02

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扉が開き、ロクロは中へと入った。 真っ暗だった部屋に灯りがつき、そこには女性が一人立っているのが見える。 「来ましたね、ジヤの戦士ロクロ。ワタシの可愛い子」 この女性はマザー·カノン。 その顔はとても口では表しづらい平均的な容姿をしていて、目立った特徴はないが非常に整った造形をしている。 マザー·カノンは服を着ていなかったが、どうしてだか性的な感じは受けず、むしろ神聖さを感じさせた。 「我らが母、マザー。言われた通り、犯罪者たちは捕らえました」 ロクロは女性に(ひざまづ)いた。 慇懃(いんぎん)に、まるで神に祈りを捧げる殉教者のように、深々と頭を下げる。 マザー·カノンはそんなロクロの頭を撫でると、彼を呼び出した理由を話し始めた。 なんでも別の特別公務員が反体制派の人間に逃げられてしまい、国外に逃亡されてしまったと言う。 「行き先はもうわかっているわ。アス国よ」 ロクロは、すぐに国を出て、自分が逃亡者を捕まえてみせると志願した。 そんな彼を見たマザー·カノンは、上品にクスッと笑うと、首を横に振る。 「あなたにそんな面倒なことはさせない。ただアス国に取り次いでほしいの。ワタシがあなたたちの国のリーダーと話をしたいと」 ロクロは、マザー·カノンの意図を理解した。 外交では使者を立てるのが常識だ。 現在ではそのやり方は廃れているが、下の者が窓口に声をかけるのは当然だろう。 マザー·カノンが直接、国の窓口に声をかけるのは、他国に舐められる――ロクロはそう思い、すぐにアス国に連絡を取った。 首にあるナノ·タトゥーからスクリーンを出し、海外への通信を始める。 「こちらジヤ国の特別公務員、日野元(ひのもと)ロクロである。至急、そちらのリーダーに取り次いでもらいたい」 アス国からはすぐに返事がきた。 マザー·カノンが用があるというのならば、アス国を統治している人工知能AI――キャピタル·ブラザーが直接話すと言っている。 統治AI同士での会話は、余程のことがない限りないことだ。 そう思ったロクロは、まるで歴史の立会人にでもなったかのように、誇らしそうにマザー·カノンへ報告をした。 「では、早速キャピタル·ブラザーと話をしましょう」 マザー·カノンはそう言うと、どこからか椅子が現れ、それに腰を掛けた。 すると彼女は意識を失い、白目をむいたまま話を始めた。 その声は、女性の体からではなく、室内に取りつけられたスピーカーから聞こえてきた。 「こんにちは、キャピタル·ブラザー。ワタシはマザー·カノンです」 《こんにちは、マザー·カノン。ワタシはキャピタル·ブラザーです》 アス国側の声も聞こえていた。 ロクロは、ますます自分が特別な場にいさせてもらっているのだと、思わず笑みがこぼれた。 だがAI同士の会話は、彼が予想していたような――崇高なものではなかった。 「うちの国の人間が、あなたの国へ亡命しました」 《はい。そのことはすでに知っています》 「ならば、すぐにその亡命者をこちらに引き渡してください。再教育しますので」 《それはできません。亡命者はアス国で再教育します》 それから、マザー·カノンとキャピタル·ブラザーの交渉は続いた。 しかし、逃げた者の引き渡しを要求するマザー·カノンに対し、キャピタル·ブラザーは反対の姿勢だった。 会話を聞いていたロクロは、次第に不安になっていったが、深呼吸をしてすぐに落ち着きを取り戻す。 なんといっても交渉しているのは人工知能AIなのだ。 互いに損失がないところで、会話の決着がつくだろう。 「ワタシの計算では、亡命者はジヤ国へ戻るのが正しいと出ています」 《ワタシの計算では、亡命者はアス国で暮らすことが正しいと出ています》 「ならば、仕方がないですね」 《ええ。互いが正しいというなら、これはもう戦うしかありません》 「では、ごきげんよう、キャピタル·ブラザー。そして、永遠にさようなら」 《わかりました、マザー·カノン。こちらこそ、永遠にさようなら》 そう言い合って、AI同士の会話は終わった。 ロクロは冷や汗が止まらなかった。 それは“戦うしかない”という言葉が出ていたからだ。 まさか世界最高の人工知能AI同士で、そんな野蛮な結果が導き出されるなど、彼は考えてもみなかった。 自分の聞き間違いかもしれない。 ロクロはマザー・カノンに訊ねる。 「偉大なるマザー……。どうなったのでしょうか? キャピタル・ブラザーはなんと?」 「残念なことに、ワタシとキャピタル・ブラザーとでは出した答えは違ったようです」 「そんな!? では、まさか戦争になるのですか!?」 「はい。あなたの言う通り、戦争が始まることになりました。すでに互いに核爆弾を撃ち合いました。もうすぐこのジヤ国は滅亡するでしょう」 ロクロは全身から力が抜けていった。 これまでずっとマザー・カノンの言う通りに生きてきた彼だったが、死ぬことだけは受け入れられない。 それは、人類がまだ死を克服できてないことが理由だった。 科学技術の発展で、老いこそかなりのレベルで遅れさせることができるものの、人間はまだ死ぬことを避けられない。 全身を機械に変えて脳だけになっても、いずれは活動を停止してしまう。 それだけに、ロクロは死ぬことが怖かった。 ましてや、これまでマザー・カノンの庇護のもとでストレスなく生きてきた彼にとっては、ほんの小さな重圧でさえ、針のむしろに座るかのような辛さだった。 「ヤダだ……僕はまだ死にたくない……。戦争なんてゴメンだ!」 ロクロは、マザー・カノンの止める声を聞かずに、人工知能AIの前から走り去った。
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