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扉が開き、ロクロは中へと入った。
真っ暗だった部屋に灯りがつき、そこには女性が一人立っているのが見える。
「来ましたね、ジヤの戦士ロクロ。ワタシの可愛い子」
この女性はマザー·カノン。
その顔はとても口では表しづらい平均的な容姿をしていて、目立った特徴はないが非常に整った造形をしている。
マザー·カノンは服を着ていなかったが、どうしてだか性的な感じは受けず、むしろ神聖さを感じさせた。
「我らが母、マザー。言われた通り、犯罪者たちは捕らえました」
ロクロは女性に跪いた。
慇懃に、まるで神に祈りを捧げる殉教者のように、深々と頭を下げる。
マザー·カノンはそんなロクロの頭を撫でると、彼を呼び出した理由を話し始めた。
なんでも別の特別公務員が反体制派の人間に逃げられてしまい、国外に逃亡されてしまったと言う。
「行き先はもうわかっているわ。アス国よ」
ロクロは、すぐに国を出て、自分が逃亡者を捕まえてみせると志願した。
そんな彼を見たマザー·カノンは、上品にクスッと笑うと、首を横に振る。
「あなたにそんな面倒なことはさせない。ただアス国に取り次いでほしいの。ワタシがあなたたちの国のリーダーと話をしたいと」
ロクロは、マザー·カノンの意図を理解した。
外交では使者を立てるのが常識だ。
現在ではそのやり方は廃れているが、下の者が窓口に声をかけるのは当然だろう。
マザー·カノンが直接、国の窓口に声をかけるのは、他国に舐められる――ロクロはそう思い、すぐにアス国に連絡を取った。
首にあるナノ·タトゥーからスクリーンを出し、海外への通信を始める。
「こちらジヤ国の特別公務員、日野元ロクロである。至急、そちらのリーダーに取り次いでもらいたい」
アス国からはすぐに返事がきた。
マザー·カノンが用があるというのならば、アス国を統治している人工知能AI――キャピタル·ブラザーが直接話すと言っている。
統治AI同士での会話は、余程のことがない限りないことだ。
そう思ったロクロは、まるで歴史の立会人にでもなったかのように、誇らしそうにマザー·カノンへ報告をした。
「では、早速キャピタル·ブラザーと話をしましょう」
マザー·カノンはそう言うと、どこからか椅子が現れ、それに腰を掛けた。
すると彼女は意識を失い、白目をむいたまま話を始めた。
その声は、女性の体からではなく、室内に取りつけられたスピーカーから聞こえてきた。
「こんにちは、キャピタル·ブラザー。ワタシはマザー·カノンです」
《こんにちは、マザー·カノン。ワタシはキャピタル·ブラザーです》
アス国側の声も聞こえていた。
ロクロは、ますます自分が特別な場にいさせてもらっているのだと、思わず笑みがこぼれた。
だがAI同士の会話は、彼が予想していたような――崇高なものではなかった。
「うちの国の人間が、あなたの国へ亡命しました」
《はい。そのことはすでに知っています》
「ならば、すぐにその亡命者をこちらに引き渡してください。再教育しますので」
《それはできません。亡命者はアス国で再教育します》
それから、マザー·カノンとキャピタル·ブラザーの交渉は続いた。
しかし、逃げた者の引き渡しを要求するマザー·カノンに対し、キャピタル·ブラザーは反対の姿勢だった。
会話を聞いていたロクロは、次第に不安になっていったが、深呼吸をしてすぐに落ち着きを取り戻す。
なんといっても交渉しているのは人工知能AIなのだ。
互いに損失がないところで、会話の決着がつくだろう。
「ワタシの計算では、亡命者はジヤ国へ戻るのが正しいと出ています」
《ワタシの計算では、亡命者はアス国で暮らすことが正しいと出ています》
「ならば、仕方がないですね」
《ええ。互いが正しいというなら、これはもう戦うしかありません》
「では、ごきげんよう、キャピタル·ブラザー。そして、永遠にさようなら」
《わかりました、マザー·カノン。こちらこそ、永遠にさようなら》
そう言い合って、AI同士の会話は終わった。
ロクロは冷や汗が止まらなかった。
それは“戦うしかない”という言葉が出ていたからだ。
まさか世界最高の人工知能AI同士で、そんな野蛮な結果が導き出されるなど、彼は考えてもみなかった。
自分の聞き間違いかもしれない。
ロクロはマザー・カノンに訊ねる。
「偉大なるマザー……。どうなったのでしょうか? キャピタル・ブラザーはなんと?」
「残念なことに、ワタシとキャピタル・ブラザーとでは出した答えは違ったようです」
「そんな!? では、まさか戦争になるのですか!?」
「はい。あなたの言う通り、戦争が始まることになりました。すでに互いに核爆弾を撃ち合いました。もうすぐこのジヤ国は滅亡するでしょう」
ロクロは全身から力が抜けていった。
これまでずっとマザー・カノンの言う通りに生きてきた彼だったが、死ぬことだけは受け入れられない。
それは、人類がまだ死を克服できてないことが理由だった。
科学技術の発展で、老いこそかなりのレベルで遅れさせることができるものの、人間はまだ死ぬことを避けられない。
全身を機械に変えて脳だけになっても、いずれは活動を停止してしまう。
それだけに、ロクロは死ぬことが怖かった。
ましてや、これまでマザー・カノンの庇護のもとでストレスなく生きてきた彼にとっては、ほんの小さな重圧でさえ、針のむしろに座るかのような辛さだった。
「ヤダだ……僕はまだ死にたくない……。戦争なんてゴメンだ!」
ロクロは、マザー・カノンの止める声を聞かずに、人工知能AIの前から走り去った。
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