恋もほどろ

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 大学の食堂に入るのは久しぶりだった。十二時を回り、今が混雑のピークなのだろう。あたりはがやがやと騒がしく、一年生と思われる派手な男の子たちが中央の大きな丸テーブルを占拠している。 「綾花ちゃん、ほんとに食べないの?」 「うん。実は、さっき朝ごはん食べたばっかりなんだ」  そっかと頷き、和哉は行儀良く手を合わせてから割り箸を割った。この暑さに熱々のラーメンを頼んでおいて、和哉はそれをふうふうと必死に冷ましている。 「酔っ払ったって言ってたけど、昨日は飲みに行ってたの?」 「まあね」 「ふうん。莉子(りこ)ちゃん?」 「ううん」 「え? じゃあ、バイト先の人とか?」 「違うよ。百田紗奈さん」 「へっ」  和哉は目を真ん丸に見開いている。口に運ばれるはずだった麺が箸からするりと抜け落ち、スープが飛び散った。 「百田紗奈さんと行ったの」 「待って待って待って、え、どういうこと?」 「和哉の家を出たところでばったり会って、ごはん行こうって誘われて。それでごはん食べて、そから、うちに泊めた」 「泊めたって、綾花ちゃんの家に?」 「うん」 「なんで?」  なんで、とは。  そうなったいきさつを訊かれているようにも捉えられるし、彼氏の元カノを親切にも泊めたわけを訊かれているようにも捉えられる。あるいはその両方かもしれない。私は無難な言葉を選ぶ。 「お互い酔っ払ってたから、成り行きで」  和哉はおろおろとして、まるで最適な返答を探しているようだった。 「紗奈さんね、料理作ってくれたんだ。ネギそばだっけ。美味しかったよ」  追い討ちをかけるように続ける。 「それでね、晩御飯もお願いしちゃった」 「なんで、そんな」 「ん?」 「教えてくれればよかったのに」  その言葉に、私は嫌悪感を覚える。 「なにを?」 「だから、酔っ払ったときに」 「教えたら、どうしてた?」  えっ、と声が漏れる。  確かに、私と紗奈の接点といえば和哉しかない。和哉に伝えることは、なんというか、妥当だと思う。でもそれは、和哉が元カノに一切の情を抱かないことが前提だ。だから私にとって和哉に連絡するというのは、ホテルに連れていくより、道端に放置するより、私の家に連れて行くより怖くて、なにより避けたいことだった。 「和哉の家に泊めた?」 「そんなわけないでしょ」  思ってもみないところを突かれたとでもいうように体をビクッとさせ、和哉はあからさまにたじろいだ。バレバレの嘘を吐くところが子どもみたいで、馬鹿だなあと想う反面、どこか愛おしささえ覚える。 「そうだよね、ごめんごめん」  私は努めてなんでもないことのようにふるまう。 「綾花ちゃん」 「ん?」 「好きだよ」  和哉はいつも、息をするように嘘を吐く。ただそれは私のために吐く優しい嘘で、本人はその自覚がないだろうけど、その無意識のうちに出る綻びに、私はたぶん、何度だって騙されてしまう。 「うん、私もだよ」  沈黙が流れる。和哉はなにか言いたそうだったけど、なにも言わない。私は耐えられなくなって、席を立つ。 「ごめん、そろそろ行かないと。莉子に、いい席とっておいてって言われてるんだ」 「あ、うん」 「和哉はゆっくり食べてね。それじゃあ、また」  私は逃げるように、足早に食堂を後にした。
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