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これからは、一緒に
一応双方の親に報告が済んでほっと一息ついた。
「ふみ、急だけど、これから役所に行って、学校に挨拶に行かないか?
もし、時間が大丈夫なら、だけど。
もう、一応親にも報告したし、
先に延ばすと離れて暮らしてるし、
お互いそれぞれの予定がかなり先まで決まっていて、すり合わせるのが大変だろう?」
「そういわれると、そうね。
移動して落ち合うだけで半日つぶれてしまうものね。
分かった。そうしましょ。
じゃあ、出掛ける準備するね。」
「俺は、学校に電話入れておく。」
慌ただしく準備して、タクシーを呼び市役所に向かった。
「婚姻届って、紙一枚書けば済むのかと思ってたけど、証人とか書類とか色々必要なのね。今日分かって良かったわ。」
「ふみの本籍は実家から移してないんだろ?」
「ええ。そのままよ。」
「俺も本籍は移してないから、お互い戸籍謄本を取り寄せないとだな。
用紙は貰ってきたから、取り寄せは自分でできるよな。
謄本が届いたら、連絡して。
一日休み貰って、俺が東京に行く。
証人は、校長とそっちの事務所の社長に頼めるかな?」
「うん、報告がてら頼んで書いて貰う。」
「出来れば一緒に出しに行きたいけど、時間とれなかったら、俺が出してくるから。じゃ、学校に行こう。」
また、タクシーを飛ばして、今度は華苑音楽学校に向かった。
「あれ、安倍先生。
今日は、お休みじゃなかったんですか?
おや、七杜さんもご一緒?」
「ちょっと急用ができて。
校長いらっしゃいますよね。
さっき電話しておいたんで、取り次いでいただけますか?」
「ちょっとお待ち下さいね。」
受付にふたりが並んで立っていると、どうしても目立つ。
側を通り過ぎていく生徒たちは、
会釈しながらも“七杜ひかる”と“安倍先生”が並んで立っていることにざわめいていた。
「校長室でお待ちだそうです。
どうぞお入り下さい。」
受付の職員に案内されて校長室に向かった。
コンコンと職員がドアを叩く。
「安倍先生と七杜ひかるさんがいらっしゃいましたので、ご案内しました。どうぞ。」
「校長先生、ご無沙汰しております。お忙しいところ、お時間をいたたいて申し訳ありません。」
「七杜さんもますますご活躍のようで、
なかなか劇場までは行けませんが、
時折映像で拝見してますよ。
まず、お座り下さい。」
「ありがとうございます。」
「先ほど安倍先生からお電話いただきまして、良いお知らせを聞けるようで…」
「はい、私と七杜が結婚する事になりました。
今日は、そのご報告と婚姻届の証人をお願いしたいと思いふたりで参りました。」
「そうでしたか。それは、おめでとう。
証人は、私で構わなければ書きますが、ご両親にお願いしなくてもいいのかな?」
「実は、急に話しがまとまりまして、七杜はご存知の通りスケジュールが先まで決まっている状態なので、実家への挨拶はだいぶ先のことになりそうです。
本来であれば、それぞれの親に頼むべき所ですが、そんな訳で校長先生にお願いした次第です。
七杜はご存知のように、女優というより“男役の進化形”のような活動をしてますので、入籍だけで、当面は公表もしないつもりです。
ですので、式も予定しておりません。もう一人の証人には、七杜の事務所の社長にお願いするつもりです。」
「そうですか。わかりました。
お忙しいおふたりですから、では、すぐに書いてしまいましょうか。
用紙はお持ちなんですよね。」
「はい。こちらにお名前をお願いいたします。」
校長は、さらさらとペンを走らせた。
「これで良いですかな。
そうか、矢島文子さんでしたね。
七杜ひかるさんの方にすっかり馴染んでしまって、失念しておりました。失礼。
コーヒーを飲んでいく位の時間はありますかな?」
「ありがとうございます。」
「校長室にコーヒーを三つお願いします。」
「卒業生の吉報を聞けて、今日は、良い日になりました。」
間もなく、コーヒーが運ばれてきた。
「冷めないうちに、どうぞ。」
「校長、もうひとつご報告をしなければなりません。
来年の3月、本科生を送り出したら、退職させていただきたいと思っています。」
「やっと、重い腰を上げる気持ちになりましたか?
芸能活動に復帰されるんですね。」
「はい。七杜に背中を押されました。演劇教師としてのやりがいも喜びもありましたが、やはり、このまま舞台にもどることなく過ごして、後悔しないかといえば、それは自分に嘘をついていると思いました。
ブランクが長くなってしまったので、怖くないと言えば嘘になりますが、
チャレンジしてみようと思います。」
「華苑音楽学校としては痛手ではありますが、安倍流星という逸材をこの学校に埋もれさせてしまうのは惜しいと思っていました。
七杜さんは、男役の卒業生の新たな道を切り拓いておられる。安倍先生も新たな道を見つけて下さい。期待していますよ。
華苑歌劇団としても、卒業生の活躍の場を提供することを模索しています。また、安倍先生のお力を借りることもあるかもしれません。」
「はい、そうなれるよう励んで参ります。」
ふたりは、校長室を辞した。
廊下を歩いていると「安倍先生」と呼び止められた。
「お帰りの所お引き留めして申し訳ありません。」
「俺じゃなくて、七杜に話、だろ?」
「本科生の竹田と申します。山田と申します。」
ふたりは、ぺこりと頭を下げた。
「ふたりとも男役志望ね。文化祭の練習で大変な時ね。体調に気をつけて、頑張ってね。握手しましょ。」
「ふたりとも、指が長くて綺麗な手をしてるわ。素敵な男役になってね。」
「はい。ありがとうございます。失礼します。」
「若くて可愛いなぁ。キラキラして、私もあんなだったのかなぁ。
どうなの、竹田さんと山田さんて。
どんな子?」
「そうだなぁ。昔の七杜にちょっと似たところがあるかもな。
ああやって、物怖じしないで声をかけるところとか。器用じゃないけど、ヤル気とエネルギーに満ち溢れているところとかね。
まぁ、キラキラ具合は、七杜の方がもっと凄かったかもなぁ。それが直球で来るんだから、被弾しないように避けるのにどれだけ苦労したことか…
今ならやり過ごせるけど、俺もまだ若造だったからね。」
「被弾とか…酷い言い様なんですけど。」
「いや、正(まさ)しく被弾だろ。
それ以外言いようがない。
避けきれず被弾したから、今ここにこうしてふたりで居るんじゃない?」
「あ、そうなるの?」
「だろ?」
そうか。スミマセン、先生。
いや、いんじゃないの。
なんだかんだ言っても、嫌いじゃなかったから困っただけだからさ…
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