大切な“妹”

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大切な“妹”

俺の名は園田健(たける)。 あの、華苑OGで、未だ『世界の彼氏』を貫いている、七杜ひかるのマネージャー 園田慶子は俺の母だ。 “叔母さん”と呼ぶには素敵すぎて、 カッコ良すぎる七杜さんのことは、 昔から“ひかるさん”と呼んでいる。 もっと幼い頃、“ひかるお兄ちゃん”と 呼んでた時代が懐かしい。 俺は、マネージャーをしている母と、 ひかるさんの亡くなったご主人の安倍さんのお母さん(俺は昔から“安倍のおばあちゃん”とか普通に“おばあちゃん” と呼ばせてもらっている)、 そして“妹”と4人で住んでいる。 “妹”といっても、本当の妹じゃない。 安倍流星さんの忘れ形見で、 ひかるさんの娘の星彩(せいあ)だ。 ひかるさんの仕事が多忙であること、 俺の母がシングルマザーであること、 そして流星さんが亡くなって “おばあちゃん”がひとりになってしまったということがあって、 星彩(せいあ)を俺の母と“おばあちゃん”が育てることになったのだ。 ひかるさんの妊娠が分かって、流星さんが亡くなると、僕ら親子とおばあちゃんは、流星さんの住んでいたマンションに引っ越して、ひかるさんの出産を待った。 無事女の子が生まれて、 『星彩(せいあ)』と名づけられたその子は、その日から俺の“妹”になった。 幼い頃は、髪をショートにし、 ズボンをはいて活発な星彩(せいあ)は、 男の子のようで、よく弟と間違えられた。 小学校に入るまでは、よく、母である ひかるさんの稽古場などに付いていって 昼間はそこで遊んでいたらしい。 母(園田マネージャー)とひかるさんは帰るのが遅いから、 “おばあちゃん”と星彩(せいあ)が夕方先に帰ってくる。 “おばあちゃん”が食事の支度を始めると、 「お兄ちゃん遊ぼう」といって、星彩(せいあ)がやってくる。 キャッチボールやヒーローごっこのような男の子の遊びが星彩(せいあ)は結構好きで、俺の友だちと一緒によく遊んだ。 バレエやピアノのレッスンの日もあって、 そんな日は、終わる頃の時間に教室に迎えに行った。 星彩(せいあ)は、ひかるさんに似たのか真面目で、帰ってくるとひかるさんの部屋に行って、バーレッスンの復習や、ピアノの練習をよくしていた。 「お兄ちゃん、飽きない?お家に先に戻ってても良いよ。」と星彩(せいあ)は良く言うのだが、不思議と星彩(せいあ)の練習を見たり聞いたりしてるのは退屈ではなかった。 今思えば、もうこの頃から彼女のファンだったのかもしれない。 彼女が小学校に入り、俺も中学生になると、一緒にいる時間は少なくなってきた。 それでも、家に帰れば「宿題を教えて」とか「本を読んで」と良くまとわりついてきた。 中学生になった時、部活をどうするか迷った。正直、野球とかテニスかなと思ったけれど、合唱部に入った。 星彩(せいあ)との接点が欲しかったのかもしれない。 そして、母に「俺もバレエ習ってみようと思うんだけど、もう、遅いかな。」と言った。 「遅いことはないと思うけど、流星さんみたいになりたいと思ってるの?」 「歌も踊りも自分に才能があるとは思わないけど、少しでも星彩の側に居て、彼女を理解したいんだ。」 「星彩ちゃんは、健のこと、お兄ちゃんだと思ってる。 だから、側にいるということは、辛い思いをすることになるかもしれないわよ。 それでも、やりたいのならやってみれば。 ひかるちゃんもね、健が星彩ちゃんの側にいてくれると、安心みたいだから。」 母には、俺の気持ちはとっくにバレてるようだった。 それからまもなく、俺がバレエ教室に通うようになると、今度は星彩の方が大先輩ということになる。 柔軟体操やバーレッスンで星彩にビシビシしごかれることになった。 部活のパートの音取りも、星彩が手伝ってくれた。 昔は、俺が星彩の面倒を見ていたはずなのに、この頃から、立場が完全に逆転した。 勉強、部活、バレエ教室、そして家に帰ると“妹”の特訓が待っている… 充実した(しすぎだろ!)の中学校生活だった。
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