山が心配しているのは、蒼蒔の体力面だろうと思った。実際さっきも、立つことすら覚束なかった。単にまだボーっとしていた所為もあるのかも知れない。でも歩いて移動する訳ではないから、どこに悩む要素があるのか解らない。 「何が言いたいんか解らん」 「粗方うちで治療してから、先方に引き継いだ方が良さそうな気もするんだよ」 「ん?転院先は決まったんか」 「見付かったけど、条件に当てはまらない事が一つある」 条件に当てはまらない事と言われて、咄嗟に頭に浮かんだのが"山奥の保養所"だった。 (あかん、疲れとお……)そう思った自分に、つい笑いそうになった。 「専門だけあって、入院するにも見舞いするにも、決まりが厳しい。お前の名前を出した所で、恐らく融通は利かないだろう」 「察するに……面会時間の厳守、患者への差し入れの規制、面会人の規制辺りか」 「そう。そして泊まりは不可。面会人に関しては、病院側の判断による」 「まぁ、しゃーないわな」 とは言ったものの、俺が説得した所で、今の蒼蒔にそれらの条件が飲み込めるとは思えない。素直に受け入れたとしても、それは"早く帰る為の演技"だろう。 (なるほど……これは悩みどころやなぁ) 「その代わり。入院、外来問わず患者はもちろん、見舞いや付き添いに来る人間、医師や看護師、スタッフに関しても、徹底してプライバシーが保護されてる」 「んなもん、どこの病院でも基本やろ。今の世の中、病院やなくても当たり前や」 「そうはいっても、どこから漏れるか解らないのも、今時のセキュリティー問題だろ」 「それもそうやな。金で欲しい情報も買えるし、下手すれば小学生でもハッキング可能や」 素に戻って考えてみれば、ハンにしても他の子飼いの中にも、それが出来る奴もいるのがネット社会の闇だろう。 「一ノ瀬、大丈夫か?」 「あ~、眠いんかも。いつもなら一日くらい寝んでも平気なんやけどな」 「いや、寝ろよ。忙しいのかも知れないけど、睡眠と食事は必須だぞ。昔からそういう所だけは、変わらないよな」 普段はきちんと、睡眠も食事も摂っている。時と場合、状況に応じては不十分な時もあるが、都度埋め合わせをして帳尻合わせはしているつもりだ。 その事を話すと「理屈じゃないんだよ」と言って、谷山は呆れて項垂れた。 「治療が順調にいったとして、転院出来る目安はどんくらいや?」 「早くて二週間。この手の患者は、本人の意思による所が大きいから、本当に目安でしかないぞ」 「思おたんやが……転院して入院は強制なんか?良おなったら退院して通院てのはアカンのか?」 ふとした疑問をぶつけると、谷山は腕を組んで「う〜ん」と考え込む。そんなに悩む事なのかと思ったが、医者の立場だと、そう迂闊に安直な事は言えないのかも知れない。 「個人的な意見だけど……」と前置きをして、谷山は続けて話した。 「仮に俺が退院しても大丈夫だと判断しても、紹介する病院には通院した方が良い。じゃないと──」 「同じ事を繰り返す可能性がある」 俺が被せる様に言うと、谷山は「解ってるなら、ちゃんと診て貰えよ」と、顰めっ面をして言った。通院程度なら、説得するのも簡単だろう。 「もう一度言うけど、紹介先の病院がどう判断するかは解らないからな?」 「おん。それより携帯鳴っとんで」 「解ってるよ。そんじゃあ、また来るから。それまで一ノ瀬も少し休めよ」 そう言い残して、谷山は慌ててナースステーションの方へと、足早に去って行った。それを見送って病室に入って、蒼蒔の近くまで行くと、ウトウトしている様だった。 「縁人?」 「眠たいなら寝てええんやぞ」 「うん……解ってるんだけど、あと少しの所で寝れない」 「ふはっ……なんやそら。ちょお待っとき」 俺はテーブルの上に置かれたままの弁当を取ると、ベッドの近くに椅子を寄せた。すると、ハンがサイドテーブルの上に、お茶のペットボトルを置いた。 「ありがとさん」 「じゃあ、外で待機してます」 ハンが外に出ていくと、弁当の蓋を開けて「ほな、いただきます」と、両手を合わせて食べ始めた。黙々と食べていると、蒼蒔が「美味しい?」と訊いてくる。 「可もなく不可もなくやな」と答えると、蒼蒔が「縁人の判定は厳しそうだね」と言って笑った。 「無駄に育ちがええからなぁ」 「ふふっ……そうだね。でも一番無駄なのは僕だよ。誰の……何の役にも立たない」 「お前は自分で無駄にしとるだけやろ。変な事ばっか考えよって、ほんましょうもない」と言って黙ると、蒼蒔もつられる様に黙った。 俺が「ご馳走さん」と言って食べ終わるまで、室内は静かだった。寝たのかと思った蒼蒔は、目を閉じているだけで、やはり寝付けない様だった。 空になった弁当の容器を袋に入れて、椅子から立ち上がると「どこ行くの?」と、蒼蒔は不安を隠しもせずに訊いてくる。 「タバコ吸うて来る。戻って来たら俺も寝るわ」 「今日も一緒に居てくれるの?」 「ん?あぁ……言うてなかったか?お前が良おなるまで、一緒に居ったる」 「仮病でも?」と可笑しそうに言う蒼蒔に、俺は「それは通用せんぞ」と言った。 「解ってる、言ってみただけ。行ってらっしゃい」 病室から出ると、ハンに「俺が出る時は中で待機や」と言う。すると、ハンも「どこか行くんですか?」と訊くので、苦笑いしながら「タバコ吸いに行くだけや」と言った。 喫煙室でタバコを吸っていると、唐突に眠気に襲われた。欠伸をしながら(はよ寝るか)と思った。この眠気が疲れから来ている事は解っていた。しかもその疲れが、いつもとは異なる類の疲れだという事も解っていた。 (さて……これから、どないするかやな……) 考える事は山ほどあるのに、あまりの眠さに思考が追い付かない。新しく取り出したタバコを箱に戻し、俺は病室に向かった。 ドアを開けて中に入ると、ハンが入れ替わりに外に出た。俺はベッドに近付いて蒼蒔の顔を覗き込むと、そのままベッドに潜り込んで、蒼蒔を抱き枕のように抱え込んだ。 「ん……ゆかり……?」 「このまま寝る。お前も寝るんやで」 「ぅん……」 その日は本当に良く寝た。正確には一度だけ、看護師が点滴を替えに来た時に、薄らと目を開けた覚えはある。でもそれも一瞬で、すぐに眠りに落ちた。 蒼蒔も安心して寝れたのか、まだぐっすり寝ていた。そんな蒼蒔の寝顔を眺めながら、頬を突っついてみたり、伸ばしてみたり……鼻を摘んでみたりと、子供じみた悪戯をしていたら、目を覚ました蒼蒔が「おはよう……」の後に続けて言う。 「縁人たまに、子供みたいな事するよね」 「怒っとるん?」と訊くと、笑いながら「面白いんだよ」と言う。俺は(何がおもろいんや?)と思ったが、それは言わない事にした。 その様子を見ていたのだろう谷山が、顰めっ面で「あのさぁ、此処は病院で、ラブホでもお前ん家でもないんだよ」と、呆れた様に言った。 「イチャイチャするのは、退院するまで我慢しろって。俺は良くても、何も知らない看護師はビックリするだろう。そもそも、そのベッドは患者専用で、一ノ瀬のベッドはそっちにあるだろう」 「朝からよお、喋りよる」 「誰の所為だよ」 そう注意されても俺は、仕事がない日は蒼蒔を抱き枕代わりにして寝た。そうされる事で安心するのか、俺が一緒に寝る時の方が、蒼蒔もよく眠れている様だった。 食事も一週間も経たずに、ペースト状の嚥下食から、刻まれた嚥下食に変わった。量も少しづつ多くなり、顔の血色も良くなった。食べられる様になったからか、点滴も一日一回で済む様になった。 (そろそろ転院の話しせなあかんなぁ)と、喫煙室でタバコを吸いながら考えていた。 話しをするにしても、なんと言って切り出すかも問題だ。切り出し方云々ではなく、話しに対して聴く耳を持つか、話しを聴いて受け入れるかも、問題になってくる。 (まぁ、話してみん事には次の一手も打てんしな) 病室に戻ると、蒼蒔がベッドの上で上半身を起こして、雑誌を見ていた。ベッドの端に座って、雑誌を覗き込みながら何気なく話しを振ってみた。 「なに見とるん?」 「今やってるドラマで、青葉が特集で載ってる雑誌。買って来て貰ったんだよ」 「ふ〜ん。せやけどそのドラマって、もうクランクアップしとんのやろ?」 「そうだけど、ドラマはまだやってるからね」 雑誌を見ながら、蒼蒔は少し浮かれているというか、嬉しそうにしていた。やはり青葉の事も蒼蒔自身、可愛がっていて大事にしている様に見える。雑誌を取り上げると、サイドテーブルの上に置いた。 「今更やけど、なんであんな事したんや?」 「……自分でも解らない」 「て事は、死ぬつもりはなかったんやな?」 「それもよく解らない。死んでもいいとは思ったけど、死にたいって思った訳じゃない」 "死んでもいい"というのと"死にたい"というのは、似た意味合いを持つが、全く別の感情だ。でも蒼蒔は、死にたいと思った訳じゃないと言う。矛盾しているが、それが正直な気持ちだったんだろう。 「せやったらなんで、薬なんかに手ぇ出したんや?」 「少しでも、気が軽くなればいいと思ったんだよ……」 「あの薬が、ヤバいて解ってたんやろ?」 蒼蒔が下を向いて、無言で頷いた。俺は「怒っとる訳やないで」と、蒼蒔の手を握って言った。それでも蒼蒔は無言のままだったが、意を決したのかゆっくりと話し始めた。 「最初は本当に、気持ちが軽くなればいいって思ったんだ。でも実際に飲むと、気持ちが軽くなるだけじゃなくて、不安もなくなる気がした。寧ろ、気分が良くなったり、少しは寝れる様にもなった。仕事中は飲まない様にしてたけど夜、家に帰って一人になると、どうしても我慢が出来なかった。気分を落ち着かせたかったし、楽になりたくなって……ダメだって解ってても、飲まずにはいられなかった」 確かにこの手の薬は、気分を落ち着かせたり、不安を軽減させる効能がある。だけど副作用的に、逆の効果をもたらす事もあれば、テンションが異常に高くなる場合もある。 一度その快楽を味わってしまったら、たった少しの不安にも耐え切れなくなり、時間も置かずに次から次へと飲んでしまう。蒼蒔はその負のループにまんまとハマった。 「俺と会う前にも飲んどったんか?」という問いにも、次の「一緒に居る時にも飲んだんか?」という問いにも、蒼蒔は無言で頷いた。 「いつから飲み始めたんや?」 「縁人に最後に会ったすぐ後くらい」 「疲れたんか?」 その問い掛けに蒼蒔は無言で頷いた後、再びゆっくりと話し始めた。 「何をしても……何をやっても、僕は縁人の特別にはなれない事は解っていた。僕は男で、縁人の跡継ぎは作れない。非力な僕では、縁人の足手まといにしかならない事も解ってる。それでも良いからと関係を持ち掛けて、それを続けて来たのは僕だ。なのに……縁人の後ろ姿を見送るのが辛かった。心の隅にさえ置いて貰えていないのが辛かった。いつ切り捨てられるかも解らない不安に毎日……ううん、常に怯えてたんだ」 途中から興奮気味に、蒼蒔はそれらの想いを吐き出した。俺の読みは凡そ当たっていた様だ。でもそれが解った所で今更だろう。問題はこの後どうするか。 「はあぁ……俺はお前と同じ気持ちは返せん言うとるのに、物好きやなぁ」 「っ…解ってる」 「さっき、死にたい思おた訳やない言うたな。それは生きていたいって捉えてええんか?」 「解らない。けど……縁人がもう、僕の事を要らないって言うなら生きてても何の意味もない」 つまり、蒼蒔を生かすも殺すも、俺の気持ち一つである事に変わりはない。後は俺がどうしたいのかという事だけ。だが既に俺の指示によって、俺の周りも蒼蒔の周りも動き出している。 「俺と一緒なら、その手の病院に通院出来るか?」 「え?急に何?」 「そのまんまの意味や。今の調子でいけば二週間以内に退院出来るやろ。せやけど、その手の病院に通院はした方がええんやと」 通院先でどう判断されるか解らないという事は伏せておいた。じゃないと話しが進みそうになかったから。 「通院に縁人が毎回、一緒に行ってくれるって事?」 「そうや。せやけど条件がある」 「条件?」 「ん〜」 「話しにくい事?」 話し難い訳じゃない。ただ"本当にこれで良いのか"という疑問が、まだ心の奥で燻っている。 今まで、自分の下した判断に後悔した事はない。別に間違えや失敗を犯さなかった訳じゃない。単に間違えや失敗に対して、素直に自分の非を認めて正しては、都度、修正して上書きしてきた。 間違えや失敗から得る物もあるんだという事を、俺は知っていた。そういう考えがあるからか、間違えも失敗も、なかった事にはしないし、させない……させるつもりもない。 だから後々、この決断が間違いや失敗だと解っても、なかった事にはしない……させない。 「縁人。僕は……縁人にどんなに無茶な条件を出されても、それで縁人を繋ぎ止められるなら、喜んで受け入れる」 「ゆうて、受け入れる以外の選択肢はないんやけどな」 「最初から逃げ道がないのは解ってる。一つだけあるけど、縁人はそれを選ばせてはくれないでしょう?」 その一つというのは、死ぬという選択肢の事だろう。でも蒼蒔の言う通り、それを選ばせる気は毛頭ない。 「そらそうや、勝手に死なれても気い悪いだけや。せやから考えた。お前が好き勝手出来ひん様にしたろってな」 「どういう事?」 「俺と一緒に住むんが条件や」 「え……?」 蒼蒔はこれでもかというくらい、目を大きく見開いて俺を見た。でもその目には、動揺がハッキリ見て取れた。 まぁ、無理もない。急に一緒に住めと言われても、即答出来るものでもないだろう。だがそれと同じく、拒否権がない事も、逃げられない事も解っている筈。 「うちに離れがあるやろ?あっこに俺と一緒に、暮らして貰うで」 「でもっ、あぁ……うん、解った。僕は何も訊かないし、何も言わない。縁人の言った条件を受け入れる」 一緒に暮らす為の手筈や根回し等も、全てが終わっている事なのだと察した様だ。 「まずは早いとこ、此処を退院する事やな」 「そんなに早く治らないよ」 「毎晩チンコ勃たせる元気はあるのになぁ」 「それはっ……縁人が傍に居るから……」 ちょっと揶揄っただけなのに、初心な子供の様に照れて顔を赤くするのを見て、加虐心に火が着きそうになった。 「ココに挿れて欲しいか?」と言って、アナルを触ると無言で頷く。 そんな蒼蒔を見て、笑いながら「素直やん」と言ったが、俺もこの前からぶち込みたくて仕方ないのが本音だった。 「けど、退院するまで我慢しいや」と、半分は蒼蒔に……残りの半分は自分に言い聞かせる様に呟いた。 その話しをしてからまた、蒼蒔にとってはただ退屈なだけの日々が……俺にとっては普段よりも少し忙しい日々が、一週間半続いた。 そして入院してから、合計二週間半で迎えた退院当日。昼食が終わった後、やって来た谷山が、開口一番から捲し立てる様に話し始めた。 「退院しても、睡眠と食事はきちんと摂って下さいね。あとは……紹介した病院に明後日、予約を入れておいたので必ず行ってください」 「はい、解りました」 「一ノ瀬、お前もちゃんと睡眠と食事は摂る事。それと、彼をちゃんと病院に連れて行くんだぞ」 「はいはい……ほんま喧しい奴やな。そんなんじゃあ、貰い手がなくなんで」 呆れながらも揶揄う様に谷山に言うと、眉間に皺を寄せて「俺は仕事に生きるからいいんだよ!」と反論した。 「まぁ、谷山が居ってくれた方が都合ええけどな」 「いつでもお待ちしてますよ、一ノ瀬様」 そんな冗談混じりの会話をしていると、荷物を持ったリュウが「先に車行ってます」と言った。その後ろ姿を見て「ほな俺達も行くか」と、隣に立っている蒼蒔に声を掛ける。 蒼蒔は無言で頷いた後、谷山に向かって「お世話になりました」と、笑顔で言って軽く頭を下げた。そして俺が伸ばした手を握ると、緊張した様な顔で「今日からお世話になります」と言った。 「ふはっ……なんやそれ」 「だって、そうでしょう?」 「まぁ、そうやけど。ほな、着いたら「ただいま」やな」 何の気もなしに言っただけの言葉に、蒼蒔は「慣れなさそう……」と、顔を赤くして言った。その顔を見て(無自覚に煽りよる)と、早くも理性を抑えきれずにいた。 家に着いてシン達が帰ると、離れには蒼蒔と俺の二人きりになった。静かになったリビングで、蒼蒔は病院から持ち帰った荷物や、書類を片付けようとしていた。俺はその腕を掴むと、有無を言わせずソファに押し倒してキスをした。 「縁人……ん……誰か来るかも」 「大丈夫や、此処には誰も来いひん」 俺は蒼蒔のシャツを捲り上げると、乳首に吸い付いて舌で弄りながら、ズボンを降ろした。 「ぁんっ、でも……」 「来ても止めへんぞ」 そう意地の悪い事を言うと、蒼蒔は「見られたら……」と、少し不安そうに言う。 「うっさいのぉ……」と言うなり、俺は蒼蒔の口の中に指を二本入れた。 蒼蒔が「ぐっ……」と小さく呻くと、二本の指を交互に動かし、上顎の辺りをなぞると身体をビクビクさせる。その指の動きを止めると、蒼蒔は俺の手ごと包み込む様に掴むと、自分から指をしゃぶり始めた。 ふと視線をソファの下に落とすと、ネクタイやハンカチが落ちているのが目に止まった。俺はネクタイを取ると、口に入れていた指を、蒼蒔から引き離した。 そして、耳元で「そないに人の目が気になるんやったら隠したるわ」と言って、ネクタイで蒼蒔の視界を塞いだ。 「やだ、これ嫌っ……」 そう言って、目隠し替わりのネクタイを外そうとする。その腕を片手で掴むと、今度は足をバタバタさせる。 「そないに暴れるんやったら、手も足も縛り付けんで」 「いや……やだ……」 「せや、こおいうプレイはした事なかったなぁ」 俺はそう言うと、今度はハンカチを拾って蒼蒔の両手首を縛る。それでも蒼蒔は足をバタバタさせる。その足を自分の足で押さえ付ける。 「ゆかり……縁人。見えないのやだっ……離れるのもやだ……」 「ほんまか?やだやだ言うとる割りに、まだ触ってもおらんパンツが濡れとんで」 パンツを脱がすと、案の定チンコの先から汁が垂れまくっている。俺はそのチンコを咥えて動かすと、蒼蒔の身体が小刻みに震える。 「ダメ、あっ、ん……ゆかり……ん゙っ、やめ、て……」 縛った手で懸命に俺の頭を離そうとするが、俺は無視して咥えたチンコを嬲り続けた。 「ゆかりっ、やぁ……あ゙ぁ……いっ、イっちゃう……」 そう言うと同時に蒼蒔は射精した。俺は口の中に蒼蒔の精子を溜め込むと、呼吸を荒くさせている蒼蒔の口の中に、口の中の精子を流し込んだ。 「ぐっ、ん゙ん゙ん゙っ……」 「ちゃんと全部飲むんやで」 「っ……ゔっ、ゲホッ……」 言われた通り全部飲んだのであろう蒼蒔は、噎せて咳き込んでいた。俺はテーブルの上に置かれた水を口に含んで、口移しで何口か飲ませる。 「自分の精子の味はどうや?」 「まずい……」 「んっ、あはは……まぁ、せやろなぁ」 俺は笑いながら、さっき出しておいた筈のローションとゴムを探した。 「縁人……もぉ、これ外して」 「まだあかん。あぁ、此処にあったわ」 「え、なに……」 不安そうに言う蒼蒔のアナルに、なんの前置きもなしにローションを垂らすと、身体を強張らせて「ひっ……」と、息を吸い込む様な声を出した。 アナルを指先で弄りながら「イった後は柔こいなぁ……」と言う。焦らす様にゆっくりと指を出し入れすると、蒼蒔の身体がまた小刻みに震え出す。指を増やして蒼蒔のイイ所を擦ると、身体をビクビクと跳ねさせた。 俺はゴムを着けると、蒼蒔の耳朶を甘噛みしながら「欲しいか?」と訊く。縛られてる両手で口を押さえながら、蒼蒔は無言で頷く。 「ん?まさか今んなって、声出すんも恥ずかしなったん?」 尚も無言で頷く蒼蒔の頭を撫でると、俺は「ええけど、息はしいや」と言ってアナルに自分のチンコを当てると、ゆっくり中に挿れた。 そしてゆっくり動かすと、蒼蒔の両手の隙間から、熱を孕んだ甘ったるい吐息が漏れる。俺は蒼蒔の手を退かして、キスをしながら奥まで挿れると動くのを止めた。 「さっき見えないんが嫌や言うてたなぁ。なら、今お前の中に入っとるチンコは誰のや?」 「縁人、ゆかり……のが、はいってる……」 「見えんでも、ちゃんと解るやないか。身体が覚えとるんやろか。あ、そおそお……こうして耳を塞ぐとなぁ……」 そう言って腰を振りながら「ほら、やらしい音がよお聴こえるやろ?」と、耳元で言うと「あっ、やぁ……やだぁ……」と言って後退る。 「逃げんなや」と言って耳から手を離し、腰を掴むと一気に奥まで突き上げた。 「お゙っ……あ゙ぁっ……い゙ぃっ……」 「おぉん、今のでイったんか?」 「ぅん゙っ、あ……ゆか、り……ゆかり……」 「せやけど、まだ終わらんで」 いつもの様に、快楽に負けた蒼蒔が「あぁ……ん゙……」と、甘ったるい声で喘ぎ始めた。俺は「よお出来ました」と言って、両手を縛っていたハンカチを外して、蒼蒔を抱き上げると「ゆかりぃ……」と言ってしがみついて来る。 そのまま下から突くと、蒼蒔が「やぁ……まだ、イったばっかり……」と言う。俺は「知っとお……締め付けエグいわぁ」と言いつつも、突くのを止めなかった。 「んあ゙っ、あぁ……やだぁ、ゆかり……」と、背中に立てられた爪が、皮膚に食い込むのが解った。 「気持ちええか?」 「ぅん゙っ、いぃ……きもちぃ……もっと、ほしぃ……」 (あかん、蒼蒔だけやなく、俺も今日は保たんかも知らん) ネクタイを外すと、トロンとした涙目の蒼蒔と目が合う。そして嬉しそうに笑う。 「俺もイってええか?」 「う、ん゙っ……ぼくも、イきそ……あっ……」 下から奥まで突きまくると、蒼蒔が喘ぎながら「ん゙っ、ゆか、り……キス、して……」と甘えてくる。その唇に軽くキスをすると、隙間から舌を入れて貪る様に絡める。 熱を持った息と息が混じり、どちらのとも解らない唾液が混ざる。重なった身体も、境界がなくなるかと思うくらいには、混ざり合う様な一体感があった。 蒼蒔の喘ぎ声と荒い息遣い、肌と肌が当たる音に、アナルから聴こえる卑猥な音が、静かだった部屋に響き渡る。 「あ゙っ、ん゙っ……ゆかり……あ゙ぁ……も、イく……イっちゃうよ、ゆかり……」 「っ……俺も、イク……」 「ゆかりっ……」 そう言った蒼蒔は、イったと思ったら身体を大きく跳ね反らせて、そのまま後ろに倒れそうになった。慌ててその後頭部を押さえて、自分の胸元に引き寄せる。 そのままキスをしようと蒼蒔の顔を見ると、目を閉じたまま動かない。一瞬悪い考えが浮かんだが、単に意識がぶっ飛んでるだけだと気付いた。 (ったく……焦らせんなや)と思いつつ、静かに蒼蒔をソファに寝かせると、俺はゴムを外して結くと、ゴミ箱に捨てに行った。 いつも通り蒼蒔を綺麗にして、近くにあったブランケットを掛ける。その傍に座って、持ち帰ってきた荷物や書類の片付けを始めた。ふと時計を見ると、17時を過ぎた頃だった。 (あ〜今日からまた、家事炊事せなあかんのか。ゆうてそれが、俺のいつも通り……日常なんよな。ほな早速、今日の晩メシは何にするか考えなあかんなぁ……) そんな事を考えていたら「縁人」と、俺を呼ぶ声が聴こえた。振り返ると、目を覚ました蒼蒔と目が合った。横たわったまま「何してるの?」と言うので、俺は「見ての通り、片付けしとお」と言った。 「ごめんね、どのくらい寝てた?」 「一時間……くらいやないか?ん〜そんなに寝てへんかな?」 「僕も手伝う。何をやればいい?」 「ほな、洗濯物……あぁ、そん前にあれやな、先に部屋を教えんとあかんな」 そう言って俺は立ち上がると、蒼蒔に「立てるか?」と訊いた。 「大丈夫だよ」 「ほな、こっちから……」と、蒼蒔に一部屋づつドアを開けながら教えて回った。 一通り教えると、蒼蒔が「広く感じるのは、一部屋、一部屋が広いからなんだね」と感想を言った。 「それと……僕の荷物があるのも、ちょっとビックリした」 「取りに行く手間が省けたやろ?」 「流石、手際がいいよね」 「逃げ道は早いとこ塞ぐに限るしな」 離れに蒼蒔と暮らすと決めてから、七種の家から蒼蒔の部屋にある物……家具以外の全てを、此処に運び込む様にシンに指示をした。早くても三日は掛かると思っていたそれを、二日で終わらせた。 「僕が買った縁人の洋服や着物もあったね。いや、僕が買った物しかなかった気がする……」 「そら、あんだけありゃあ十分やからなぁ。元からある気に入っとお服は、まだあっちに置いてあるけどな」 コーヒーでも淹れようかと、キッチンに行くと晩メシの事を思い出した。嫌な予感がして冷蔵庫を見ると、予感は見事に的中。そう、冷蔵庫の中は空だった。 「はあぁ……しゃーない。今日はデリバリーで済ますか。飲みもんは向こうから持って来て……あぁ、ほんなら明日は一緒に買い出しに行こか。どうせなら食器も新しくしたいしな」 「え、僕も?」 「此処はお前ん家でもあるんやから、一緒に選ぶんは当たり前やろ」 「でも……」 そう言って言葉を詰まらせる蒼蒔に、肝心の事を言ってなかったと気付いた。 「あぁ……一人で外出するんはあかん。俺が一緒なら出てもええ。俺が無理やったら、シンか誰かを付き添わせる」 「それ、縁人に何のメリットもないよ?」 蒼蒔の言葉に、思考が一瞬止まった。損得を考えなかった訳じゃない。寧ろ蒼蒔を手中に収めた時点で、既に得は獲ていた。でも蒼蒔から見ると、そうは見えていないのかも知れない。 「ん〜メリットなぁ……ほな仕事でも手伝って貰おか」 「縁人の役に立つなら、どんなに酷い仕事でも良いよ」 「ふはっ……酷い仕事てなんや。あっても、んな仕事お前に回せんわ」 「ふふっ……縁人は優しいね」 無邪気にも見える蒼蒔の笑顔を見ていたら、何だか不思議な気持ちになった。 俺は"条件"という名で蒼蒔を縛り付けて、身動きが取れない様にしているが、縛られて身動きが取れずにいるのは案外、俺の方なのかも知れない。 こうして蒼蒔もろとも俺も此処に籠ると決めたのも、俺も無意識にそれを望んでいたのかも知れないと思った。 そう考えると俺も大概、歪んで狂っているのだろう……。 ― 終 ―
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