キスして…

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キスして…

安倍流星の部屋は、男の独り住まいにしては、こざっぱりとした部屋だった。 足が不自由だから、ケガをしないよう物を増やさないとか、工夫しているのだろう。 「せ・流星さんの部屋、意外と片付いているのね。男の人の部屋って、もっと雑然としてるのかなって思ってた。」 ひかるはソファに座って、部屋の中を見渡した。 「足がこんなだから、掃除しやすいように下に物を置かないように工夫してるから。 そうすれば、居ない間に掃除機が勝手に掃除してくれるだろ。 便利になったよな。 掃除なんかで、もう、ケガしたくもないしな。 ところで、今また、“先生”って言おうとしたろう?ふみ。 今度間違えたら、何か罰ゲームにするかな?」 と、流星はニヤリとした。 「ヤダ!だって、急には…、 私たち師弟関係が長いじゃない? どうしても、つい…、ね。 カンベンしてよ。 流星さん。なんか、急に形勢逆転だね…」 「当然だろ。 今まで“教師”だから、どれだけ俺が苦心してたと思ってるんだよ。 もう、どんな直球が来ても受け流す必要はないし、待つこともない…だろ?」 そう言いながら流星はふみを引き寄せて抱きしめた。 「待っててくれたの?私のこと。」 「待ってなかったと言えば嘘になるけど、 かといって本当に待ってたかっていうと、それも違うかな。 当分は、いや、ずっと“ファン”のまま、 「先生」のままで終わるんだろうなって思ってたよ。正直ね。 そうすれば、少なくとも嫌われたり、 がっかりされることはないから。 “『七杜ひかる』が憧れていた元ミュージカル俳優で恩師”が 俺の“指定席”なんだろうと、 それで納得するつもりだった。 俺だって職を失うわけにはいかなかったし。 まぁ、卒業したからって、すぐにはこっちからアプローチできないよ。 ふみは、すぐに“七杜ひかる”のまま芸能活動するって分かってたし、スターじゃないか。 “これからも皆の彼氏”を公言していたんだし。」 「流星さん、“七杜ひかる”のファンだったんだ?」 「それ、さっきレストランでも言ったろう?聞いてなかったのか?」 「だって、嬉しいんだもん。 ずっと、私の片想いだと思ってたから。 公私共にね。 私がどんなに思いを伝えても、受け止めてはくれないけど避けないのは、 教え子として傷つけないためだと思ってたから。」 「そうだよ。教師である以上、教え子は平等に扱わなきゃならない。 どんなに好意を持ってたとしても、な。 だから、あの新任の挨拶で本科生の教室でふみと目が合った時、凄く複雑だった。 再会できた喜びと、ここに来るんじゃなかったという後悔と。 まさか、あの時の目をキラキラさせていた彼女が華苑音楽学校にいるなんて思いもしなかったから。 それから、ふみは、“七杜ひかる”として、どんどん綺麗になって、カッコ良くなって、素敵な舞台人になっていった。 教師としては嬉しかったが、どんどん手の届かない存在になっていく気がして辛かったんだ。」 「私、流星さんに辛い事ばかりしてたんだね。自分の気持ちでいっぱいで、そんな風に考えたこともなかった。 でも、そうだよね。 逆の立場になって考えたら…、 私だったら、逃げてたかもしれない。 側に居るのに手が届かないなんて辛すぎるじゃない。せめて、遠くに離れれば諦めもつくかもしれないもの。 流星さん、逃げないでくれて、ありがとう。」 「ふみの引力が強すぎて、逃げたくても逃げられなかったんだよ。 言ったろう。あの時、俺は捉まったって。 でも、今度は俺が捉まえた。 もう、後悔しても離さない…。 覚悟しろよ… キスして…いいか?」 「聞いてくれるんだ。優しいのね。」 「初心者だからな。 でも、今回限りだ… もう、次からは、聞かない…」
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