恋もほどろ

6/13
前へ
/13ページ
次へ
「ねえねえ、起きて。朝ごはん作ったよ。冷蔵庫スッカスカだったから、簡単なものしかできなかったけど」  夕べほとんど眠れていない私を、紗奈は荒っぽく揺する。 「スッカスカで悪かったですね」  私はタオルケットを頭からかぶる。紗奈はそれをひっぺがし、「さあ、食べよう食べよう」と腕を引っ張り、パタパタとキッチンへ消えていった。昨晩はあんなに飲んで酔っ払っていたのに、この元気はいったいどこから湧いてくるのだろう。  重い身体を起こして丸いローテーブルの前に腰を下ろすと、紗奈が両手に皿を持ちながら部屋に戻ってくる。 「ネギそばにしてみましたあ」  初めて聞く料理名だった。給食の献立でよくわからないおかずの名前を見たとき、どんなものかと期待半分、不安半分で給食の時間を迎えたことを思い出す。 「おまたせです」  テーブルに置かれたのは、中華めんにネギとハムが和えられた、一見パスタに見えなくもない小洒落た料理だった。醬油の香ばしいにおいがして、否が応でも食欲がそそられる。めしあがれと付け加えて紗奈は私の正面に座り、私が口にするのを楽しげに待っている。添えられた箸を手に取り「いただきます」と言って、麺を二、三本口へ運んだ。 「美味しい」  私の言葉に紗奈はニッと歯を見せて笑い、箸を取って小さく「いただきます」と呟く。むかつく。この、屈託ない無邪気な雰囲気とか、取り入るのがうまい感じとか、ちょっと料理がうまいところとか。 「ねえ、綾ちゃんの今日の予定は?」 「普通に、授業です」 「ああ、かあくんと同じ大学だっけ?」 「はい」 「いいなあ、大学生」 「なんでですか」 「ん? 普通に、私も大学行ってみたかったなあって思って」 「考えなかったんですか?」 「んー、私勉強とか全然できなかったし、勉強したいこともなかったからさあ。それにお金がかかるでしょ? だったら、就職したほうがいいかなあって思ってさあ。高校卒業してすぐ事務の仕事に就いたんだ。まあ、結局辞めちゃったんだけど」 「じゃあ今はなにしてるの?」 「雑貨屋さんでバイトしてる。でもそれも週二回とかだから、うん、ほんと、なんにもしてないようなもんだよ」 「じゃあ、彼氏に振られて、住むところもなくて、ほんとにあてがないから和哉の家に?」 「んー、まあ、そんなとこかなあ」 「ほんとに?」 「ほんとだよお」  紗奈は皿の中の麺を箸でつついている。その態度に、私は、紗奈が嘘を吐いてるのではないか、和哉への恋愛感情を捨てきれないのではないかと不安になる。そんな心配をよそに、紗奈はニヤッと笑う。 「だからさ、今日、綾ちゃんが帰ってくるの、待っててもいい?」  突拍子もない発言に、ちょっと咽せた。 「わっ、大丈夫? 鼻から麺出さないでね?」  やかましいわ、と心の中でツッコミを入れつつ、差し出されたティッシュを大人しく受けとる。 「なんで」 「え?」 「なんで待たれなきゃいけないの?」 「だからあ、行くところないんだってば」 「だからあ、おかしいでしょ。なんで私が」  和哉の元カノを、と言いかけてやめた。それを意識しているのは、なんだか恥ずかしいことのように思えた。  紗奈は食い下がり、おねがい、と私を見つめる。上目遣いからハートマークが飛んできそうなほどこびを売っている。  和哉と付き合っている以上、絶対に縁があってはいけないはずの人だ。だめ、だめ、だめ。そう思いつつ、だめと言えない自分がいる。だめと言ってしまったら、この人はどうするだろう。大人しく引き下がるとも思えないけど、そうなったとしたら、頼る人のいない紗奈はおそらくーー。  勝手な妄想を振り払うように、私は首を大きく横に振る。 「え、なに? どうしたの?」と紗奈が不思議そうに訊く。  餌付けされたなんて思いたくはないし、実際そんなことはないし、でも「和哉のところに行かれたくないから」なんてとてもじゃないけど言えない。そうなると、紗奈に帰りを待たれてもいいと思う理由は、他に見当たらなかった。 「じゃあ、なんか作っておいて。なんでもいいから、美味しいやつ」  私の言葉に紗奈はぱあっと目を見開き、心底嬉しいといった様子で「了解!」と言い、皿に残った麺に手をつけた。
/13ページ

最初のコメントを投稿しよう!

24人が本棚に入れています
本棚に追加