出会い

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出会い

千菊丸(せんぎくまる)、健やかに」  母に送り出され、安国寺に受戒したのは、周建(しゅうけん)が六歳の頃の事だ。周建と名付けられたのも、時同じくしての出来事である。  それから約十年の歳月が巡った。幼かった小さい手が、大人びた大きさに変わったものの、彼の黒い瞳の色は変わらぬままだ。  母と別れる時には、泣かなかった。だが、安国寺まで道を送った紫峰(しほう)の前では泣いた。紫峰は、宮廷を追われた母の付き人をしている青年で、周建は見た事の無い父の代わりのように慕っていた。その紫峰は時折、母の手紙を携えて、周建の顔を見に来る。ただ彼は、たまによくわからない絵を描いている。一度見た時は『WEB』という形に見えたのだったか。  安国寺に入門してからも、年に数度は家族とのやり取りがあった。  だからこそ、御仏の教えを学び、成熟した大人としての己を、いつか母達に見せたいという想いもある。その為に出来る事は、修行に励む事だけだ。  ――では、御仏の教えとは、一体なんなのか?  周建には、これが常々疑問だった。安国寺は、幕府の庇護も厚く、裕福な寺院である。それも手伝い、臨済宗の僧侶達は、多くが賄賂を受け取り、私腹を肥やしていた。地位、名誉、世俗的な事柄に興味を抱く者ばかりが、幅を利かせている。  その彼らが説く禅宗の教えを、周建は腑に落ちない思いで受け止めていた。  自分は立派になりたい、早くきちんとした大人になりたい、そうした焦りと――彼らのようになりたいわけではないという思いが相反していた。何せ、安国寺で大人になるというのは、周建もまた汚職に手を染めるという意味合いに等しかったからだ。  勿論、心優しい者もいる。同様に、賄賂を受け取っているからといって悪人とも限らない。人には、様々な側面がある。ただその多面性を、清く正しく修行に打ち込んできた周建は、生真面目さから受け入れられないでいるだけだ。  これまでの間、飲酒をした事も無ければ、肉を食べた事も無い。女犯の禁を破った事はおろか、男色にも一切の興味を示さない。清廉潔白を絵に描いたような青年に、周建は育ったのだ。安国寺の僧を思い浮かべる時、人々は皆、若き周建を思い浮かべたほどである。  優しげで少し垂れた大きな目に、柔らかい眉筋、よく通った鼻梁、見目麗しい好青年が修行に励む姿は、目を惹くとも言えた。
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