7人が本棚に入れています
本棚に追加
ふたつ目の齟齬(そご)
予科生の初冬のある日、
私にとって二つ目の齟齬(そご)が起きた。
その日、学校から寮に帰り寮母さんに
「ただいま」といつも通りの挨拶をした。
「お帰りなさい。寒くなってきたから、
風邪に気をつけなさいね。」と寮母さんと話していると、ふと寮母さんの部屋の付けっぱなしになっているテレビのニュースが目に入った。
『若手ミュージカル俳優、
安倍流星が交通事故に!』
のテロップが画面に出ていた。
「おばさん!安倍流星さん、
交通事故に遭ったんですか?」
「そうらしいわ。気の毒にね。
信号待ちをしていたところに、
トラックが突っ込んできたんですって。
でも、幸い命に別状はなかったそうよ。
ただ、足に大ケガを負ってしまったみたいね。治っても、復帰には時間がかかるみたいよ。
人気も実力も上がってきて、これからの人なのにね…」
おばさんの話を聞いて、私は、体中の血が引いていくのを感じ、目眩がしてその場にしゃがみこんでしまった。
「矢島さん!どうしたの?顔が真っ青よ。」
「目眩がして…。
流星さん、もう舞台に立てないの…?」
私は、それだけ言うと気を失ったらしい。
目が覚めると、病院のベットの上だった。大本先生が付き添ってくれていた。
「目が覚めたのね。気分はどう?
ストレスによる急激な一過性の低血圧だったみたい。点滴が終わったら帰っていいそうだから、もう少しね。」
「先生、私…」
「同室の園田さんに聞いたわ。
あなた、安倍流星さんの大ファンで、
彼と共演出来るようになるために華苑に入ったんですってね。
きっと、大丈夫よ。まだ彼も若いんだし、リハビリして舞台に復帰できる。そう信じましょ。
今心配しても何も変わらないわ。」
「そうですね。きっと、治りますよね。
でも、…もう、相手役にはなれませんよね、私。身長が伸びちゃったから、
娘役にはなれませんよね。
私、今まで娘役トップになるために辛くても頑張ってきたんです。
でも、…これから何を目指したらいいのか、分からなくなりました。」
涙が溢れてきた。
「そのことは、また落ちついたら相談しましょう。今日は、まだちゃんと考えられる状態じゃないでしょ。
寮まで送っていくから、明日は一日ゆっくり休んだ方がいいわ。」
私の“初恋の人”安倍流星は、その後手術とリハビリで歩けるようにはなったものの、長く歩くには杖が必要になり、走ることはもう無理だった。
そして“彼”は、舞台俳優を引退した。
そのニュースを目にした時、私は、
華苑を辞めようと思った。
“彼”が舞台にいないのに、
華苑にいる意味が分からなくなった。
身長もまだ伸びていて、
もう娘役は無理だった。
私、何か悪いことしたんでしょうか?
“彼”の隣に立ちたいと思ったことが間違いですか?
もう、どうしたらいいのか、分からなかった。
最初のコメントを投稿しよう!