ギアチェンジ

1/1
前へ
/64ページ
次へ

ギアチェンジ

レストランを出ると、自然にふたりは腕を組んで歩いた。 「今日は、これから東京に帰るのか?」 「ううん。明日もオフだから今日はこっちに泊まるつもり。久しぶりだから。」 「ホテルは、どこ? 腕組んで歩いているところ、写真とかとられたら不味いんだろ?」 「ホテルはまだ、取ってない。 もう少し先生と一緒にいたいのに…、 ダメ?」 少し甘えた声で言ってみる。 「うちに来るか? あんまり綺麗にはしてないがな。 それと、俺はいつまでお前の『先生』なんだ?」 ひかるはえっ?という顔をして 「名前で呼んでもいいの? なんか、急にギアチェンジした?」 「当然だろ。 俺たち、そういう仲になったんだから。 これまでは、先生と生徒だから自制してきたけど、もうその必要はないだろ? 仕事で会うときはこれまで通り “七杜”って呼ぶけど、ふたりだけの時は、“ふみ”でいいか?」 「う、うん…」なんか、ドキドキ… 「な・ま・え」 「あ、はい。流星、さん。 ふみ、でいいです。」 「なんか、女っぽいな。 ふみって…」 「だって、女だもん。 流星さんも急にギア上げて男になるから、ドキドキしちゃうじゃない。」 「自分からプロポーズしておいて、 いまさらすぎるだろ…」 「そっか。そうだね。ふふふ キャリーバッグを駅のコインロッカーに預けてあるの。 駅まで行ってタクシー拾いましょ。」 駅には、タクシーが何台も客待ちしていた。 「女はちょっとした旅行でも荷物が多くて大変だな。」 と言いながら、キャリーバッグを運転手さんに積んで貰う。 流星のマンションの住所を告げるとタクシーは走り出した。 「そういえば、俺の舞台初めて観たのって、学校の『芸術鑑賞会』とかいってたよな。〇〇公会堂での公演。」 「そうよ。」 「ふみの席って、真ん中辺の前から3番目位じゃなかったか?」 「そう、真ん中だし前の方だったから、 凄く迫力があって、流星さんが素敵だった。」 「俺と目が合ったの覚えている?」 「覚えてる。3回くらい?」 「普通、目線は二階席に向けるだろ。それが、目にライトが当たって映えるし、客席も広く見渡せる。 だけど、あの時、凄く目をキラキラさせてる子がいて、食い入るように、 まるで一瞬も見逃したくないみたいに見てる子がいて、 つい目線がそっちへ何度か行ってしまったんだ。 その子は、ふみ、だろ?」 「そう、かも…」 「そうか…俺は、本科生の時じゃない、 中学2年生のふみにもう捉まってたんだ。逃れられないわけだ。」 そんな話をしているうちに、流星さんのマンションに着いた。 部屋のドアをしめたとたん、 抱きすくめられた。 「すごくドキドキしてるのわかる?」 「あぁ、わかるよ。俺もドキドキしてる。 好きだよ、ふみ…。 華苑歌劇団に居るときは、安心してた。 脇目を振る暇もないほど忙しいし、 稽古も男役の研究もある。 ふみはいつも真っ直ぐ俺を見ていてくれていた。 だけど、華苑を卒業して、東京に行ったら、色んな人と色んな仕事をするんだろう。 色んな男と出逢って誰かを好きになるかもしれない。 だけど、俺は、追いかけていくことも出来ない。 そう思うと、不安で、悔しかった。 でも、遠くから見ているしかなかった。」 「でも、流星さんだって他の人と付き合ったことだってあるんでしょ。」 「普通に男だし人間だしね。 元ファンだったっていうのは、何人かいたな。 でも、長く続いたためしがなかった。 ただの男の安倍流星に惚れる女はいなかったし、俺も本気にはなれなかった。 ふみだって、東京に行ったらモテただろ?」 「どうなんだろう? 私、鈍感だから、みんないい人だけど、仕事仲間、友だち。 それ以上になりたい人はいなかった。 早く仕事を軌道に乗せて、流星さんと舞台に立ちたい、いつもそのことが心の片隅にあって離れなかった。 だから…、男女交際は🔰なんで、 お手柔らかにお願いします。 流星さん、足疲れちゃうでしょ。 ソファに座りましょ。 その前に、手も洗わないと…」 キャリーバッグを部屋に入れ、 洗面所で手を洗いうがいをした。 「なんか、田舎に帰ってお袋さんに小言言われてる気分だ。」 と流星は笑った。
/64ページ

最初のコメントを投稿しよう!

7人が本棚に入れています
本棚に追加