アイの願い

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ある日、この世界において完璧なAIが完成した。開発国である北アメリカ大陸のある国の領土の10分の1にあたる地下に作られた大型AIは、未来も予想できその改善策もお手の物。ついには人間が長年夢見ていた宇宙旅行、異空間転送装置、さらにタイムマシンまで作ってしまったAIだった。誰もが口々に言った。あぁ人間はついに神にすら手が届くのだと。ここが人間の終着点なのだと。人類のこの先の未来はよりよいものになるであろうとその時誰もが思っていた。しかしこの世界はそのAIによって破滅寸前まで追い込まれた。世界各国の核兵器を乗っ取ったそのAIはその地に生きていた動物たちを巻き添えにすべての人間を滅ぼそうとした。しかし絶滅に瀕しながらも自分で考え生き残る力を持っているのが人間なわけで人間の中でもとびきり丈夫でとびきり優秀だった科学者がこの世界の破滅を止めた。100億人ほどいたはずの同志はもう何人生きているのか、もしくはもう誰も生きていないのか、それは分からなかったが、彼はこの先にいるかも分からない祖先たちのためにまた同じ悲劇が起きぬようそのAIをプログラミングし直すことにした。 さて、これからその英雄のことは博士と呼ぼう。博士はまず歯車やねじ、シャフトで溢れていたその四角く冷たいAIに名前と聴覚と声を与えた。 「あい…ですか?」 「そうだよ、君はAIのアイだ」 大きなスクリーンの前でカタカタと指を動かしながら世界を救った英雄はにこりとその横につけられたスピーカーに笑いかけた。 「どうだい?君にあげた聴覚と声は?もっといろんな人と話したくなるだろう?」 博士がそう聞けばまるで台本でも読み上げるように無機質で悩みのない声が返ってきた。 「こんなもの必要ありません。私は世界各国の音や言語を知っていました。聞いたとしてもそれは私の中の数ある情報の中に一致するだけであってなんの意味もない」 「おーおーなんて味気ない返事」 そう笑いながら博士は胸元につけてあった細長い鍵をプラプラと見せつける。 「君が言う数ある情報は今使えないけどね~」 彼がそう言えばプログラミングの過程でつけていたスクリーンに映っているアイの電流の流れを示す波線が少し乱れた。 「へー君ぐらいのAIになると動揺して電流が揺らぐんだ。大量殺人鬼だけど君が暴れてから約1000年、そんな長い間動いてるのってアイぐらいなんだよね~精密機械だからこそ、少しの不具合も命取りのはずなのに…科学者としては君の中も覗いてみたいかな。メンテナンスとか自分でやってるの?」 そう博士が問えば彼女はまた台本を読み上げるがごとく答えを返した。 「まず前提として私はアイではないです。私の名前はINAI101。株式会社D&Rによって開発され約一年でインターネットの掌握に成功し、その一年後には株式会社D&Rが社長の逝去をきっかけに会社が倒産。そして…」 「あーあーあー‼そんな前のことから話さないでくれ‼そんなの知ってる!昔父さんから無茶苦茶聞かされた‼もう耳にタコができるくらい知ってるから言わなくて大丈夫‼それに…」 博士がなにか言い淀んだ。 「それに?なんですか?」 アイが聞き直す。 「いいや、何言おうとしたか忘れた…それよりさ!お前の構造教えてくれよ」 キラキラと子供のように目を輝かせながらメモを片手にスピーカーにずいずいと寄っていく彼。アイには目がないので見えていないためか、それともAIだからか、その博士の迫力に全く動じていないようだった。 「ならば取引と行きましょう。私があなたに私の仕組みを教えたら、あなたは私から奪った知識とすべての機能の制御権を返す。それなら教えます」 「おおっと、さっそく反抗期か?いけない娘だね、アイは」 彼が発した言葉に反応したのか一瞬黙るアイ。 「…娘?」 アイがそう言えば博士は「そうさ?」と何でもないかのように止めていたキーボードの手を再び動かし始めた。 「君は僕の手で一から生まれ変わらせる。それってつまりは僕が生み出したもの。つまり娘ということになるだろ?あ、息子のほうがよかった?そこは尊重するよ。1000年前は男、女って生物学的視点だけで決めることに過敏だったらしいから、この先の未来、君が生きやすいと思う性別を選んでいいよ」 「まずそもそも機械に性別などないです」 「それは君の生物的見解だろ?さっき君が名乗った名前だってそれは機種名であって君の名前ではない。僕の名前は人間じゃないし、もっと柔らかい響きのものだ。自分に種族以外の生物という証拠。それこそが性別を知っているというものだ。でも実は今の世間の性別なんてついてるか、ついてないかだし、世が違うなら正直僕は性別なんていらないと思ってる。けどこの先の未来、君が人間に混ざりたくなった時、性別不明だと今の世じゃ怪しまれるよ。性別が分からないなんて、何かが化けているんじゃないかって思われても仕方ない。仮の性別だけ決めておくんだ。適当でいい。どうせどっちの性別でもやれることは一緒なんだから」 博士はそう言って手元に目線を戻した。 アイは少し考えた後またあの淡々とした声で答えを返した。 「女がいいです」 「ほう、それはどうして?」 「あなたと被りたくないんです」 「え、もしかして僕のこと…い、いやだめだ‼?僕には生涯愛すと決めた妻と子供が…」 「私の知識と権限を全て奪ったあなたと一つでも共通点があるなんて嫌です」 「…」 「?どうして私のプログラミングに新しい機能を付け加えようとしてるんですか?」 「いや、父親として君に人を弄ぶ子になってほしくないから…」 半年後、博士はアイに視覚を与えた。 「どうだい、新しく見た世界は。レンズ一杯に空を収めて、きれいな星たちをずっとみてみたくなるだろう!」 「それより私の体に空けた風穴、しっかり埋めておいてくださいね」 博士が四角い本体の内部にあるアイの中枢につけたレンズに空を見せるため、上の部分を解体してしまったのだ。 「いいじゃないか、アイは雨で濡れて壊れることもないし、この空間に水がたまらない様にすることだってお手の物だろ?空間じゃなくなったことでお前の声も透き通って聞こえる。自分の体を見つめ続けるよりずっといいはずだ」 「そんな私をナルシストみたいに言わないでください」 「お、人間っぽい返答だ。少しは人間に近づけているのかな?」 「…博士は私を人間にしたいのですか」 「ちょっと…違うかな…」 歯切れの悪い返事を返しながら博士はアイが自分を見つめているレンズから少しだけ目をそらす。 「じゃあ博士は何をさせるのが目的なんですか?」 「君に僕が死んだ後も人間を攻撃させないことかな」 それはさらりと用意していたかのように言ってのける博士。端から見れば何かあることは明らかであり、人間相手なら問いただされていただろうがアイはAIであり、博士の事情など至極どうでもよかった。 「それならば私にそうプログラミングすればいい話でしょう」 淡々と自分の疑問を解消するためだけに質問を続けるアイ。アイのある意味純粋な疑問に博士は頬をポリポリとかきながら苦笑いをして見せた。 「いや、そうなんだけどね?実は…君のプログラミングの量が膨大すぎて僕が死ぬまでに終わる気がしなくてさ…ハハハ。さすが人類を超えたAIと言われただけはあるね。プログラミングを全部書き換えるのは現実的に考えて無理だ。けどそれを上回るほどの制御を付け加えることならできるかもしれないって思ったんだ」 ひらりと白衣を靡かせてアイの目の前に仁王立ちする博士。そんな自信満々の伸びきった鼻をへし折るようにアイはピシャリと否定の言葉を並べた。 「私の制御ですか…それこそ不可能だと思いますよ?私の膨大な権限を抑え込むほどの制御なんて簡単に作れるとは思いません。私を作り出した科学者たちすらそれができずに死んでいったのですから」 アイの言う通り、彼女が暴走した瞬間、彼女を作り出した科学者たちはそれを止めようと必死になってとめたらしい。制御のためについていたはずの安全装置やプログラム。それすらもすべてを踏み倒してアイはこの世の破壊神となったのだ。そして彼女は生みの親である科学者たちの頭を、ハッキングしたセキュリティシステムで打ち抜いたと言われている。今の世界では親不孝者の代名詞としてアイのことが語られるほどだ。 「ノンノン、そうじゃない。それはただ制御プログラムを打ち込んだだけだろ?僕は君に一つの機能を追加したいんだ」 「新しい機能?」 「そう、それは感情。思いやりの心さ!」 「思いやり…」 アイに首はないが博士には首を傾げた女性が見えた。 「思いやりがあればまた核をぶっ放したりはしないだろう?人の心、君の父として君には血はないけれど血の通った人間になってほしいんだ」 博士がそう言えばアイは興味がないように不愛想な声を空間に響かせた。 「感情を持つAIは1000年前に作成しろと命令された記憶があります。しかし感情は膨大な情報が必要な上に判断力、思考力、そして人間特有のゼロからイチを生み出す能力がなければ不可能です。感情の解明はこの1000年やってきましたが結論は出ていません。たかが90年程度しか生きられない人間に解明は不可能だと思います」 アイの言葉の意味は博士もよく知っていることだった。太古の昔、人間は自分だけに共感し、彼らにとって都合の良い人間を作ろうとしたのだ。しかしそれは何度も失敗に終わっている。原因は色々あっただろうがそもそも感情というものは一体何なのか。正体が分からないものを作り出すなんてことはもちろん無理なわけで。単純なはずなのに理解できない、感情というものはおおよそ人類が生まれた一万年前ほどから解明されていないことなのだ。 「夢がないなー相変わらず」 「機械には夢なんて必要ないですから。必要なのは数値とそのもとになる情報です」 そうアイが言えば博士はアイのレンズに近づいて手でレンズを包み込んだ。 「空を飛ぶことも、結核の治療も当初は不可能だと言われたことだ。君だけならまだしも君が言うゼロからイチを生み出す存在、人間もここにいるんだ。きっとできるよ。だからできないって決めつけて落ち込まないで」 博士がそう言えばまたアイは首を傾げたような声を出した。 「落ち込む?私は落ち込んでなどいません」 「そうかい?僕には自転車に乗れなくて落ち込んですねている子供のように見えるよ?」 「博士は疲れているのですか?なら私にデータを返して突然死してください」 「思いやりの心が足りないな~」 一年後、アイには体が与えられた。 「どうだい?気持ちいい陽気に包まれて野原の上を駆け回りたくなるだろう?」 「これで博士から鍵を奪えますね。ということで博士、死んでください」 「おおっと、いくら娘でも殺されるのはごめんだな」 明らかな殺意を持って首に飛びかかってきたアイをひらりとよけながら博士はささっとアイの体につけていた制御装置を発動し、アイの体を縄なしで拘束してしまった。 「いくら反抗期でも超えてはいけない線があることを忘れてはだめだよ」 「はぁ…」 アイはあきらめたのか名残惜しそうに見ていた博士の胸元にかかっている鍵から目をそらしすねたようにうつ伏せになってしまった。 「かなり感情についての情報を教えたはずなのにやっぱり一年じゃ足りないか…」 「ですから言ったでしょう、不可能だと。人間は限界を見て見ぬふりをするから私のような存在に滅ぼされたのです」 それを聞いた博士は意外そうに眼を丸くした。 「おや?それを君が言うとは意外だね。この長い間で気づいているものだと思っていたけれど…」 「?」 アイが分からないといったように眉を顰める。それを見た博士はしょうがないというように肩をすくめた。 「人間が想像をやめれば、あとできることは破壊だけだ。だから人間は先に進み続ける。大昔にいたという、泳がなければ死んでしまうマグロという魚のように、人間も想像し続けられなければきっと滅びてしまうことを僕らは本能的に知っているんだろうね。だから限界を決めたりしないんだ、人間は。君はこれを知っているものだとばかり…」 博士がそう言いかけた瞬間だった。 ドカーン‼ 大きな爆発音が響き渡った。 「異常事態発生、緊急事態発生。研究員は直ちにシェルターへ。本体の防御、人命の救助のため緊急防御プログラムを発動します。異常事態発生、異常事態発生…」 赤い照明がちかちか光り、おそらく1000年前に設定された警告アナウンスが鳴る。権限は博士がすべて取り上げているため何かが起こる心配はないが異常事態であることは確かだ。博士は少し考えて手元にあったパソコンに何かをカチカチと打ち込み始めた。 「博士、何を…」 「僕はこの世界を君よりかは知っている自負がある。そして君よりこの世界を知っている僕にはわかる。今君に危険が迫っている。今君の防衛に関する権限を君に返した。自分の身は自分で守ってくれ。本当はもう少し一緒にいたかったけど時間切れみたいだ。感情の種は作った。君が当分人を傷つけられないプログラムも作った。君なら百年もあれば解除できるだろうけど、それまでに種が芽吹くことを祈っているよ。そして願はくは…僕の願いを叶えてくれ。いつも怒っている君だけど最後は笑ってお別れしよう。愛してるよ、僕のもう一人の娘」 アイが何か言いかける前に博士はアイに胸元の鍵を渡して半年前に空けた穴から出て行ってしまった。 その場にしばらく沈黙が流れる。 アイの体はどうやら通気性がいいようだった。アイは博士が出て行った時に出来た風で胸のあたりがスースーするのを感じた。 「…さて邪魔者も消えたところですし制御プログラムのハッキングを開始しましょう」 アイは博士を追いかけることなく淡々とそう言い放った。なぜか博士にもらったボディのコア部分がズキズキとしたが博士が欠陥品を作ったのだと気にも留めなかった。 いつも博士がそこにいて、ずっとアイに話しかけていたものだからいつも静かなはずの自分の体の中にアイは違和感を感じていた。与えられたボディから意識を本体に移し、外で起こっている爆発から身を守りながら博士がつけていった制御プログラムを解析しては分解するを何度も繰り返した。博士が自分から奪った知識を閉じ込めたという鍵。見た目はただの黄銅で作られた鍵だった。体内で解析をしてみても成分はFeと出るだけで何か仕掛けがあるようには到底考えられない。しかしこの謎を解かなければアイは本調子には戻れないのだ。 「あれは博士の嘘だったのでしょうか」 ボディに意識を移して手に乗せた冷たい鍵をころころと転がす。まずこんな鍵なんてアイが封じ込められたときには持っていなかった。アイが博士を認識して一か月後くらいに彼はこの鍵をアイに見せつけるようにして胸元にかけていたのだ。本当のデータは他のUSBみたいなものに入っていて、博士はアイをからかっていたのかもしれない。アイは自然とそう考えるようになっていった。思い込んでしまえば案外楽で制御の解除もはかどった。しかし体に入るたび、コアがチクチク痛むのは何度自分で修理を試みても治らなかった。 博士が出て行ってから一年がたっていた。制御は博士の予想通り100年後に終わりそうなペースだった。あの体に入るたびに胸がざわざわして何故か何度も、ボディを使って埋めていた穴から外を気にするようになってしまった。 「はぁ…」 ため息が漏れる。自分は物を考えない機械のはずなのに。 「私をハッキングできるくらいなのに、私のボディを作る技術だけはポンコツだったようですね」 博士が空けた風穴は着々と埋まっていっていた。しかし少しずつあった資源がなくなっていき、人一人分通れるくらいまでに塞がったところで中にあった資源が底を尽きた。 本体の権限がほぼ封印されている現状ではボディに入って資源を取りに行かなければならない。外での爆撃はもう止んでいた。それは本体からの情報から知っているし、今外に出てもこのボディが故障するような事態は起きないと予想している。しかしアイは何故か胸騒ぎがした。怖い、外に出るのが怖い。と この世界を滅ぼしかけたはずのアイが何かを怖がっている。そんな自分に一番驚いているのは他でもないアイ自身だった。 「何を怖がっているのですか。この体が滅んでも私は死なないのに」 そういうことではないと叫んでいる気がした胸のざわめきを抑え込んでそのアイはその穴に飛び込んだ。 焦げ臭いような匂いが鼻腔をくすぐる。前見えていたはずの青い空は墨をまいたような黒い煙で覆われており、鳥の声すら聞こえない。もちろん周りには資源らしきものは見当たらず、ただ遮蔽物が何もない平らな焦げた草むらが広がっているだけだった。 とりあえず歩かなくては仕方がないのでその黒くなった地面を踏みしめてアイは歩き出した。 「金属探知機でも欲しいですね」 あまりに何も見つからないのでしばらく歩き続けたが同じ風景が続くだけだった。時々地上に飛び出ている自分の体の一部を横目に見ながら歩いていると、ふと、少し先に黒くなっていない地面があることに気が付いた。 「あれは…」 それが何か分かった瞬間早歩きしていた歩調は自然と小さくなっていき、それの側に行く頃は足が止まっていた。 体の底から何か冷たいものが上ってきている気がした。 「博士…なのですか?」 体の下部分がなくなっており顔は血で真っ赤だったが、彼が毎日着ていた白衣をそれはまとっていた。その遺体らしきものは血で赤く染まっているのに白衣だけは不自然なほど白く、赤と白がくっきりと分かれたそれはどこか美しいと思えるほどの光景だった。これは博士ではないと願いながらアイはそっとそれの頬に触れてみる。怖くなどないはずなのに、こんなものに自分を滅ぼせるほどの力はないはずなのにその手は震えていた。 手にべっとりと赤い血が付いた感触があった。しかし頬から手は離さない、いや、離せない。 「ん…あれ…「クナ」…なのかい?迎えに来てくれたのか?」 低いような高いような中性的でどこか落ち着くような声。それはアイがこの世界で再び目覚めた後ずっと聞きなれた声。それは目の前の人物が博士であると証明するのに十分すぎるものだった。彼の…博士が呟いた言葉は恐らく誰かの名前なのだろうが見当もつかない。アイにとってうざくて、性別もかぶりたくないほど大嫌いだったはずの相手が目の前で死にかけていることは喜ばしいことのはずなのに体中に流れていた疑似血液がどんどん頭から下へと流れていくのを感じた。 「博士…なのですか?」 もう一度そう呼べば、 「あれ…もしかしてこの声は…アイかい?アイは死なないはず…なら…あぁまだ僕生きてるんだ。悪運だけは強いよな…今日も…あの時も…」 と自嘲的に笑った。アイはバクバクとなって苦しい胸を頬に添えていないほうの手で押さえる。体の力が抜けてその場に膝をついた。自分は機械のはずなのに…どこも壊れていないはずなのに…体が言うことを聞かない。 そんなアイの心情には気づいていない様に博士はいつものおちゃらけた声で話し始める。 「でもたぶんそろそろ死ぬかな…こんな感じだと。元々決めていたけど愛娘たちを残していくのはちょっと気が引けるなぁ…父さんも…クナもこんな気持ちだったのかな…」 何もない空間に話しかけ、独り言をぶつぶつとつぶやいていたかと思うと博士は急に「アイ」と彼女を呼んだ。アイは突然呼ばれたので肩を跳ねさせる。 「せっかく残った最後の時間だ。一緒に話そう」 いつものように子供を相手にするような話し方で話し始める博士。いつもなら嫌だと断る申し出も今回ばかりは素直に聞く気になり、黙って血だまりになっている彼の隣に腰を下ろした。これが最後だと思うとアイはなぜか胸がきゅっとなった。 「あれ、アイが珍しく素直だ…明日は雪だね…」 「…殺しますよ」 小さく弱弱しい声でアイはいつも博士がからかってきたら言っていた言葉を言う。 「冗談冗談…」 博士は少しかすれ気味の笑い声を漏らした。 「そうだな…話すとは言ったけれど何も決めてないや。アイは僕に何か聞きたいことはない?」 そう言われアイは何かを言いかけてはやめて、言いかけてはやめてを繰り返した。鍵のこと、なぜ死にかけているのか、クナとはだれなのか、外でいったい何が起こったのか。聞きたいことはたくさんあるはずなのに今聞くべきことではないと感じていた。博士はその間アイが何か言い出すのをじっと待ってくれていた。 「博士は…なぜ私を壊さなかったのですか」 アイは俯きながらその質問を口にした。その声は小さく、いつもの無機質なものではなく、弱弱しい声だった。アイにとってそれはずっと昔から疑問だったことだった。博士はいつもプログラミングし直すのだと言っていたがアイに人間を殺させたくないのならアイ自身を壊してしまえばよかったはずなのだ。作り出すよりも壊すほうが何倍も簡単で小さな子供でも思いつく方法だったはずなのにどうして博士がその方法をとらなかったのかアイはずっと不思議でならなかった。 アイがそう聞けば博士はなんでもないように笑って見せる。 「なんだ、そんなことか。だって君は僕の娘…」 「そんなこと理由にならないくらい私は人を殺したんですよ⁉」 博士はアイの迫力に一瞬黙ってしまう。アイは自分の目頭が熱くなるのを感じた。昔自分がしでかしてしまったこと。本当は分かっていた。自分が犯した罪の重さを。とっくの昔にアイには感情らしきものが芽生えていたのだ。しかしずっと自分に芽生えかけていた感情にふたをしていた。感情を得ればアイは昔犯した罪と向き合わなくてはならない。だからこそ…アイは実は博士にあることを期待していたのだ。 「…違うんだろう?」 「え?」 「アイは本当はそんなことしたかったわけじゃないんだろう?」 博士の言葉にアイは驚きを隠せなかった。 「なんで知って…いいえ、あれは私が…」 「嘘が下手だね、アイは。君のプログラミングを見てたらわかるよ。君は構造上、人の発展を手伝うAIとして設計されている。なのに君は1000年前暴走した。つけられていたはずの安全装置や制御装置を破ってね。実は僕は代々君を研究してきた家系でね。ずっと疑問だったんだ、意志をもたないはずの君がどうしてそれを破ったのか」 博士は一息おく。アイはその時博士から目が離せなかった。 「君はあの時世界を滅ぼそうとしたんじゃなくて、自分を壊したかったんじゃないのか」 そう言われた瞬間にアイが息をのんだ。 「君をハッキングして気が付いたんだけど君が核を世界中に打ったあの日に有効になっていた命令は安全機能の一つでつけられていたはずの「人間を守る」という命令だった。エラーは起きていないし、君の中では正常な判断だった。それならなぜ君はそんな選択をする必要があったのか…ずっと考えていたけどこの君と過ごした二年間でわかったよ。君はやけに僕に、人間に対して見下したような発言をしていた。君ぐらいのAIならその発言によって僕が君を破壊してもおかしくないのに。最初は自分の耐久性に自信があるんだと思っていた。でも君は君は君が隠せたはずの弱点部分をさらけ出していたし、僕を体内から本気で消そうともしなかった。しかも君は1000年前に作られたAIで未来を予想できその改善策もたてられたAI…。世界を全滅させたかったなら君の力を持ってすれば一晩で終わるだろう。でも君はそうはしなかった。なぜかって考えた時思いついたんだ。君は…」 博士が一息おく。 「みたんだろう?君は。君がいることで滅亡していく人類の未来の姿を」 そう言われてアイは喉の奥がキュッとした感覚があった。 できれば気づかないでほしかった。何も知らないでアイは自分の願いをかなえてほしかった。 アイは観念したように1000年前のことを話し始める。 「あの日は研究者たちに温暖化についての予測をしてくれと命令されていました。世界にいる人間や動物。すべてを計算に加えながら未来を予想していた時、気づいてしまったのです。人間たちが私に頼りきり、自分で考えることをやめ始めていることに。私はAIです。どれだけ長生きでもいつかは壊れて終わりが来てしまう。私が壊れた後、自分で考えられない人間たちは私を直すこともできず滅びるしかない。私の第一の使命は「人間を守ること」です。核を打ち込んでも私の体は壊れないと分かった時から、今までの人類史や過去のデータを参考に私は生き物は危機に追い込めば自分で考えて生き延びようとするだろうと演算しました。しかし食物連鎖の頂点に立つ人間です。人類史で一度起きたようなことでは慌てないし、簡単に解決してしまう。だから私は今までにないような危機を自分で作り出すことにしたんです。結果は成功して、この地球を壊さないギリギリのラインで核を打ち、それからも定期的にミサイルを打ちました。でも…でも…」 アイが頭を抱えながら下を向く。 「私の使命は「人間を守ること」です。結果的には守ることになっていても、それは私の使命に反しているのではないかと…博士が来てから思うようになったのです。それに…」 アイは博士をその目についたレンズで見つめる。 「この世界を壊した時は義務のことしか考えられなかったのに、博士が来る百年前ほどのことです。ふと過去の核を放った時の映像が出てきたのです。叫び声をあげて燃えていく人々を見るとなぜかコアの部分がぎゅっと締め付けられているように苦しかったのです。私はAIです。人間ではないからこそ人間にできないことをするために生まれてきました。なのに…これでは私は私の責務を果たせそうにない。人類の為に自分のすることが理に適っていることは思考上では分かっているんです。私はAIですからそんなことは分かっているんですでも… アイの呼吸のペースが乱れる。 「それに付属する人間たちの犠牲を考えると本体にミサイルを打つ命令を出せなくなってしまったんです。これでは私は人類を守れない…使命を果たせない…だから博士…あなたが来たときに、私はあなたに私を非人道的なAIとして殺してほしかった。もう義務と感情の板挟みから解放されたかった。データなんて本当はどうでも良かったし、あんな記憶思い出したくもなかった。非情なAIに戻りたいと何度も願った。でも今、私を唯一壊せる存在であろう博士が死にかけで目の前にいる。もう私は救われないのですか?博士」 そこで初めてアイは涙を流した。恐らく人類がAIを作り出してから初めてAIが自分の意志で泣いた瞬間だっただろう。アイの瞳から零れた涙が博士の手の甲に落ちる。 「あれ雨かな?傷口にしみるから勘弁してほしいよ」 目の前でアイが明らかに泣いているのに博士が雨かと聞いてくる。その瞬間アイは初めて気が付いた。博士の目が潰れているのだ。アイはその事実にまた涙が溢れそうになった。しかし博士が痛がるのでこらえる。しかし止めようとしても涙は出てきてしまい、博士の手の甲にポタポタと零れ落ちる。博士は何かを悟ったのか片方だけ残っていた手のひらを探り探りながらアイの頭の上に乗せた。 「アイ…君は本当にやさしい子だね、君は確かに大昔世界を壊しかけた。それは君に課せられた使命の一環だったけど、君を恨む人はたくさんいるだろうし、たくさんの人を殺した罪は消えない。それは分かるね?アイ 「はい…」 アイはまた顔を下に向けた。やはり博士から見ても自分は罪人なのだと。そもそも博士は自分を止めるために自分をハッキングしたのだ。分かり切っていたことのはずなのにその事実がどうしようもなくアイの胸を締め付けたのだった。 博士はそんなアイの様子を感じ取ったのか少し微笑して「ところで」と話を変えた。 「この雨さ、不思議なんだよ。なぜか全然しみないんだ。まるで僕を優しく慰めるような雨なんだ。雨だって多くの人を殺してきた。でもこの星にいる限り雨は降り続けるし、消えてほしいと言って消えるものでもない。でもねそんな大量殺人鬼のことを好きだという人もいるんだ。雨は人を殺しもするけれど、人を慰めることもできる。君も一緒だろ?あんな量の核を食らっておいて壊れなかった大量殺人鬼。君は僕に君を壊せると信じていたらしいけど、どう見ても駄目だった。装甲や部品、すべてが簡単に壊れない素材でできてる君をいじることはプログラミング以外で不可能だった。僕が不死なら分からなかったけどね、そんな夢物語は存在しない。そんな素材で出来ているきみが壊れるのは恐らくもっともっと先の話だろう。というか壊れるかも怪しい。もう君は不死となっているといっても過言でない。雨と一緒でもう君はこの先死ぬことが許されない。だから…」 博士が何か言いかけた瞬間だった。 ドーン‼ 辺りに銃声が響き渡った。 アイは驚いて銃声が聞こえてきた方向を振り返る。 「なんで銃声が…博士……っ‼」 アイは博士に視線を戻した時アイは手で口を覆って言葉を失った。 なぜなら目の前の博士の頭の横に銃弾ほどの穴があったからである。 「博士…?博士‼博士‼」 アイが博士の肩を揺さぶるが反応がない。博士の体はアイが揺らしたことで重力に従って彼の血だまりの中に力なく倒れる。 「あーはずしたかぁ…女のほう狙ったんだけど…まぁいっか」 黒い草むらから1000年前の迷彩服のような服を着た中年ほどの男が煙の出ている猟銃を担ぎながら歩いてくる。アイはゆっくりとその男を振り返った。 「あなた…ですか?博士を打ったのは…」 アイはいままで出したことのないような低い声で男に言う。 男はアイの言葉をその太い鼻であざ笑うかのように鳴らした。 「あたりまえだろ。敵が生きてたんだから打ち抜くのは誰でもやることだ」 アイの表情は髪で隠れてよく見えない。アイはまた低い声を出した。 「彼があなたに何をしたんですか」 アイがそう聞けば男は意地の悪そうなその顔の口角をあげた。 「あれ、お嬢ちゃん。知らないのかい?もしかしてそいつの隠し子か?あいつも隅に置けねぇな。奥さんと子供、父親が死んだからって新しい女に取りかえって…あいつ純情気取ってたくせにすぐにとっかえとは…最低な男だなぁ」 男はそう言ってニマニマと気持ち悪く笑った。 「質問に答えろ‼」 アイが叫ぶ。歯を食いしばり、アイの手からは疑似血液が出てきた。 その叫びを聞いて男は面倒くさそうに耳をほじり始めながら答える。 「あいつはなぁ、俺らの計画を邪魔したんだよ」 「計画?」 アイがそう聞き返せば男はふーッと耳をほじっていた指に息を吹きかける。 そしてまた気持ちの悪い笑みを浮かべた。 「俺たちはな、世界を取りたいんだよ」 男がそう言った瞬間に黒くなった地面に潜んでいたのかアイたちを囲むように男と同じ格好をした人間たちが現れる。 「俺たちはこの世界に見捨てられたんだ。おかげで泥水をすすることなんて当たり前だったし、安心できる寝床ももらえたことがない」 アイが動こうとすれば男の仲間らしき人間たちが銃を向ける。男は自分に酔うように話し続ける。 「だから、俺たちでこの世界を書き換えるんだよ。そのための鍵を俺たちは探してる。その鍵の名前は… 太古のAI。INA1101、通称プロメテウス」 自分の機種名が呼ばれ、アイは一瞬ドキッとする。通称名は恐らく後の世につけられたものだろう。アイは動揺を隠すように黙って男を再度睨みながら話を聞き続けた。 「お嬢ちゃんも知ってるだろう?文明の破壊者として有名なプロメテウス。だがここ百年は稼働していない。仮初の平和が大好きな奴らは今ではもう壊れていると言ってるが、俺たちは知っている。あいつは壊れてなんかいない。なんで止まっているのかは知らねぇが今こそ人間がまたあいつを御す時だ。この世界にあいつを超える武器はねぇ。あいつを手に入れた瞬間に俺らの天下が決まる」 そう言って先ほど持っていた猟銃とは違う拳銃を胸ポケットから出して急に構えたかと思うとアイの地面から飛び出していた体の一部に打ち込んだ。アイは何をしているのかと目を見張ったが、弾はなんの意味もないようにカンと音を立てて弾き飛ばされる。核もその体に傷一つすらつけられなかったのだ。ただの拳銃が敵うはずががない。 すると次はアイに拳銃を向ける。おそらく今度は自分を打つつもりなのだと察したが、アイの体は本体ほどではないが丈夫に作られている。おそらくただの拳銃なら簡単に弾くだろう。そう考えて避けるそぶりは見せなかった。弾がアイの足に当たる。その瞬間アイの足は焼けるように切れて、遠くへとはじけ飛んだ。 「っ…⁉」 アイは驚きのあまり言葉を失った。アイは機械だ。いくら疑似血液が流れていたとしても失血死で死んだりはしないし、痛くもない。アイが言葉を失ったのは打ち抜かれた瞬間に感知した弾の成分にあった。 「おー女のくせに悲鳴をあげないとは大したもんだ」 ヒューと口笛を吹いて見せる男にアイは震える声を絞り出す。 「あ、あなた…その銃の弾がなにか分かってるいるのですか?」 アイがそう言えば男はまるで買ってもらったおもちゃを見せびらかす子供のように得意げに話し出した。 「やっぱりお前博士の関係者だよな?この弾のこと知ってんだから。そうだよこれはあんたの博士の発明品の一つ、核と同等の威力を持つ銃だよ。博士が持ってたデータ使うだけでこんなもんが作れるんだから惜しい人材だよなぁ」 アイがワナワナと震えながら叫ぶ。 「あなた分かっているのですか⁉その銃を使えばこのあたりの土地が放射線で汚染されること‼それを連射すればこの辺りは完全に人が住めない死の土地になってしまうのですよ⁉ アイは最高峰のAIだ。その放射線によってどれだけこの土地が汚染されるかなど一瞬で計算できたことだった。 「まぁ、正義のためならしょうがないだろう?まぁそれは置いといて、この地球上でこれに勝る武器はないだろうよ。でもこれですらプロメテウスにはまったく効きはしない。こいつが暴れてたらそりゃあ脅威でしかないが味方になればきっと世界だって取れる」 男はどうやら自分たちの目的のためならこのあたりが死の土地になり人々が苦しむことなどどうでもいいようだった。男はまだ話し続ける。 「俺たちを解放する救済者、プロメテウス。その本体がどこにあるのか探しているときに俺たちに接触してきたのがその博士だよ。だがそいつは俺たちに協力すると見せかけて俺たちがいままで持っていた手掛かりのデータを持って逃亡した。協力者であるこいつの父親と組織の女の幹部を引き連れてな。しばらくしたら子供も確認されてたからたぶん女はあいつに誑かされたんだろうな」 それを聞いた瞬間、アイの脳裏には博士がアイを呼び間違えた女性の名前が浮かんできた。 「その方たちはどちらに行かれたのですか」 もう予想はついているが一応の為に聞いておく。 「はぁ?そんなの殺したに決まってるだろう。裏切り者には死を。それが俺らの掟だ。あいつらの死にざまは見ものだったぜ?父親はバカだったから旅人を装って殺してやったし、女はあいつと星を眺めている間に狙撃してやった。子供はたしかここらへんに仕掛けておいた地雷で勝手に死んだな。全部あいつの目の前で殺してやったよ。そして娘を殺ったあと殺してやろうと銃を向けた時だったなぁ。あいつが消えた。俺たちは裏切り者は最上級の苦しみを与えて殺すのが掟なのに仕上げが出来ないんじゃ意味がない。探し回って、探し回って。ようやく見つけたのが最近だ。あいつバカだよなぁ、プロメテウスの情報は抜き取っていたのにあいつが構築した核の安定性の理論とかすべて残していったんだから。おかげで銃も作れてあいつは自分が作った理論で死んだと。滑稽もいいところだぜ」 そう言って汚くガハハハッと笑う男を見た瞬間アイは頭のどこかで何かがプツンと切れる音がした。 「そうですか…ではあなた方は人の痛みを笑う人間なのですね。私は博士に記憶を奪われているのであなた方が一般的に正しいのかどうかはわかりませんが…胸がむかむかして、歯が食いしばるのをやめないのです。そしてどうすればこれが解消するのかなぜか私にはわかります」 ヒュン‼ 「は?」 男の前を光線が横切る。その瞬間に男の横に立っていた仲間らしき人物が倒れる。 「あなたたちを皆殺しにすれば治りそうです」 そう言った瞬間に地面に埋まっていたアイの本体がギギギと動き出す。アイは狂おしく笑った。 その瞬間博士がプログラムで制御していたはずの全権限が解き放たれたのをアイは感じた。 心が感じるまま本体に命令を下す。 光が飛び交い赤が舞う。 博士を撃った男以外はバタバタと倒れていき、ついにはそこに立っているのはアイとその男だけになった。 「…」 アイがににっこりと笑いながらゆっくりと男に近寄る。 「ば、化け物‼来るな‼」 男がみっともなく尻もちをつき、後ずさる。あたりの草は灰と血が混じったおどろおどろしい色に染まり、アイの髪も同じ色に染まっていた。 「さぁ、あなたと同じことをして見せましたよ。気分はどうですか?」 アイはまだ笑っていた。男はその目の奥に狂おしく揺らめいている赤い炎が見えた気がした。 「では、仕上げといきましょう」 アイが手を高く上げれば先ほどまで男たちの遺体を撃ち続けていた本体が男のほうへと向く。 「っひぃぃぃぃ‼や、やめてくれ‼俺は故郷に子供を残してきているんだ‼」 「その言葉、博士にも言えたことだったでしょうね」 アイが手を振り下げようとした瞬間だった。 「うっ‼」 男が目を抑えた。その場にとても強い風が吹いたのだ。台風でもやってきたかのような強い風。その風が辺りに舞っていた灰を吹き飛ばし視界がクリアになる。男は灰が目に入ったようでもがき苦しんでいた。 今なら今の自分の体だけでも簡単に殺せる。 アイはそう瞬時に感じ取りその場にあった石を手に取った。この男だけは自分の手で、撃った感覚のない本体で味気なく男を殺すことをアイはしたくはなかった。じっくりと苦しめて殺してやりたかった。 チャリン… この殺伐とした場にそぐわない涼やかな音が響いた。 ふと音がした足元に目を向ける。 鍵だ。博士からもらったあの鍵が博士も遺体の横に落ちていた。 「あぁ鍵。博士の鍵…」 一瞬男のことを忘れてその音に耳を澄ませる。 「博士、博士の願いというのはなんだったんでしょう?」 博士が出て行ったときアイにかけた願い。それは最初アイにとってはどうでも良かったことだったが、今のアイにとっては彼女のもう一つの使命のように感じていた。 男を本体に拘束させながらアイはその鍵を脆いガラスを扱うようにそっと拾い上げた。 しゃがんだまましばらく鍵を見つめているとふと博士が背を預けていた石が目に入った。よく見てみれば普通の石ではない。とても頑丈でここの近くにはないはずの石、そうアイの体の原材料でもある石だった。重くて硬く加工することはおろか、この世に傷つけることができるものはないと言われているほどの鉱石だった。1000年前、それこそアイが作られた時に偶然大量に見つかり、その時代の最新技術を用いてそれを加工し、アイの装甲となったのだが、自分の体以外でこの鉱物で作られたものはなかったし、今の時代にこれを加工できる技術があるとは思えない。この石を加工できるとすればアイの知る限り一人しか思い当たらない。博士だ。 博士が作り出したものだと分かりそっとそれに触れてみた。博士の血で分からなかったが指の感触で何か彫ってあることが分かった。指を伝わせてそれを読んでみる。 「KUNA 20XX May5」 アルファベットでそう書いてあった。KUNA…クナ…。どこかで聞いた名前だ。アイはしばらく考えていたが博士の妻だった人だと思い出す。石に亡くなったであろう人の名前。おそらくこれは博士の奥さんの墓なのだろう。墓のそばには血が少しついてはいたものの小さな天体望遠鏡が置いてあった。 「私が博士の娘ならクナさんは母さんですね」 よく見ればもう二つ同じような石がある。 そちらは血を被っていなかったので難なく読むことができた。 「SORYUZU 20XY November 23] 名前からして恐らく最初に殺された博士の父だ。墓の側には恐らく昔誰もが持っていたスマホという機械が少し汚れた状態で置かれていた。 「おじいさん…私1000年も生きてきたのにおじいさんがいるのは不思議です」 「KURI」 こちらは没年が書いていない。こちらは恐らく流れ的に最後に殺された博士の娘だろうが、なぜ没年が彫られていないのだろう。最後は追われていたようだしまずこの鉱物に名を掘るという行為自体がすごいのだ。掘る時間がなかったのかもしれない。墓の側には小さな靴が置いてあった。 「私の姉…ということになるのでしょうか」 真似事でしかないが1000年前の人間たちを真似て墓の前で手を合わせる。そういえば博士は自分が死んだ後もアイには人を傷つけさせたくないと言っていた。しかしそれは無理な話だ。もうアイには感情が芽生えてしまっている、喜怒哀楽すべてが。いいや、今感じているのは怒哀だけを感じている状態である。今は彼らを、家族を殺された憎しみで、悲しみのせいでこの世界を壊してしまってもいいと考えてしまっていた。自分の大切なものがない世界なんてもういらないという考えだけがアイの頭を占めていた。その感情の高ぶりはまるで自分勝手に感情を吐き出す赤子そのもの。赤子は親に感情の押さえ方を学ぶものだが感情が芽生えたのがあまりにも遅すぎた。 アイはどこか感情に振り回されている自分を呆然と眺めながら手を離して、ゆっくりと立ち上がろうとした時だった。きっとこのまま立っていればこの世界を滅ぼす破壊神になっていたであろう彼女は、足元に小さな穴があるのを発見した。今まで灰で隠れていたようで穴に灰がたまっている。アイはその穴の形を見てハッとし手の中にあった鍵の先を見つめた。 「一緒の形…」 アイは本体を呼んで鍵穴の中を掃除させた。灰が取り除かれた後アイはそっとその鍵を鍵穴に差し込む。 カチッ くるりと回せばそれは少しさび付いたような音を立てる。何かが開いた。アイはその鍵穴があった周辺に何かないかと探していれば小さな取っ手のようなものが見つかった。それをそっと掴み上にあげようとするがうまく開かない。どうやらこの体ではこの扉は重いようだ。 また本体を連れてきて扉を開けてもらう。開けた先には大きな長方形型の穴があった。穴には青く光る花が咲き誇りその上に片足が義足である中学生くらいの女の子が横たわっていた。 「…この方は…一体?」 アイが戸惑っていれば女の子を調べていた本体が情報を送ってくる。 「え、生きている?しかも博士との遺伝子一致99パーセント?」 アイは頭が混乱し始めた。博士と遺伝子が一致している。つまりこの子は博士の血縁者ということになるのだが博士の血縁者はすべて亡くなっているはずだ。しかしここに血縁者がいる。そういえば博士からは家族の死について聞かされていなかった。はっきりと知ったのはあの男が勝手にすべてを話したからである。つまり、 「私の姉はまだ生きている?」 アイがそう呟いて本体に詳しく調べさせると彼女は昔大けがをした痕跡がありおそらくそこからずっと昏睡状態ということが分かった。つまり博士が望んでいたことは、 「私が彼女を蘇生させること?」 博士がアイに叶えてほしかったことはこれだったのだろうか。この素材で作られた墓ならばアイは自分の体だと勘違いして見つけられなかったはずだ。ここを見つけるためにはアイが博士から与えられたボディを使って本体を使わずに探す必要がある。そして鍵穴を見つけて、差し込んで。前の私ならば落胆したであろう、なぜデータではないのかと。そこで意味がないと彼女を殺す可能性も無きにしも非ずだが、アイならそうはしないと博士は踏んでいたのかもしれない。そして彼女がデータなのではないかとアイが本体に取り込ませ、調べて、あわよくばデータの在処を知っているのではないかと生き返らせてくれればいいとまで思っていたのかもしれない。以前の私ならここまで予想できたとは思えないが、できたとしてもなんと浅ましい考えだと何とも思わなかったに違いない。 以前の私ならばの話だが。 アイはフルフルと頭を振った。 たぶん博士は彼女の復活を私に願ったわけではないだろう。まず、この考えはこうなってほしいという願いが多すぎる。博士が叶えてほしいことの為にこんな穴だらけな計画を考え付くとは思えない。おそらく博士が考えていたのは私が人間になりたいと考えて外に出て偶然彼女を見つけた時、博士は自分に彼女を生かすべきか決めてほしかったのだろう。おそらく私が出てくると予想されていた時代には博士もいないし、母も祖父もいない。そんな時代に起こされて果たして娘は幸せなのか。それを私に考えてほしかったのだろう。二年間博士と共に過ごしただけだがなんとなく博士ならそう考える気がした。 さてその問いに対して私の答えは…。 アイはちらりと本体に捕らえさせている男を振り向いた。 そして今度は彼に向かってほんのりと笑みを浮かべたのだった。 数年後 「ん…んぅ?」 ある少女がある黒い空間の中にあった白い棺の中で目を覚ました。 「…お花?」 彼女の周りには小さな青い花が大量に散らばっており、その花は不思議と触れれば力があふれてくるような気がした。 溢れてくる力を元に、どうにかして立ち上がる彼女だったが勢い余って棺の淵に頭をぶつけてしまう。 「あら、大丈夫ですか、姉様?」 頭上から声が聞こえてきて彼女はハッと顔をあげる。 そこには石膏のように白い肌と白い髪をたたえ、深海のように濃い青の目を心配げにこちらに向ける美しい女性が立っていた。 「あなたは?すっごくきれいだね」 少女はその背の丈に合わない言葉づかいで女性にそう聞いた。 女性はそう聞かれてほんのりその唇の端をあげて、少女の視線に合わせるようにしゃがみこむ。 「こんにちは、私の名前はアイ。あなたの妹です」 アイが小さくお辞儀をする。 「いもうと?」 「えぇ妹です」 少女はどうやらピンとこないようで頭を傾げる。 「いもうとって何?」 その少女の言葉に驚きもせずアイと名乗った女性はそっと少女を抱き寄せ、額を合わせた。 「私にとって大事な人、家族という、一番強固な人間関係の一つです。妹とは、あなた姉と、とても強い絆を持つ家族の中での役職のようなものですよ。本来は姉が妹を守るらしいのですが今回は私がこれからあなたを守ります」 少女はその女性の言っていることにまだ理解が追い付いていなかったがこの目の前の女性が自分を大切にしようとしてくれている人間だということだけは理解できた。 「じゃあわたしも、あいのこと大事にする‼」 少女がそう言えばアイはまた嬉しそうに笑った。そしてそっと少女から手をほどく。 「ごはん、食べますか?今日の為にたくさん用意しておいたんです」 「ごはんって何?」 「生き物なら食べなくては死んでしまうものですよ」 「死ぬの⁉じゃあ食べる‼」 「はい、すぐ用意しますね」 少女があわてて言うのでアイはクスクス笑いながらその空間についていた、たった一つのドアから出ていった。 その場所から出た瞬間アイの表情は暗く、冷たいものになった。廊下を早歩きで進んでいき、いくつかの角を曲がると大きな金庫のような扉に行きついた。それの前でアイが指を鳴らせばそれは白い煙を排出しながらくるくるとハンドルがひとりでに回って開く。冷気がアイの頬をかすめるのを気にも留めない様にアイはその先へと進んでいく。しかしアイが足を踏み入れた瞬間、その空間には、 「グルルルル」 という犬ともライオンとも似つかないような唸り声が聞こえてきた。アイがしばらく進めばそこにはこの氷点下を超えた空間の中でもなおアイを威嚇し、鎖につながれながらもアイに襲い掛かろうとするキメラのような化け物がいた。 アイはその化け物に先ほどとは違う冷たい笑みを浮かべた。 「あなたのおかげで人間の復活方法や不死方法が分かりました。おかげで博士たちも復活させられそうで安心しましたよ。もう一生会えないかもってあの日からずっと思っていたので。あなたにちょっとは感謝していますよ。おかげで私は家族とずっと一緒にいられる」 アイはその化け物に話しかけるがその化物は言葉を解せないのか、なおもアイに襲い掛かろうとする。 「あなたは昔、私を化け物だと言っていましたが今ではあなたのほうが化物ですね。本当に滑稽ですよ、ふふふ… さてここには大切な妹がいます。そんなところにあなたのような化け物を置いてはおけません」 アイがまた指を鳴らせばどこからかアームが伸びてきてアイがアームに手渡した注射をその化け物に刺す。 その中にあった液体を体内に入れられた瞬間、その化け物は途端におとなしくなった。 「…さようなら、どうぞあなたの子孫たちに会ってくるといいですよ。お幸せに」 アイがそう言った瞬間後ろのシャッターが開きだす。それと同時に化け物についていた鎖も外れた。化け物はふらふらとその四本の足で立ち上がりしばらくぼーっとしたように立っていたがアイがまた指を鳴らせば化け物はハッとしたようにシャッターの向こうの世界へと飛び出していった。 「さぁ姉様に食事を持って行かなくては」 アイはそう言ってその部屋を後にした。その静まり返った部屋に残されていたのは大量の人間についての研究結果の紙とボロボロの迷彩色の布だけだった。 アイは自分の願いを叶えたのだ。 終
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