恋もほどろ

　彼氏が二週間もの間、元カノを部屋に泊めていた。布団の上で膝を抱えてテレビを眺める私に、罪悪感と自責の念に堪えられなくなった彼が自白した。驚きはしなかった。ここ最近、和哉(かずや)はなかなか部屋に入れてくれなかったし、押し切ったところで不自然にポケットやら鞄やらに手を突っ込んで鍵を探して、そしてそれは必ずといっていいほどポストにあった。片づけるね、とドアを閉められ、暑いなか外で何分も待たされた。冷蔵庫には野菜や豚バラやインスタントじゃない焼きそばがあって、料理始めたんだよね、と和哉は言った。苦くて飲めなかったはずのビールも、飲めるようになったという。彼の友達にその話をしたけど、みんなさほど興味なさそうで、笑って相槌を打つだけだった。誰も何も知らないみたいだった。その人たちのことをを信じるほど私も馬鹿じゃあないし、むしろ彼氏の男友達なんて信用するもんじゃないな、なんて案外冷静に考えていた。だから今更彼の口からネタバラシがあったところで動揺なんかしないし、悲しいとか怒るとかよりも「やっぱり」が正直なところだろう。それはそうなんだとわかっていたはずなのに、うつむいた顔から涙がこぼれ落ちる。
「ご、ごめん」
「いや、前からそんな予感はあったから、大丈夫」
「ごめん……」
　和哉は叱られた犬みたいにしょんぼりとして、目を合わせると決まり悪そうに逸らした。まるで彼のほうが被害者で、私が彼を傷つけているとさえ思えた。
「なんで謝るの？　元カノが好きなんでしょ、私よりも」
　耳に届いた語勢は思いのほか強く、私のほうが打ちのめされる。自分の言葉に傷つくのが、自分でもわかった。
　荒っぽく涙をぬぐって立ち上がり、台所の電気をつけ、シンクにたまっている食器をせっせと洗い始める。もう日付が変わるという時間帯にすることでもないけれど、そうしていなければ自分を支えていられなかった。
「綾花(あやか)ちゃん、ごめん！　でも聞いて、違うんだよ。別に、好きってわけじゃあないんだ。僕が好きなのは綾花ちゃんだけだよ。さっちゃん――いや、その元カノのことは、なんていうか、ただ、放っておけなかっただけで」
　それから和哉は、その「さっちゃん」とかいう元カノが、同棲していた彼氏と大喧嘩をして家を追い出されたことや頼れる人がいないこと、自分しか助けられる人がいないこと――その「さっちゃん」がいかに可哀そうな女の子であるかを延々と語った。
　ガタン、ガタンと電車の音が聞こえる。
　ああ、終電かな。夜だと余計うるさく感じるな。駅に近いのはいいけど、騒音はいやだな。そんなことで頭をいっぱいにしたかったけれど、それでもどうしたってこの状況は私を逃がしてはくれない。この部屋で二週間も元カノと暮らし、それを隠して、それでもなお私に「好き」を向ける図々しいこの人の言うことを、私は信じたいと思っている。情けない。今まで彼がしてくれたたくさん楽しいことや嬉しかったことを、手放したくないと思っている。情けない。背に刺さる視線が痛い。きっと和哉は、布団の上で行儀よく座ったまま、膝の上でぎゅっと手を結んで、遠慮がちに私を見つめているだろう。
　洗剤をきれいに洗い流した私専用のマグカップを水切りかごにおいて、タオルで手を拭く。振り返ると、和哉は消え入りそうな声で、今日何度目かの「ごめん」を言った。私の言葉を怖がっているのだとわかった。私はこの人を怖がらせたくない。怖がらせてはいけない。和哉の表情を見ると、自分がなにとんでもないことをしてしまったように思えてならなかった。
「もう、この部屋によばないでね、その子」
　和哉は小さく「わかった」と言って立ち上がり、私を引き寄せた。私は絶対に、彼の腰に手を回したりしない。頬を緩めることもない。私は和哉の腕の中、ただひたすらに抱きしめられているだけだった。