珈琲マイスター

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珈琲マイスター

 注文を受け 「かしこまりました。」  と、茶髪の天然パーマのお兄さんがカウンターに行き、中にいた短髪の黒髪のキツネ顔のエプロンをしたマスターにオーダーを伝えた。  短髪黒髪のマスターは慌ててキッチン奥の扉の向こうへ走っていき、何やらマスターのエプロンを外し、高級そうな黒い上着を着てかしこまってカウンターへ戻って来た。  どうやら、このマスターだった人が『珈琲マイスター』らしい。  『煌めきの珈琲』を淹れるためにわざわざ着替えてきた様子だ。 『やれやれ、支度にまでこだわらなくていいのに。これがマイスターってことなのかなぁ。』  夏希はホットかアイスかもわからない『煌めきの珈琲』が出てくるのを楽しみに待った。  カウンターにはよく見かける水出し珈琲のような機械や、長い管を通してゆっくり入れるタイプの珈琲の装置が置いてある。どれで淹れるんだろう。  しかし、珈琲マイスターはまず、カウンターの中の一か所に場所を決め、姿勢を整えると、そのまま腰だけを回して、ゆっくりと後ろの棚から『煌めき』と書かれた珈琲豆の缶をとった。  そして、ゆっくりとしゃがんで手で挽くタイプのコーヒーミルを優雅にカウンターの下から取り出した。  そして、まるで魔法を使うような手つきで『煌めき』の珈琲豆の缶を開けると、これまた指が反るほど優雅に、きっちりスプーン一杯の『煌めき』の珈琲豆を測って手で挽くミルに入れた。  そして、ゆっくりゆっくりと『煌めき』の珈琲豆を挽き始めた。  決して朝、母親ががやっているように大急ぎでガリガリと粉を飛ばしながら挽くような動作ではない。  まるで音楽の指揮者の様に滑らかに滑らかにゆっくりとミルを回す。  気が付くと、何名かいたお客が皆、珈琲マイスターのしぐさを酔い心地の恋焦がれるような眼で見ているではないか。  夏希は珈琲マイスターのしぐさを見ているお客を見て、驚いた。タヌキにウサギ、アライグマ、ハムスターまでいる。    そして、よくよく珈琲マイスターを見るとキツネの珈琲マイスターが優雅な手つきでカリカリと『煌めきの珈琲豆』を挽いているのだった。 『ななな、なに?動物園?で、珈琲マイスターもキツネ?』    夏希は暑い中を歩いてきたせいで、自分が少しおかしくなっているのではと思った。そして、もう一度、茶髪の天然パーマのお兄さんが、いや、もはやウサギになったお兄さんが持ってきてくれたおしぼりをもう一度顔に近づけた。  不思議なことに時間が経っていると言うのに、そのおしぼりはまだひんやりと冷たく、ミントの清涼な香りもしっかりと残っている。  気分が落ち着いたところで、もう一度珈琲マイスターに眼を向けた。 『うん。やっぱりね。・・・・・みんな動物だよ~。』  落ち着いてみたところで、現状は変わらなかった。  そして、珈琲マイスターを見て、うっとりとしていた、タヌキにウサギ、アライグマ、ハムスターがみんな、少しバタバタしていた夏希の方を見て、『静かに。』と言うように口に指をあてている。  珈琲マイスターのキツネは全く夏希の動きなど意に介さず、ネルのフィルターを使った昔ながらのドリッパーにミルの中に落ちた『煌めきの珈琲』の丁寧に挽かれた粉を静かに入れた。  そうして、細長い口をした珈琲専用のポットを右手で持つと最初は少しずつ『煌めきの珈琲』の粉の上にお湯を落とし、粉を蒸らしていく。まだ下に液体が出ない位のお湯の量で丁寧に蒸らす。  ほのかに、でもとても良い珈琲の香りが漂い始める。  今度は静かにポットを持ち上げ、とてもゆっくりと、ネルの生地を通すように蒸らされた珈琲の周りからお湯をかけて行く。  良い香りの珈琲がドリッパーの中に滴って行く。  色は家で飲むインスタントのコーヒーよりも薄い茶色。  珈琲マイスターは静かに静かにお湯を落として、一杯分の『煌めきの珈琲』がようやく出来上がった。  夏希は途中からキツネがコーヒーを入れていることも、周りの動物たちが惚れ惚れと珈琲マイスターの職人技に見とれていることも忘れ、自らも珈琲マイスターの仕草に酔って自分が注文した『煌めきの珈琲』が出来上がるのを待っていた。    ドリッパーからコーヒーカップに移すときにもキツネの珈琲マイスターは慎重に、丁寧に、それは静かな動作でまるで舞を舞うように、コーヒーカップに『煌めきの珈琲』を注ぐ。  そして、茶髪の天然パーマのウサギのお兄さんがトレイに載せた『煌めきの珈琲』を器用に二本足で静々と夏希のテーブルまで運んで来た。 「煌めきの珈琲でございます。お待たせいたしいました。」    夏希の前にそっと置かれた『煌めきの珈琲』はこれまでかいだことの無い素晴らしい芳香だった。  茶髪の天然パーマのウサギのお兄さんが言った。 「お勧めはストレートですが、よろしければミルクとお砂糖をお持ちいたしましょうか?」   「いえ、ストレートで頂きます。」  夏希はそういうと、珈琲マイスターがしていたように優雅に左手でソーサーを持つとそっと右手でカップを持ち、『煌めきの珈琲』を口に運んだ。  何という風味の良さ。そして、ほのかな苦みとすっきりとした味わい。鼻から抜けるなんとも良いコーヒーの香り。まさに煌めくような初めて飲む珈琲だった。 「いかがでございますか?」  茶髪の天然パーマのウサギのお兄さんが夏希に聞いた。 「美味しい。初めてこんなに美味しいと思う珈琲を飲みました。」 「そうでしょう。そうでしょう。それでこその『煌めきの珈琲』ですからね。」  夏希が『煌めきの珈琲』を飲む様子をじっと見守っていたタヌキにウサギ、アライグマ、ハムスターが一斉に拍手をした。  夏希は驚いて動物たちを眺めるとタヌキが 「これで、次の作品展の絵画はきっと煌めくよ。」  ウサギも 「息詰まって電車をやめて歩いてきて良かったわね。」 アライグマも 「自棄(やけ)になっちゃダメなんだ。何でもここの珈琲マイスターみたいに丁寧に仕事をすればきっと人生も煌めくはずだよ。」 ハムスターまでもが 「うんうん。だから、私のご飯も忘れないで入れて頂戴ね。」  と言った。 『はぁ?』  と思ってよく見るとそのハムスターは夏希が飼っているハムスターと同じキンクマハムスターだった。 「なんで、なんでみんな知っているの?」 「私が作品に行き詰っていることも自棄になって作品に手を付けてないことも。それに、そういえば最近ハムスターのキンちゃんのお世話、お母さんに任せっぱなしだよ。」  茶髪の天然パーマのウサギのお兄さんが 「それでは、ごゆっくり最後までお飲みください。」  と、静かにカウンターに戻っていった。  ふと見ると、キツネの珈琲マイスターは、最初のエプロンに着替えて普通のマスターに戻っていた。  最後まで良い飲み口は変わらず、美味しく最後の一滴まで『煌めきの珈琲』を飲み終わり、夏希はお会計をしてもらうためにレジに向かった。  気が付けばさっきまでの動物たちの姿はなく、レジにも普通の茶髪の天然パーマのお兄さんが立っていた。 「500円でございます。」  夏希は500円を現金で支払い、家に向かった。  何だか体がフワフワして、これまで憂鬱だった学校の提出物の事も、上手く友人が作れない学生生活の事も忘れていた。  そして、家に帰ると真先に自分のペットのキンクマハムスターのキンちゃんの所に行って、 「ごめんね。」  と謝った。  久しぶりに巣を全部掃除して、新しいご飯とお水を入れてあげた。  キンちゃんが笑ったような気がした。  翌朝、少し早く起きた夏希は、いつもの珈琲豆をいつもの家のミルで丁寧に丁寧に挽いて、いつも夏希を気遣って食事を作ってくれる母親の為に普通のドリッパーだけれど、丁寧にお湯で粉を蒸らして、ゆっくりとコーヒーを淹れた。丁度入れ終わった時に母親が起きてきて 「あら、珍しく早起きね。コーヒー自分で淹れたの?」  と聞くので、 「いつもお母さんに忙しい思いをさせて、それなのに無理言って豆のコーヒー挽いてもらっていたからたまにはね。恩返し。」  そういって、母親に丁寧に入れたコーヒーをカップに入れて出した。 「あら、美味しい。夏希、コーヒー淹れるの上手ねぇ。」 「うん。昨日ね、珈琲マイスターに淹れ方を教わって来たんだ。仕事は何事も丁寧に。ってね。」  それから、夏希は二度とあの不思議なレトロな看板の珈琲店を見かけることはなかった。  でも、夏希は動物ながら自分の仕事に誇りをもって『煌めきの珈琲』を丁寧に入れていた珈琲マイスターの仕事ぶりを忘れることはなかった。そして、作品にも丁寧に取り組み、いつのまにか先生方も『心』がない。という評価を夏希の作品に対して口にしなくなっていた。 【了】
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