107人が本棚に入れています
本棚に追加
3.
(あの女性って……もしかして……)
間違いない。彼女は、この国の王妃であるアイリーンだ。
(どうして、王妃様がこんなところに……?)
クリスが呆然と立ち尽くしている間にも、二人の会話は続いていた。
「久々に、会えて嬉しいわ」
「僕もですよ」
そう言って二人は抱擁を交わしたかと思えば、そのまま唇を重ねた。
「……!?」
クリスは思わず目を疑った。
(そんな……ということは、王妃様は不貞を……? しかも、相手はローレンス様だったなんて……)
その瞬間、クリスは全てを悟った。
ローレンスが白い結婚を望んでいたのは、王妃アイリーンとの関係を隠すためだったのだ。
確かに、妃と関係を持っているとなれば大スキャンダルになる。
だから、ローレンスはあえて日頃から女性に対して冷たく振る舞い、「あの公爵は女性不信だ」という噂が流れるように仕向けたのだ。
噂が広まれば、自分に疑いの目を向ける者はいなくなる。王妃との密会もやりやすくなるだろうし、一石二鳥というわけだ。
嫁いできたクリスに対してわざとらしいくらい冷たく当たっていたのも、きっと噂に真実味をもたせるためだろう。
クリスは音を立てないように細心の注意を払いながら、その場を離れたのだった。
***
一週間後。
クリスは迷っていた。何故なら、今日は王都に滞在していたアデラが自分の国に帰ってしまう日だからだ。
アデラは「もし、気が変わったらぎりぎりでもいいから来てちょうだい」と言ってくれたのだが、クリスはどうするべきか決めかねていた。
(本当に、このままでいいのかな……)
そう自問自答した。クリスは、今まで汚い大人たちに散々利用されてきた。
クリスが内気で口答えができないのをいいことに、みんなやりたい放題だったのだ。
そんな中、アデラのような素晴らしい人物と出会えたことは奇跡に近い。
このまま何も行動しなければ、自分は一生後悔することになるのではないか。クリスは悩んだ。
(私は──)
クリスの中で、様々な思いが入り乱れる。
だが、気づけば──トランクに荷物を詰め、邸から飛び出していた。
「はぁ、はぁ、はぁ……」
息を切らせながら、必死に走る。もう二度と、彼女に会えないかもしれない。そう思ったら、居ても立っても居られなかった。
駅に着くと、すでに汽車の出発時刻が迫っており、乗客の姿もちらほらと見えた。
その中にアデラの姿を捉えたクリスは、慌てて声を上げた。
「アデラ様!」
「え……? クリス!?」
アデラは面食らったのか、大きな目をぱちくりと瞬かせている。
「あの……」
いざとなると、なかなか言い出せない。
クリスはごくりと唾を飲み込むと、意を決して告げた。
「私……アデラ様に付いていきたいです!」
アデラは驚いた様子だったが、すぐにクリスのもとに駆け寄り優しく抱きしめてくれた。
「嬉しいわ。もちろん大歓迎よ!」
「アデラ様……!」
クリスは涙を浮かべると、アデラを抱きしめ返した。
こうして、クリスは生まれて初めて『自分の意思』で道を選んだのである。
***
汽車に乗ってから、どれくらいの時間が経っただろうか。
クリスは隣に座っているアデラにある事を切り出そうとしていたのだが、なかなか言い出せずにいた。
そうやって暫く悩んだ末、クリスは意を決して口を開いた。
「あの、アデラ様。お話しておきたいことがあるのですが……」
「どうしたの? 改まって」
不思議そうな表情で見つめてくる彼女に、クリスは躊躇いがちに言葉を続けた。
「……実は私、男なんです」
──そう、何を隠そうクリスの性別は男性なのだ。
だが、幼い頃から可愛いものや綺麗なものが好きで、周りの令嬢たちと一緒に人形遊びをしたり女性物の服にばかり関心を向けていた。自分のことを『僕』と呼ぶのが嫌で、ずっと『私』と呼んでいた。
それ故、両親から気味悪がられ虐げられていたのである。
容姿に関しても、十六歳になった今でも双子の姉であるエルミーナと瓜二つで、一見すると女性にしか見えない。そのうえ、声まで中性的だから、まず初対面の人間には男だと見抜かれたことがなかった。
だからこそ、両親はここぞとばかりにクリスを政略結婚の駒にしたのだろう。『白い結婚』なら夜の営みをする必要もないし、余程のことがない限り相手に悟られないからだ。
とはいえ、いくらクリスが女性にしか見えないと言っても、国には男児として出生を届け出ているはずだ。それがどういうわけか、ローレンスとの婚姻が認められてしまった。
これについては恐らくだが、両親が一枚噛んでいるのだろうとクリスは睨んでいた。きっと、あの二人が何か工作をしたに違いない。
そんなことを考えつつも、クリスはアデラの返答を待つ。
「あら、そうなの」
彼女は、拍子抜けするほどあっさりとそう返した。
「え!? そ、それだけですか!? 私、一大決心をして打ち明けたんですよ!」
「何? もっと驚いてほしかったの? でも、そっか……それなら、私と結婚できるわね。この際だから、私と結婚しない?」
アデラの突拍子もない提案に、クリスは目を見開いた。
「えぇ!?」
「クリスは気にしているかもしれないけれど……男だろうが女だろうが、そんなことはどうだっていいのよ」
そう言うと、アデラはクリスを見据えながら言葉を続ける。
「ドレス作りに妥協せず真剣に取り組む姿勢や、最後までやり遂げる精神力──私はね……あなたのその真っ直ぐな心に惹かれたの」
「……!」
その言葉を聞いた瞬間、クリスの目からぽろりと一筋の涙が零れ落ちた。
今までずっと、クリスは誰かから必要とされたかった。愛されたかった。
でも、そんな願いは一生叶わないと思って諦めていた。だから、こんな風に言ってもらえるなんて夢にも思わなかったのだ。
──クリスにとって、これ以上ないくらい幸せな瞬間だった。
「ああ、でも安心して。さっきの話は冗談よ。つまり、結婚したいくらいあなたのことを買っているって意味だから」
そう言って、アデラは悪戯っぽい笑みを浮かべる。
クリスはその一言にほっとしたような、残念だったような、複雑な気持ちになった。
そして、気づいたのだ。クリス自身もまた、アデラに対して特別な感情──それも、恋にも似た感情を抱いているということに。
幼い頃から、クリスは自身の性別に違和感を覚えていた。だから、『心の性別』に合わせるなら、男性を好きになるべきなのかもしれないけれど──。
やがて、汽車はゆっくりと速度を落とし始めた。
そろそろ、到着時間のようだ。
「さあ、降りる準備をしましょう」
アデラがそう促した直後、汽笛が鳴った。いよいよ、新しい人生の始まりだ。
十年後。
アデラ専属の裁縫師となったクリスは、修行期間を経てやがて自分の店を構えた。
クリスが経営する仕立て屋は、注文が殺到するほどの大盛況だ。
というのも、クリスがデザインしたドレスはどれも素晴らしく、貴族の間で大人気となっているからである。
クリスは毎日せっせと仕事に励んでおり、店を手伝ってくれているアデラや従業員達とともに充実した日々を送っていた。
ローレンスやクリスの家族がその後どうなったのかというと──。
風の便りによると、クリスが失踪して間もなくしてローレンスの立場は危うくなり、今ではすっかり没落してしまったらしい。
そればかりか、王妃との関係が明るみに出て牢屋に入っているという噂まである。真偽の程は不明だが、もし本当なら自業自得以外の何物でもないだろう。
そして、クリスの実家である伯爵家は、ローレンスからの経済的な支援を受けられなくなり一家全員で路頭に迷うことになったのだとか。
傍から見たら、クリスは家族を見捨てた裏切り者だ。けれど、全く後悔はしていない。
(だって……もしあのとき行動を起こさなければ、きっと等身大の『私』を受け入れてくれる大切な人たちに出会えなかっただろうから──)
そう思いつつ、クリスは開店準備をしているアデラ達のほうを見やる。
視線に気づいたのか、アデラが振り向いた。クリスは思わず頬を緩ませる。そして、小声で呟いた。
「……アデラ様、ありがとう。大好きです」
「え? 何か言った?」
「いえ、何でもありません!」
首を傾げるアデラに、クリスは慌てて誤魔化す。
すると、彼女は「変な子ね」と言いながらも、優しく微笑んでくれた。
最初のコメントを投稿しよう!