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前編
背中に回された手がガクンとなる度に、俺を求めて必死になって再び背中にしがみつく。
「縁人っ、ゆかり……離れちゃ、やだ……」
「此処に居るやろ」
涙目でいつもの様に駄々を捏ねられる。呆れ半分で吐いた言葉に、身体が強張るのが解る。
俺の一挙手一投足、一言一句にそんな反応をするなら、素直に愛情表現を示せば良いものを……と、思わずにはいられない。
(それが出来るんやったら、こないな関係にはなっとらんかったな。あぁ……コイツをこないなるまで歪ませて狂わせたんは俺か)
頭の後ろ……首を押さえる様にし、腰を抑えながら抱きかかえた。すると「縁人、キスして……」と、甘い吐息混じりの声で強請ってくる。
「お前からはしぃひんのか」と揶揄う様に煽ると、驚いた顔をしつつも、壊れ物に触れるかの様な手付きで、俺の顔に頬に手を当てて、恐る恐る唇を近付けて来た。
その様子が面白かったので黙って見ていたけど、なかなかその唇が触れてこないので、俺は後頭部を引き寄せてキスをした。
その瞬間また身体を強張らせる。キスもセックスも、もう数えるのを放棄するくらいヤッてるのに、未だに恥ずかしいのか慣れないのか解らない。
(図太い神経しとる割りに、変な所で繊細なんはコイツの矛と盾よな。俺の事となると使い途間違えるんは、どうにかして欲しいんやけど……まあ……無理やろな)
閉じた唇を開かせる為にわざと、長く唇を押し付けながら耳朶を弄った。すると、唇を離して荒々しく息を吐いた。その隙を狙って今一度、後頭部を引き寄せると今度は唇が触れた瞬間に、舌を入れて口の中を掻き回す様に動かした。
下から突き上げる様に腰を動かすと、蕩ける様な顔で喘ぐ。まだ少し涙ぐんでいる。
「ゆかりぃっ、ん゙ん゙……」
「イキたいんか?」
「う、ん……い゙、キたい……」
「まだあかんで。ここ塞いどいたるから、イキたいなら中だけでイキや」
俺が掴んだチンコの亀頭の割れ目を塞ぐと、我慢しようとしてるのか、俺の背中に回した手の指先に力が入る。一瞬、肌にピリッと小さな痛みが走った。きっと無意識に爪を立てたのだろう。
(引っ掻くんと噛み付く癖は、何回言うても治らんなぁ。見付かったら面倒なんやが……まぁ……無理やろな)
「あっ、ゆか……ん゙っ、ぼく……変、なる……」
「変になればええやろ」
「やぁ、イき……たい……あ゙っ、ゆかり……」
「イキたいなら中でイけ言うとるやろ。ほら……奥ど突いたるから……イケや」
奥を何回か突き上げると、背中に立てた爪が再び食い込むのが解った。そして「ん゙ん゙っ……い゙っ……イク……」と言って、身体を大きく痙攣させた。
「中でイク方が気持ちええんやろ?いつもより、よお締め付けてきよる」
「はぁ……ゆかり、ぼくっ……イッたばかり、だからぁ……」
「知らん、俺はイっとらんねん。それにまだ足りひんのとちゃうか?」
軽く奥に当てる様に動かしながら、チンコの割れ目から親指を離すと、身体を震わせて「あぁ、あっ……また出る……」そう言ったかと思うと、勢い良く射精した。
「これで何回目や?」
「わ、わかんない……」
「解らんかぁ。ふはっ……自分から腰振っとるで」
「きもちぃ……ゆかり、ゆかり……イクの止まんない……」
ふと見ると、確かに精子がトロトロと溢れ流れている。
「気持ちええとすぐ甘イキしよる。トコロテンやないか……こないに淫乱やったかぁ?」
笑いを堪えながら、また揶揄う様に言うと「ずっときもちぃ……」と、否定も肯定もしない言葉が返ってき来た。薬でもキメたのかと思うくらい、馬鹿になってるのを見て(そろそろか?)と、チラッと壁の時計を見た。
(夜中の二時過ぎ。寝かせるか……)そう思って、背中に絡まる腕を掴むと「やだ、離しちゃやだ……」と、泣きそうな声で言う。
「体勢変えるだけや、ほら……」
「これやだ、顔見えない」
そう言って暴れそうになるのを押さえて、俺の方に向きを変えさせる。顔が見えたからか、満足気に背中に手を回してしがみついて来る。
一瞬でも身体が離れる、顔が見えなくなる……そうすると、不安になるのか駄々を捏ねる様に泣き出す。酷いと、今みたいに暴れそうになる。実際、大暴れした事も何回かあった。
(ホンマ面倒臭い奴やな。眠いのもあるんやろうけど……はあぁ……)
足を肩に担ぐ様に体勢を変えると、身体が離れた所為か不安そうな顔をする。両手を恋人繋ぎにすると、俺の手に頬を擦り寄せて、愛おしそうにキスをする。俺は肩に乗せた片足を掴んで、その内腿に吸い付いた。
その瞬間、身体を仰け反らせてビクビクさせる。腰を動かして、奥を突きながら足の至る所にキスをした。
「ん゙っ、ゆかり……もっと……」
「もっと何や?」
「もっと奥……欲しい……」
奥まで突き上げ続けると、再び甘い喘ぎ声とアナルから出る卑猥な音が部屋に響き渡る。
「あ゙っ、ゆかりっ……そこ、は……」
「此処がええんやろ?」
「ゔっ、ん゙……あ゙ぁ……いや、また……」
「イケや……俺もイク……」
遠慮なしに奥を突き上げると「ん゙ぁっ……い゙、イ……」と言って、締め付けてくるので俺もイった。喘ぎ声の主は射精すると、身体を痙攣させながら意識を手放した。
「器用な奴やなぁ」と言いながら、出し切ったチンコを抜くと、ゴムを取って結ぶとゴミ箱へ投げ捨てた。
お互い身体がベタベタだった。精子と汗が混ざった液体の名前を知らない。いくら物書きでも知らんもんは知らん。特に知りたいとも思わないが。
俺は風呂場に行って熱めの湯でタオルを濡らすと、軽く絞って寝室に戻り、ベッドに横たわる身体をタオルで拭いた。クローゼットの引き出しからパジャマを取り出して着せる。
布団を掛けて寝顔を見詰めた。その頬を軽く撫でて「おやすみ、蒼蒔(ソウマ)」と、頭にキスをする。
ベッドから降りて風呂場に行きシャワーを浴びて、引き出しから持って来たパジャマを着た。そして、キッチンに行くとコーヒーを淹れながら、換気扇のパネルボタンを押して口に咥えたタバコに火を点けた。
(このまま帰りたいんやけど……起きた時に居らんと、何しでかすか解らんからなぁ。俺に矛先が向くならええけど、それが俺以外に向くんが厄介なんよな……)
俺は吸い終わったタバコを灰皿に捨てると、淹れたてのコーヒーと水のペットボトルを持って寝室に向かった。壁の時計を見ると、もう少しで明け方の四時になろうとしていた。
蒼蒔の相手をして疲れた所為か、いつもなら起きてても平気な時間なのに少し眠くなってきた。コーヒーを飲んでも、頭がスッキリする気配はない。
(どうせ居らんとアカンのやったら、俺も一緒に寝るか……)
布団に入ると途端に眠気が増した。気配を感じたのか、蒼蒔がモゾモゾと寄って来る。そして、俺のパジャマの端をギュッと掴んだ。
どうしてこうした素直な可愛さを、もっとストレートに出さないのか謎だ。出されたとしても、絆されるかは保証の限りではない。
「けど可能性は……」と呟き、蒼蒔の頭の下に腕を挟む。そして、そのまま蒼蒔を抱き枕代わりに抱いて寝た。
どのくらい寝てたのかは解らないが、目を覚ますと、腕の中で蒼蒔はまだ気持ち良さそうに寝ていた。癖でスマホを探したが、すぐにキッチンに置いてある事を思い出した。
此処に居る間はスマホはキッチンでしか使わない。それだって蒼蒔が傍に居る時は、電源を切って放置している。それはそれで良いのだが、こういうちょっとした時に、習慣になっている些細な事というのは、意外と厄介だと思った。
かといって今の世の中、最低でもスマホがないのは何かと不便だ。家に居る時は放置してる事が多かったりするのに、いざとなるとその不便さに嘆くのは、文明の利器に頼り切った人間の悲しい業だと思う。
(欲で身を滅ぼす事より余程、醜悪な気いするわ……正直、特に要らんのやけど、ないと不便て思うんは厄介やな……)
寝ている蒼蒔の髪を撫でながら、ふと(お前みたいやな)と思った。
何とか首を捻って壁の時計を見ると、とっくに昼を過ぎていた。家に居る時より寝ている自分に呆れた。よりにもよって、蒼蒔と居る時に爆睡などして……寝首を搔かれても文句は言えない。
蒼蒔は一度寝たらなかなか起きない。でもそれは俺が居る時だけで、普段は限界まで起きているらしい。本人曰く、眠れないのだという。それなら病院にでも行けと言ったが、それは死に値するくらい嫌なのだという。
(自分でも、歪みきって狂っとる事は解っとお筈なのに。まぁ……死ぬんやったらせめて、周りに迷惑が掛からん死に方して欲しいわ)
俺は起こすかどうか悩んで、起こさない事にした。どうせ仕事は休みだ。こういう時しか眠れないのなら、寝かせておいた方が親切だろうと思った。
蒼蒔を起こさない様に布団から出ると、飲み残しの冷えたコーヒーを持って、静かに寝室を後にした。
キッチンに行くと、コーヒーをレンジで温め直して一口飲んだ。換気扇を止めるのを忘れていた様で、わざわざパネルボタンを押す間でもなく、タバコに火を点けて吸い始めた。
(しかし暇やな……ノーパソでも持ってくりゃあ良かったか。せやけど荷物になるから面倒やし……スマホは見たないし)
俺はタバコを吸い終わると、リビングに移動してカーテンを開けた。射し込む陽が暖かくて、窓を少し開けると気持ちの良い風が入って来た。
微かに木と土の匂いがした。そりゃそうだろう。すぐ目の前は広い庭になっている。ただし、手入れはしていないらしく、木々も雑草も生えっぱなしだった。
いつからこの家はこんなに、怪しい洋館の体を成したのか覚えていない。ただ……ここん家の爺さんが生きていた頃は、こんなではなかったのだけはハッキリしている。
(まぁ、他人の家だから別にええけど。蒼蒔以外、殆ど帰って来んのやろうし)
そんな事を考えながらボーっとしていたら、離れた所から「縁人?縁人どこ?!」と、蒼蒔の声が聴こえて来た。俺が窓を閉めながら「リビングや」と言うと、慌てた様な足音が近付いて来た。
リビングに入ってくるなり、泣きそうな顔をして「縁人」と言いながら、蒼蒔が飛び付いて来た。俺は咄嗟に手を伸ばして、ソファに倒れながら受け止めた。
「危ないやろ」
「縁人が居ないのが悪い」
「此処に居ったわ」
「勝手に居なくなったら、困るのは縁人だよ」
俺は蒼蒔を抱え直すと「勝手には居なくならんな」と言った。何処でどうスイッチが入ったのかは解らないが、こうなった蒼蒔が手に負えないのは解っている。
呆れながらも「おはようさん」と言って、頬にキスをする。たったそれだけの事で、あっという間に機嫌が直る。
笑顔で「おはよう、縁人」と言うと、蒼蒔はそのまま抱き着いて来た。
「よう寝れたか?」
「ぐっすり。でも僕、また途中で寝ちゃった。一緒にお風呂入りたかったのに」
しょげた顔をしている割りに、耳までしっかり赤くして、また面倒な事を言い出す。
「風呂入る前に、お前はメシを食うべきや。また痩せたんとちゃうか?」
「そう?変わらないと思うけど。食べる物何かあるかな?」
「買うて来てある。作ったるから待っとけ」
そう言って蒼蒔を降ろしてソファから立ち上がり、キッチンに行こうとすると、俺のパジャマの下端を掴んで着いて来る。俺が「大人しゅう座っとけや?」と牽制すると、蒼蒔は無言で頷いた。
黙々と料理を作っている間も、蒼蒔の視線を感じた。不意打ちで俺が振り返ると、身体を強張らせる。子供の頃に遊んだ、だるまさんがころんだを思い出して笑いそうになって、必死に笑いを堪えた。
俺のその様子が気になったのか、蒼蒔が「縁人、楽しそうだね」と言い出した。また面倒臭い事を……と思って、逆に訊いてみる事にした。
「なんや、お前は楽しくないんか?」
「僕は、縁人が居ればそれだけでいい」
「答えになってへんぞ」と笑ってツッコミを入れると、ハッとして「そうだねごめん。楽しいよ」と言って笑った。
そんな会話をしてる間に、和風パスタを完成させた。それを皿に盛り付けると、フォークと一緒に蒼蒔の前に置いた。俺も自分の分を皿に取ると、蒼蒔の前の椅子に座った。
「縁人のご飯が食べられるとは思ってなかったから、凄く嬉しい」
「ほな、味が合わんくても残さず食べや?」
「味は大丈夫でしょう?でも量が多いから残しちゃうかも」
「嘘やろ?それで多いんか?」
その発言には流石に驚いた。蒼蒔は昔からあまり食べる方ではなかった。だからいつも少な目にしていたし、前に作った時もこの程度の量だったと覚えている。
「うん、最近あまり食べられなくて……」
「どおりで軽い思ったわ」
俺は椅子から立ち上がって、食器棚からもう一枚皿を取り出すと、それを蒼蒔に渡した。
「食べられそうな分を、こっちの皿に移しや」
俺がそう言うと、蒼蒔は最初に盛り付けた量の、半分より少ない量を移した。
「は?そんだけか?」
「もし足りなかったら、おかわりするよ」
「解った」
「いただきます」
蒼蒔が嘘を吐いてるのは解っていた。きっと取り分けた量も食べられない……そう思っていたら、二口目で案の定口を押さえて、苦しそうに咳き込み始めた。近くにあったボウルを取ると、蒼蒔の傍に行った。
「吐くなら吐きや」と言うと、涙目になりながらも、口を押さえながら首を横に振る。
俺は(どうせ俺が作ったもんやからって吐かん気やろ)と思って、蒼蒔の手を口から引き剥がし、代わりに自分の指を奥まで突っ込んだ。
「お゙っ、うぇっ……」と声を発しながら、食べた物を吐き出していく。俺は水を渡して口を濯ぐ様に言ったが、口に入れただけで吐く。このままだと水も飲めなくなる。
「落ち着け。もう一度言うで?水を口に入れて濯いで出すだけや。ゆっくりでええ……出来るな?」
蒼蒔はただただ、無言で頷く。俺はグラスを近付けて、口に水を入れた。最初の一回は無理だったが、二回目にやっと口に含んで出す事が出来た。
何回か繰り返した後、蒼蒔自身も落ち着いたのか、脈は早かったが、呼吸は元に戻って来た。
「ほな次は少しづつ飲んでみぃ。ええか?少しづつやで?」
無言で頷いて飲もうとするも、やはり上手くは行かなかった。挙句の果てに吐いた反動なのか、フラフラと身体が揺らぎ始めた。
俺は蒼蒔を抱き上げ、そのまま寝室へと連れて行き、ベッドの上に一度寝かせると、身体の向きを横にさせた。汚れた手や口元を拭く為に、風呂場に行こうとした。
「縁人……どこ、行く……の……」
「タオルを濡らしに風呂場に行くだけや。ついでに着替えも持って来る。さっぱりしたいやろ?」
虚ろな目で、俺の声に反応するだけの玩具の様に、蒼蒔は再び無言で頷くだけになった。
風呂場に行って熱い湯でタオルを濡らして絞る。クローゼットの引き出しから、替えのパジャマを取り出して寝室に戻る。虚ろな目が俺の目と合うと、顔が笑顔になるのが狂気じみていた。
パジャマを脱がせて顔や手と身体を拭き終えると、綺麗なパジャマを着させた。手首を触るとやっと脈も落ち着いた。
(様子を見るかぁ……)
蒼蒔は目を閉じている。顔色が悪い……のは割りといつもの事。俺と会う時は限界に近い状態なのだろうから、顔色が悪いのも納得はいく。
それでも一晩ぐっすり眠れば、元に戻っている事が多い。と思った所で、違和感を覚えた。
(あ、いつもと違うんや。同じ顔色の悪さでも、昨日会うた時からコイツの顔、病的に青白かった……)
やけに青白い肌、虚ろな目。どう見ても、どう考えても悪い結果しか思い浮かばなかった。
「縁人……喉渇いた」
「起きれるか?」
「ん……」と、起き上がろうとするものの、力が入らないのかなかなか起き上がって来ない。
俺は置いておいた水のペットボトルを手に取ると、蒼蒔の身体を少し起こす様に抱えて、俺が使っていた枕で支えさせた。
タオルを蒼蒔の口元に当て、水を少し口に含むと、薄く開いた唇の隙間から、口移しで水を飲ませた。それを何回か繰り返して、蒼蒔に「まだ飲むか?」と訊いた。
「ううん、もういい。ありがとう」
「眠いんやったら寝や。俺はキッチン片付けてくるわ」
「ん、解った……すぐ戻って来て」
(え、気持ち悪いくらい素直に言うやん。しかもそ妙に弱々し……なんなら今にも消えて失くなりそうな……いやいや、アイツがそんな簡単に死ぬか?なんやさっきから、変な事ばっか考えよるわ……さっさと片付けて一服しよ)
片付けを終えて一服していると、とっくに外が暗くなっている事に気付いた。
妹達には一泊してくるとは伝えてある。それが長くなった所で、特に気にも止めないだろう。それが無断だったとしても、昔からよくあった事だから。
(んな事より問題は蒼蒔よな……あれじゃあ会社にも行きひんやろ。ん~、明日も休ませるか……今のうちに連絡しとくか)
俺はもう一本タバコを吸うと、今度こそ寝室に戻った。中に入ると、当の問題児は気持ち良さそうに寝ていた。
(暢気に寝とるなぁ。今度は何を企んどるんか……それに、何を隠しとるんか……精々、楽しましてや)
それにしても暇だった。スマホはまたキッチンに置いて来た。リビングでテレビでも見ようかとも思ったが、蒼蒔が起きた時に何をしでかすか解らないと思うと、傍に居た方が面倒が減りそうな気がした。
その勘は当たった。暫く経って目を覚ました蒼蒔は「縁人……どこ?」と、手をバタつかせながら譫言の様に言った。
「なんや起きたんか」
「また寝ちゃった……ごめんね。でもね、起きてまだ縁人が居てくれて、凄く嬉しい」
「今日はやけに素直やんなぁ。どんな心境の変化や?」
「だって……縁人は、素直で可愛い方が好きでしょう?」
その言葉に引っ掛かりを覚えた。素直で可愛い……と思った所で(今度は誰や?)と考えた。
「映画の書き下ろしのシナリオを書いてるんでしょう?」
「元は青葉が言い出したらしい。せやけど、今の青葉には俺も興味あったしな」
「縁人にとって青葉は、素直で可愛いんでしょう?」
「お前……」と、言葉を詰まらせた。
青葉は大事な商品というだけではなく、青葉も蒼蒔に懐いていて仲も良かったから、弟の様に思っているのだと認識していた。
それでも"俺が"青葉を可愛がる事が、蒼蒔にとっては面白くないのか。とはいえ俺自身も、青葉は弟に近い感覚しかないのだが。
「ふふっ……冗談だよ。だって縁人は、僕が素直で可愛くなっても、僕を愛してはくれないでしょう?」
「……せやな」
「あははっ……でも僕だけじゃない。縁人は誰も愛さない。誰のモノにもならない。でもこうしてれば……こうしてる間だけは、縁人は僕だけのモノ……」
相変わらずイカれた思考だと思った。歪んで狂ったサイコパス。そうしたのは、そうさせてるのは俺なんだと思うと、俺まで気が狂いそうになる。
「解っとってやっとるんやから、ほんま質悪い。悪趣味が過ぎるわ」
「どうせ愛して貰えないなら、憎まれた方がお互いの心に残るでしょう?」
「それが悪趣味や、言うとるんやろ」
「それより縁人……抱いて」
ベッドの端に座っていた俺の背後から、蒼蒔が抱き着いて来る。背中越しでも、身体が強張っているのが解る。
「さっき体調崩したばっかやろ……セックスしんでも傍に居るから大人しく寝とけ」
「疲れないと寝れない。それに、セックスしてる時も縁人は僕だけのモノ」
「身体だけやろ。心なんぞなくてもセックスは出来んで」
「解ってるよ。でも傍に居る……誰よりも近くに居れる」
言っていて虚しくならないのかと思った。少なくとも俺は虚しくなる。
(はあぁ……面倒臭い。やけど、セックスしんともっと面倒臭なるし……)
俺は深い溜息を吐くと、蒼蒔の前に座り直す。徐ろにその頭を掴んで「ほな、勃たせられたら挿れてやる」と言って、下半身に顔を押し付けた。
俺のフニャフニャの萎えたチンコを握ると、口に咥えて舐め始める。たどたどしい口の動きと舌遣いじゃあ、到底勃つ気はしなかった。
「ほんま下手やな。なんでコレだけは上達せんのや」
「ほへんらさい」
上目遣いで咥えたまま俺を見て、謝る姿には少し勃った。四つん這いになった蒼蒔の尻が微かに揺れている。
「服脱げや」と言うと、チンコから口を離してパジャマを脱ぎ出した。
「全部やで」
「縁人は?」
「ほな脱がしてや」
蒼蒔は頷いて俺のパジャマとパンツを脱がし始めた。脱がされてる間、その柔らかい耳朶をずっと甘噛みしていた。時折り身体をビクつかせては、堪える様に「ん……」と小さい声が聴こえた。
「さっきの続きしぃや。勃たんと挿れられんで」
無言で頷いて四つん這いになると、再びチンコを握りながら咥え始める。手持ち無沙汰になって乳首を弄り始めると、身体が再び悶え出した。
「ん゙っ……」と、堪え切れなくなった蒼蒔が喘ぐ。俺は「お前が勃たせんなや」と言って蒼蒔のチンコを握ると、口を離して「あっ、ダメ」と言う。
俺がパッと手を離すと、再びたどたどしく咥え出す。その頭を押して「もっと奥や、喉締めろ」と言うと、苦しそうに「ん゙ん゙っ……」と悶えた。
蒼蒔の口の中で徐々に大きくなっていくのが解る。苦しいのだろう、閉じた目から涙が零れ落ちる。頭を押さえ付けたたまま蒼蒔の口の中を突き上げ続けると、遠慮なく口の中に射精した。
出した精子を何の迷いもなく飲み込む蒼蒔に、口移しで水を飲ませると、後ろ向きに抱きかかえた。すかさず「顔が見えない」と文句を垂れる。
「身体は離れとらんやろ」
「やだ、顔も見たい……」
そう言って泣き出した顔を、捻じる様にして「これで見えるやろ」と横を向かせた。
だが向かせたはいいが、蒼蒔が大きく身体を反らせても、身長差の所為で腰を曲げていないと、顔を近付けられないのが、ぶっちゃけしんどい。
「やっぱコッチやな」と、対面になる様に抱かえ直した。この体位が蒼蒔のお気に入りでもあり、ヤッてる最中に愚図られる事もないから、気持ち的にも楽ではある。
蒼蒔がへばるまでヤリまくると、ちょうど日付けが変わる所だった。時間がまだ早いのと、昼過ぎまで寝てさっきも少し寝ていたからか、へばってはいるけど蒼蒔は起きてた。
そんな蒼蒔に「風呂入るか?」と訊くと、少し間を置いて「一緒に入りたい」と笑顔で言った。
「用意してくるから大人しく待っとるんやで。せや、それまでそのパジャマ着てろ」
ベッドから起きると、蒼蒔の頭を撫でて風呂場に行く。給湯器のパネルを押す。戻って「タバコ吸って来る」と声を掛けると、蒼蒔が「ここで吸えばいいのに」と言った。
「部屋で吸うんは、臭いが着くから嫌や」
「じゃあ……そこのベランダは?」
「まだ寒いやんけ」
「ふふっ……縁人も割りと我儘だよね」
これを我儘というのか判断に困った。そんな事はどうでも良くなってきて、俺は「灰皿取ってくる」と言って、キッチンに向かった。灰皿と追加の水を持って寝室に戻ると、サイドテーブルにペットボトルを置く。
「水分は摂りや。せや、此処に俺の着物か浴衣ないか?」
「縁人の服や着物なら、そっちのクローゼットにしまってあるよ」
そう言われてそのクローゼットを開けると、カジュアルな普段着からスーツ一式。着物も訪問着から浴衣まで一通り揃っていた。パッと見ただけだが、色合いもデザインも全てが俺好みだった。
「何でこんなにあるんや?」
「縁人に似合いそうだなと思って、ついつい買ってたら増えたんだよ」
屈託なのない笑顔で言うが、この量はまるで"普段から俺が居る"事を、前提としている様で気が重くなった。
「あるならはよ言えや。同じ服着て帰らんでも済むやんけ」
「僕が選んだ服、着てくれるの?」
「服やって着てやらんと傷むだけや。特に着物は……あぁ、ここじゃアカンな」
俺が服や着物を見ながらブツブツ言っていたら、蒼蒔が「そっちのクローゼットも使っていいよ」とご機嫌で言う。
「お前の服は?」
「僕はスーツしかないからそっち。家に居る時の服はそっち」
そう指し示した先には、俺の服が入ってるクローゼットより少し小さめだった。しかもその内の一つにはパジャマ関連と、下着類が引き出に入っているだけだ。
「お前のクローゼットより、俺のクローゼットの方が広いってどないやねん」と呆れた。
「だって僕は会社に行って……たまに接待をするだけ。休みの日はこの家で、一人で書類に目を通したり寝るだけだし……」
そこで言葉を切った蒼蒔は、ベッドの上に起き上がろうとして、軽くフラついていた。それが気になって近くに行こうとしたら、フラフラしながらベッドから降りて、クローゼットを見ながら歩いてくる。
「この前買った着物が、縁人にとても似合いそうだと思ったんだよ。ねぇ、着てみ──」
言い終わるか終わらないかで、蒼蒔が俺の目の前で倒れそうになる。慌てて抱き支えると、苦しそうに「ぅぐっ……」と口を押さえた。
「体調悪いなら寝てろや」
「嫌。せっかく縁人と一緒に居られるのに……それにまだお風呂入ってない」
「確かに風呂入った方がええな……生臭い」
「もぉ……それは縁人の所為でしょう」
フラつきながらも、頬を膨らませて怒る素振りをする。俺の腕から抜け出すと、覚束無い足取りで風呂場に向かおうとする。
「お前な……危ない言うとるやろ」そう言って、蒼蒔を抱き上げて風呂場へと向かうと、そのまま二人で風呂に入った。
頭と身体を洗い流してやり先に湯船に浸からせると、自分も頭と身体を洗い流した。
湯船に入ろうとしたら、蒼蒔がグッタリしていた。ヤる事もやった上に体調も良くないから、風呂に入ればグッタリもするだろう。逆上せてはなく、意識があったのが唯一の救いだった。
風呂に入って疲れを取ろう等とよく言われているが、そんな物は時と場合による。今の蒼蒔には逆効果だ。
俺は湯船に浸かるのを諦めて、蒼蒔を脱衣場に座らせると髪の毛と身体を拭いて、綺麗なパジャマを着せた。ドライヤーで髪を乾かしていると、不意に「スッキリした」と言い出した。
「暢気によお言うわ」
「ふふっ……気持ち良くて寝ちゃいそう」
「寝れんなら寝ろ」
「縁人が髪を乾かしたら、一緒に寝たい」
眠そうな顔をしながら言うから、思わず急いで髪を乾かした。髪が長い分、乾かすのに時間が掛かる。
「髪切るか」とぼやくと「長い方がいい」と、俺の足に凭れながら言う。顔を覗き込むと今にも寝そうだった。
自分もパジャマを着ると蒼蒔を立たせ様としたが、グッタリしている上にフラフラしていた。面倒臭いと思ったが、此処で寝かせる訳にもいかない。
抱き上げてベッドまで運ぶと、寝惚け眼で「縁人も一緒に寝て……」と言う。俺は「寝る前に一服するから待ってろ」と言って、クローゼットから適当にカーディガンを取って羽織ると、ベランダに出てタバコを吸い始めた。
すると、蒼蒔が言っていた言葉が思い出されてきた。それと突然の体調不良が気になった。
(次は青葉なんか?けど……どうしても、それは考え難い。ならなんで、あんな意味深な言い方をした?それにあの吐き方と顔色は……って寒いな)
真冬程の寒さではないが、朝晩はまだ肌寒い。特に風呂上がりに長い時間、この格好で外に居るのはしんどい。俺はもう一本吸いたいのを我慢して、部屋に入ってベッドの端に座った。
蒼蒔はやっと寝落ちた様だ。顔色は依然として青白いし、よく見ると、やはり前に会った時より痩せている気がした。
(前に会うた時はいつも通りやった。なのに……今日の蒼蒔はいつも以上に、感情の揺れ幅が激しい。病的な顔色もそうやし、食欲もない言うてた……ん?)
その時再び頭を過ぎったのは、摂食障害、睡眠障害……それと、薬物だった。元々、睡眠障害はあるとは思っていたし、昔から食も細かった。
それでも会わなかったこの半月程の間に、急激に痩せた様にも見えるし、時折見せる目付きも、いつものそれと違っておかしい。
(何かがおかしい。この半月の間に何があったんや……)
外が明るくなり始めた。恐らく蒼蒔は、当分起きないだろう。俺も眠くなってきたが、寝ている間に軽く家探しをしようと思った。
とは言っても、いつ起きるかも解らない。起きて俺の行動を見て、色々訊かれるのも面倒だ。それ以前に、一人にはしておけない。俺は、取り敢えず寝室だけでも見ておく事にした。
どこか解りにくい所にでも、隠してあるのだろうと思っていたが、よもや俺がそんな事をするとは思っていなかったのだろう。探し物は呆気なく見付かった。
「おいおい嘘やろ……」と小さく声に出してしまったのは、探し物がすぐに見付かった事もそうだが、想像していたより多かったからだった。
サイドテーブルの下……その奥に、空の空き箱が三つ。空き箱の中には中身のない空の薬のシートが入っていた。引き出しにはまだ10シートは入っていた。クローゼットの引き出しの隙間から、紙袋に入った未開封の箱が二つ出てきた。
箱に書かれている薬の名前を見て、自分の目を疑った。その薬は処方箋でしか買えない上に、その道の医者でも取り扱いに注意が必要とされていて、今どきこの薬を処方する医者も少ないと聴いた。そう簡単に手に入る代物ではない筈だ。
(いつから……こんなん何処で……いや、問題はそこやない)
時期を仮に半月だとして、空き箱が三つは異常だ。仕事にだって影響が出るだろう。だが、仕事に影響が出ている様子はない。ならば帰宅してからの可能性が高いが、それだって飲む量によっては、次の日の仕事に影響が出るのは確かだ。
(これをどうするかやなぁ……)
空き箱は回収するとして、残っている分と未開封の箱の取り扱いに悩んだ。
証拠として突き付けて詰め寄ってももいいが、それだと本音は言わないだろう。無理に取り上げても、また何処かで手に入れるのも解っている。
本来なら無理矢理にでも、然るべき病院に連れて行き、きちんとした治療を受けさせるべきなのも解っている。だけど本人にその気がなければ、なんの意味もない事も解り切っている。
持ち前の演技力でそつなく遣り過ごし、その饒舌さで医者をも丸め込み、また同じ事を繰り返すだろう。
(ん?まさか……今までは俺の周りに向いていた矛先が、蒼蒔自身に向かった?いや、有り得んやろ……)
有り得ないとは思っていても、確かめずにはいられなかった。俺は手に持った瓶を、それぞれ元あった場所に戻す事にした。これで何か確証が得られるかは解らないが、コレが無ければないで騒ぎ立てるのは手に取るように解った。
間違えた選択である事は認める。一歩間違えれば命の危険すらあるのだから。それでも……こうでもしなければ、蒼蒔は俺にすら何も言わないだろう。
(はあぁ……面倒臭い。何でや……お前の事を一番に考えて、大切に想おて幸せにしてくれる奴は、ぎょおさんおるやろ。俺はお前の願いは、叶えてやれん言うとんのに……)
蒼蒔と初めて会ったのはまだ幼等部に通っていた頃で、爺さんに連れて行かれたパーティで会った。当時の俺は今と変わらず、パーティと称された場が嫌いだった。
その日も、子供相手に愛想を振り撒いてくる連中が嫌で、会場の隅で鬱屈としていた。そんな時、蒼蒔に声を掛けられた。「ねぇ、どこの事務所なの?」と訊かれたが、俺は無視していた。
それにも関わらず、ケーキが乗った皿を持って来て「これ美味しいんだよ」と無理矢理、押し付けて来たり「ドラマと映画どっちが好き?」等と、勝手に一人で喋り続けた。
いい加減に鬱陶しいと思い始めた時、爺さんが「昔からの友人」だと言って、これまた一人の爺さんを連れて来た。その相手の爺さんを見て「お爺ちゃん!」と、蒼蒔が笑顔で抱き着いた。
「この無愛想なんが儂の孫や。縁人、挨拶しぃや」
「一ノ瀬縁人です。いつも祖父がお世話になってます」
「ゆかりくん……」と呟く様に言うと、パッと顔を上げて目を輝かせた。そして、笑顔で「僕は、七種蒼蒔。お爺ちゃんの事務所で子役をやってるんだ」と言った。
俺は(あぁ、通りでやかましい思おた)と、思った事は今でも良く覚えてる。
その日を境に、俺が東京に来ている時、蒼蒔は必ず会いに来た。俺がどんなに無愛想で接しようが、そんな事はお構いなしだった。
高校進学を前にお家騒動で実家に居るのが鬱陶しくなり、爺さんの家に転がり込んだ。それを機に、蒼蒔は頻繁に会いに来る様になった。
蒼蒔は中学卒業を前に芸能界を引退し、俺の後を追う様に同じ高校に進学した。見た目や言動とは裏腹に蒼蒔には、芸能界という世界は合わなかった。それは傍から見ていても手に取る様に解った。
その頃からだったと思う。蒼蒔の俺を見る目に、愛情と憧憬と尊敬の様な感情が孕んでいる事に気付いた。それと同時に微かだが、どこか狂気じみた感情が含まれている様にも見えた。でも、俺は気付かないフリをした。
それは蒼蒔に限った事じゃなかった。俺には面倒臭いお家事情が付き纏っていた。だから、特定の誰かと付き合う事もなかったし、作る気もなかった。
その事をそれとなく蒼蒔に話した事があった。その時「本当にそうかな」と目に宿る狂気が、強く妖しく揺れていたのも良く覚えている。
蒼蒔が歪み始めて、狂気が加速して行ったのは、それからだったと思う。俺の身近な大切な者が狙われ始めた。そこまで大切だと思っていなくても、お気に入りだと思われた時点で狙われた。
直接手を出してなくても、裏にいるのが蒼蒔だという事には、割りと早い段階で気付いた。でも蒼蒔を責める事も出来ずに、手をこまねいていた。そんな状況にも関わらず、身体を重ね始めたのもその頃からだった。
「どんなに酷くしてもいい。特別じゃなくてもいい。でも僕が本当に、寂しいと思った時だけでいいから抱いて欲しい」
「そないに暇やない」と強く突っぱねたが、蒼蒔は「半年に一回……年に一回でもいい」と粘った。
その顔には歪みも狂気もなく、縋る様に懇願した表情だけが浮かんでいた。
「優しくなんてしぃひんし、お前を特別にする気もない。ヤるだけヤったら帰んで」
「それでもいい」
それからなし崩しにこんな関係が、ずっと……もう何十年も続いている。いつか何処かで終わらせなきゃいけないと思いつつ、もうずっと終わらせないままでいる。
俺はベランダに出て、タバコに火を点けると(もう、終わらせんとアカンのやろな……)と思った。だけど、今の蒼蒔を見ていると(このまま放り出してええんか?)と思う自分もいる。
「はあぁ……俺はどないしたいんや」
タバコの煙と一緒に、そんな言葉を吐き出しつつ部屋に戻った。
「縁人……」
「悪い、起こしたか?」
「ううん。今何時……僕、会社に行かないと……」
そう言いながら起き上がろうとしているが、やはり身体が思う様に動かないらしい。
「そろそろ8時や。お前は体調不良で休み……もう連絡しといたわ」
「でも今日は企画会議があるんだよ」
「無理して行って倒れられても、周りが困るやろ」
「そうだけどっ……縁人は帰るんでしょ?」
ベッドに横になりながら、蒼蒔は枕に顔を埋めた。その頭を撫でながら、俺は「せやな……ノーパソと、書類を取りに一回帰ってまた来るわ」と告げる。
「ぇ……また来てくれるの?本当に?」
「いくら俺でも、体調悪い奴を放置しておけんわ」
「ふふっ……縁人は平気で放置するでしょう」
戻って来る事が解ると、枕から顔を離して笑顔で言う。単に様子を監視したかっただけなのだが、そんな風に素直に喜ばれると(まぁいいかと)と思えてくる。
「ついでに何か買うてくるわ。何か食べれそうなもんはあるか?」
「お粥とか飲むゼリーとか……あ、果物が食べたい」
「解った。遅くても、昼には戻って来るわ」
ふと着替えをどうしようかと思って、蒼蒔に「なんか着てってもええか?」と訊く。
「縁人の為に買ったんだから好きに着て」と言われ、クローゼットから、適当に見繕って着替えた。
「帰って来たら洗濯もせなアカンな」
「それくらい僕にも出来るよ」
「大人しく寝とけ」と、頭を撫でると「ぅん……」と俺の手を握る。
「スマホそこに置いといたから、何かあったら連絡しぃや」
「解った」
「ほな行ってくる」
「行ってらっしゃい、縁人。またね……」
行ってらっしゃいの後の言葉が、小さくて聴き取れなかったが、聴き返す事もなく俺は蒼蒔の家を後にした。
家の前に待機していた車に乗り込むと、車内には子飼い三人が待っていた。
「すまん、待たせてもおた」
「大丈夫です。自宅ですか?」
運転席のシンに訊かれ、少し間を開けて「せやな。先に家に戻るわ」と言った。助手席に座っていたハンに「他にもどこか回るんですか?」と、振り向きながら訊かれた。
「あぁ、スーパーとドラッグストア。買い物してあっこに所に戻る」
「えぇっ?!」と大きな声で驚いたのは、隣に座っていたリュウだ。
「リュウ」とシンが、余計な口出しをするなと言わんばかりに言う。
「まぁ……驚きたくもなるわなぁ。せやけど、気になる事が出来たんや」
「今度は何です?」
「コレの入手先を調べといてくれ」
俺は蒼蒔に気付かれない様に持って来ていた紙袋を、リュウに渡しながら、蒼蒔のあの時の様子を掻い摘んで話した。
「ドラッグじゃなく薬か……」
「死ぬ気ですかね?」
「まだ何とも言えんな」
そう言って窓を開けてタバコを吸い始めると、ハンも窓を全開にした。ハンはタバコが嫌いだったのを思い出した。俺は「すまん」と言って、タバコを消した。
「俺たちに気を遣わんでいいんですよ」とシンが言うと、リュウが「ボスに気ぃ遣わせんなよ」と、助手席の背凭れを蹴り飛ばした。
「やめたれや。ただ俺はお前達に、出来る限り優しくしたいだけや」
「心にもない事を……」と言って、シンが笑い出した。
そんな他愛もない会話をしているうちに、家の近くまで来た。平日だから、家には誰も居ない筈。妹達も仕事に行ってる筈だ。
「こない時間に誰も居らんよな……」
「様子見てきます」と言うなり、ハンが車から降りて裏門の方に向かった。車も裏門の方に向かわせて、ハンが戻るのを待った。
暫くするとハンが戻って来て「誰もいないです」と、報告した。それを聴いて、俺はハンとリュウを連れて家の中に入って行った。
書斎に行くと、鞄を取り出してノーパソと周辺機器を入れ始めた。
「あ、その辺の書類関連も適当に突っ込んどいてくれんか」
「着替えはどうしますか?」
「要らん。あっちにアホかってくらいある」
「なんですかそれ?」
「知らん。せや、置き手紙しとかなアカンな」
手近にあったメモに、妹宛に暫く仕事で留守にすると書いた。いつもの所に、メモと一緒に現金とカードを置いておく。
「せや、誰か離れの状態見て来てくれんか?」
「離れですか?定期的に業者が入ってるんじゃ……」
「何となくや」
「じゃあオレが見て来ます」
リュウが居なくなると、ハンが「ボス、質問しても?」と言い出した。
「ふはっ……急に改まるやん。なんや?」
「いい加減、蒼蒔サン消したらどうです?」
「それが出来るんやったら、とっくにそうしとるがな」
「……ボスがそう言うなら、別にいいですけど」
ハンの言いたい事も解る。蒼蒔は面倒臭い奴だから。それでも、アイツが次に何を企むのかを予想するのも、程良い気分転換になって楽しい。ハンではないが、そんな奴を消す事なら簡単に出来る。でも、ただ消すのはつまらない。
「あ、どうせやったら……もがき苦しみ抜いて、絶望の果てに死んで欲しいなぁ」
「うげぇ~悪趣味」
「今更やろ」と言うと。ハンが笑いながら「ボスらしいですよ」と言った。
そんな時、リュウが戻ってきて「全部屋キレイでした。使われている形跡はないですが、ライフラインも生きてます」と報告する。
「使うんです?」
「んな予定はあらへん。けどほんま何となくな」
「ボスのその"何となく"ての、当たるんですよ。シックスセンスですか?」
「んなもん、あってたまるかいな」
俺は必要最低限の荷物を纏めた。そして「引き上げんで」と二人に告げた。リュウが荷物を持つと、ハンが先頭を歩いて行く。
車に戻ると、シンが「さっきのブツですけど、ネット経由してますね」と言うので、ハンが「んな事、考えなくても解る」と言った。
「その相手が解らんのやろ?」
「手元のノーパソじゃあ難しいです」
「帰ってからでええ。はよしんと時間がのうなる」
「スーパーとドラッグストアでしたっけ?」
俺が無言で頷くと、ハンが「これ海外サーバー使ってんのか……」と話し始めた。リュウが「郵送なのかどうかも気になるな」と言う。
「郵送やろ」
「自宅ですか?」
「自宅や会社はないだろ。誰か……何かを経由してるかだね」
それなりに個人情報が守られていて、身元がバレにくい所となると何処だろうと考えながら、窓の外を眺めていたら郵便局が見えた。
「あ、なるほど。郵便局や……郵便局の私書箱」
「盲点だな」
「行動範囲から虱潰しか……それでも、全部を炙り出すのに少し時間掛かりますよ」
「出処は後回しでええ。先に郵便局から当たってんか」
そう指示をすると丁度スーパーに着いた。当面の食料を買い込むと、近くのドラッグストアに寄ってパウチのゼリー飲料と、ついでと言わんばかりにアレコレと買い込んだ。
「どのくらい居る気なんですか」と、シンの呆れた声に俺は「さぁ……解らん」と返事した。
車に乗ると、妹に『いつもの所』とだけLINEして、蒼蒔に『今から戻る』と送信した。だが、家に居る筈の蒼蒔からは、なかなか返信が来ない。
いつもなら……"今は仕事中やろ?"と思う時でさえ、すぐに返信が来るのにそれがない。意味もなく動悸が早くなる。俺は(寝てるだけかも知れんけど……)と通話を押した。
呼出音が聴こえるだけで、出る気配を感じない。そんな中シンが「事故か……」と言ったのが聴こえた。
俺は何度も通話を押したが、蒼蒔はなかなか出ない。呼出音だけが虚しく耳に響いて、嫌な予感が頭を過ぎった。
「シン、迂回ルートは?」
「そっちに流れる車も多く、ルートが確保出来ません」
「どうかしたんですか?」
「あん馬鹿、電話に出ぇへん」
あの状態で外に出られるとは思えない。それは本人も解っているだろう。だから家に居る筈なのに、LINEにも電話にも出ない。
単に寝ているだけなら良い。だけど、俺からの連絡に無反応なのは、何かおかしいと思わざるを得ない。ここまで考えると、嫌な予感しか湧いて出て来ない。
「なんとかルートを確保します。掴まってて下さい」
「えぇ……マジかよ。まだ死にたくないんだけど……」
「ボス、失礼します」
そう言ってリュウは盾になるかの様に、俺の上に覆い被さって抱きかかえた。それと同時に車が急発進をして、交通整理をしていたのだろう警察の警笛と、クラクションが辺りを賑やかした。
その音が遠くに聴こえ始めると、車は一旦、細い路地に入った。ハンが素早く降りると、すぐに戻って来て「ナンバーは変えたけど、車種でバレるかも」と言った。
それを受けてシンがスマホを操作して、通話を押すと車を発進させた。リュウが俺の身体を離して「ボス怪我は?」と訊く。俺は「大丈夫や」と答える。
「俺。さっき○○区○○交差点付近で事故があった。ボスの緊急事態で色々やらかした。うん?あぁ、ボスは無事だ。あ~そうだな、この後も暫くは動く。あぁ……じゃあ宜しく」
シンの通話相手は警察。俺が口利きをする前に、気を利かせて連絡を入れたのだろう。相手も、俺よりはシンの方が気安さもあると思う。
「後で礼をせなあかんな。シンにも臨時手当出すか」
「えっ、オレには?」
「冗談や、三人に出すから安心せい」
「別に俺は要らない」と言うハンに、俺は「あって困るもんでもないやろ。遣わんのやったら貯めとけ」と言った。
冗談めいた会話をしていたら、シンが「着きます。車はどうしますか?」と言う。
「中に入れてくれ」
「俺は待機してた方がいいですか?」
「ほな、シンは車で待機。ハンとリュウは荷物を持って、着いて来てや」
そう指示を出したものの、鍵を開けるのに気が重くなるのが解った。それでも入らないといけない。そして蒼蒔の様子を見に行かなければならない。
家の中に入ると中は不気味な程静かで、蒼蒔の気配は感じなかった。二人に買って来た食品等を片付ける様に言うと、俺は寝室へと入って行った。
そして目を疑った。横たわった蒼蒔の周りに、散乱した大量の薬のシートと、空になったペットボトルがあった。
「おいこら、起きんかい」と、頬を軽く叩いても反応がない。
飲んでからどのくらい経過しているのかは解らないが、身体はまだ暖かかった。呼吸は浅いが心音も聴こえる。脈が乱れている。
取り敢えずトイレに運ぶと「誰か水持って来てや」と、大きな声で言う。俺は(もぉ遅いか?)と思いながらも、蒼蒔の口に指を入れて、喉の手前の舌の付け根を押した。
「ん゙、うっ……」と、小さく呻く声がした。
「持ってきまし……あ~、これは……」
「ハン、俺のスマホにマイク繋いでくれんか?」
俺は更に舌の付け根を押して、胃の辺りを軽く押した。
「お゙げっ、お゙っ……」
「おぉ……出てますね。マイク繋ぎました」
「噴水の如く出よる。○○病院に繋いでくれ。あ、そん前にリュウに……」
「なんです?」と言いながら、リュウが現れたと同時に病院に繋がる。俺は口元に指を置くと、受話器の向こうに「一ノ瀬や。救急の谷山に繋いでくれ」と言った。
「お待ち下さい」と言われ、保留音が流れ出した。
「リュウ、ベッドの上の例のシートを集めて紙袋に入れて、クローゼットからタオルを持って来てんか。ハンはコイツの貴重品が入ってそうなバッグと毛布を持って来てくれ」
そう言うと、二人はトイレから出て寝室に向かった。俺は引き続き、薬を吐き出させた。すると、保留音が途切れて谷山の声が聴こえてきた。
「どうした、患者か?」
「急性薬物中毒や。意識はなく呼吸も浅い。脈は乱れとおが、心音はハッキリしとる」
「いつ飲んだか解るか?」
いつ……俺が居る時は飲んでいない。俺が行った後すぐに飲んだのだとしたら、既に二時間は経っている。
「一時間から二時間の間やろな。けどまだ少し吐いとる」
「飲んだのは安定剤か?睡眠薬か?」
そう聴かれて、俺は薬品名を言うと「は?待て。いや待つな」と混乱した様に言う。
「20分以内には着く」
「救急外来の所で待機してるわ」
「頼んだ」と言って電話を切ると、二人が紙袋とバッグを持って来た。
「後片付け頼めるか?」
「もちろんです。荷物は車に運びます」
「シンにはもう伝えてあります」
「仕事が早くて助かるわ」と、二人に言うと、蒼蒔を毛布に包んで抱き上げ、横を向く様に体勢を変えた。
「ほな行こか」と、意識のない蒼蒔に向かって呟くと、何故か(頼むから間に合うてくれや……)と、そんな思いが頭の中を占めた。
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