恋もほどろ

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 教室に入ると、まとわりつくような、ねっとりとした蒸し暑さに包まれた。一年生と思われる男女グループが教室の中央を占拠し、賑やかな話し声を振りまいている。  派手な人たちはどうも苦手で、今でもそういう人たちを避けてしまうけれど、一年生のとき、そういう派手なグループのひとりに誘われた飲み会で、私は和哉と出会った。目を引くほど格好いいわけではないけれど、和哉はいつ誰に話しかけられても笑顔でそれに応え、その場の雰囲気を和ませることができる気さくな人だった。私がオレンジジュースを飲むなか、まわりはみんなビールやサワーを飲んでいて、私はその空気に圧倒された。飲み会に誘ってくれた男の子が「綾花ちゃんも飲みなよ」とお酒を勧めてきて、十八の私は飲んだことがないそれがなんだか怖くてやんわりかわしていると、和哉がその男の子を止めてくれた。「嫌なことは嫌って言っていいんだよ」と、言ってくれた。 「よっ」  声をかけられ、ハッとする。莉子(りこ)が隣の席にドンと腰かけ、「暑い、暑い」とTシャツの胸元をばたつかせていた。 「おつかれ」 「おつかれ。やば、教室暑すぎ」 「ほんとだよね」  莉子とは高校のときからの付き合いで、学内で唯一、友達と呼べる相手だ。 「ねえ、経済学の課題やった?」 「ああ、うん。やってある」 「お願い、見せて!」 「もー、また部活?」 「あとバイトも。ほんとごめん! お礼は必ずするから」 「はいはい。それ、週明け提出なんだから、そのときまでに返してよね」  莉子は大きく頷き、「綾花だいすき」と言って、ノートを丁寧にリュックにしまった。  あの飲み会のあとーーと、私はまた振り返る。  あの飲み会のあと、私は和哉にお礼がしたくて、というのは建前で、本音ははただ気になったから、和哉を食事に誘った。莉子が背中を押してくれた。私は思いのほか楽しくて、きっと彼もそう思ってくれたのだろう。私たちは頻繁に会うようになり、三回目のデートらしいデートで、和哉のほうから告白してくれた。終電を逃してカラオケやボーリングをして時間を潰し、始発を目指す道中だった。朝と夜の狭間で、曇りのない青に綺麗と指さす私に、和哉ははっきり「好きです」と言った。耳まで真っ赤に染まっていて、極度に緊張しているのだろうその表情からは、私への好意をはっきりと感じることができた。  あの日の「好き」と、なにが違うのだろう。  そんなふうに考えて、首を横に振った。そんなことを考えていたって仕方ないし、見つけたい答えは見つからないと知っている。 「大丈夫?」と莉子が私の目の前で小さく手を振る。 「ほら、休講だって」 「えっ」  莉子の指差すほうを見ると、知らない中年の女性が教室を出ていくのが見えた。 「ごめん、ぼうっとしてた」 「おお、どうした? 授業ないのがそんなにショック? まあ綾花はこの授業のためだけに来てるんだろうからさ、気持ちわからなくもないけど。まったく、それならそうと早く言えって感じだよね」 「もう、別にそんなんじゃないって。ああ、でもどうしよ。こんな時間に帰ってもなあ」  紗奈と過ごすことになるし、とは言わず、私がだんまりすると、莉子がすかさずその微妙な含みをキャッチする。 「なんで? 帰りたくないの? さてはあれだな、和哉さんと喧嘩でもしたな?」 「別にそういうんじゃないけど」 「けど?」  私はたぶん、この話を誰かに聞いてほしかったんだと思う。私の不安定を理解してくれて、よしよしと慰めてくれることを期待していた。 「莉子、四限あるよね? 授業始まるまでちょっと話せる? 最近ちょっといろいろあって、莉子に話したかったんだ」  私が立ちあがると、莉子は「もちろん」と言って、筆箱やファイルを次々にリュックに詰め込みながら立ちあがり、「カフェでもいく?」と私の背を押す。
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