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「おはようございまーす!」
「……ざ~す…」
元気よく挨拶する岸とは対照的に、めぐみは聞こえるか聞こないかぐらいの声量で気だるげに挨拶しながら楽屋に入る。
中には誰もいないのだが、入室する時の決まりみたいなもんである。
椅子に座っためぐみは、背もたれにもたれかかり、天を仰ぐように上を向いて息を吐き出した。
「はぁー…」
それから眼鏡をはずし、目頭を押さえてマッサージしはじめた。
めぐみは、藪内仕様の時はいつも同じ格好をしている。
緩めのデニムサロペットに、黒髪ボブのウィッグ、その上からニット帽を目が隠れるくらいまで目深に被り、上から大きな黒縁の眼鏡をかける。視力が悪いので、この眼鏡にはちゃんと度が入っている。
この格好をし始めたのは、ビジュアル面で芸人としての印象が弱い、と岸に言われたから。
今では、この格好が芸人藪内のスイッチになっているといっても過言ではない。
「お疲れですな。今日ぐらいは休ませてもらえば良かったんじゃない?」
「や、体調不良なわけじゃないし。それに来週準決勝じゃん。今が頑張りどころじゃないですか」
「まー、勝ち進むと思ってなかったからね。ちょっとスケジュール的に厳しかったよね」
荷物を置いた岸が、スマホを取り出して何やら操作しはじめた。
「お、昨日のライブ、凄い話題になってるよ。一躍時の人じゃん。キシヤブも有名になったな」
「…お笑いの実力じゃないけどね」
「まずはキシヤブを知ってもらわないと!てことなんよ。目指せ登録者数100万人!」
「まだ一万人弱なのに目標がデカ過ぎんのよ」
「目標はでっかく!でも、昨日のでちょっと増えるかもしんないでしょ!」
「まあ、そうなってくれれば、出た甲斐がありますな」
少しテンション高めに話す岸に、100万人て無謀だな、なんて思ってめぐみが苦笑いする。
「そうだよ!何と言っても今年は初の民放テレビに出れたし!賞レースも決勝まで勝ち進めば、いくらかオファー増えるだろうし!」
「まあ確かに。ちゃんと爪痕残した岸は偉いよ」
「ありがとう!もっと褒めてもいいよ!」
「ちょっと褒められるとすぐ調子のる、そういう単純なとこが岸の長所だよね」
「なんかあんまり褒められてる気がしないんだけど」
岸がジト目でめぐみを見るが、めぐみは視線を反らしてトボけている。
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